抱きしめた 【後編】
こちらは 抱きしめた 前編の続き後編になります。
母が逝き10年が過ぎたある日。
親父が家で倒れているのが、隣に住む方に発見された。
昔気質の職人気質で、若い時はやんちゃしていた親父は人に頼るという事をしない。だからこそ発見するのが隣の家の住人になったわけだが、そのまま救急車にて緊急搬送された。
俺は寝ていた。
夜勤明けで、電話が来たのはちょうど睡眠に入って一時間たったころだった。
「もしもし〇〇君!? 今、お父さんが病院に運ばれていたんだけどこれる!?」
隣の住人、聞こえてくる声のトーンからも、かなり焦っている様子がうかがえた。
連絡をしなければならないところに連絡をして、三姉妹にも連絡を入れる。
すると俺が一番最後に連絡を貰ったことにが判明した。俺は親父を嫌っている。それも恨んでいるという気持ちも持っている。だから親父が書いておいた連絡先には、『○○には最後に伝える』と書き残していた。
結局、親父は胆管結石と胆嚢がすでに機能していないことが判明し、そのまま摘出手術を受けることになった。
無事に成功して家へと戻ったのは1か月後の事。
しかしそれから2週間後、再び連絡が来た。この日はちょうど日勤でデスクの前にてPCを扱っていた。見慣れない電話番号からだったので、いたずら電話を疑ってた。
「もしもし?」
「あ、○○様のご家族の○○様でしょうか? 私は○○市消防署員の○○と申します」
その声は聞き覚えのある声だった。なんとその消防署員さんは同級生だった。
「おう久しぶり。どうした?」
「いや、お前の親父さんを、今、○○病院に運んだからすぐ来い!!」
それだけを言い残すと電話は切れた。
言われた事をそのまま上司に報告し、早退の手続きを済ませ急いで言われた病院へと向かう。
病院でベッドに居たのは、2週間前の退院時に見た親父の姿ではなかった。
体はがりがりにやせ細り、顔はホホがこけ、とても同一人物に見えなかったのだ。
病院ではすでに緊急検査が行われていた様で、慌ただしくも素早く動く関係者の皆様がいた。
しかし俺は思っていた。今いる病院はオペをした病院だ。もしかすると――。
考え事をしている間に、三姉妹も到着する。
それから3時間が経過した――。
「ガンですね。しかもステージ4の末期です」
検査を終えた医師からそんな話を聞かされた。
「は!?」
「なんで!?」
そう口にしたのは上の姉二人。下の姉はそうかもしれないと思っていたのかもしれない。あまりにも体の変化が起きすぎているから。その辺から気づいたのかもしれないが。
「2,2週間ですよ? 退院から!! 気づかなかったんですか!? 前回のオペで」
上の姉が怒鳴る寸前の大声で医師にまくしたてた。
しかし返ってくる言葉は「すいません」のみ。
そのまま即入院となったのだが、気が付いた親父が「帰る」と言い出した。
ここから3年に及ぶ親父と俺たちの闘病生活が始まる。
親父には癌であるとはいわず、もともと心臓が弱い事もあって、その辺の病気だと濁して伝えていたので、薬で直ると信じ込んでいた。
しかし、全然回復しない体調と体重。少し気にはなっていた様だが、昔気質で頑固者の親父は自分からは進んで病院へ行こうとしない。
だからさらに体調は悪化していった。
実は初めに医師から宣告された時点で、俺たち姉弟は余命3カ月~半年と聞いていた。だからこのまま知らないままの方が良いと伝えることを止めた。後は好きに生きてもらうために。
だがこの考えが、親父や俺たちを苦しめることになった。
親父自ら救急車を呼んで、一人で病院に行くそしてそのまま入院。俺たちは病院からの連絡でそのことを知る。そして勝手に退院。というサイクルで生活を送るようになった。
最後には全身にガンが転移し、手の施しようが無くなった状態で入院した。
すでに俺たちは体力的にも精神的にも限界が近かった。頑固な親父は俺たちの言う事を聞いてくれない。だからこそここまで疲れてしまったんだと思う。
そして入院から6日後、親父は息を引き取った。
これが俺と三姉妹の戦いの終わり。
そしてこれが俺が休止していた間に起こった出来事である。
お読みいただいた皆様に感謝を!!
こうして自分はこの世界に復帰してきました。
このほかにもちょっとあるんですが、そこまで聞きたくないでしょ? (^▽^;)
ですからこの辺で。