4-10 山祇様の今日の無茶振り
白洲川遊鵜のもとに、今日も山祇様が現れる。そしてやれ秘境の奥地へ札を貼りに行け、やれ神隠しの交差点へ行け、やれ幼神の子守をしろと無茶振りをして去っていくのである。
さて今日はいかなる無茶振りをしに来たのか。第一話は「うるうガール」
◆うるうガール
「西歴2000年……つまり今年という年は、とても大切な年なんだよ、ユウ君」
「はぁ……」
俺こと白洲川遊鵜は、目の前でフワフワと浮いている山祇にそう曖昧にうなずいた。俺は眠いのだ。寝起きである。
「例えば少し前、巷で話題になっていた2000年問題だ。……ああ、心配しなくていいよ? ちゃんと特に日常生活には何も問題なく年を越せただろう? そういうルートに乗っかっていたからだ」
「はぁ……」
「覇気の感じられない相槌だね。しかし2000年問題がただの杞憂で終わるためには、裏で多くの人間が動いていたことを理解しなくてはならない」
「はあ、わかっていますが」
「あとこれは少し昔の話だが、ノストラダムスの大予言。話題になっただろう? 結局ただの野田話の域をでなかったわけだが、1999年七の月を超えるのは、結構大変だったんだぜ? そこにも人知れず、誰かの影の努力があった」
「はぁ……」
「今年は世界レベルの大きなルート分岐がいくつもあるのだよ。我々はその選択を間違えないようにしなければならない。さもなくば待っているのは破滅だ」
「はぁ……」
「そしてうるう年というのも大きな問題だ。ユウ君? 流石にうるう年は分かるよね」
山祇の問いに、俺は顔をしかめる。
「馬鹿にしてるんですか。まさに、今日がその日じゃないですか。西暦2000年の2月29日。四年に一度のうるう日です」
「そうだね。しかし今日この日は、実はもっと特別な日なのだよ。まずうるう年というのは一年のズレを調整するための日だ。一年は365.25日。よって四年に一度366日とすれば計算が合う」
「なるほど」
「だが実際には一年は365.242 189 44日、つまり365日5時間48分45.168秒。四年に一度366日としても、少しずつずれてしまうのさ。そのためあまり知られていないことだが、西暦が100で割れる年はうるう年にならないことになっている。つまり平年だね」
「え、でもおかしいですよね。2000年は100で割れる。とすれば今年がうるう年になるのは変です」
山祇はニヤリと笑う。
「よく気づいたね。さらに付け加えて、うるう年にはもう一つルールがある。『ただし西暦が400で割れる年はうるう年とする』というものだ」
「ややこしい……でもそうか、2000は100で割れるが同時に400でも割れるから、今年はうるう年があるんですね」
「そう、つまり君が四年に一度の日だと思っていた今日この日は、実は四百年に一度の日だったのだよ」
山祇は俺の目の前に人差し指をつき出してくる。危ないからやめてくれ。
指を手でどければ、山祇は不満げな顔をしてきた。
「それで、いい加減に本題に入ってくれませんかね。一体そのありがたい話が、この子とどうつながるのか」
視点を下に向ける。俺の足元に十歳ほどの少女がいた。両足の間で小さく座っており、キョトンとした顔で俺を見上げている。
「うん。この子はうるう日の神様でね」
は!?
山祇の言葉を聞いて、ベッドの上を勢いよく後ずさり、少女と距離を取った。
「……そういうのは早めに言ってくれませんかね」
「おいユウ君何だいその反応は。僕だって神様なんだよ? 僕も敬いたまえよ」
「日頃の行いを顧みて言ってくださいよ」
目を細めて睨むと、山祇は明後日の方を向いた。
「なんのことだか分からないな」
「おい」
「まあいい。それで、うるう日の神様というのは厄介でね。うるう日にしか現れることができないのさ。そのせいで今もまだとても幼い」
「ああ、四年に一度しか誕生日が来ない訳ですから、大変でしょう」
しかしそんな俺の台詞に、山祇は首を傾げる。
「ユウ君。何か勘違いしてやいないかい? この子はうるう年の神様じゃない。うるう『日』の神様だ」
「はい?」
「四年に一度のうるう日のみ、一日だけ顕現する神様だ。この子にとっての昨日は四年前のうるう日で、この子にとっての明日は四年後のうるう日なんだ」
俺は少女をマジマジと見る。彼女はコテンと首を傾げた。
「つまり、この子の誕生日は1449年に一度だ。おかげで最初に生まれてからもう一万五千年も経っているのに、未だに10しか年をとっていないのさ。神様ってのは得てして外見に実年齢が見合わない物だが、この子に至っては外見通りの年齢だ。神様としての力もなければ、自衛する力もない」
しゃがみ込んだ山祇は、少女の頭を撫でる。
「うるう年という概念をこの子が理解できたのも、8歳になってからだからね。そのせいで古代エジプトなんかは、まだうるう年導入できてなかったし」
「そういう理由なのかそれ……」
「とにかく、四年に一度しか現れないこの子を、誰かが守ってやらねばならない。ということで」
山祇は少女を抱き上げ、俺の膝の上に載せてきた。
「ユウ君。今日一日、この子の子守を頼んだよ」
「……おい待てどういうことだ説明しろ」
「いつもの子守担当は僕なんだが、実は大きな問題があってね」
山祇は神妙な表情になった。俺も思わず息を呑む。
「実は100年に一度、神様の大新年会があってね。三日間にかけて開かれるせいで、例年の新年会より一日早いのさ」
「待て嫌な予感がする」
「それが今日なわけだが」
「遅くないか新年会。正月でも旧正月でもねえぞ。まるまる二ヶ月遅れてんじゃないか。神無月はどうした」
「長寿たる我々にとって二ヶ月なんて誤差だよ誤差。神無月はまた別だよユウ君。で、いつもは丁度100年に一度の平年だったからこの子も現れなくて、僕も意気揚々と大新年会に行けたのだが、今年は400年に一度のうるう年だってことをすっかり忘れてた。ということで僕は新年会に行ってくるので子守は頼んだよユウ君。それじゃあ!」
「それじゃあじゃねぇ! おい待て一般高校生に神の子守を任すってどういう了見だコラァ!! ……消えやがった!」
俺が言い切る前に、山祇の姿はこの部屋から消えた。残ったのは静寂と、未だに俺を見上げてくる少女……うるう日の神様とやらだけである。
今朝から何度目かも分からないため息をついた。
「どうしろってんだよ……」
「ぬんっ」
突然うるう日の神様に両頬を指で引っ張られる。
「ヘンな顔なのじゃ」
「……のじゃ?」
「われ神ぞ」
存じ上げておりますが。
「神の御前でそんな不敬な顔をしてはいかんのじゃ」
「なるほど。……では真面目な顔を」
「やっぱりヘンな顔なのじゃ」
「どうしろと」
それすなわち俺の素の顔が酷いとおっしゃられるか。
「その口調はどうされたので?」
「何か変かの? むしろお前が変なのじゃ。爺神様達はみんなこうじゃぞ」
「なるほど、環境の問題……」
「それよりも飯じゃ! われは腹が減ったぞ」
急かされたので朝食の準備をする。とはいえただのベーコンと卵が乗ったトーストなわけだが、神様は調理の様子を物珍しそうに見ている。
「どうされました?」
「こんなに貧相な飯ははじめてなのじゃ」
「そりゃ悪うございました」
ふと、そもそも神様の食べ物がこれでいいのかと考える。食べてはいけないものとかあるのだろうか。精進料理とか……あれは仏教か。
ただ山祇はそういった忠告をしなかったので、何かあれば俺なんぞに子守ならぬ神守を任せた奴が悪いと開き直る。
「今日は何して過ごします? というか、いつもは何をされているので?」
「泉を見ておる」
「泉?」
「下界が映る泉を丸一日見ているのじゃ」
「……その間、山祇様は何を?」
「新年会の準備で忙しいのじゃ」
それ、まともに子守できてないじゃないか。しかも考えるに、うるう日は毎回新年会の前日となる。つまりこの幼き神様は、四年に一度の顕現できる一日を泉を眺めて過ごしているということだ。
「あのクソ神……」
「仮にも神に対して非礼だぞ」
「え……うわぁ!」
思わず悪態を吐けば、隣から女性の声が返ってきた。振り返れば、袴のような仰々しい格好と、何よりも黒き両翼が目に映る。
「……なぜ普段神に囲まれておきながら、烏天狗如きでそう驚く」
呆れたように尻もちをついた俺を見下す彼女の姿は、言われてみればよく伝承に聞く天狗の姿をしていた。
「あなたは……」
「山祇の使いだ。貴様が只人の身で神守ができるか監視する」
「……それならば貴方がやってくだされば」
「山祇にもそのように進言したが、断られたのだ。よって私は外から貴様を監視しよう。失礼する」
そう言って烏天狗なる存在は、窓より飛び立っていった。
「……焦げておらんか」
「あ、しまった」
よそ見をしていたら卵を焼くのを失敗してしまった。
◆
空を羽ばたく烏天狗は、先程まで自身も居た家を見下ろし、一人ごちる。
「山祇はなぜあのようなただの人の子に神守を……」
生まれて十という歳の神は、あらゆる悪神に狙われている。烏天狗が名乗り出ようと、山祇は力不足だと首を振った。
ならばなぜあの人の子に任せるのかと問えば、山祇は笑った。
──彼の超幸運体質は、悪神すら退けるよ。
「見極めさせてもらおう」
あの山祇が頼る只人を。
◆
失敗作を神様に食べさせるわけにもいかないので、俺が食べることとする。
パンとベーコンと、焦げた卵の炭素と硫黄の味を噛み締めながら、無邪気に食らいつく幼き神を見る。
朝から家に神二柱と天狗が押しかけるとは。なぜこんなことに巻き込まれるようになったのか。
山祇が無茶振りをするせいだ。





