(6/9)いくらなんでも無理がある
タカハシの思いをよそに妻紫陽の好意はカンストしていくのだった。
「横浜のソーマルに連れてって下さいよ!」
ソーマルデパートの包み紙を見せられた。ホワイトデーに妻のために口紅を買ったときのものだ。
独特の花模様。緑地は『横浜店』のみで使われている。
紫陽の大好きなコスメブランドが全国のソーマルに入っているのだった。
「…………いいけど……もっと近いところにもショップあるよね?」
「是也さんが口紅買ってくれたところがいいんです!!」
…………何か企んでるぞこれ。
嫌な予感がした。
◇
横浜ソーマル内の2階に紫陽御用達のコスメショップはあった。
ソーマルは駅直結のデパートで、ガラス窓一面に人気キャラクターがディスプレイされている。大きな時計が地下1階入り口にあって1時間ごとに人形が音楽とともに踊った。
駅から伸びるエスカレーターで2階まで上がる。
タカハシはあまり行きたくなかった。
『彼女へのプレゼント』とは口に出せず『姪への大学入学祝い』と嘘を言って店員に口紅を選んでもらったのだ。
『あの時の店員さんじゃありませんように……それか店員さんが忘れてますように』と願ったがどちらも叶わなかった。
ショップに入った途端明るい声がしたからだ。
「いらっしゃいませぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜! あっ3月はありがとうございました〜〜♡」
肩甲骨下辺りまで伸びたストレートの黒髪。赤いメッシュが2〜3本入っている。
大きくて真っ赤な唇。唇横のやはり大きなほくろ。上下真っ黒のロングスカート。
あの時の店員さんだぁ〜〜〜(がっくり)
「その節は……お世話になりました……」マスクの下でゴニョゴニョ喋ってしまう。
高いヒールのブーツをカッカさせショップのお姉さんが走り寄ってきた。
「まぁ〜。こちらが『姪御さん』ですかぁ? アイドルみたいに可愛いー♡」
お姉さんの目がくるくる動く。紫陽が思い切り言った。
「私『姪』じゃありませんっ!!!」
え?
「妹でえぇぇぇぇ〜〜〜す!」
◇
お前は何を言ってるの!?
内心悲鳴を上げるタカハシに構わず紫陽は続けた。「その節はお兄ちゃんがお世話になりましたっ♡」
ショップのお姉さんが高速で首を動かしタカハシと紫陽を見比べている。
「え? は? 妹さん? 妹さんでいらっしゃる????」
タカハシは右手で額を覆ってガックリした。
………………紫陽…………その設定……無理ありすぎだよ…………。
「そおで〜す! やーだお兄ちゃん!! 照れちゃって!」
ぎゅ〜っとタカハシの腕に自分の腕を絡めた。
いや。もう。訂正したかったけど。ここで本当のことーー夫婦ですーーと言ってもそれはそれで説得力ないし。
勘弁してよ。俺とお前じゃ『キャバクラの客と接客のお姉さん』『おじさんと姪』ぐらいにしか見えないって。『お兄ちゃんと妹』は無理がありすぎなんだって!!!
恥ずかしさでいっぱいのタカハシや『????』となっているショップのお姉さんを完全置き去りにして紫陽は買い物をした。
ルンルンである。
ぎゅ〜っと腕を絡めたまま上目遣いで「お兄ちゃん♡あれが欲しい。お兄ちゃん♡これが欲しい」と言い続けた。
一刻も早くこの場から離れたかったタカハシは「はいはい。はいはいはいはい」と言われたものを全てカゴに入れた。
なんか四角いのとか(アイシャドウ)、丸いのとか(チーク)、チューブのとか(リキッドファンデーション)、細いのとか(アイブロウペンシル)、細くて長いのとか(マスカラ)、口紅みたいなやつとか(コンシーラ)
何っにもわからないが! とにかく入れた!!
お会計になって(紫陽はコスメショップ前の洋服屋にワンピースを見に行ってしまった)ショップのお姉さんが笑いを噛み殺しながら言った。
「可愛らしい奥様ですね……」
「あ。わかります?」
「だって……薬指におそろいの指輪なさってるじゃないですか……」
あ。そうか。タカハシは自分の左手指を見た。
「デザイン的にマリッジリングですよね?」
「……急に『兄妹ゴッコ』がしたくなったみたいで。参りました」
「うふっ。うふふふふふ。楽しそうでしたねぇ」
ショップのお姉さんは体をくの字に折り曲げると、肩を震わせて笑い始めた。
◇
デパート内のカフェに入ってタカハシは紫陽に『あれはなんだ』と問いただした。『死ぬほど恥ずかしかった』と。
お店のレジにはオシャレにデコレーションされたかぼちゃが所狭しと並んでいた。ハロウィンだったのだ。天井からはドライフラワーが束になってぶら下がっている。透明な支柱の中にくるくると螺旋のガラス滑り台があって、ぬいぐるみが遊ぶ様子がディスプレイされている。
店員がやってきて「当店ではミルクを先にカップに注いでおります」と言われた。
温められたミルクを店員が注いでくれ、湯気のたつ紅茶を次に入れた。ミルクと紅茶のバランスが完璧でとても美味しい。
紫陽はぶーっと頬を膨らませた。
「だってぇ〜〜。サトルばっかりずるーい! 私もお兄ちゃんが欲しい!」
つまりこういうことだった。
幼い頃、鏑木紫陽は『お兄ちゃん』というものにえらく憧れたらしい。それで両親に『お兄ちゃんを作ってくれ』と駄々をこねたそうなのだ。
『いや〜。弟や妹はともかく「お兄ちゃん」は』
両親はなだめたが、紫陽は泣いてわめいて大変だったらしいのだ。
しかも執念深く夢を追うタイプなのでその後何年も『お兄ちゃんが欲しい』『お兄ちゃんが欲しい』と思い続けた。
ところが。
この間紫陽はいいことを聞いたのである。
サトルが電話1本で『オレの兄貴になってくれよ!』とタカハシに頼みまんまと『兄貴役』をやらせることになった話だ。
その手があったか!
紫陽はそれ以来虎視眈々とタカハシに『兄貴役』をやらせる日を狙ってきたと言うわけだった。
妻の目がキラキラしている。
「サトルの『お兄ちゃん』になれるなら! 私の『お兄ちゃん』にもなってくださいよ!!」
「………………17歳も差がある『お兄ちゃん』というのは。あれなの? 前妻さんと後妻さんがいるとかいう設定なの?」
紫陽が身を乗り出した。
「いいですね〜〜〜〜〜〜〜〜。2人は同じ家に住んでるんだけど『恋人同士』なんですよ! それで半分血が繋がってることに苦しむって設定でどうですか!?」
『「どうですか」じゃないんだよ』タカハシ無言。ムッツリとチョコレートケーキをフォークで切った。
何その韓国ドラマみたいなドロドロ設定。やりませんよ。正式な夫婦でしょうが。
それ以来妻の紫陽が
「是也さん……こんなに愛し合っているのに私たち。どうして半分血が繋がってるの……?」
と『韓国ドロドロドラマごっこ』を唐突に始めるたび「ほんとだねぇ。お父さんに文句言わないと。大変、大変」と『クイックルワイパー』で床掃除しながら答えるのであった。
「真面目にやってくださいよっ」
妻にキレられる。
◇
なるほど。つまり妻紫陽は『高橋是也』という男に
夫 先生 お父さん お兄さん 友達 恋人
と6個も役割を期待してるのだった!
期待し過ぎだろ!!
寝ぼけ眼の紫陽に朝、だし巻き卵を渡してやると
「ムニャムニャ……お母さん……ありがと……」と言うときがあり、その時はさすがに
「お母さんではありません」
と言ってしまう。
◇
大学の同窓会があった。
『吉本ゼミ』の仲間が2年に1度集う会だ。
大学時代タカハシはゼミの飲み会にほとんど顔を出せなかった。勉強とアルバイトで潰れていったのだ。
その分社会人になってからはなるべく出席する。
特に昨年吉本教授が退官したこともあって、いつもは顔を出さないメンバーもきた。
乾杯もそこそこにかつての女子大生にタカハシは囲まれた。
『ビームス』や『渋谷PARCO』に通いつめ、個性的な装いを競ってきた女たち。今はすっかり落ち着いた中年だ。
みんな似たような格子柄のジャケットに真珠をジャラジャラ首に巻いていた。
「タカハシく〜ん! 武川君から聞いたわよぉ〜」
げっ。
「女子高生を拉致して監禁して。『婚姻届』にサインさせるまで返さなかったんだってぇ〜!?」
◇
武川〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
訴えるぞ!!!!!!!!!!!
「(怒りを押し殺しながら)……そんなわけ、ないよね?」
アラフォー女たちが一斉に笑う。
アハハハ アハハハハ アハハハハ
あたかも七面鳥の群れが哄笑するよう。
「やっだぁ。信じてないわよぉ〜」
「『高橋マジメ也』がやるわけないじゃん〜」
「武川の言うことだしね〜」
「武川フカすよねぇ〜」
「あ……『タカハシマジメヤ』ね……」
大学時代のあだ名である。真面目過ぎて『マジメヤ』と呼ばれていたのだ。
「とりあえず嫁見せなさいよぉ〜」
渋々、写真フォルダにあった『ウエディングフォト』を見せた。
「「「「ウッソォ〜! 死ぬほど可愛いじゃん!!!」」」
女たちのテンション爆上がり。
「若い!」
「アイドルみたい!」
「何この胸!? 天然!? 整形!?」
「初々しい! タカハシの嫁って感じじゃないわ〜」
……まあ。言われるよね。わかってました。
そのまま勝手に画面をスワイプされ、普段の紫陽の写真も見られてしまった。
「ギャルじゃん!!」
「すっげえ! おっぱいこぼれそうじゃん!!」
「何この足! パンパンにはってる! 若さがみなぎってる!」
「うっわ〜。タカハシくん。こういう子タイプなの!? タカハシくんもその辺のエロジジイと一緒だったのね! 見下げたわ〜。いや! むしろ見直した!」
背中をバンバン叩かれる。
「でもさぁ〜。ヤバイんじゃないの? 職権濫用!」
「児童福祉法違反!」
「青少年保護育成条例違反!」
「今頃女子高生に『先生のクセに生徒をエロい目で見て』ってボロクソ言われてるよ!」
「………………付き合ったの彼女が成人になってからです……」
「「「「まったまたぁ〜!」」」」
タカハシはガックリ来た。もう何回この説明を続けたろうか。『女子高生のときは先生として関わってただけ』『告白してきたのはカブラギ』誰も信じてくれないのである。
高校生の時捕まえちゃったんでしょうが〜〜〜〜。
でないとこんなしょぼくれたオッサンとあんな可愛い子が結婚するわけないってぇ〜〜〜〜〜〜〜〜。
この噂一生否定しなきゃいけないのか。
タカハシはヤケになって、妻の紫陽に電話した。
FaceTimeにしたiPhoneから妻の声がする。
『あ……主人がお世話になっております……妻の紫陽です……』
アラフォー女たちが一斉に画面を覗き込んだ。
「動いても可愛いじゃん!」
「間違いなく大学生だわ!」
「も〜。アタシにだってあったのよこんな時が!」
女たちの剣幕に紫陽がビビりまくっている。
「ねぇ。ねぇ〜。シヨウちゃ〜ん♡ タカハシセンセーに拉致監禁されて婚姻届にハンコ押させられたってホント?」
ちょっと止めろよ!!! タカハシが慌てた。
『え……』
画面向こうの紫陽が一瞬驚いて顔を引いたのがわかった。
『あの……。どっちかというと……』
「「「うんうん」」」
『私が高橋先生を拉致監禁してハンコ押させた方です……』
女たちがのけぞった。
◇
紫陽は経緯を説明した。
20歳の誕生日に高校へ乗り込んで結婚を前提とした交際を迫る
↓
断られる
↓
あきらめずにLINEをゲット
↓
やはり断られる
↓
『つきあってもらえないなら友達になってくれ』と頼む
↓
まんまと『友達として』レポート作成に協力させる
↓
最後は『ボランティア彼氏でいいから付き合ってくれ』と泣き落とし
↓
『ボランティアするくらいなら正式に付き合いましょう』とタカハシがとうとう折れる
途中いろいろ端折ってるが対外的にはこれが『2人の馴れ初め』ということになっているのだ。
『まあそんなわけで私が無理矢理是也さんにハンコを押させた側なんです……』
アラフォー女達が『ひいえええ』という顔をした。
「『タカハシマジメヤ』なんか拉致監禁していただくような男じゃないのよ!」
「真面目なばっかりで何の面白みもないんだから!」
「女遊びも一切しないし!」
「パチンコも賭けマージャンも競馬も全くやらないのよ」
「スポーツカーも持ってなければ、ブランドだって1個も言えないのよ!」
「冠位十二階や歴代天皇は全部言えるくせにねぇ!」
「本しか読まない! 何がいいの! タカハシクンの!」
ギャアギャアうるさい。
「「「そんな若いのに遊ばないなんてもったいない〜〜〜〜〜〜〜〜」」」
画面向こうの紫陽がキリッとした顔になった。
『誰が何と言おうと是也さん以上の男なんて私の人生には現れませんっ』
「前澤友作にしときゃぁ良かったのよぉ〜」とアラフォーの誰かが呟いた。
◇
家に帰ってグッタリしてると紫陽がお茶を入れてくれた。
「お疲れ様でした。お姉さま方、すごいですね」
「うん……姦しいよね……」
「『かしましい』って『女』を3回書くんですよね」
「まさにその通りだね」
「紫陽」
「はい」
「本当に俺でいいの?」
「当たり前じゃないですか」
「外を歩くたび『キャバクラのお姉さんとカモの客』に見られるけどいいの?」
「それは困りますね! あっじゃあ外歩きのときは3分に1回ちゅーしたらいいんじゃないですかね!? 結婚指輪2人でピラピラしながら!」
「そこまでしなくていいです……」
いや。だからね? 俺たちは誰が見ても釣り合ってないんだよ。
❇︎ 「カンスト」とは「カウンターストップ」の略称。ゲーム用語。カウントが上限に達して、それ以上カウントされないことを意味している。つまり「上限値に達した」ということ。