カムラン村
残光の照らす岩山を、四人は馬を引いて歩いていた。夜の山道は危険である。四人は、野宿できそうな岩陰を捜した。やがて、大きな岩の隙間を見つけ、そこで休むことにした。
四人は岩山の陰でたき火を囲んだ。
「明日中には炎の谷へ着く」
エリヤが言った。
「長い旅だったな」
「まだこれからよ。大変なのは」
「これが最後の戦いになるか」
四人の顔に炎の影がゆらゆら揺れた。
翌日も馬を走らせた四人は、夕方近くにカムラン村に到着した。
険しい山々に囲まれた谷間のわずかな平地に、頑丈な城壁で囲まれた村があった。谷を更に進むと、ぽっかりと地面に大きな穴が空いている。四人はカムラン村の門前から、馬に乗ったまま、その穴を眺めた。穴からは絶えず炎が吹き上げ、穴の回りの土は赤く燃えている。穴の中央に島のような山がそびえ立ち、その山には焼け焦げた木々に囲まれた神殿らしき建物が見える。おそらくそこに、光の玉の最後の一つがあるのだ。神殿の回りは、炎の谷、こちら側からは谷を渡る一本道しかない。道の左右は深い炎の谷底である。
「いよいよだな」
「ああ」
最終目標を前にした四人の瞳を、夕陽が赤く染めていた。
四人はカムラン村に入った。かなり大きい街である。広い道路沿いには商店や食堂、宿屋が軒を連ねている。
適当な宿を選んで、ヨウを先頭に四人は入った。ヨウが宿を取ろうとすると、宿屋の女将が言った。
「お客さん達もまさか、炎の谷へ行こうってんじゃないだろうね」
ヨウは答えなかった。
「やめときな。今まで何百人という人が炎の谷へ向かったけど、誰一人として戻ってきた者はいないよ。十年前には王様の軍隊が一万人来たけど、全滅さ。命が惜しかったら、国へ帰った方がいいよ」
女将にシードが訊いた。
「でも、女将だって、どうしてこんな危険なところに住んでるの。魔物多いだろ」
「そりゃ、儲かるもの。この辺には町がないだろ。旅人は必ずここに泊まるからね。魔物が怖いなんて言ってらんないよ。どこ行ったって、魔物だらけなのは変わらないし」
「たくましいな」
間もなく日が落ち、街には灯りがともり始めた。西の空が薄ぼんやりと赤いのは、谷から吹き上げる炎のせいであろう。
賑やかな食堂に、ヨウ等四人がテーブルを囲んでいた。楽しそうに食事をする回りの人々とは対照的に、四人は真剣な顔をしていた。
ヨウが言った。
「どうにか無事、炎の谷を渡る手はないか」
「エリヤ、なんか知らないの。いろんな事知ってるじゃん」とシード。
「……炎の魔物は、人間のかなう相手じゃない」
エリヤがぼそっと呟いた。
「知ってんのか」
「魔界の四天王の一人だ。あれに対抗出来るのは、魔王と、同じく四天王の一人、水の魔物だけだと聞く」
「リュウナの魔法があるじゃん。凍らせる魔法」とシードが言う。
「自信ないわ」
いつになくしおらしいリュウナに、エリヤが軽く頷いた。
「谷の上からではたいしたダメージを与えられない。リュウナが火の谷に飛び込むか」
「戦う前に、リュウナが焼け死ぬな」とヨウ。
「却下。それはだめ、絶対だめ」
シードが両手を広げる。
「抜け道もないようだな」
「……」
四人は沈黙した。やがてその沈黙をエリヤが破った。
「炎の魔物に気付かれないように、静かに渡るしかないだろう。まともに戦っても勝ち目はない」
いつも強気なエリヤらしくない言葉に、他の三人は敵の強大さを感じた。四人の間に重い空気が流れた。
夜が明け、炎の谷に朝日が昇り始めた。
炎の谷の手前に馬に乗った四人が、吹き上げる炎を見ている。
炎を測っていたエリヤが、無言でヨウに合図した。先頭にヨウ、続いてシード、リュウナ、エリヤの順に、四人は並足で一本道を渡り始めた。道の両脇の谷からは絶えず炎が舞い上がっている。炎の魔物に気付かれないよう、四人は静かに渡った。
道の三分の一まで行った時、突然谷の炎が大きくなった。
「やばい。全速力で突っ走れ」
エリヤはみんなに叫ぶと、四人は馬に鞭を入れ走り出した。
「うわああ」
先頭を走るヨウが振り返ると、すぐ後ろを走っていたシードが炎に包まれ谷に引きずり込まれている。
「シード!」
止まろうとするヨウにエリヤが叫ぶ。
「止まるな!走れ!ヨウ」
ヨウの頭の上を炎がかすめる。慌ててヨウは馬を走らせた。
三人は頭をかがめ、炎をよけながら、何とか向こう岸に渡りきった。
炎の届かない安全な所まで行った所で、三人は速度を緩めた。
ヨウはそこで馬の向きを変えた。
「シードを助けに行って来る」
「無駄だ。よせ」
興奮しているヨウに対し、エリヤは冷静に言った。
「シードを見殺しにする気か」
「もう助からない。人間が戦って勝てる相手じゃない。行っても死ぬだけだ」
「シードと俺はガキの頃から一緒で、兄弟みたいなもんなんだ。俺はあいつを助けに行く」
「だめだ。これ以上人数を減らしたくない」
「お前には血も涙もないのか。よく仲間が死んで平気な顔していられるな」
「俺には涙を流す暇などない」
「いい。一人で行く。俺は死んでもシードを助けに行く」
「世界の平和はどうなるんだよ!」
エリヤが声を荒げて怒鳴った。
「ここで俺達が死んだら、誰が世界を平和にするんだ?え?ここまできて、投げ出すのかよ?俺は無駄死にする気はない。先に進むしかないんだ」
感情を露わにするエリヤを、ヨウは初めて見た。ヨウはエリヤの目を見つめた。しばらく無言で見つめ合った後、ヨウは言った。
「そうだな。シードの死を無駄にしたくない」
そう言ってヨウは馬の向きを変えた。
「行こう。魔物が来ないうちに」
エリヤは、いつもの冷静な口調に戻っていた。
三人が木立の中を進んでいくと、神殿が姿を現した。長い間、誰も訪れなかったとみえて、石で作られた神殿の柱には蔦が蔓延り、床石の隙間からは雑草が生えている。
神殿の入り口で三人は馬を降りると、朽ちかけた木の扉の前に立った。
ヨウは息を潜めて扉をそっと押した。扉は、ギギギ、と錆び付いた音を立てて開いた。
神殿の中は薄暗い闇だった。石の壁の隙間から微かに明かりが差し込んでいる。三人は目を凝らして部屋の中を見た。リュウナは、壁のランプを見つけると、火を点けた。
ランプの明かりが室内を照らす。
「うっ」
ヨウが唸った。
ランプの光をうっすらと浴びた部屋の奥には、人間の十倍もの背丈の、恐竜のような魔物がこちらを睨んで立っている。魔物の後ろにある箱の中に、おそらく入っているであろう光の玉。しかし、魔物は今にも飛びかかって来そうである。
エリヤは身構えて言った。
「俺が魔物の相手をする。その隙に光の玉を奪って逃げろ」
「ああ」
ヨウが答えたその瞬間、魔物の身体が大きく伸び上がった。三人は咄嗟に左右に跳んだ。エリヤが横に回り、魔物の横腹に剣を突き刺す。が、魔物は大きく体をくねらせ、エリヤをはじき飛ばした。ヨウも剣で斬りつけるが、鋼鉄の皮膚なのか、深い傷を負わせることができない。
リュウナが魔法で手の平から炎を発射し攻撃する。頭に直撃した炎は、魔物にいくらかのダメージを与えたようだ。怒った魔物はリュウナの身体を爪ではじき飛ばし、口から炎を吐いた。リュウナは壁に強く打ち付けられ、炎がリュウナの身体を焼いた。
「リュウナ」
慌ててリュウナに駆け寄るヨウ。魔物は炎を吐き続け、エリヤは炎を避けるのに精一杯だ。リュウナの服の火を消すと、ヨウは魔物の足に斬りつけた。魔物の身体が傾いた。その隙に、エリヤが魔物の目にナイフを投げた。ナイフは見事、魔物の目に突き刺さった。悲鳴を上げる魔物。ヨウとエリヤは攻撃の手を休めず、戦い続けた。
やがて、長い闘いの末、魔物は苦しい声を上げながら倒れた。ヨウとエリヤはほっとして、汗を拭った。その時、魔物の目が青白く光った。ハッとしたエリヤは、素早く跳躍し、倒れたままのリュウナに覆い被さった。次の瞬間、魔物の目から光線が発射され、エリヤを直撃した。同時に魔物は自爆し、ヨウの身体は爆風で飛ばされた。
「いたたた」
ヨウが身を起こすと、炎に包まれているエリヤの姿があった。ヨウは慌てて立ち上がり、エリヤの火を消した。エリヤの服も皮膚も焼けこげボロボロである。
「大丈夫か」
「俺はいい。リュウナを早く医者に」
「お前こそひどいケガだ。なんでリュウナをかばった。お前、やっぱりリュウナのこと」
エリヤはあえぎながら言った。
「リュウナは龍の子供だ」
「え」
「リュウナが死んだら、永久に平和は戻らない……リュウナを早く」
「わかった。任せろ」
エリヤは、震える手で、ヨウに自分の剣を差し出した。
「光の玉を手に入れたら城へは戻るな。この剣を……リュウナを連れて、アヴァル村のセグラントの所へ行って、この剣を見せろ。いいな」
ヨウは剣を受け取った。
「アヴァル村のセグラントだな」
エリヤは力なく微笑む。
「お前、本当は何者なんだ」
「ヨウ、リュウナを守れ……」
エリヤの目が閉じられた。
「おい、エリヤ、エリヤ!」
ヨウは少しの間、エリヤの身体を抱えていた。やがて立ち上がり、剣を腰に差した。そして、光の玉を取り背中の袋に入れると、リュウナの身体を抱き起こした。リュウナの胸に耳を当てて確認し、言った。
「リュウナ、今、医者に連れてってやるからな。しっかりしろ」
ヨウはリュウナの身体を抱きかかえ、神殿を出た。
ヨウは、リュウナを抱きかかえたまま馬に乗ると、炎の谷の一本道を、炎をかいくぐり疾走した。
「死ぬな、リュウナ」
カムラン村の病院では、病室の外でヨウが床に座っている。
そこへドアが開き、中から医者が出てきた。
ヨウは立ち上がって、医者に訊いた。
「リュウナは、大丈夫ですか」
医者は首を横に振り、言った。
「ひどい火傷だ。生きているのが不思議なくらいだ」
「そんな」
「やるべきことは全てやった。後は本人の生きる力だけだ」
ヨウが病室に入ると、ベッドにリュウナが寝ている。その顔は血の気がない。
ヨウは、そっとリュウナのベッドに近寄ると、リュウナの手を握った。
「リュウナ」
ヨウの呼びかけにも、リュウナは全く反応しない。
「リュウナ」
再びヨウは言うと、ベッドの横に跪いた。
「死なないでくれ、リュウナ」
ヨウは、懇願するように言った。
「家族が死に、友達が死に、シードが死に、エリヤも、みんな死んじまった。リュウナ、お前が死んだら、俺はひとりぼっちだ」
ヨウの目からは、涙がこぼれていた。
「リュウナ、お願いだ、俺を一人にしないでくれ」
翌朝、病室の窓から朝日が射し込んで、ベッドの上のリュウナの顔を照らした。その光がリュウナを目覚めさせたか、リュウナの目が開いた。ベッドの横には、リュウナの手を握ったまま居眠りしているヨウがいる。リュウナは、ヨウを見て微笑んだ。
「すごい生命力だ。傷はほとんどふさがっておる。もう心配ない。この調子なら二、三日で歩けるようになるだろう」と医者は言う。
「ありがとうございました」
ヨウは、深々と頭を下げ、病室を出ていく医者を見送った。
ヨウはリュウナに温かく微笑みながら言った。
「良かった。リュウナまで死んだらどうしようと思った」
「リュウナまで、って、じゃあ、みんなは……」
「エリヤも死んだよ。魔物からお前を守って」
リュウナは何も言わず、布団を被った。
その後、リュウナは日に日に快復していった。当初はヨウに支えて歩いていたリュウナも、すぐに自力で歩けるようになった。
温かい日差しの中、カムラン村の公園をゆっくり歩くヨウとリュウナの姿があった。
「こうしていると、戦いの日々が、うそみたいね」
「これからはずっと、こんな日が続くんだ」
ヨウは日差しと同じくらい穏やかな微笑みを浮かべていった。
「そうね」
歩きながら、ヨウはエリヤの事を思い出していた。恋人が五人いると言っていたエリヤ。あの時は冗談だと聞き流していたが、もしかしたら本当に恋人がいたかもしれない。エリヤの恋人は、彼の死を知らず、今もエリヤを待ち続けているのだろうか。
突然、ヨウは立ち止まると言った。
「結婚しよう、リュウナ」
「え」
リュウナは驚いてヨウを見た。
「世界が平和になったら、俺と結婚してくれないか」
リュウナは、驚いた表情でヨウを見つめたままである。
「だめかな」
照れくさそうに言うヨウを、リュウナは無言で抱きしめた。リュウナはヨウの首に手を廻すと言った。
「世界に平和が訪れたら、剣を捨てて、静かな田舎の村でのんびり暮らすの。ヨウと、子供たちと」
ヨウはリュウナのくびれた腰に手を廻した。
「俺は庭で野菜を育てて、リュウナがおいしいご飯を作るんだ」
「すてきね」
ヨウの肩越しに、リュウナの目は遠くを見ていた。
「愛してるわ、ヨウ」
やがてリュウナが全快し馬に乗れるようになると、二人は再び旅立つ準備をした。
カムラン村の門前に立つと、リュウナは言った。
「さあ、メロットへ急ぎましょう」
「いや、メロットへは行かない。アヴァルへ行くんだ」
「アヴァルへ?どうして」
「アヴァルのセグラントを訪ねろって、エリヤが死ぬ前に言ったんだ」
「セグラント……」
リュウナは不思議な顔をした。