キラ星さんの誕生日
前の日も次の日も晴れなのに、その日だけ傘マークだなんて…。
「あー、どうして私はこんなにも雨神様に愛されているんだろう…」
週間天気予報の画面を眺めて呟く。
「天気なんて自然現象なんだし、僕にとっては姫の笑顔が太陽だから」
キラ星さんは真顔でそんなことを平気で言う。嬉しいけれど、やっぱり恥ずかしい。顔が赤くなる。本当にお日様みたいになってしまいそう。
「デートのプランは姫にお任せします」
そう言われても迷ってしまう。キラ星さんはあの時の夕陽のリベンジをしたいと言ってくれたのだけれど、天気予報は傘マーク。リベンジは叶いそうもない。キラ星さんの誕生日なのだから気の利いたプランを考えてあげたのだけれど…。
「キラ星さんはどこか行きたいところはないんですか?」
「そうですね…。日帰りで温泉にでも行きますか?」
「あっ!」
閃いた。そう言えば…。以前旅行で行った場所に温泉施設があったのを思い出した。その時は温泉には行かなかったのだけれど、施設内には雨でも楽しめるところがいっぱいあったはず。もちろん日帰りでも十分に行ける場所。私が提案すると、キラ星さんは「それはいいですね!」と、賛成してくれた。
待ち合わせの時間より早く着いた僕は駅構内のカフェでコーヒーを飲みながら時間をつぶすことにした。
この日をずっと楽しみにしていたから、朝からワクワクが止まらなかった。待ちきれなくなって家を出た。当然、早く着いてしまった。けれど、こんな風に待っている時間も僕にとっては幸せな時間。姫は必ず来てくれるのだから。来るか来ないか判らない相手を待つのに比べたら、同じ時間でもこんなに贅沢なものに感じてしまう。それが余計に嬉しかった。
『間もなく着きます』
姫からのLINEが入った。僕は既に冷めてしまった残りのコーヒーを飲み干して改札口へ向かった。
改札の外で待っている姫を見つけた。スマホの画面を見ているようで僕に気付いていない。声を掛けようと思ったのだけれど、一旦、改札を出て姫の前に顔を出した。
「おはようございます」
「わあ! びっくりした…。あ、おはようございます」
「それでは行きましょうか」
「はい。行きましょう」
「お弁当を買いますよね?」
「はい。お弁当を買います」
駅構内のエキュートで弁当を買う。それから私鉄の始発駅までJRで移動。特急電車の指定席券を購入してホームへ。ホームには既に電車が入ってきていた。
「この電車ですか? すごい電車ですよ」
「本当ですね。窓が床まであります。これは見晴らしがいいですよ」
電車に乗り込むと、座席もゆったりしていて、しゃれた雰囲気になっている。今年の3月から導入されたばかりの新型車両だ。二人並んで座席に落ち着くと、定刻通りに電車は出発。
「お腹がすきました」
「朝ごはんは食べていないんですか?」
「はい。なので、お弁当を食べましょう」
姫がそう言うのでお昼には少し早いけれど、買ってきた弁当を取り出した。もちろん、シュワシュワのやつも。プルトップを開けて缶を合わせる。
「キラ星さん、お誕生日おめでとうございます…。あっ! これを最初に言わなければいけませんでした」
「いいんですよ。それより美味しそうなお弁当です。早く頂きましょう」
「はい。それで…、プレゼントがあるんです」
そう言って姫は小さな袋を取り出した。開けるとハートの形のメッセージカードが入っていた。
「あ、これは一番うれしいやつです」
僕はそれに目を通してから定期入れにしまった。
「そんなところにしまって大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。ここに入れておけばいつでも見返せます」
プレゼントは姫の手作りガトーショコラ。
「これは美味しいやつですね」
「はい。自分で言うのもなんですが、自信作です」
僕は姫の手作りガトーショコラを袋から取り出すと、そのまま口の中へ放り込んだ。
「一口で行きましたね」
姫は目を丸くしていたけれど、それくらい朝飯前だ。立て続けに2個のガトーショコラを平らげた。
窓の外が明るくなってきた。
「雨、上がったみたいですね」
「はい。青い空も顔を出しています」
もう、降らなければいいな…。そう思っていたのだけれど、しばらくするとまた雨の筋が窓を伝う。
「今日は一日こんな感じかも知れません…」
キラ星さんが言う。
「でも、大丈夫です。僕にとっては姫の笑顔が太陽ですから」
でた! キラ星さんの必殺技。キラ星さんの顔が20センチメートルしかない距離にある。思わず目をそむける。
「こんな至近距離で言わないでください。顔が赤くなってしまいます」
「そんな姫も可愛くて好きですよ」
わーーー! ダメだ。耐えられそうにない。私は窓の外に顔を向ける。景色は既に山間部ののどかな風景に変わっている。
「こういう自然の中で暮らすことに憧れます」
堪らずに話を逸らす。
「姫が住んでいたところによく似ていますね」
そう。私の誕生日にキラ星さんをそこへ案内した。キラ星さんはそのことをちゃんと覚えてくれている。そして、そうこうしているうちに、電車は終点の駅に到着した。
雨はすっかり止んで…。いや、止んではいないけれど、空は晴れている。天気雨。駅を出ると目の前に出店が並んでいた。美味しそうなものがたくさんある。だけど、お弁当を食べたばかりだからお腹は空いていない。
「わたし、甘酒好きなんです」
姫がそう言ったので、目の前の出店で甘酒を買って飲むことにした。
「美味しい!」
「はい。美味しいですね」
出店の若いあんちゃんに聞いてみた。今日と明日の二日間はこの地域の夜祭で、今日は宵宮、明日が本祭なのだとか。飲み終えるまでそんな話をしてから温泉施設へ向かった。
ついこの間来たばかりのはずなのに、なんだか懐かしい。それに新鮮な感じがする。あの時は大勢でワイワイやって来た。今回はキラ星さんと二人。だからなのかもしれない。広いお土産売り場に地酒の角打ちのようなスペース。いくつもの地元の名物料理店が並ぶフードコート。
「どうしますか? まずは温泉に入りますか?」
キラ星さんが言う。
「そうですね。先ずは温泉に入ってからゆっくりしましょう」
フードコートを抜けて温泉施設へ。
「そこに傘を置いて行きましょう」
キラ星さんがそう言って指したとことに傘立てが。
「あら? どうやればいいのかしら」
「このダイヤルで暗証番号をセットするんですよ」
そう言ってやり方を教えてくれるキラ星さん。
「あっ!」
「どうしたんですか?」
「かかっちゃった」
「えっ! 番号は覚えたんですか?」
「いや、憶える前にかかっちゃった」
「大変じゃないですか!」
「でもまあ、なんとかなります。最悪、どうせ安いビニール傘ですから。それに帰る頃には雨は降っていませんから」
物知りで何でもそつなくこなすキラ星さん。なのに、たまにこういう抜けたところを見せてくれる。それが何だか可愛らしい。女性の私がいい大人の男性をそんな風に思うのは失礼なのかもしれないけれど。
そんなキラ星さんが受付で入館手続きをしてくれた。受付と同じフロアに飲み食い処もあった。けれど、まだお腹は減っていない。そんな私の思いに気が付いたのかキラ星さんがにっこり笑って話しかけてくれた。
「お風呂に入って少しお腹を空かせましょう」
「そうですね」
浴場の入口でしばしキラ星さんとはお別れして私は女湯へ。1時間後にロビーで待ち合わせすることに。キラ星さんは長湯が出来ない人だから時間を持て余すかもしれないけれど、私はせっかくなのでゆっくりさせてもらいます。
1時間後と約束をしたけれど、僕には長すぎる。チャチャっと上がってまずは一服してから館内をぶらぶらすればいい。そう思って浴場へ。入ってみて驚いた。広いし、いくつかの違う泉質の風呂がある。それぞれの風呂に一通り浸かってみる。体が温かくなったところで露天風呂へ。そこにも数種類の風呂があった。一応、烏の行水的ではあるけれど、一通り制覇する。今日はいつもより頑張って長い時間風呂に入った。そう思って脱衣所に戻り、扇風機の風を浴びながら時計を見る。
「あら…」
まだ30分しか経っていなかった。汗が引くまで脱衣所で時間をつぶし、それから服を着て喫煙所に向かった。タバコを2本吸ったところで姫からLINE。
『もう出ましたか?』
返事を返す間もなく喫煙所のドアが開いて姫が顔を出した。
「マッサージのところに行ってます。なので、ごゆっくり」
「あ、はい」
タバコを吸い終えてマッサージのところを覗いてみた。マッサージ機に体を埋めているお風呂上がりの姫を見つけた。
「益々きれいになりましたね」
「またまた。こんな至近距離で言わないでください」
照れる姫は相変わらず可愛い。僕は姫がマッサージを終えるまでベンチで待つことにした。
キラ星さんが温泉施設の代金を支払ってくれた。キラ星さんの誕生日なのに、なんだか悪い気がする。けれど、キラ星さんは真顔でこんなことを平気で言う。
「僕の誕生日だからこそ姫のためにこういうことが出来るのがとても嬉しいんです」
そんな風に言ってもらえるのは本当に嬉しい。だけど、今までそういう人は居なかったから驚きもある。実はキラ星さん、競馬で儲かったからだなんてことは内緒ですけど。
温泉施設を出て、おみやげ物売り場をぶらぶらしてみる。あるものが目につく。以前に来た時も買って帰ったもの。一番人気のお土産。そしてもう一つ。柔らかくて触った感じがとても気持ちいいお餅。もちろんとても美味しい。今日も買って帰ろう。
「軽く頂きましょうか」
角打ちコーナーの前を通りかかると、キラ星さんが言った。
「はい。そうしましょう」
テーブル代わりの樽の上にメニューが置かれている。
「やっぱりこれですね」
私は地酒三種の飲み比べセットを選んだ。
「僕はせっかくだからこれをいただきます」
キラ星さんが選んだのは地元で作られているウイスキーだった。地元以外ではなかなか手に入らないのだという。それをシングルのロックで。
「本当は参道にある酒屋さんに買いに行きたかったんですけど、行ってもあるとは限らないレアものですからね」
「まあ、そうなんですか? ここでは買えないんですか?」
「それもそうですね…」
お店に人に聞いてみると「今日はここにも置いていますよ」とのこと。キラ星さん、そのウイスキーを1本買って嬉しそう。大事に抱えてニコニコしている。
温泉に浸かって、少しだけど、お酒も飲んだ。たいして動き回ったわけではないのだけれど、少し眠たくなってきた。
「帰りの電車では寝ちゃっても大丈夫ですか?」
私が寝ている間、キラ星さんが退屈してはいけないと思ったので、お伺いを立ててみた。
「どうぞ、ゆっくり寝てください。僕は大丈夫ですよ。姫の可愛い寝顔を眺めていますから」
あー、またこれだ。20センチメートルの至近距離で寝顔を見られるのは恥かしい…。でも睡魔にはかなわないかも。
電車に乗って、始めは二人でお話をしていたのだけれど、やっぱり睡魔には勝てなかった。次第に意識が遠のいていく…。
今日はステキな誕生日だった。朝から姫と二人で過ごすことが出来た。そして、最後にこんな素敵なプレゼントまで。僕はすぐ横で眠っている姫の横顔を眺め、ほんの数秒間だけ、その寝顔を正面から覗き込んでみた。やっぱり可愛い。つくづくそう思う。