4-18 蛇婚姻譚-hebinoharakara-
亡き白蛇の同胞たちに
《蛇塚家家系図》
____ 海(叔父・鬼・養子)
詩鶴(祖父・蛇) |
|| |____ 賽(叔母・人間)----故炉
||─────── | (いとこ・鬼と蛇の混血)
|| │____ 縫(叔父・蛇)
絹代(祖母・人間) |
 ̄ ̄ ̄ ̄ 雷
||
||───わたし
||
大成
こぽり、こぽり。
祖父の腹に耳をあてると奇妙な音がする。わたしの傍にはくたくたになったランドセル。縁側から差し込む斜光が、ぐっとあかくランドセルを燃えあがらせる。わたしは縁側で寝転がり眠っている祖父の腹に自身の感覚器官を近づけさせた。
祖父の腹には蛇特有の白鱗がぞろりと並んでいる。ひだのように凹凸がある鱗をなぞると、祖父の輪郭が浮き上がらせる。皮膚と骨はぬめりがあり強く握ると簡単に変形してしまいそうだ。腹から見上げると、祖父の寝顔が在る。気持ちよさそうに黄昏の中で眠っている。接触している耳からこもれ落ちる冷たさはこの世のものではない凍えきったものだった。呼吸は繰り返され、祖父の腹板は上下に動く。鼻をくすぐるは線香のいぶ臭い匂い。お香と鱗が混合して。
こぽり、こぽり。
「おじいちゃん、またおばあちゃんにお線香あげてたんやな」
あの頃小学校から帰ると縁側で涼む祖父と祖母のもとににいちはやく駆けよって、わたしたちの一族、蛇塚家の話をねだった。
──おじいちゃん、昨日の続きを話してよ。戦争に行ったおじさんは、蛇の力を駆使してかかんに戦ったんやろ。
不死身のおじさんの話。
──おばさんは武家のお侍さんに叶わぬ恋をしていたって。でもお侍さんは、わたしたち一族にあんまりいい気はしてなかったって。
おばの悲恋の話。
──駆け込んできた女の人は血だらけで鬼の子を抱えていたんやっけ。その子を養子にしたのがうちの分家の始まりってところまで聞いたわ。
少し怖い一族の分家の話。
──おばあちゃんとおじいちゃんの結婚に反対して、大立ち回りしたおじいちゃんの兄の話は面白かったわ。今はあんなにやさしくて頭も坊主にしてるのに見た目によらんね。
きかん坊だった兄の話。
祖父はそのたびに、思い出を磨きあげるかのようにゆっくりと話してくれる。
わたしが祖父の組み敷いた足の中にちょこんと座り耳を傾けていると、しばしば祖父はわたしの頬をなぞった。ここに同じ鱗がある。お前は一族最後の愛おしい子だと告げてくれる。だから、わたしは祖父と同じこの頬の鱗が好きだった。
祖父の話は縁側から見上げる夕に星が浮かぶまで続いた。知らないうちに祖母が祖父の隣に座り、晩酌に一杯、いつかわたしと三人で飲みましょうと祖母がくいっとおちょこに口をつけていたこともある。
祖父母は家の中でも外でもいつでも一緒にいて、母とわたしはいくつになっても仲良しだねと笑い合っていた。
こぽり、こぽり。
あの日の祖父の腹からこぼれる音が今も鼓膜に記憶となって刻まれている。
こぽり、こぽり。
血脈が流れていく音。
祖父の話は決まって祖母との出会いから始まった。
椿の首が落ちていた。その光景が一番初めの祖父と祖母の思い出。椿の首が地面に落っこちていて、緑々とした葉が茂っていた。それを拾いあげようと祖母が近づいたとき、一匹の細い蛇が葉の陰で泣いているのを見つけた。まっしろの蛇体から頭が落ちそうなほど、首を垂らしていた。祖母は奇妙に思い声をかけてしまう。
「こんなところに蛇様がおられる」
しかもまっしろな蛇から透き通る雫がぽたり、ぽたりと落下していたものだから蛇様どうしたんと祖母は訊いてしまう。濡れそぼる地面に蛇は、私は臆病者だと告解する。
当時、蛇様はわたしの村では卑しく、また尊い神様だった。村では遺体を蛇様に捧げ供養とし、蛇様は死体を喰らうことによって村に仕えていた。
祖父もまたその蛇の一匹であった。
「昨夜献上されたお子を、私は食べられなかったのです。人々の供養として蛇に捧げられた大事なお子でありましたものを」
「それでそんなに蛇様はひ弱なんや。死体を喰ろうて身体の中で溶かした後、蛇様は脱皮して大きくなるって聞いてたんやけど」
しくしくと祖母のはっきりとした物言いに再び泣く蛇。祖母は言い過ぎてしまったと蛇様は綺麗やで、鱗とかこんなにすべすべしてると雑に申し立てたが、蛇の耳には届かない。
「兄妹たちにもいびられ、こうして村のお子にも。私は私が情けのうございます。しかし、どうしてもあの世へと旅だった者の身体を見るとひけるのです。あの何の情念もない漆黒の瞳を見ていると『喰ろうてほしくない』と言っているようで」
祖母は蛇様を神聖なものであると思っていたので、この一匹の情けない蛇の姿を見ていたたまれなくなった。そして、いじらしくもあり、愛おしいと初めての感情に苛まれた。
「わかった」
祖母は、蛇に見栄をきる。
「蛇様に『喰べられたい』と思う者であったのなら怖くないやろ。
それなら、あたしが死んだとき、あたしを喰ろうてくれ。
あたしは蛇様に喰らわれるのなんてこれっぽっちも怖くない」
ほら、こっち見てみぃと祖母は両手で蛇の頭を上げる。蛇の眼には瞼がなく瞬きもしないため祖母の顔はくっきりと目に焼き付けられた。祖母の瞼は腫れており、身体の節々は擦り傷だらけで、拳は皮とも血ともしれないものが垂れ下がっていた。それは年頃の女子とは思えない傷の在りようだった。
「あたしは、いじわるしてきた男子と喧嘩してこのざまや。いつも喧嘩っぱやいと言われるし生傷なんて絶えへん。そのせいで今なんか怒られて家から放り出されてる。あたしは喧嘩も傷もなんにも怖くない。すぐに死にもするやろ。だから、あたしが死んだときは安心して喰らい」
祖母の鋭い言葉に祖父は刺さり、墜ちた。祖父の冷たく透き通る身体は波打つ。女の子を直視するたびに椿の甘い蜜の香りが頭のてっぺんから尾の先まで駆け巡る。しかも、なぜかこそばゆい。
うんと祖父はくすぐったくも頷いた。
祖母と祖父は、それからこの椿の花のお膝元で蜜月を過ごすことになり、脈々と血はわたしへと受け継がれていく。
こぽり、こぽり。
でも。
わたしの耳に届く祖父の体内の音が甘い記憶に墜ちてゆくのを妨げる。
どうして。
幼いときに聞いた祖父の腹の音が鼓膜を叩く。
こぽり、こぽり。
あの時の光景を耳から呼び寄せてしまう。夕暮れの秋風の鋭い風切声。祖父の人間に化けきれていない腹。わたしの頬の鱗と祖父の腹の鱗を重ね合わせて、鱗を滑り合わせる。まだ若い新緑の鱗はふっくらと豊かでかさついた祖父の鱗を痛めつける。祖父の置かれた人間の形をした手を交合うと蛇の皮膚の潤いがなかった。
由衣、と祖父が寝ぼけ眼に呼んで、反射的にわたしの頬にある鱗を撫でた。
おじいちゃん、どうして。
縁側を見ても誰の影もない。いつもは祖母と祖父が並んで座っていたはず。縁側の向こう側、百日紅の下で思い出話を咲かせ、椿が宿る日になれば出会いを聞かせてくれる。
でも。
あの日は違った。
椿の花がぼとり、ぼとり、と落ちていた。祖父が手折ったのか、不自然に椿たちは首を晒されていた。縁側から覗かせる庭に佇む祖父の寂しそうな姿がわたしの記憶の背を押す。鱗はかさついていたが、未だ若々しい人間の姿である祖父。ぎょろりとした蛇の瞳が祖母へ向く。祖母は打って変わって、今にもずるりと皮膚が垂れ下がり、見目に老いを根ざしていた。
その日のわたしはランドセルをいつものように投げ捨てず、ただ二人を遠くから眺めていた。
百日紅の袂でいつもの通り並んでいるのに、なぜかいつもよりも空気が重い。一息、空気を吸うと、身体の鱗がざわめく。ひしひしと異様な空気に反応し、身体は動かなかった。
「由衣、見んといて」
そう言う祖母のしわくちゃの口が震えていた。
瞬間、突風が祖母と祖父の間から流れる。大屋敷を揺らして、わたしの蛇の瞼をも閉じてしまう。腕で身体を覆い風から身を守る。風が背後へ過ぎ去り、おもむろに腕をはがした。
祖母は消えていた。
その日、この世からも、どの世からも、祖母はいなくなった。
きっと祖父が祖母を生きたまま喰らったのだ。
それは村の蛇様には決して許されぬ殺人行為。
どうして。
そして祖父と祖母の約束を反故する行為。
こぽり、こぽり。
これは祖父の腹の中で祖母が生きたまま溶けていく音だ。腹の中で眠りながら祖父の一部となるべく、ゆっくりと祖母は液体となり流れてゆく。こぽり、こぽり、と。腹の中で祖母は琥珀色の液体に光輝く。宝石の艶めきを秘めながら。こぽり、こぽり。未だ祖父は脱皮していない。ならば、今もなお祖父の腹中で祖母は溶けながら眠りについているはずだ。こぽり、こぽり。弱々しい足先から丁寧に浸されて、乾燥した皮膚を剥いでいく。祖父の襞であぶられて。編みこまれた人体を解いていく。
そのさまは、蛇様の生き供養そのもの。
ただ、どうしても、わたしにはわからなかったから。
祖父はどうして祖母を生きたまま喰らったのか。
祖母は祖父に死んだ後喰らってほしいと常々言っていたのに、これでは祖父は殺人を犯したのと同じではないか。
こぽり、こぽり。
そんな音を耳にため込んでいると、祖父が身体を起こした。ランドセルは投げっぱなし、いつも怒ってくれていた祖母はいない。祖父に殺されて、祖父は寂しそうに線香をあげて腹へ向かい話しかける。
だから。
ねぇ、おじいちゃんと祖父に頭を預けてまた話してとねだる。
わたしに至るまでの祖父と祖母の見てきた一族の話を。
最後に祖父の腹の中まで流れゆく脈々と継がれた血の結晶を。
今日は明け方の星が見えるまで語ろう。
祖父が脱皮するまで、祖母が祖父に殺されるに至るまでの一族の話を。
わたしの同胞へ。





