黒き竜
帝国へ向かってひたすらに先へ進んだ。
だが、森は開拓されていない魑魅魍魎が跋扈する魔境。
物資も乏しければ食料も満足に確保できない環境で、心身共に憔悴していった。
いくら自棄になっていたとしても、愚かな選択をしたと悔やみ始めていた。
その日も、周囲を警戒しながら方位磁石を頼りに森を進んでいた。
ふと、魔狼と呼ばれる巨大な四足魔獣の狩りの場面に出くわした。
こちらに気づいたはずだが、欲張るつもりはないのか獲物を追い立てていた。
少し進んでは威嚇し合う声が聞こえ、また進む。
獲物は片翼を失くした黒いドラゴンの子どものように見えた。
狼一匹にも劣る体躯で、ドラゴンと呼ばれる種から見れば赤子のようなもの。
欠けた翼の断面は肉で埋まっており、昨日今日なくなったものには見えなかった。
彼も捨てられたんじゃないかと思った。
こんなところで体力を消耗するべきではないと分かっていた。
だが怯えた目で、体中から血を流しながら必死に威嚇する姿に、それを嬲るように追い詰める狼どもの姿に、気づけば狼へ向け斬りかかっていた。
魔狼は厄介な魔物だ。
一匹一匹が獅子を思わせる大きさな上、獲物を群れで襲い、俊敏さは人を遥かに凌駕し、その牙は腕くらい易々と食いちぎる。
疲労が限界に近く、無様な戦いだった。
一匹を切り伏せれば、その隙に別な一匹が腕に食いついてくる。
それを手甲で受け、ファイアボールを放とうとしたところで魔力が尽きていたことを思い出し、杖で殴り飛ばす。
傷が増えるにつれ意識が朦朧とし、手甲が剣を振るうに任せてただ剣を強く握った。
気づけば狼共は逃走したようで、やはり片翼を欠いた黒いドラゴンがじっとこちらを見ていた。
それに構うことなく背負っていた収納箱から塗り薬を取り出す。
これも再生能力の強いスライムから自作したものだが、気持ち悪いという理由からお蔵入りとなっていた。
傷口に塗り込むと、傷口を焼いているような痛みと共に煙が上がり、しばらくすると傷は塞がった。
それを傷ついた箇所全てに塗り込んでいく。
傷を癒す行為にすら体力を消耗したが、魔狼の血に他の魔物が群がる可能性もあり、重い体に鞭を打ってその場を離れることにする。
片翼のドラゴンはまだこっちを見ていた。
「こんなとこじゃない、身の丈に合った場所で暮らせ」
言ってから、まるで自分に言い聞かせているようだと思った。
方角を確認し、また森を進んだ。
背後から一定の距離を保ってドラゴンが付いてきていた。
後ろを振り返れば気配の主も動きを止めた。
その様子から、気づかれないように後をつけてきているわけではないように思えた。
「…出てこい」
言葉が分かるのか、ドラゴンはおずおずといった様子で姿を現す。
高位の魔物には言葉が分かるものがいることは知っていたため自然と納得した。
垂れた尻尾に、家で飼っていた犬を思い出した。
「そんな傷だらけじゃ見てられん」
言い、ドラゴンに薬を塗ろうと近づきゆっくり手を伸ばす。
ドラゴンは警戒したように身を固くするが、伸ばした手を避けることはなかった。
傷に触れ、薬を塗り込んでいく。
ドラゴンでも痛いのか、か細い声が上がる。
「我慢しろ。男の子―――」
―――かどうかは判別できなかったため黙っておく。
するとドラゴンは首を振ったため、どうやら雌なのだろう。
傷は多く、少ない塗り薬を満遍なく塗り込んだ。
「終わりだ」
ポンと鱗を叩く。
全快とはいかないが、はるかにマシになったはずだ。
薬も底を尽き、いよいよどうするかとため息をつく。
ドラゴンを見れば、気にした様子もなくじっと顔を見てくる。
「…餞別だ」
命を張って助けたのに、すぐに死なれては助け損だ。
心の中でそんな言い訳をしてから、お蔵入りしていた製作物の一つ、銀色の丸い球体を収納箱から取り出す。
ちなみにこの収納箱も制作物で、宝箱に偽装した低ランクのシェイプシフターという魔物を加工したものだった。
空間魔術的作用があるのか、容量は小さめの押し入れくらいと見た目以上のものが入る。
重量も箱の分だけと軽く重宝している。
そして銀色の球体だが、メタルウェポンという名のスライムを加工したもの。
スライムは体を針や、優れた個体になると刀剣などを模倣し、変形させて襲ってくることから名づけられたという。
完成した玉は、あらゆる形に変形させることができ、変幻自在の戦いを可能に思わせた。
『千変万化』と名前までつけた自信作だった。
だが変形から強度の程度までもを魔力操作で行う難易度の高さに、専門であるはずのエミリアですら匙を投げ、使用する予定だったレメドは起動すらままならなかった。
だが、人より魔力に高い適性を持っているとされる魔物なら。
中でも、誰に教えられるでもなく魔術を使ってその巨体で飛行するドラゴンならと思った。
だから、ただ腐らせるだけよりはとドラゴンにやることにした。
何か分からないといった様子のドラゴンに向け、まず実演することにした。
銀色の玉を手に持ち、魔力を込めた。
すると剣の先端のようなものが玉から生えだし、くにゃっと曲がった。
予定では刀身のようなものを作り出すはずだったが、飴細工のようなそれはどう見ても失敗だった。
再度挑戦しても一向に思い通りの形にはならない。
久しぶりに触ったが、やはり扱えるものではないと再確認する。
「…これは魔力で自在に形を変えられる。扱えればまた空を飛ぶこともできるだろう」
ドラゴンは意図を理解したのか、欠けた翼を前に出す。
玉は肉に埋まった先端を覆うように付き、羽を模すように広がっていき、くにゃっと曲がった。
思わずくつくつと笑い声が漏れてしまい、心なしかこちらを見やるドラゴンが睨んでいるように見えた。
「あとは捨てるなりなんなり好きにしたらいいさ」
用は済んだとばかりに踵を返し歩く。
ドラゴンはその横を並ぶように付いてきた。
「…ドラゴンは人に懐かない」
言うと、その言葉を否定するようにドラゴンが首を摺り寄せてきた。
「…オレもオマエを捨てるかもしれない」
言葉に、ドラゴンは顔を俯ける。
その仕草は、やはり親に捨てられたことを告げていた。
ドラゴンは山などを好んで棲むと聞く。
欠けた翼を持つドラゴンの幼体が一匹でこんな森にいるのはどう考えても不自然だった。
事情を察した今、気持ちは複雑なものだった。
コイツのような幼体は今日あったように自然に淘汰されるか、悪ければ冒険者に見つかって高級な素材となる。
懐く懐かないではなく、コイツにとって生きるための行動なのかもしれない。
縋ることが生き残る道だとコイツも理解しているのかもしれない。
「…オマエが一人で生きられるまで。それでいいなら共に行こう」
ドラゴンは尻尾を振り回して頭を擦り付けてきた。
その仕草は愛らしく、荒んだ心を癒した。