4-01 妖精シャン・デ・リディアと四人の守護者
魔術屋で働くリディアは最近よく夢を見る。
それは四人の男性が自分にかしずく夢。
起きたら忘れてしまう夢だけど、ある日一人の魔術師がお店に怒鳴り込んできたことで、リディアの生活は一変した。
「私が、妖精女王候補?」
気難しそうな魔術師に、背中フェチと噂の王子様、いたずら好きな神官。
三人の守護者から封印を解かれて、妖精として覚醒していくリディアは、世界樹を維持する妖精女王の候補として選ばれるけれど。
魔力や精霊を見ることができるようになった瞳。
背中からはえた妖精の羽。
鳥のような鉤爪を持つ足。
封印を解くたび、人からかけ離れていく自分の姿に、リディアは耐えられなくて。
嘆くリディアの手を取ったのは、最愛の兄だった。
また、この夢?
起きたら忘れるのに、どうしてか見るたびに鮮明になっていく不思議な夢。
それは、私が四人の男の人にかしずかれている夢。
一人は金の髪に青い目をした、気難しそうな人。
左目の下に入れ墨のような紋があって、彼は意地悪そうに口の端を上げて笑うと、私の左目の下へとキスをする。
もう一人は赤い髪に緑の目をした、凛とした雰囲気の人。
背中の大きく開いたドレスを着る私の背中へキスをするその人は、乙女が恥じらうように微笑んだ。
三人目は白銀の髪に薄紫の瞳を持つ、私より年下の男の子。
子犬のように懐いてくれているその子は、まるで下僕のように跪き、素足になった私の右足の親指の爪へとキスをする。
最後の一人は黒い髪に金の瞳を持つ、騎士様。
切なそうに、悲しそうに、愛おしそうに、さらけ出された私のお腹へキスをする。
それから騎士様の顔がゆっくりと上がり、金色の瞳が私を映すの。
私はいつもここで起きてしまう。
だって、私の無防備なお腹へとキスするその人が、だって、私の。
「おにいさま―――?」
ぱちん、と夢がはじけた。
▶▶▶
シャキ、シャキ、シャキ。
なんてことない昼下り。
開店休業中なお店の奥にある工房で、ハサミが鳴る音が響く。
ハサミが鳴るたびに私の頭は軽くなって、スッキリとした。
「はい、できた。ずいぶんと伸びていたね」
「ごめんなさい、お兄様。お兄様にこんなことさせてしまって」
「さすがに肝が冷えたよ。店を尋ねたら、鏡も見ないで髪を切ろうとしてるのだから」
「ごめんなさい……」
仕方のない子だと笑われながら、切ったばかりの髪にさらりと指を通されて、恥ずかしくなる。だって最近、髪が伸びるのが早い気がするんだもの。ちまちま切ってたけど、とうとうめんどくさくなって、気になっちゃった前髪くらい、店番の合間に〜って思っちゃって、つい、出来心で。
「ナターシャがいなくなってから、君はずいぶんと面倒くさがりになってしまったね。こんなことではきちんとお店を続けられるかも不安だな」
「本当にごめんなさいっ! 今度からはちゃんとするわ!」
「本当に? やっぱりお屋敷に来てくれる気にはならない?」
お兄様が膝を折って、椅子に座ったままの私の目をのぞき込んでくる。
絹のように美しい黒い髪を一つに束ねて肩へと流し、蜂蜜のように優しい金色の瞳を持つお兄様。そのお兄様の綺麗な瞳が私を心配そうに見つめてくる。
その瞳に映るのは、似ても似つかない妹の姿。
たった今、お兄様に肩で切りそろえられた猫毛な髪はストロベリーピンク。瞳はアクアマリンのように薄い水色で。
お父様にもお母様にも、お兄様にも、ご先祖様にさえ似なかった私。
伯爵様だったというお父様は厳しい人だと聞いた。誰にも似なかった私が生まれて、お産で亡くなったお母様を不義をしたとお疑いになって、実子だったはずの私を捨てるように乳母に命じたという。
お母様をひどく哀れんだその乳母は、私が魔力を持っていたから、知人の魔術師に私を預けてくれた。
その魔術師が私の育ての親で、このお店の女主人で、お師匠様だったけど。
そのお師匠様が亡くなってもう一年。
伯爵様だったお父様も病気でなくなり、半年前に伯爵家当主となったお兄様が、私が十七歳の誕生日を迎えた一ヶ月前くらいから、お屋敷に戻るようにと口を酸っぱくして誘ってくるようになった。
「ごめんなさい、お兄様。私、どうしてもお師匠様のお店を守りたいんです」
「可愛いリディア、謝らないで」
ちゅ、とお兄様が額にキスしてくれる。もう成人したのに、ちいさい子のように扱われてちょっと恥ずかしい。
「私は心配なんだ。君は私の妹で伯爵令嬢だ。こんな苦労なんて本来はしなくていいのに」
「私はもう立派な庶民だわ。でも、アルベルトお兄様が私のお兄様で良かった。こんなにもかっこいいお兄様なんて世の中探してもいないもの。気にかけてくれるだけで十分です」
「リディア……」
とろりと蜂蜜色の瞳が優しく溶ける。
私も笑って、お兄様に抱きついた。
「……そろそろお店に戻ろうか」
「はい」
そうっとお兄様に離される。お兄様のお耳がちょっと赤い。抱きつかれるのはさすがに恥ずかしかったのかな? でもお兄様だって私を子供扱いするし、お互い様。
パパッと髪を切ってた道具を片付けてお店に戻る。
お師匠様が遺したこのお店は、世にも珍しい魔術屋。
魔術を補助するための魔道具や、ちょっとした加護のある魔道具を扱う魔道具屋じゃなくて、魔術を売るお店。
お師匠様はアクセサリーの形で魔術を売っていた。だからお店には幾つか指輪とか耳飾りとかのアクセサリーが置いてある。
でもそれはほんの一部で、今は私が作った魔術がほとんどだ。
私の魔術の形は蝋燭だ。硝子と木枠を組み合わせた五角柱の箱の中に一本ずつ、蠟燭がはめ込まれてる。蝋燭の色や形は様々だ。
私はこれを『妖精キャンドル』って呼んでる。お師匠様が名づけてくれた。なんでも私の魔力で作るこの蝋燭は火を灯すと妖精が生まれるんだって。その妖精が人間の代わりに小さな魔法を使ってくれる。私は見えないけど、お師匠様は精霊や妖精の気配が分かる人だから、初めてこれを作った時はとても興味深そうにしてたっけ。
お兄様がお店にかけている時計を見た。寂しそうに微笑む。
「そろそろ行くよ。今日は家の方の仕事があるから」
「無理をしないで、お兄様。伯爵家の仕事をしながら、騎士のお仕事もしているのでしょう? 体に気をつけて」
「ふふ。リディアと会えて元気になったよ。明日も来るから」
「そう毎日来なくとも」
「私から、私の楽しみを奪わないで。可愛いリディア」
「もう、お兄様ったら」
お兄様が頬にキスをする。私も頬にキスをお返しすると、お兄様がふわりと笑って、私もつられて笑顔になった。
ほとんど毎日会っているのに、お師匠様が亡くなってから人恋しくて、お忙しいお兄様との別れを惜しんでしまう。お店を開いていても、売ってるものが高価で使える人も限られるから、人と話すことがほとんどないもの。寂しさはひとしおだ。
また明日、とお兄様から体を離す。
お兄様を見送りにお店の入り口まで行くと、今開けようとした扉のドアノブがひょいっと遠のいた。
カラン、コロン。
ドアベルが軽い音を立てて鳴る。
私はまだ扉を開けていない。でも扉が開いたのは、扉を外から開けた人がいるからだ。
私はばったりとお店に入ってきたお客さんとはちあった。
さらりとした金の髪は肩で切り揃えられていて、綺麗な海のような青い目が私を映す。その左目の下には入れ墨のようなマーク。なんだろう? この入れ墨、見たことあるような……?
お兄様より年上のように見える。服装から見ても、魔術師さんみたい。私はお客さんだと認識して、ハッとして通せんぼしている目の前から移動しようとした……んだけど。
「貴様か」
「え?」
「ここ一月、私の夢に干渉し、このような契約紋をしたのは」
魔術師さんが前髪をかき上げる。左目の入れ墨がよく見えるなぁとか思ったら、魔術師さんは青筋まで浮かべてる。ひえ、と思って更に一歩避けようとすると、魔術師さんはギロリと睨みながら私の腕を掴んできた。ひぇ、なに? え、なに?
「え、あの、どちらさまで……?」
「随分な言い草だな。私はエドガー・アークライト。まさか私を国家魔術師の筆頭と知らずにこのようなことをしでかしたと? この私が解呪できない契約を勝手に結び、あまつさえ夢にまで干渉してくるとは。貴様、何者だ。何が目的だ」
なんだか色々とまくし立て上げられたけど、言われてることがよく分からない。
というか、私、この人と初対面。
何か誤解があるんだと思う。
とりあえず。
「ひ、人違いです! ごめんなさい!」
何者も目的も心当たりがございません!
「しらを切るつもりか? 人違いも何も、この契約紋から伝わる魔力はお前のものだ。私の目は誤魔化せないぞ」
「だから人違いですって……!」
やばい、なんか変なお客さんに絡まれてしまった。腕を掴まれてじりじり言い寄られる。目がぎらぎらしててちょっと怖い。
「この世界にまだ私の知らない魔術があるとはな。これは一体何だ。何のためにかけた。今ならまだ穏便にすませてやるぞ」
近い近い近い! あと、なんか鼻息荒くないですか!?
内心びくびくしながら必死に距離を取ろうとまた一歩下がると、背中が何かにぶつかった。
あ、と思って上を見上げれば、お兄様。
お兄様がやんわりと微笑む……けど、目が笑ってない。
そのお兄様が私のお腹に腕を回し、反対の手で魔術師さんから引き離してくれる。
引き離された魔術師さんがムッとした顔になる。
「何だお前は……ん? お前、騎士ホーネストか?」
「筆頭魔術師殿に名前を覚えていただけているとは、光栄です。ところで本日は何用で。ここは私の可愛い妹の店です。このような仕打ち、何か理由がなければ当家から正式に抗議を挙げさせていただきますが?」
「妹……? ホーネスト前伯爵には庶子がいたのか?」
怪訝そうな顔になる魔術師さんに、お兄様からはくすりと微笑む気配を感じたけど。
周りの空気は一気に冷えた。
間違いなく、今、目の前の魔術師さんはお兄様の地雷を踏んだ。
私はお兄様の腕の中で、そっと魔術師さんから目をそらす。背後のお兄様なんてもっと目を合わせられない。
めちゃくちゃお怒りですね、お兄様。