ベルレーン
「ここは…懐かしいな」
帝国領を目指して森を抜け、人目を恐れてまた別な森に入り、そうして抜けた場所には見覚えのある建造物があった。
視界に広がるのは、人も魔物も払い除ける高い壁。
王国領から帝国領へと抜ける道の、王国最南端であろう街。
城塞都市ベルレーン。
この地へと召喚され、訳も分からないままに戦うことを強制され、その訓練として過去にベルレーンにいた。
レメド等と出会い、組んで戦うようになったのもこの街でのこと。
今となっては思い出したくない記憶ではあるのだが、この地には世話になった人も多い。
だからか自然に懐かしむことができた。
「…悪くないかもしれないな」
隣で街を眺めていた黒曜が、意味が分からないという風に首を傾げる。
「この近くで住める場所を探してみようかってことだよ」
住む場所の条件として、人の行き来がないということが一番大事だと思っている。
人が黒曜を見た時、冒険者であれば手柄という観点から黒曜を狙うだろう。
それがただの旅人であろうと、危険という理由から討伐依頼が出される。
万が一そうならなかったとしても、人の口に戸は立てられない。
黒曜を見た誰かが、そのまた誰かに話し、最後には貴族だか冒険者だかに狙われることだろう。
人に見られるということそのものが危険なのだ。
それでも千変万化用の素材は欲しい。
だから街へのアクセスが良いのは外したくない。
住むに際して利点もある。
というのも、ここベルレーンには遺跡―――通称ダンジョンがある。
一定期間で内部の構造が変化し、鉱石や薬草などの資源を生み出し続けるのがダンジョンというもので王国にも六つしかない。
正に金の生る木といったもので、ベルレーンがこの場所にあるのもそれが理由だと聞いている。
この街の主な産業はダンジョンを中心としたもの。
つまり、ダンジョンのある方角の逆側、魔族領方向に広がる山の麓などなら隠れ住むのに最適ではないかと考えた。
そうと決まれば早速住めそうな場所を探しに、黒曜を連れ立って山へと向かう。
人里に近いせいか強力な魔物の気配もほとんどなく、獣道を進んだ割には効率的に進んだ。
黒曜に前を歩いてもらって道を作ってもらったのもでかいだろう。
見つけた場所は広い洞窟だった。
何か住んでいるのかは分からなかったが、黒曜が陣取ってしまったので家主がいたとして帰ってくることはないだろう。
基本はここで暮らし、たまに街に様子を見に行く。
何か目的が見つかる、もしくは黒曜にとって危険な状況でない限り、その方針でいこうと決める。
まんま野生児だが、そんな生活が少し楽しみでもあった。
「じゃあ少し行ってくる」
早速ベルレーンへ向かうことにする。
黒曜には留守番するようにと伝えてあった。
あったのだが、洞窟を出ると黒曜も一緒に出てきた。
「…待っててくれ。なるべく早く帰ってくる」
早く、と言っても三日ほどはみている。
道程を駆けての計算で。
それも、魔物鍛冶で作った走力を補助するバングルを足首に装備してだ。
人に見つかる危険を減らすことを考えたため、この洞窟の場所は単純に都市との距離が遠い。
抗議しているのか、黒曜は頭をぐりぐり擦り付けてくる。
「そうだな…黒曜が千変万化を使いこなして誰にも負けないくらいになれば街へ連れていけるかな」
たとえ勇者に匹敵する実力になろうとも、後の面倒を考えれば連れていく気などないが。
黒曜の目が細まる。
それでも抗議活動は続いたが、頭を撫でてやると名残惜しそうにこちらを見ながら洞窟へ戻っていった。
その姿は見た目に反して愛らしく、思わず苦笑した。
元の世界に帰りたいと思っていた。
でも帰れないと知った。
ならばと、この世界に居場所を求めた。
しかし無残に捨てられた。
もう死んでもいいとすら考えた。
そんな自分が笑えている。
黒曜はきっと救われたと思っているだろう。
それは事実だが、こちらが黒曜に救われていることも間違いなく事実だった。
手早く用事を済ませることを決め、街へ向かって駆けた。
都市へは何とか陽が沈む前に入れた。
王国冒険者のギルド会員証を見せ、門を潜る。
その際、ソロ冒険者で発行してあったD級証が役に立った。
一人で行動するときに実力以上にみられないためという情けない理由から作ったのだが、何が役に立つか分からないものだ。
ちなみに勇者一行を示す黒色をした特級証はさっさと捨てた。
高級素材を使ってあるだとか聞いていたが捨てて清々した。
街並みは三年前と変わらず懐かしかった。
王都と比較しても遜色なく賑わい、夜に向けて客引きがあちこちにいる。
そんな夜の街への誘いを躱しながら馴染みの宿を目指す。
身体が一日動きっぱなしで悲鳴を上げており、顔馴染みへの挨拶も兼ねて今日はもう休むことにする。
少し本道から外れた道に、少し趣きを感じる佇まいの宿。
『カランコエ』は変わらずあった。
室内にも明かりが灯っている。
「すまない。一部屋空いてるだろうか?」
「空いてるよ…って、懐かしい顔だねぇ」
入口から入ってすぐのカウンターに座る女性は、やはり変わらないように見えた。
「お久しぶりですカリンさん。元気にしてましたか?」
「変わらずさ。あんたは…少しやつれたねぇ」
こちらの事情は知られているだろうか。
などと考えるまでもなく、この規模の都市に情報がきていないはずがないだろう。
「ええ、まぁ」などと返して煙に巻こうとする自分が情けない。
「…飯はまだなんだろう?奢ってやるから食いな」
有無を言わさず食堂へと連れていく強引さに、変わってないと改めて懐かしく思う。
右も左も分からなかった頃、随分と良くしてもらった。
その頃もこうして食事を奢ってもらっていた。
食事が自慢と謳う宿のシチューは変わらず美味かった。
カリンさんが話し相手になってくれた。
受付は放っておいていいのか疑問だったが。
懐かしい話題が出る度、ちょっと変な空気になった。
共通の話題なんてアイツ等のことしかなくて、それがちょっともどかしい。
「街にはどれくらいいるんだい?」
「…どうですかね。実は挨拶に寄っただけなんですよ」
長期で宿を借りるつもりはないと告げる。
カリンさんは渋い顔をしただけで何も言わなかった。
「知ってると思いますけど、アイツ等から追い出されました」
その様子から知ってはいるように見えたが、世話になった身として自分の口からも告げたかった。
気を使われるのも嫌だし、普通に言えたと思いたい。
「知ってるよ全く…。こんな良い男を…カヤも馬鹿な女だよ」
「オレは幼馴染ながら利口なヤツだと思いますよ」
これは本心だ。
同郷の腐れ縁より、見目の優れた将来有望な勇者に迎合するのは当然だろう。
守ってくれる親はいない。
金も力もない。
この世界での生活は、今までの価値観を変えるのに十分過ぎた。
そんなクビになった男の醜聞は広がっているだろうにカリンさんは以前と変わらず接してくれる。
もちろんそれを期待して来たのだが、それがとてもありがたい。
「トム爺さんは元気にしてます?探し物があって」
「ピンピンしてるさ。あたしらは何も変わっちゃいないよ」
それは暗に、その他は変わってしまったというようにも聞こえた。
「お母さ~ん。受付空いてるよ~?」
「ソニア!いいから手が空いてるなら来な!」
厨房から出てきたのはカリンさんの娘のソニア。
昔会ったときに九歳と聞いたから、今は十二歳ぐらいだろうか。
コーカソイド的な容姿だからか実年齢以上に大人びて見える。
「久しぶり。ソニアちゃん」
声を掛けるも、すぐにカリンさんの後ろに隠れてしまう。
「悪いね。前はあんたに魚の糞みたいにくっついてたってのに、久しぶりで照れてんだよ」
「照れてない!お母さん下品!」
カリンさんを叩きながら抗議する姿はまさしく親子で、とても微笑ましい。
「ごちそうさまです。お部屋借りますね」
食事を終え、木匙を置いて席を立つ。
顔を見られて安心した。
同時に迷惑をかけられないとも思った。
こんな男がいつまでも居座るべきじゃないと、来るのはこれっきりにすると決める。
「部屋空けとくからいつでも来な」
「…ええ。また来たら寄らせてもらいます」
顔にでも出ているのだろうか。
心を読まれたわけでもないだろうに、そんなことを言われる。
去り際に見たカリンさんの顔はどこか寂しげなもので、咄嗟に出た薄っぺらな嘘はバレているに違いない。
それ以上を話すことなく階段を上り部屋へ向かう。
借りた部屋は以前と同じ部屋で、だけど今はもう自分一人だけで。
嫌な思いが頭で渦を巻いて、それを振り払うように必死に目を瞑った。
長い夜が明け、朝日が顔を照らす。
受付で代金を払って宿を出た。
カリンさんは客の対応に追われていて挨拶はろくにできなかったが、別れはこれくらいが丁度いいと思った。
宿を出て、用のあるもう一人の店へと向かう。
宿からそう遠くない場所にひっそりとある古ぼけた店は依然と変わらずあった。
戸を潜って中に入ると乱雑に置かれた用途不明なモノやら謎の液体やら、果ては剣に鎧に薬もある。
仕入れの品は店主の気分次第という変わった店で、品物の大半を占めるのは魔物のどこかしらの部位なことから当時入り浸っていた。
言うなればここは何でも屋といったところだろうか。
「トム爺さん!」
少し大きな声で呼ぶと、奥で何か動く気配があった。
しばらく待つと、口髭を冗談みたいに伸ばした禿頭で初老の男性が出てくる。
「…しばらく見なかった顔だな」
「お久しぶりです」
トム爺さんと呼ばれる彼もまた変わっていない。
そのことが嬉しかった。
「挨拶ってわけでもないんだろう?何が欲しい」
話が早いというかせっかちというか、その辺も変わっていない。
いきなり笑うのも失礼だが、苦笑してしまうのは許してほしい。
「メタルウェポンをあるだけ」
トム爺さんの顔が曇る。
あるだけどころか、普通はそんなもの置いてない。
「知人を当たってみよう。他にはギルドなんかなら置いてあるかもしれんが…」
「それは最後の手段にします」
「だろうな」
あまり人に興味のないだろうトム爺さんまでもがあの醜聞を知っていることに驚く。
やはり知人に知られているということは恥ずかしく、慣れないものだと顔が熱くなるのを感じる。
「ギルドには行かん方がいいぞ」
「…そんなに問題になってますか?」
元々からして、自分に対する周囲の評価が低いのは知っている。
勇者一行に相応しくない、といったことを聞いたのも一度や二度ではない。
酷いあだ名もある。
その気まずさからギルドを避けようとしただけだったが、パーティーを抜けるにあたって問題でもあっただろうか。
「王国の勇者は知らねぇよ。ただ、帝国の勇者がこの街に来てる」
聞いたことだけはある。
異界から召喚された黒髪の、同郷かもしれない人物。
いつか会えればと思ったことはあったが機会には恵まれなかった。
両国とも会わせることを避けているようにすら思えた。
「…一体何のために?」
「話じゃあ、四天王を討った王国の勇者に面通ししたいってぇ話だ」
なるほど分からない話じゃあない。
人の連合軍の中で魔族の将を討ったのは今のところ王国勇者だけ。
今までさんざん拒んできた両国が会うことを許したことは驚きだが、中身は強さの秘訣を聞くだとか縁だとか、きっとそういった魂胆だろう。
「が、何か獲物を追ってるっつうのが本命って話だな」
一人うんうん頷いていたのだが、思わずずっこける。
とにかく関係のない話だ。
どちらにしてもギルドに近づかなければ会うこともない。
「元一員ってことで絡まれるかもしれねぇからな。近づかないようにするこった」
「ありがとうトム爺さん」
トム爺さんは鼻息で返事をする。
気難しそうに見えて、こういった気を回すところも相変わらずだと思わず苦笑する。
「あとあれだ。そこの薄気味悪い頭蓋をくれてやる」
トム爺さんが顔をやる先には、人の頭をすっぽりと覆えそうな頭蓋骨。
「…ありがたくもらっていきます」
薄気味悪い頭蓋骨が何のものか分からないが、そこらの魔物のものではないだろう。
トム爺さんには『魔物鍛冶師』のことを伝えてあり、こうやってたまに珍しい素材をくれたりする。
手甲に魔杖に刀、今使っている武具は全てここで仕入れたものだ。
もらうばかりでは悪いと、目に入った剣を手に取って購入する。
見た目普通の鉄剣で、どんなものか聞いたところ普通の鉄剣らしかった。
さすがにこれよりは自分で製作した剣の方が優れている自信があるが、製作物の大半が悪目立ちすることは痛いほど理解していた。
なので街では普通の剣を佩くことにした。
魔物から作った刀を収納箱にしまって鉄剣を腰に括り付け、これでどう見ても普通の冒険者だろうと一つ頷く。
他にも何かないかと見て回り、薬に目がいった。
トム爺さんは調合なんかもやっており、市民が高価な薬を買えない中、手ごろな値段でそこそこ効く薬を売ったりしている。
近隣住民の評価は高く、こんな訳の分からない店が残っている要因の一つに違いない。
そこでスライムから作った塗り薬が尽きていたことを思い出し、運よく置いてあったキュアスライムなる魔物の体組織を買った。
トム爺さんは半月あれば品を仕入れておくというので、その位の時期にまた来る約束をして店を出た。
陽はまだ昇りきってすらいなかった。
お土産を買っても今日中に山に戻ることができるだろう。
黒曜には何がいいだろうか考えながら散策し、迷った挙句に果物をいくつか見繕って街を出た。