第72話 世にも珍しいまともな勇者
「いやー、あんたのおかげで助かったよ」
「気にするな。私が勝手に動いたことだ」
燃えるようにな紅の髪に、艶やかなまつ毛に縁どられた夜空を埋め込んだような黒の瞳。メラクの勇者こと———アリーカ学園生イツキ・ニトベは美形男子だった。さぞかしモテることだろう。
身長のわりに細身の彼だが、勇ましさで溢れている。紛れもない勇者だった。
そんな彼と俺は、医務室の隅の机で対面していた。イツキは、どこからか用意したのか知らないが、茶を入れた湯呑を持って一息ついていた。その所作すら美しい。
「あの静粛な場を荒らされたくなかったんだ。後輩たちが楽しみにしていたからな。無事にことが治まって良かった」
イツキは朗らかに笑って話す。いいお兄さんだ。
性格もいいのか、後輩のために自ら前に出て戦ったようだ。確かイツキは俺の一学年上だったはずだ。
「それはそうと、彼女は……大丈夫なのか? どうやら暴走しかけていたようだが……魔族の気に当てられておかしくなったのか?」
「いや、あれはそういうのじゃないんで………」
心配するイツキ・ニトベに、俺はリコリスが興奮状態に陥ると、ついつい暴走してしまい、周りが見えなくなってしまうことを説明する。
「なるほど、集中すると周りが見えなくなってしまうのか………それだけ試合に、戦いに集中していたのだろう。真面目な人だな……」
コクコクと頷き、眠るリコリスに感心するイツキ。
…………いや、先輩。あの人真面目とは逆ですよ。授業もサボることしか考えていない奴ですよ。
と言いたくなかったが、話が逸れそうなので、言いたくなる気持ちをぐっと飲みこむ。
リコリスが気絶した後、俺はできる限り詮索されないように、急いでフィー先生が待機している医務室へリコリスを連れて行った。他の人が入ってくると、
リコリスはフィー先生から処置を受け、静かに眠っていた。
そして、今。俺は応戦してくれたメラクの勇者こと、イツキ・ニトベ先輩と話していた。
相手が有名な勇者なので、人気の少ない場所で話そうと思っていたが、大騒ぎがあった後には容易に見つからず、医務室で話している。
「にしても、さすがだな。ネル・V・モナー。魔王軍幹部を倒した者はやはり違う。さすがアルカイドの勇者だ」
イツキ先輩は、関心したのか拍手を送ってくる。その拍手する姿でさえ美しい。メラクの勇者のことはあまり詳しくは知らないが、見たからに貴族の出には違いないだろう。
後で誰かに詳しく聞いてみよう。
「いや、俺は勇者じゃないんで…………イツキ先輩の方が凄いっすよ」
「ネル、嬉しいが世辞はいい。それに敬語もいらないぞ、ただのイツキでいい」
謙遜するイツキ。
だが、俺の言葉はお世辞じゃない。心の底から尊敬していた。
あの時、先生方ですら動けなくなっていた。しかし、彼は何事もなく、慣れたように戦っていた。いくら勇者とはいえ、あの覇気を感じながら機敏に動ける者はそうそういない。
「それよりもだ、リコリスといったか? 先ほどの話では興奮すると暴走すると言っていたが………あれは本当にただの人間か? 彼女の方があと一歩近づけば倒れ込みそうだった」
リコリスは悪魔だ。今でこそ角を隠しているが、勇者相手に「はい、あいつは悪魔です」とは言えない。真面目なイツキ先輩のことだ、すぐさま切りかかるだろう。
「ただの人間………ただの変人なんだ」
「変人…………その…その変人のリコリスという女とお前は……そういう仲なのか?」
「え? なんだよ、急に」
「ほら、さっき彼女と接吻をしていただろ?」
さっきの話というのは、十数分前のことだろう。デコピンでリコリスは一度気絶したが、直後目を覚ました。混乱しているのか、それとも先ほどの暴走が止まっていないのか、また暴れ出した。
『アノ小娘ヲ、コロス、ころス、コロス———』
触れても押さえつけても昏睡魔法をかけようとしても、全てだめだった。さっきよりも暴走が酷くなっていた。
『リコリス、いい加減に大人しくしろ、よ…………っ、これどうすれば、いいんだ………』
そこで思い出したのがリナに囚われた時のことだ。あの時もリコリスは暴走した。それは濃厚な口づけをして、満足したリコリスは眠っていたのをよく覚えている。ムカつくほどに覚えている。
そして、俺は暴走した時と同じように、またキスをした。不本意だった。
リコリスが暴れて会場をハチャメチャにするか、公開キッスをするか。
暴れるリコリスを押さえつけ、溜息をつき————そして、俺は口づけた。どんなキスだったかは聞かないで欲しい。
『ネル…………?』
背後から俺を呼ぶカトリーナの声が聞こえた。困惑した声だった。設定が崩れてしまうのは分かっている。だが、どうしようもなかった。
そうして、キスでリコリスの暴走を止めたのだ。本当に迷惑な悪魔女だ。
「結構長い時間接吻していただろう? 噛まれそうになっていたが、舌まで入れて濃厚なものをしていた………つまり、彼女とは男女の付き合いをしているのだろう?」
「いやいや!! 違う違う!! あれはああしないとあいつの暴走が止まらなかったんだよ! 正直、キスする相手は誰だって良かったんだ!」
「そうなのか」
「ああ、そうなんだ! 大体あいつが恋人だなんてありえない。あいつは俺のペットのようなもので———」
「はぁ!? 何言ってんのっ!?」
隣からがばっと衣擦れの音が聞こえる。シャーとカーテンが開けられ、リコリスが乱入してきた。さっきから起きて話を聞いていたみたいだ。
「ネルの方こそ私の! ペット! でしょ!」
「いやいや」
いつ、俺がお前のペットになった?
ハンスがお前のペットになっても、俺はならないぞ。いつもお前の手綱を持っているのは俺だからな。ペットはリコリスの方だ。
「イツキ先輩、こういうことだから。俺とこいつはそういう関係じゃない。今後もそういうのにはならないから」
「そうか……初対面で言うのもあれだが、その女はやめておいた方がいい。私の直感が『その女は、ニートになる』だと告げている」
「はぁー? ニート? あんた、顔だけはいいと思っていたのに!」
ぷんすか怒ったリコリスは足を踏み鳴らしながら、どこかに歩いて行った。元気そうで何よりだ。
何かしでかさないように、フィー先生に視線を送る。フィー先生は苦笑いを浮かべると、コクリと頷いてリコリスを追っていった。
「なぁ、ネル。本当にあいつは一体何者なんだ? 本当のことを教えてくれないか?」
ずずっと顔を寄せてくるイツキ先輩。リコリスのことが大分気になるようだ。直感で感じているのかもしれない。
「自称悪魔と名乗ってるバカだよ。本当にただのバカ」
「悪魔と名乗るとは……本当に変わり者だな……」
呆れたのか、手で口を隠すイツキ。事情を知らない人間からしたら、大真面目に自分が悪魔だと話しているのだから、白い目で見るだろう。
リコリスの存在がどうにもきな臭い。“悪魔の兵器”という呼ばれ方といい、暴走具合といい、そこらの悪魔とは何かが違う。しかも、魔王軍幹部とは知り合い。
あいつは本当に何者なんだろうか。
「ともかく大事にならなくて良かった」
勇者は強さゆえに変人が多い印象だ。戦闘狂の双子先輩といい、あっちの気がありそうなアリオトの勇者といい、夜這いを試みようとするカトリーナだったり、癖ありばかりだ。
まだ話したことはないが、アイドル勇者や作家をしている引きこもり勇者がいる。噂を聞く限り、二人とも癖ありなのは確定だろう。
そんな変人が多い中、このイツキ・ニトベ先輩は比較的まともな勇者だと思った。第一印象から無口な人なのではと思っていたが、意外と話してくれるし、常識を持っている。
正義感もあり、戦うべき所では率先して前に出る。仲間の動きを見ながら、瞬時に最適解を出しながら動いていく。最も勇者らしい人。
何だろう…………変人ばかりに囲まれている者だから、イツキ先輩が輝いて見える………どうしよ。なんだか、涙出てきた。
「本当にまともな人だ………ああ、眩しいな……」
「おい、なぜ泣いている………」
「先輩、何かあったら俺を呼んでくれ。すぐに行くからさ………」
「……? 分かったから、泣くな……」
イツキ先輩は、ポケットからハンカチを取り出すと、俺に差し出す。
ああ、この人絶対いい人だ。勇者だけど、この人との縁は大切にしよう。
ハンカチを受け取り、涙を拭くと、俺はイツキに右手を差し出す。この人とは仲良くやっていきたい。
イツキ先輩も一瞬驚いたが、すぐに笑みへと変わり、右手を取ってくれた。
「これからよろしくな、先輩」
「こちらこそ、アルカイドの勇者」
「…………」
アルカイドの勇者か……。
俺が唸っていると、イツキ先輩は小首を傾げた。
「ん? どうした?」
「先輩、悪いんだけどさ……俺、アルカイドの勇者じゃないから、勇者っていうのはやめて欲しいんだ」
「ん? 貴方は勇者じゃないのか?」
「世間はそう思ってるけどさ……違う、と思うよ」
「ネルは嘘はよくないぞ」
「…………」
とは言われても、勇者であることは認めたくない。認めれば、平穏な生活が崩れていってしまう気がする。
俺が答えずにいると、イツキ先輩ははぁと溜息をつき、「仕方ないな」とこぼす。
「では、貴方は最高のレベルを持つただの学生“ネル”ということだな」
「……! ありがとう、イツキ先輩! とりあえず、俺のことはネルでよろしく」
「了解した、ネル」
そう言ってイツキ先輩は立ち上がると、扉の方へと向かう。
「もし試合で私と貴方とで戦うようになった時は、本気で来てくれ」
「ああ」
「じゃあ、またな。ネル」
背を向け、挨拶として片手を上げると、イツキ先輩は部屋を出て行った。立ち去り具合までカッコいい。なんて頼もしい背中なんだろう。男の中の男だな。後輩に好かれるのも分かる気がする。
一息ついた俺はすっかり冷めてしまったお茶を飲む。さっきまで騒がしかったこともあり、無音の医務室が不思議と落ち着いた。
————この時の俺は馬鹿だった。
俺はイツキ先輩のことを勘違いしていた。それはもう大きな勘違いをしていた。
その間違いに気づくのは数カ月後のことだった。




