第11話 琥珀色の世界
あぁ、もう日が暮れる。俺は『本日のおすすめ』と書かれた黒板を店先に出して、空を見上げた。ウイスキーの色にも似た黄昏が辺りを染める。その底から夜の闇が沁み出すように湧いてくるはずだ。すんと鼻を鳴らすと、夕餉の匂いがした。多分、二階で俺のために文音が何かを煮ているんだな。
俺が琥珀亭のバーテンダーになって、もう三年の月日が経っていた。先輩バーテンダーの志帆さんは琥珀亭を辞め、暁さんが経営するオーセンティック・バーに勤めている。そのバーの名前は『ロータス』と言うそうだ。俺のひいじいちゃんであり、暁さんの師匠である蓮太郎の『蓮』から名付けたらしい。そう教えてくれた暁さんはなんだか、吹っ切れたような顔をしていた。
「澪、俺のルーツは琥珀亭なんだよ。蓮太郎師匠と真輝と一緒にいた、あの店だ。俺は琥珀亭に追いつきたいんだよ」と、彼は言っていた。
俺は琥珀亭の中に入り、カウンターの一番奥を見つめた。凛々子さんの特等席には親父とお袋は相変わらず、誰もその席に座らせない。そして、俺も。夕陽が射し込み、カウンターの上のメーカーズマークが影を落としていた。
俺のルーツは、きっとその席だ。凛々子さんを笑顔にするように、誰かの顔を綻ばせる。凛々子さんに語りかけるように、誰かに囁く。俺は今夜もここで、人と酒を繋ぐ。様々な船がこの店に集い、航路を一時だけ共にする。そして、酒を飲み干すとまた自分の航路へ旅立って行くんだ。次の約束なんかいらない。琥珀亭という名の澪では、誰もが自由なんだから。
俺は暗くなりゆく店内を見回した。木目のカウンターと年期を感じさせる調度品、輝きながら並ぶボトル、酒が注がれるのを待つグラス、そして、埋まらずの席。
今夜も琥珀色の黄昏が終わり、夜が来る。誰かの人生を酒に映して、また朝日が昇る。すべては移りゆくものだから。だけど、人間というものは移り変わっても同じ。
誰もが愛しいよ。だから、俺はここに立っている。そう、今夜も琥珀亭で。




