そして青年は牙を剥いた(4)
選抜試験から5日後。
ドネルの隊は帝都に向け村を発った。そこには試験合格者の6人も一緒だ。総勢28名の小さな、しかし強力な小隊だった。
ドネルはそのカリスマ性から、次期騎士卿と目されるほどの力を持ち、剣技大会では優勝する腕前だった。そんなドネルについていけるというのは、ちっぽけな村の出身のレックにとってはたまらなく興奮するイベントと言えた。
「やっべえ、やっべえな!!!ドネルさまマジでかっけえな!!!」
16歳とは思えないほど無邪気にはしゃぐレックに、リヒターも同調した。
「すごいね!歩くだけで威圧感があるよ!!どれだけ修練を積めばあんなふうになれるのかな!」
その様子を兵たちはほほえましく見守りながら進んでいく。2列で進み、前に10名、ちょうど真ん中にドネルとバトラー、その後ろに合格者6名と続き、後ろを歩く10名と隊列を組んでいる。道は林を貫くようにほぼまっすぐ伸びており、兵は適度に周辺を警戒しながらも順調に進んでいった。
「休憩にしましょう」
バトラーの声。道の脇の草むらに各々がしゃがみこんで休憩を取る。ドネルが皆に語りかけた。
「皆、すまない。本当なら私の魔術を使って帝都まで行くのだが」
謝るドネルに対して、兵達は畏れ入ったように口々に答えるのだった。気にしないでください。たまには運動しないと。三日も歩けばたどり着きます。ドネルさんも疲れたら教えてくださいね、おぶりますよ。
和やかに笑いあう。ドネルの隊は結束が非常に固いことで知られている。
「ドネルさまも魔術を使えるんですか」
レックが質問した。隣に座るドネルは、鉄仮面の口許だけ開いて水を飲んでいた。
「ああ。シャンテ村に向かう時は魔術を使った。帰りも使えたらよかったのだが、私は一度に25人までしか運べないのだ。まさか合格者が6人も出るとは思わなかった。ははは」
魔術には負担が伴う。負担は「対価」という形で現れることもあれば、「消耗」という形で現れることもある。円環の石はあくまで「魔界」との扉を開くもので、そののちにもたらされる「結果」を生むのはあくまで術者である。
レックやリヒターが反応に困っていると、バトラーが助け船を出した。
「君達は火を点けることがあるかい?」
若く、身長もそれほど大きくなく、穏やかな顔つきのバトラーは穏やかに質問した。レックもリヒターもうなずく。
「うん。その時、どうやるか教えてもらえるかな」
「えっと、まず薪を組んで、焚き付けを真ん中に押し込んで、火打石を叩いて火花を使って…」
「そうだね。そして火がつく。手順が必要だよね。そして『火がつく』という結果になる」
「うん」
「魔術で火をつけた場合、その手順を全てすっ飛ばして『火がつく』という結果をこの世界にもたらすんだ。いきなり薪に火をつけてもなかなか点かないだろう。だが魔術はそれを可能にする。その代わり、術者…魔術を使った者は『手順を飛ばした』分の何かを支払わなくてはいけないんだ」
本当はもっとややこしいやり取りをしてるんだけどね、とバトラーはにやりと笑った。レックとリヒターは少しわかったような顔をしている。バトラーはまたひと口、水筒から水を飲んだ。
「ドネルさまは25人を同時に移動することが出来る。しかし、その対価は25日間の昏睡なんだ。僕ら帝都警備隊は1か月に5日までは休みがもらえるが、それ以上休むと給料を減らされてしまう。25日以上眠るとドネルさまの給料が減らされてしまうということだな。それはあの方にとって非常に困る事なんだ」
疑問がすべて晴れてレックは深く頷いた。しきりにうんうんと頷いている。
「あの、ひとつ質問してもいいですか」
リヒターが問うた。もちろん、とバトラーは快諾する。
「魔術って、円環の石があればだれでも使えるんですか?」
レックは確かに!と同調した。魔術を使うということ憧れや執着を抱く者は多い。
「そういうわけでもない。いくつも条件があるんだ。それに訓練も必要だ。そしてなにより、訓練したからと言って魔術が扱えるとは限らないんだ。僕も死ぬほど訓練したけれど、ついぞ魔術は発動できなかった」
バトラーは少しさみしそうな顔で言った。だが、すべてをやりきった清々しさも感じられた。
「さぁ、休憩はおしまいだ。歩くぞ!」
朗々と声を上げる。帝都を目指して進むのだ。
一行が休憩を終え、歩き始めてほどなくして林を抜けた。
そこはヘロダスティア平原。オルシャータ帝国の始まりの地とされる、神聖な平原だ。そこには一切の植物が生えていない。樹木は勿論、草花さえここでは生きることができない。不毛の地、死の荒野。それでも、オルシャータ帝国の人々はここを聖なる土地として崇めている。
ドネルがぽつりと言った。
「やはり、ここは異様な場所だ」
魔力が一切感知できない、現実世界で唯一といえるような空間であり、逆に言えばここはもっとも安全な場所ともいえる。魔術による現実干渉がないというのは一種目視できる人間にだけ注意を払えばいいということだからだ。魔力なしに魔法は現実に結果を残せない。オルシャータ帝国は戦時に必ずこの平原に中心基地を設置して戦ってきた。南の一大国家として成立するためにこれは欠かせない要素だった。他国が魔術による情報収集で潰しあう中、オルシャータ帝国は情報戦で完全に魔術をシャットアウトし、国土を守るどころか幾ばくかの拡大にも成功していた。
「平原で夜を迎えたくない。カサド山の麓で夜を過ごそう。あそこなら水辺もすぐだ」
おお、と声をあげ、一同は進んだ。日はまだ高かったが、徐々に西に傾きつつあった。
「…レック」
平原を半分ほど過ぎたとき、リヒターがぽつりとつぶやいた。
「あん?」
「なんかおかしいよ」
「なにが」
リヒターの様子は異常だった。妙にあたりを気にしている。汗も普通ではない。あたたかい日とはいえ、そこまで汗だくになるほどの気温ではない。
「さっきまでと違う。なんか、こう…」
リヒターの感じていた違和感を、訓練を積んだ騎士であるドネルは鋭敏に感じていた。
「西の方角!!各自警戒せよ!!!」
各員が抜刀する。リヒターとレックは武器を持っていない。しかたなく、中腰で西の方の様子を見た。
何かが飛んでいる。こちらに近づいてきている。
「魔術だ!!!!!伏せろ!!!!」
ドネルの怒号。兵達は敏捷に反応して伏せた。6人の訓練生候補が一瞬遅れた。飛んできていた何かは巨大な石だった。直径が5mほどの岩石が、猛烈なスピードで隊列に迫っていた。
(敵の姿が視認できない!平原外からの遠距離魔術だ…だが、こんな大規模な魔術、どれほどの対価を支払えば行使できる?人間が何人死ねばこの結果を現実に定着できる?小規模かつ戦略的になんの脅威にもなっていない我々を攻撃するメリットと魔法公使のデメリットが釣り合っていない!!)
伏せながらドネルは困惑のあまり思考を止められない。ふと後方を肩越しに見た。
レックはすでに伏せ、頭を抱えている。
リヒター。この少年は。
魔法による現実干渉の結果である隕石を、じっと見つめていた。
「リヒター!!伏せろ!!!リヒター!!」
ドネルの悲鳴のような声。隕石は隊列の1㎞ほど西に衝突した。レックがリヒターのズボンのすそを引っ張る。ふせてくれリヒター。どうしたんだ。そんなような、悲痛な目がリヒターを見つめている。しかしリヒターは衝撃波と共に立ち上がった爆炎と砂埃を凝視している。
「あれはただの隕石ではない!!!魔法の現実干渉だ!!!クソッ!!!ちくしょう!!!」
ドネルの怒りの叫び。隣でむせび泣くバトラー。兵士たちの間にも動揺が広がっている。
皆、幼いころから両親に聞かされている教訓や訓話がある。多くはおとぎ話と交えて、わかりやすく教わるものだが、ひとつだけ内容をストレートに聞かされているものがある。
「いいかい、リヒター。魔法の後には近寄るな。もし近づいてしまうと、魔力がお前さんを連れて行ってしまうんだ」
あれは祖母の言葉だった。アネラと森に遊びに行くと報告した時、祖母がひとつだけ注意した言葉。
村の中で起こる行方不明事件。森で起こる神隠し。人間が消える時、そこには魔法が働いている。
衝撃波が隊列を襲う。
剣術指南塾の女の子はそれに飛ばされてしまった。悲鳴だけが残った。
岩石の破片が飛んでくる。バトラーは頭をその破片に射抜かれて死んでしまった。
爆炎が襲う。ただの隕石ならばありえない。だがこれは魔術による現実干渉。ドネルは焼け死んだ。
衝撃波が通り過ぎた。
28人の隊列はいまや6人になっていた。リヒターは棒立ちだったにも関わらず、傷一つ負わずに突っ立っていた。
足元のレックを見る。ほんの数十㎝、西にいたレックは火の玉の直撃で燃えてしまった。体が丸まり、苦悶の声を上げていたであろう口の形以外がわからない頭や握られた拳が見えた。
リヒターが戦った、軽装の兵士が叫んだ。
「『招き還り』が来るぞ!!!走れ!!!」
皆走り出した。
魔術によってもたらされる結果は「隕石の衝突、それに伴う爆炎と衝撃波、岩石による同心円上の破壊」。それが既に「起こった」場所は、魔界に引き戻されていく。それはちょうど、栓をした空の瓶を水の中に沈めるのに似ている。「水中の空気」という結果をもたらしたあとは、その栓が抜かれ、水で満たされる。
隣り合った魔界は、現実世界との均衡をこうして保っている。否、魔界内部の物質量は常に一定に保たれ、現実で消費された分は現実の物質を吸収することで補われる。それは空気でも良い。土でも樹木でも、建物でもなんでもいい。生物だろうがなんだろうが構わない。魔界の中ではすべて魔力に還元される。
リヒターは走った。
しかし、もう遅い。
左側から大量の魔力が吸い上げられる感覚があった。
翌日。
オルシャータ帝国の掲示板に小さな紙が貼られた。そこにはこう書かれている。
「ドネル隊22名 行方不明 6名の訓練生と共に」
と。
お読みいただいて本当に感謝です。ありがとうございます。
これでようやくプロローグ終わりという感じでしょうか。次からお話は展開していく…はず!
これからの冒険の始まりをどうぞお楽しみに。