(5/9)よかったじゃないかタカハシ
そもそもがサトルのやっていたYouTubeである。
高校の生徒のための補講。『中学数学』をYouTubeにあげていたというだけの話だ。
これが『教育系YouTube17位』になった段階で大炎上。釈明の生配信をしたら爆発的な視聴者を獲得した。
久保悟は、異様に話が上手かった。
頭の回転が尋常じゃない。IQが148もある。
これを各マスコミのプロデューサーが見ていた。
あれよあれよという間に
ネットサイトの取材
↓
紙の雑誌の取材
↓
ニュースのワンコーナーに取り上げられる
↓
1時間番組の主役として取り上げられる
↓
新聞の『今この人に聞きたい』欄に載る
まで行ってしまったのだ。
タカハシは自分の友達が『Wikipediaに載る』という体験を初めてした。
今をときめく百済栄司の司会で『次世代に向けての教育番組』が立ち上がろうとしているらしい。
「百済のヤツノリノリでよ〜。プロデューサーにご指名受けたオレと飲みたいっていったからよ〜。この間飲んできた〜」
紫陽はアゴが外れそうになっていた。
「えっ。そしたら本部の仕事はどうなるんだ」
タカハシは困惑した。
そもそも、高橋是也と久保悟は本部(高校の経営母体)の仕事をするために教師から講師に降格となったのである。
週に3日だけ授業をし、3日は『秘書業務』をして仕事を覚えていく予定になっていた。
軌道に乗ったら講師も辞め、完全に本部の仕事だけをする手はずだった。
それがこの『YouTube騒動』で全て白紙になってしまった。
今や久保悟は『松桜高等学校』の看板教師であった。
サトルの授業を受けたい受験者からの問い合わせが殺到している。まさか『本部の仕事やるんで教師は辞めます』というわけにはいかなくなってしまったのだ。
さらに有名になったら本部の仕事もできなくなるのでは……。
ていうか、この学校はコイツの祖父母が元締めなのである。将来の会長はコイツなのである。テレビに出ている場合か!?
「まぁ。タカハシがんばってくれよ〜。オレがテレビにレギュラー出演したら、すごい広告効果だろ?」
…………確かにそうだけれども。ただでもタカハシ1人に本部の仕事がのしかかっているというのに……。
恐るべきことに今やサトルは『場末のお笑い芸人1人を飲み会に誘う』ぐらいカンタンな立場になっていた。
◇
野間アタルと飲み会の後、妻の紫陽は超上機嫌で帰ってきた。野間アタルどころか、テレビにしょっちゅう出ている芸人も多数来てたらしい。
「『このまま俺と2人でバーいかない〜?』って誘われちゃいましたよ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「え? 野間さんに?」
「アタルの先輩にですよ〜〜〜〜〜〜〜〜」
もう『アタル呼び』しちゃってるし。
いわゆる『ひな壇芸人』に誘われたらしい。
紫陽はかなり可愛いし隙だらけなので『簡単に喰える』と思われたのだろう。
聞いているだけでハラハラする。
「じゃじゃじゃじゃ〜ん♡」
Twitterの画面を見せられる。紫陽は『野間アタル』と相互フォロワーになっていた。
「イラストも書いてくれたんですよ〜」
野間アタルはフリップ芸人なのだ。
「すごく上手いね……」
「アタルはイラストの専門学校でてるんですよ〜」
サトルに聞いたところ『野間アタル』は紫陽にメロメロだったらしい。
「紫陽チャンて言うんだ! 差し入れ何回かくれたよね! 覚えてるよ! 激カワだったもん! Twitterやってる!?」
ソファに満面の笑みで沈む妻を見ながらタカハシは複雑だった。
◇
「何で俺なんだろうなぁ」といつも思う。
確かに『鏑木紫陽』は地味な子であった。
校則で禁止されている化粧を絶対やってこなかった。
カブラギの通う『松桜高等学校』はカワイイ制服で有名だった。女子高生御用達の雑誌に『キュンカワ制服TOP20』として載ったりする。
つまりブランドが目的の浮ついた生徒も多数入ってきた。生徒の半数はそのまま同系列のお嬢様大学に進学する。内申と推薦が主眼で勉強をしない子もたくさんいた。
そんな中『鏑木紫陽』は真面目に勉強し、真面目にアルバイトし、真面目に部活をした。
大きい胸を嫌がって、体操着のときはいつも背を丸めていた。
髪の毛は二つ結びで眼鏡だった。
あの目立たない鏑木紫陽なら、タカハシも意外とすんなり彼女を受け入れられたかもしれない。
しかし再会したカブラギは全くの別人であった。
あんなに恥ずかしがっていた胸を谷間までズバババーン! と出し、太ももを惜しげなくさらしていた。
ぷるんぷるんの唇にピンクのグロス。目をハッキリ強調させて顔にキラキラした粉をはたいていた。
態度もこう……ふんぞりかえっているというか……「何で好きだって言ってんのに付き合ってくれないんですかっ」という感じだった。
俺の知ってるカブラギじゃない。
昔の自信のないカブラギなら『高校の元担任』と結婚して地味に堅実にも生きていけたろうが、今の紫陽にはあまりにもったいない選択だ。
このまま『ミス同機社大』になって、芸能人やエリート社長と知り合って、どんどん上に登ってもいけるじゃないか。
この年で結婚してしまうなんてあまりに早急ではないか。
「……紫陽。そろそろ寝ようか?」
酔っている妻をソファから起こすと寝室に連れて行った。
パジャマを着せる。
「ありがと〜〜〜〜〜〜〜〜。おとうさ〜〜〜〜〜〜ん」
「うん。お父さんではないね」
「お父さ〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
「わかった。わかったから抱きつかないで。わかったよ、紫陽」
「このままエッチしよ〜〜〜うよ〜〜〜〜〜おとうさ〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
タカハシはあきれた。
「言い方…………冗談でも止めなさい…………心臓に悪い…………」
◇
お風呂からでるとサトルが廊下に片膝を立てて座っていた。
和室のふすまが開いていて眠り込んだ妻の髪の毛が見える。
サトルは紫陽に寄り添っていた。
台所と風呂場にしか明かりがついていない。黒い影が人間だとわかるのに一瞬の間があった。
「…………サトル」
呼びかけに気づいてサトルが顔を上げた。
「おー。タカハシ。風呂気持ちよかったか?」
「うん。サトルも入るといい。今日は紫陽が世話になったね」
「はっしゃいでたぞー! カブラギ」
サトルはお笑い芸人の飲み会に同席して、帰りも家まで送ってくれたのだ。忙しいのにほんとマメだ。
「なー。タカハシー」
「うん?」
「いい加減寝室にクーラーつけてやれよ。かわいそうだろうが。夏は暑い。冬は寒い」
「…………クーラーの風直接当たるの好きじゃないんだ」
「わかるけどなぁ。カブラギうなされてたぞ」
自分の膝の上に手を乗せて優しい顔で紫陽を見つめる。
「人の奥さん肴に酒を飲むな」
廊下のウイスキー入りグラスを屈んで取り上げる。カラカラと氷が回った。サトルが笑った。
「なあ。タカハシ」
「うん?」
「いい嫁をもらったじゃないか」
タカハシは何も言わなかった。ただ台所の光に当たって伸びる自分の薄い影を見つめた。
「オレはなぁ。そんじょそこらの女にお前をやる気はなかったんだ」
「……何でお前が俺の嫁を選ぼうとしてるんだ」
「前の女がひどかったからなぁ……」
黙ってサトルから取り上げたグラスのウイスキーを飲んだ。風呂上がりの体に沁みる。
「……あの時はかたくなに言うこと聞かなくて悪かった」
「別にいいぞー」
手を伸ばしたのでグラスを渡すとそのままサトルもウイスキーを飲んだ。
「カブラギはいい。何せお前に心の底から惚れている。オレはそういう女じゃなきゃ嫌だったんだよ。カブラギがこの家に来てくれて本当によかった。湿っぽいからなぁ。この家。カブラギくらい無茶苦茶なやつがいた方がお前のためにはいい」
『台風そのものだからなぁ。コイツ』サトルはクックックと笑った。
タカハシはサトルの頭にバスっとタオルをかけた。
「つまらないこと言ってないで早く風呂に入れよ」