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4-21 化け猫お兄さん、修道女に恋をする。

 永久に雪の降る街にて、黒猫は修道女に恋をした。

 禁忌とされるこの感情を、黒猫であるクロードは知らなかった。


 あの看板娘のように、撫でることが上手いわけでもない。

 あの貴族のように、雇ってくれるわけでもない。

 それでも触れられると鼓動が高鳴ってしまうし、毎日会いたくなる人。


 けれども、主人である貴族は『白銀の聖女』と呼ばれる彼女を胡散臭いとおっしゃる。

 だから、主人の言葉を利用して、私は修道女であるノーチェに逢いに行く。

 『調査の一環だ、毎日逢いに行っても不自然では無いのだ』と心の中で言い訳をして。


 別に、彼女が悪い人だと分かっても良いのだ。

 何食わぬ顔をして、猫として逢いに行くだけ。

 たとえ、私を愛してくれる人を放ったらかしにしてしまうとしても。


 雪の降る夏の日、白銀の修道女に恋をした。

 僅かに目を細めて、曇天に恋焦がれるような眼差しは実に美しいモノだった。


 柔らかな白い手に肉球を触られた時のゾクゾクとした感覚は今でも忘れられない。

 思わず犬のように腹を見せてしまったとしても、仕方の無いことだろう。

 

「ふふっ、今日はクロちゃんいっぱい食べたね」

 

 そんな刺激的な出来事も早朝のこと。

 今は昼食も終わり、ネーレイスという十年来の親友に背中を撫でられているのだ。

 不慣れな撫で方も刺激的で良いが、やはり安心感があるネーレイスの撫で方は唯一無二だ。


 ちなみに彼女は私の行きつけの魚介料理専門店、『女神の拠り所』の看板娘。

 老若男女問わず魅了するであろう、愛らしい笑顔はお客さんに好評だ。

 ネーレイスという名前も海の女神からつけたそうで、店名から両親の溺愛ぶりもうかがえる。

 

 私もその一人ではあるが、猫としてはもっと他にも魅力があるわけで。

 十年の年季があるんだ、彼女の両親以外に負ける気がしない。

 ネーレイスちゃんの父親ヅラ? 十五歳差なら兄貴ヅラか?

 微妙なところだ。


 猫が撫でると喜ぶ場所、むしろ嫌う場所も勉強したのだろう。

 勉強熱心なところも私は大好きだ。撫で方が上手いことも知っている。

 特にお腹や肉球にはなるべく触らないように気を付けているのだ。


 可愛くて、愛想良くて、努力家なネーレイスちゃん。

 数多の男の子を振っているところも、父親兼兄貴ヅラしている身としては安心だ。

 こちとら猫だからな、なんでも知っている。


 自慢げに喉をゴロゴロ鳴らしたところで、彼女の手が止まる。

 おや、と違和感を覚えるのも束の間、藍色の瞳が飛び込んできた。


「クロちゃん、今日は肉球揉んでもいい?」

 

 私の顎下を撫でていた暖かい空気はどこへやら。

 真剣な顔をしたネーレイスちゃん、猫相手に何をしているんだ?

 もちろん大丈夫だというサインを送るため、右手を彼女の手の甲に当てた。

 水仕事をしている敏感な手なため、そっと爪を立てないように。

 

「やった、触るね? 触ってもいいんだよね?」

 

 肯定をするため、フニっと軽く押す。

 まるで繊細なモノを扱うような手に、ゾクッとした感覚が背筋に走る。

 普通の猫はこの感覚が嫌いなのだろう。私も滅多にネーレイスであっても許可は出さない。

 今も思わず手を引きそうになったが、約束を破らないように気合いで耐えた。

 人間として生活している時も、なるべく手には触られないようにしている。


 しかし……あの綺麗な修道女は違った。

 ゾクゾクすることには変わりない。

 けれども、アレには言い知れない快感があった。

 

 恋をした、と思わず表現したが、本当にこれは恋なのだろうか。

 人間の女性を好きになった、といってもネーレイスちゃんへの好きとは何が違うのか。

 ただ美しいモノに反応したというだけ、という可能性もある。


 そんな思考は、またしてもゾクゾクとした感覚に遮られた。

 恍惚とした表情のネーレイスちゃんを見て、慣れない感覚を思い出す。

 そこに、今朝のような特別な感情は再現されなかった。


「ネリネ! そろそろお願い!」

「え、もうそんな時間なの!?」


 裏庭にいたネーレイスちゃんを愛称で呼ぶのは、彼女の母親。

 そろそろ、お店が混み始める時間帯だ。お昼時だから特に多いのだろう。

 給仕として、彼女はいつもお手伝いをしているのだ。

 慌てて食器の片付けを始める彼女は、普段よりも少々浮かれていた。


「クロちゃん、またね!」


 薄ら積もった雪に座る私を置いて、彼女は駆け足で裏口へ入っていった。

 ネーレイスちゃんが浮かれている理由を、私は知っている。

 その事実に溜め息が出そうになるも、堪えて裏庭から路地裏へと戻る。


 人気が無い場所についたところで、私は魔力を操作した。

 人間の脚、胴体、腕、頭などを再現した後、執事服を形成する。

 ついでとばかりに魔力で煩わしい黒髪をまとめ、視界を確保。


 堪えていられなかった溜め息を吐き、レンガの塀にもたれ掛かる。

 いつまでも変わらない曇天と雪を、いつも通りの死んだ金の瞳が捉えているのだろうか。

 

「人間の私が好きだなんて、どうしたらいいものか」


 誰にも聞かれない愚痴をこぼして、仕事場のお屋敷への帰路へ着いた。

 

 ◇


 ノックをコンコンと鳴らし、同時に笑顔の仮面を貼り付けた。

 彼は返事をすることもなく、自らの手で内開きの扉を開け、私を歓迎する。


「やあ、一緒にお茶会をしようじゃないか」

「失礼します」

「おっと、遠慮しないでいいんだよ。今日は珍しい果物を持ってきたんだ。

 さあ、座って座って」


 主人カロランは、私にだけいつも馴れ馴れしい。

 彼には人間化して間もない頃に拾われ、何故か私を別荘の管理人として任命した。

 その頃は魔術で服も形成できないほどだったため、裸で雪まみれの路地裏で倒れていることが多かった。

 丁度そこに当時十歳のカロランが通りがかり、拾ったのだ。


 だからなのか、カロランはいつも友達のように接してくる。

 明らかに貴族の血筋である金髪碧眼なのだが、実際は何者なのかは知らない。

 たまに書類仕事も手伝わせてくるため、相当高位の者なのはわかるのだが。


 今だって廊下の使用人たちの目を気にして、猫の姿を使ってまでバレないように来たのだ。

 何処の馬の骨とも分からない男が主人と二人きりなんて、許されるわけが無い。

 カロランは避暑として毎年使用人と共にやってくるけれど、必要最低限の使用人しか連れてこない。

 やはり、二人きりになろうとするためなのだろうか。身の回りに一人ぐらい使用人は置かないものなのか?


 座らせたソファであっても、別荘の管理人をし、ついでに使用人をやらされているような人間が扱って良いものでは無いと思う。

 

「ほら、このビワって果物。この寒いノースポールだと出回ってないだろう?」

「そうですね」


 オレンジのような黄色のような、独特の香りと甘い香りを共存させた果物。

 確かにこんな果物は見たことがない。しかし、この名前は聞いたことがあるような……。


「ビワって、花なのでは」

「そう。このビワって果物は冬に花が咲いて、暖かくなると実が付くんだ。

 だからこの街では絶対に実らない。食べてみる?」


 カロランは丁寧に皮を剥いて、対面に座った私に果物を差し出した。

 餌付けをされるような行為に、思わず猫としての本能が顔を出す。


 噛み付いた実からは酸っぱいような、甘いような、それでいて爽やかな不思議な味がした。

 なんだか寒々しい外の景色とは似合わないような、そんな気がした。

 

 カロランは私が噛みちぎったビワを、マジマジと見つめた後に種らしきものをスプーンで取り除いた。

 私は運良く、種は食べずに済んだらしい。

 そして、そのまま口の中に放り込んだ。


「……確かに、美味しいですね」

「そう、だね。うん、美味しい」


 それから何故か、カロランの口は閉じきったままであった。

 何があったのだろうか。いつもは煩いほどに話し続けているのに。

 仕方ない、こちらから話しかけよう。

 沈黙は、あまり心地よく感じないから。


「カロラン様。何か用事があったのではないですか。

 用事、というモノがビワの紹介ならば、失礼いたしますが」

「あ、ちょっと待って! 今、別の用事を探すから!」


 カロランは近くのローテーブルに散らかっていた書類を漁っていた。

 妙に焦りながら、私と一緒にいられるようにしたいのだろうか。

 しかし、私も暇をしているわけではない。用事が無ければ帰らせてもらおう。


「……では」

「あ、見つかった見つかった! そう、この人の調査を頼みたいんだよね。

 その相談をしに来てもらったんだよ」


 息切れをしながらも、一つの書類を目の前に差し出すカロランはどこか満足げだった。

 しかし、私にはもう書類の内容しか目に入らなかった。

 何故かって? だってその内容は――


「通称『白銀の聖女』、ノーチェの調査だよ」


 私が恋をした、美しき修道女だったからだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 猫でもあり人にも化けられる彼が恋したのは…!聖女が調査対象だなんて、一体何が?ご主人様の本当の職業もなんなのか? 妄想の世界を膨らませつつ……続きを期待してしまいます。
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