とある不幸な男の話
「とある不幸な男の話をしてあげよう。」
男は少年に向かって優しく語りかけた。少年の顔が少し笑顔になった。少年はその『不幸な男の話』にとても興味を持ったようだった。
「その男はごく普通の家庭の末っ子として、この世に生を享けた。両親はその男の好きな物は何でも買い与え、可能な限りのわがままを許した。姉も兄もその男のことを非常に溺愛し、まさに愛に溢れた人生のスタートだった」
「幸せな人生から不幸になるってこと?」
少年が無邪気に質問をする。男は小さく笑みを浮かべている。
「そうかもしれないね。続きを話そう。その男が小学生になった時の話だ。ちょうど今の君くらいの年齢だね。」
男は一呼吸置いて話を続けた。
「その男は勉強でも運動でもお絵描きでも……なんの努力もせずに人並み以上のことが出来たんだ。出来すぎたわけじゃないんだよ。ほんの少し、人よりもほんの少し色々なことが上手に出来たんだ。その男の両親もそんな息子のことをとても誇らしそうにしていた。そんな少年時代だった。君も同じようなタイプじゃないのかな? とても器用そうに見えるね」
「おじさんよくわかったね! 勉強も運動も得意だよ! 描いた絵が区の優秀作品に選ばれたこともあるんだよ! 1枚の絵からお話を作る授業でも僕だけ褒められたんだ。他にもいっぱいあるよ」
少年は自慢気にそう話した。男は少年の頭を撫でながら少年の自慢話を遮るように話を続けた。
「次にその男が中学生になった時の話しよう。中学生になってもその男はなんの努力していなかった。それでも勉強も運動も人並みに出来ていた。得意な科目では平均以上の点数を取り、苦手な科目では平均より低い点数だった。運動もそこそこに出来たその男は、当時流行っていた漫画に影響を受けてとある運動系の部活に入ったんだ。でもね、すぐに辞めてしまったんだよ」
「なんで辞めちゃったの? 怪我したの?」少年が不思議そうに尋ねる。
「違うんだ。その男は我慢が出来なかったんだよ。試合の日に、顧問の先生はその男だけを試合に出さなかったんだ。誰が見てもその男より下手な生徒は試合に出したのに、だ。男はそれが我慢出来なかったんだ。だから部活を辞めたんだよ」
「なんで? …………わかった! 先生に意地悪されたんだ!」少し感情移入してきたのか、少年が自分のことのように怒った表情を見せた。
「それも違うんだ。先生は男が部活をいつもサボっていたから試合に出さなかったんだ。いくら少しばかり上手くたってちゃんと練習に来てる人より優先されてはいけない。そう先生は考えていたんだ」
「うーん。『あいつ試合だけ出てズルい!』ってなるから?」
「そうだよ。先生は日々の練習こそ大切だと考えていたんだ」
少年は納得した顔をしている。その顔を見て男も満足そうな顔をした。
「さて次は高校生の頃のお話だ。その男は高校生になっても努力をしなかった。勉強では落ちこぼれ、運動でも運動部の生徒にはまったく歯が立たないようになっていた。しかし、その男は焦っていなかった。勉強や運動以外のことでその男には自信があったからだ」
「お絵描き? ゲーム?」少年はクイズにでも答えるように次々と言ってみせた。
「残念ながら違うんだ。男の自信はふたつあってね。まずひとつ目に、その男は学校の女の子達からとても好かれたんだ。学校でとても目立つ存在だったその男は、校内を歩いているだけで女の子から騒がれて、それが自信に繋がっていたんだ」
「その男はかっこいいんだ?」
「残念ながら違うんだ。顔が良くなくても目立っていれば女の子から好かれるんだよ。そういうものなんだ。その男は文化祭では進んで出し物のステージに立ち歌を歌い、体育祭では応援団をやっていたからね。とにかく学校では目立っていたんだ」
「目立つとモテるの? ふーん。そんなもんなんだ?」少年は少し不思議そうにしている。どうやら少年の中のモテる男の条件は違うらしい。
「男にとってふたつ目の自信の話をしよう。その男は高校生なのに、たまに雑誌に載っていたんだ。雑誌の1ページがまるまるその男の全身の写真だったこともあるんだよ。『カリスマ美容師』って言われるテレビに出るような人とも知り合いだったんだ」
「凄い! 雑誌に載ったりするなんて芸能人なの?」
「違うよ。ストリートスナップっていってね、オシャレな服装をしていると芸能人じゃなくても雑誌に載ることが出来るんだ」
「そうなんだ。でも凄いね! オシャレなんだ」
「オシャレかどうかは私にはわからないな。ただ奇抜な格好……人とは違った格好をしていたんだ。それがオシャレなんだとしたらそうなのかもしれないね。少なくともそう判断した人がいたんだと思う」
「なんだか難しいね」少年がよくわからないといった表情をしている。
「ここまでの話を聞いて、君はその男が不幸だと思う?」
「ぜーんぜん! むしろ幸せだと思う」
「ははっ。その男もそう考えていたんだ。『自分は恵まれている。自分は特別な人間だ』ってね。ここから話を一気に進めよう。男が社会人、大人になってからのお話だ」
「うんうん。そろそろ不幸になるかな?」どうやら少年は物語がクライマックスに近づいていると感じたらしい。少年は目を輝かせて話を聞いている。
「大人になったその男は、サラリーマンになったんだ。街でよくスーツ姿の人を見かけるだろう? その人達と一緒だよ。サラリーマンになったその男は酷く平凡な……つまらない男になってしまった。少なくともその男はそう感じていたんだ」
「なんでつまらないの? お仕事がつまらないの?」
「少し違うかな。その男自身がつまらない人間だということだよ。その男は劣等感の塊になったしまったんだ。劣等感……『自分が人よりダメだ』と感じているってことだよ。実際に人よりダメな部分がたくさんあったんだ」
「器用だからなんでも出来るんじゃなかったの?」
「小さい頃はね。大人になってからの男は『なんにも出来ない人』になっちゃったんだ。真逆だね。なんでだと思う?」
「うーん。全然わかんない」少年は少し考えてそう答えた。
「それはね、小さい頃に努力をしなかったからなんだよ。なんでも人より出来たから、頑張るってことをしたことがないんだ。頑張ったことがない人は、頑張りたくても頑張ることが出来ないんだ。大人になると頑張らないと何も出来ないんだよ。それにね、その男は高校生の頃に『自分が特別な人間』だと思っていたんだ。だから大人になった自分が恥ずかしくて許せないんだ。特別なはずの自分が実はつまらない男だと知りながら生きるのはとても不幸な人生だよ」
「それが不幸なの? そんなの別に不幸でもなんでもないじゃん。爆発でもするのかと思ったのに」少年はとてもガッカリしていた。期待していたよりも数段物足りない結末だったからだ。
「よく考えてごらん? その男にとっては何よりも不幸さ。自分より優れた人間や評価されている人間を見ると悔しい気持ちでいっぱいになってしまうんだ。誰かに認められたい、誰かに褒められたい、それしか考えられない人間になってしまうんだ。だからね、君は努力が出来る人間になっておくれ。さっき君は勉強も運動も得意と言ったね? それはクラスで一番ではないんだよね? 頑張ったらクラス、学校で一番になれるかもしれないよ?」
「別に一番になんか興味ないよ」少年は完全に興味をなくしていた。男が必死になっている様と物語の結末が少年の興味を削いでいた。
それから何分経っただろうか。必死に説明するも少年の心に響かないことを悟った男は「結局未来は変えられないか……」そう呟いて消えてしまった。
やはりその男は不幸なのだ。