4-24 俺はラブコメを信じない
【この作品にはあらすじはありません】
白天竺高校、校舎一階にある空き教室は「漫画研究会」の名の下に占領されていた。室名札にセロハンテープで貼り付けられた「漫研」の紙は、当然正規のものではない。
中から聞こえる電子音は持ち込まれたケトルのものだ。ロッカーには資料と称した本が並べられており、元々あった机は半ばバリケードのように使われている。
あまりにも堂々とした校則違反だった。
「なぁ、春日部」
今しがたケント紙に走らせていた鉛筆を置き、声を上げた者がいる。
田中恵。二年生。気だるげな目が特徴的な男子生徒。校則を無視して尚ふてぶてしい態度はまさしく不良と言える。
「なんすか、先輩」
答えたのは春日部理子。一年生。ゆるいショートカットの女子生徒。大きな目はつまらなさそうに机の下のスマホを見ている。元気に振る舞えばさぞ可愛らしいだろうとわかるが、田中に対する返事は心底興味がなさそうだ。
「俺はラブコメを信じない」
「また、話題の振り方が急ですねー」
うんざりした表情を隠さず、春日部は顔を上げる。田中は描き上げた下書きから春日部に目を移した。
「じゃあなんだ。急じゃない話題の振り方があるのか? さっきまでお互い無言だったのにどんな話を振れば急じゃないんだ。天気の話でもするか?」
「あー、もう良いです。私が悪かったです。それで、ラブコメがどうでしたっけ?」
春日部はすぐに視線をスマホに戻した。田中も下書きを見直しながら続ける。
「ラブコメというモノがどうにも信用ならない」
「なぜ?」
「読んで面白いと思ったことがない。リアリティがない。共感ができない。なのにジャンルとしてあそこまで人気な事が理解できない」
「共感、できないですかね。先輩は」
「できるわけないだろ。逆に聞くが、特に理由なくモテる事に共感できそうか? 俺が?」
フンと田中は鼻を鳴らす。その横顔を、春日部は目を細めるようにジッと見つめた。
その様子は寧ろ、睨んだと言った方が正しいかもしれない。
「なんだ?」
「いえ、何も。先輩は女性からモテたい、みたいな欲はないんですか?」
「そりゃ俺だって男だ。モテたいさ」
「だったらラブコメが人気なのも分かりませんか? 自分もこうなってみたいとは思いませんか?」
「流石にそんなのあり得ないじゃん」
至って冷静な返答に、春日部は綺麗な眉をへの字に曲げた。
「先輩が大好きなバトル漫画の主人公だってあり得ませんよ。彼らも大体モテモテですし」
「あれはファンタジーだろ。それに、あれぐらい強ければモテて当然だ」
「原始人みたいな価値観ですね。要は、世界観がリアルなのに人物設定だけがファンタジーで違和感があるってことですか?」
「そういうことかもな」
「今言ったことは、ラブコメの最大の武器ですよ」
「ほーう」
そこで田中は難しい顔をして、合点が入ったようにああ、と声を漏らした。
「なるほどな。みんな現実の出来事に疲れてるってわけか」
「そんな感じですね」
「そりゃあ現実なんて進んで向き合いたいものではないわな」
どこか自嘲も含んである田中の言葉をかき消すように、大きな音を立てて教室の扉が開いた。
「入るぞ」
「どもどもー」
現れたのは生徒会の腕章をつけた背の高い生徒と、制服を着崩した髪の長い生徒。どちらも女子だ。
「三島。何度も言ったが、ノックをしろ。マナーだ」
「田中。私も言った。この教室はお前たちのものではない。校則だ」
背の高い生徒と田中が睨み合う。
三島雪。二年生。この学校の生徒会長だ。鋭い顔つきと言動、豊満な胸には相応の威圧感がある。しかしだからこそ、生徒会を束ねる高いカリスマ性も持っているのだ。その豊満な胸ゆえに。
「それ、恵が書いたの?」
「ん? まぁ、そうだよ」
「へー、やっぱり絵うまいねぇ」
「あっ、見返してた所なんだから取るなよ」
「良いじゃん別に減るもんじゃないし」
「減るんだよ。時間が」
田中の後ろに回って下書きを取り上げたのは内野茜。田中とは小さい頃からの付き合いで、俗に言う幼馴染の間柄だ。
「先輩、やっぱり内野さんには甘いですよね。私が原稿に触った時はキレてたのに」
「キレてない。まだインクが乾いてなかったから焦っただけだ」
「キレてましたよ」
「田中、私も暇ではない。話を聞け」
「お前の話っつったってココから出てけっていつもそれだけだろ?」
話しかけてくる人間に忙しく顔を向けなおしながら、田中は答える。
「私は代替案は出してるつもりだ。部員を4人集めれば同好会として認めてやる。少しだが部費も出せるぞ」
「ここに丁度4人いるだろ」
「私には生徒会長としての仕事がある」
「やめちまえよ、生徒会長」
「馬鹿なことを言うな」
三島がこめかみに指を当ててため息を吐く。そこで何かに気付いてハッと顔を上げた。
「そうだ、田中。お前が生徒会に入れ」
「はぁ?」
「この教室は難しいかもしれないが、お前が漫画を描く場所なら用意できる。約束しよう」
「聞き捨てなりませんね」
声を上げたのは春日部だ。立ち上がって三島と睨み合う。
身長や放つ気迫。胸囲は桁違いだ。それでも春日部は立ち向かった。
「私もこの教室を使っているんですが」
「一年生の春日部くんだったな。君がココにこだわる理由はなんだ?」
「私は先輩の編集者なので」
「田中、編集者とはなんだ?」
「漫画の相談役だよ。アドバイスをくれる」
「ふむ。では春日部くんも生徒会に入れよう」
「はぁ?」
「役職は用意する。悪くない話だろう?」
春日部が田中の方を見ると、田中はそのまま視線を受け流すように後ろを見た。内野が「え、私?」と自分自身に指を向ける。
「恵が忙しくなっちゃうなら私は反対かなー。一緒に帰れる日が減っちゃうし」
「だそうです」
「だそうです、じゃないでしょ! 何か言い返してくださいよ先輩!」
「いや、実はコイツちょっと怖いんだよ」
「さっきまでちゃんと言い返してたのに……」
「ここぞって時に権力に弱いのなんとかなりませんか」
田中は頬を掻いて、おずおずと三島を見た。
「どうしてそこまで俺にこだわるんだ」
「田中は問題児だからな、目の届く所に置いておきたいんだ」
「この教室使ってる以外の校則違反、してないよな」
「それでも十分問題児だ。私が問題児と言えば問題児だ」
「メチャクチャだ」
「だから私の側で、お前を校正させてやる」
「そこまでします普通?」
「私は目的の為には手段を選ばないよ。春日部くん」
三島は春日部に勝ち誇ったような笑みを向けてから、田中に迫った。
「どうする? 返事は、できれば今がいい」
「お前、そんなにか」
「ああ。そんなにだよ」
「そんなに俺のことが嫌いか、お前」
その場に居た、田中以外の全員の顔が、ぐにゃりと歪んだ。田中もまた心底悲しそうな顔をしていた。
「なんかもう、今日は帰る」
田中が内野から下書きを奪って、そのまま教室から出て行く。呆気に取られたまま、教室には三人の女子生徒が残された。
「勧誘失敗か」
おもむろにそう呟き、三島は流れるように田中が座っていた席に座る。隣の春日部がギョッと身を逸らした。
「ええっと、そんな感じ?」
ウロウロと部屋の中を見ていた内野も手頃な椅子に腰を下ろす。
円を描くように内側を向いて座る様は仲のいい女子グループのそれだが、流れる空気はそんなものではない。
気まずいなぁ。
春日部は思ったことが口に出ないように堪えた。チラリと隣を見れば、三島は田中の机に突っ伏している。さっきまで机の上にあった鉛筆が見当たらないが、その行方は考えない事にした。
「こんなこと聞くのはアレだけど、二人は恵のことどう思ってるの?」
「随分とぶっ込んだこと聞きますね」
「えへへ、気になっちゃって」
内野の照れ臭そうな笑顔はとても可愛らしいもので、ともすればあざといモノとして春日部の目には映った。
「田中は私に冷たい」
体は机に伏せたまま、三島は顔だけを上げた。これ以上の奇行は頼むからやめて欲しいと春日部は思った。三島の事が怖いという田中の気持ちがようやくわかった。
「ここでも、廊下で会った時でも、君たちや他の同級生への態度に比べて、私に対しては冷たい。私にだけ冷たい」
「そんな事ないと思いますけど」
「私はそう思うんだ」
「あ、はい」
落ち込んだ声色に覇気は無かったが、それでも春日部を黙らせるには十分だった。
「他の生徒会役員や、先生に注意をお願いした事もあったが、あんな態度を取るのは私に対してだけだ。だから何か特別な理由があるんじゃないかと考えた。そして一つの結論に至った」
「えと、なんですか?」
「田中は私のことが好きなんじゃないかと思うんだ」
「えぇ……」
「すごいねぇ」
三島の様子から病的で狂気的な何かは感じ取れない。その目には普段通りの理知的な生徒会長としての光がある。
「男子は好きな人間にあえて意地悪をしてしまう時期があるという。田中もその時期なんだ」
「怪文書が人の口から生まれるのを聞いたのは初めてかもしれません」
「朝礼とかで見る三島さんはカッコイイんだけど、どうしちゃったんだろうね」
「その時期は小学生に多いと聞くが、田中に恋愛経験は無さそうだからな。小学生から成長しないのも仕方ない」
「言葉選びに容赦がないですね」
そこで三島は言葉を切って、春日部の方を見た。
「君はどうなんだ。春日部くん」
「え、何がですか?」
「田中をどう思うか、という話だったはずだ」
「ああ、ちゃんと話は聞いてたんですね」
普段の





