(8/9)結婚1周年
あ〜〜〜〜〜〜〜〜! そういう理由だったのか〜〜〜〜〜〜〜〜!!
紫陽はようやく理解した。タカハシはかたくなに家の場所を隠し続けた。
家に入れてもらえたのが婚約したその日である。あまりに遅い。
それのせいで紫陽の心は千々に乱れ、タカハシの真心を疑い、サトルにフラフラしてしまったのである。
まさか元カノの呪いだったとは!
色んな意味で許さ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!
オーディションの元カノ!!!!!!
紫陽はタカハシの手を握り返した。
「是也さん。私この家好きです」
「…………ほんとに?」
◇
「ほんとですよ! そりゃあ最初は2階。びっくりしました。ご両親が亡くなられてから20年。一切整理してませんよね?」
「ああ。うん。お恥ずかしながら」
「病院で使ってたらしい寝巻きやボディオイルまでそのままですよね!」
「……あ。うん。見た?」
「亡くなられたときに持ち帰った紙袋をそのままにしてるってことですよね?」
是也がバツが悪そうにうなづいた。
「その元カノの気持ちもわかりますよ。そこまで取っておかれるとびっくりします。でも私はそこが好きなんです」
「ええ? 何で?」
「この家の2階はタイムカプセルですよ。生まれてから今までの是也さんがみんなつまってる。私時間があると2階に上がって『思い出』を眺めるんです」
サッカーボールを見ては『サッカー好きだったのかな』とか。
お母さんのワンピースを見ては『わりと細い人だな』とか。
お父さんの『般若心経全解説』という本を見ては是也さんの名前ってここからつけられたんだろうなとか。
「私は遅く生まれて、是也さんが32歳になるまで出会えなかったですよ。31歳までの是也さんを何も知らないんです」
でもこうやって。思い出の博物館を見るとその31年を埋めていける気がする。
「それにあのタイル張りのお風呂も大好きです!」
あんな職人の1点もの。今作ったら何百万するか。昭和の文化財である。
「赤い金魚と黒い金魚がクルクル回るところが好きなんです。可愛くてレトロなお風呂を私1人で独占していいのかと思いますよ」
「……………………」
「1番好きなのはリビングの『図書館』です! 読みたいものは大抵あそこにあります! 家で1人今日は何にしようか考えるのが最高に幸せなひと時なんですよ!」
感極まった是也が紫陽をそっと抱きしめた。
「ありがとうね……紫陽……」
紫陽に、選んでもらえて良かった。
◇
『33個のギッシリハートチョコ』をタカハシは毎日少しづつ大事に食べた。そして紫陽に言った。
「高校3年にもらったチョコは捨ててもいいかな? ごめんね。せっかく作ってくれたのに」
「いいですよ〜〜〜〜。5年も前のチョコ! もう食べられないですよ」
「うん。そうするね。それでね。紫陽」
「はい」
「来年も持ってきて欲しい」
「はい!!!」
紫陽は是也の首に手を回してしがみついた。
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もうすぐ結婚1周年になる。
サトルはすっかりタカハシの家に来なくなってしまった。
4月よりスタートしたテレビ番組。『クダラナイとは言わせない!!〜YouTube最強の講師陣〜』が高視聴率を獲得したのだ。
特に現場を奮起させたのがT1層(13歳から19歳の男女)が見ているというデータだった。
テレビに若者を取り戻す!!
現場は活気にあふれているのだという。
◇
サトルは一躍人気者になった。
毎日取材を受け、YouTubeをアップし、受験本も出した。
本は完全ゴーストライターが書いたそうだ。サトルは写真を撮られただけ(企画構成に名前が明記されているので厳密には『ゴースト』ではないが)
それでも爆発的に売れた。
紫陽は1年前『新婚家庭に毎週くんなっ』とキレたころが懐かしかった。
3人で並んでテレビ見たり、同じ物を食べて笑っていたりしたころが遠い夢のようだった。
こんなことになるならもっとサトルを機嫌よく家にあげれば良かったなあ。
歳月は人を待ってはくれない。
だから結婚1周年のお祝いも2人でした。
静かな、咳の音一つしないようなタカハシの家にご馳走をいっぱい並べた。
ローストビーフ。エビフライ。フレッシュサラダ。ポテトサラダ。たこ焼き機を使った一口アヒージョ。ババロア。
デパ地下でお惣菜を買い込むのは楽しかった。タコや枝豆を串に刺していくのも面白かったし。ババロアは星型のゼリーで飾り付けをした。
それにとっておきのワイン。サトルからもらった馬鹿高いやつだ。
ワインは飲んでこそワインだから思い切って開けた。
いつもは台所だけど、今日はリビングルームで。タカハシに寄りかかって食べた。ワインにすっかり酔うと紫陽は何度も「是也さん。お誕生日おめでとうございます」と言った。
返事をしようとタカハシが振り向くたびにキスを仕掛けて。「これじゃ食べられないよ」と笑われる。
ベランダの窓ガラスからいくつか星が見えた。
高いコンクリートの塀と家の屋根の間にあるほんの少しの隙間。夕焼けが夜になるまでの短い時間。
この家。大好きだけどなぁ。
馬鹿だなぁ。『オーディションの元カノ』こんな幸せを逃すなんて。
夫の腕に自分の腕を絡ませて指と指を繋ぐ。
4年も憧れ続けた繊細な指が一生自分のものだと思うと幸福でどうにかなりそうだった。
ワインを飲んだ夫もご機嫌で。空いた右手でグラスを回しながら紫陽に問いかけた。
「紫陽」
「はい」
「与謝野鉄幹の本名って知ってる?」
◇
当たり前である。この人は何を言っているのか。
「『寛』です。『ひろし』。『寛容』の『寛』です。『鉄幹』はペンネームですよ」
「うん。じゃあ。『与謝野晶子』の本名はなんだろう?」