第9話 約束/少年
通常の光ではその者の姿は判然としないだろう。だが、グラウザーの目は機械の目、普通の生身の人間を越えた人工の目である。その目に写る映像の周波数を変え、赤外線の暗視映像をだぶらせる。そして、暗闇の中に佇む声の主を彼は探し出した。
「お父さん、お父さん、どこ?」
小さいそのシルエットは、自分の父親を探して歩き出していた。グラウザーはそこに駆け寄る。そして、少年に己れの呟きを語りかける。
「お父さん?」
グラウザーの心の中に沸いた疑問からその言葉は思わず出てしまった。グラウザーはその首をかしげると、その少年の顔を見つめた。
暗がりの中にも微かな灯りはある。少年からもグラウザーの姿は見えるらしい。あいも疑問いっぱいの表情で少年を見つめるグラウザーに、その少年は微かな呟きで返事を返す。
「うん」
少年はそれっきり答えない。グラウザーからの返事をじっと待っているのだ。だが、グラウザーの疑問に満ちた表情はやむ気配が無かった。グラウザーはその少年に問うた。己れの中の素朴な疑問を。
「お父さん、って……何?」
グラウザーの疑問はひたすらピュアである。混じり物無しの100%な疑問だ。そもそも今のグラウザーには〝肉親〟と言う概念がまだ理解出来ていない。社会的な人間同士の関係性をようやく理解し始めたばかりなのだ。毎日、所轄の職場で目の当たりにする上司・部下の上下関係や、先輩後輩や同僚と言った概念はなんとか頭に入っていたが、生みの親と言う現実はアンドロイドの身の上故にか、飲み込みきれないのだ。
だが、グラウザーが少年に対して告げた言葉は普通の人間の基準では完全に的外れだ。そしてそれはその少年からしてもありえない問いかけでありショッキングなものだ。
少年は目の前に現れた分けのわからない相手に、その胸の思いをストレートに叩きつける。泣き腫らした顔で、思い切り息を吸うと、半ばやけとも取れる勢いでグラウザーに向けて叫んだ。
「お父さんって………お父さんは、お父さんじゃないか!」
当然だ。恐怖と不安が占める気持ちの中で、あまりにも支離滅裂なその質問は、その恐怖と不安の一部を小さな苛立ちに変えるには必要十分である。
「え? ええと――」
グラウザーの心の内に巨大な疑問を抱えた。理解と経験が不足しているグラウザーでは少年の吐き出した言葉を処理するのは困難だろう。次の対応にも戸惑うほどだ。
だが少年は、眼前の相手の奇妙な反応についに我慢し切れなくなった。大きな不安と小さな苛立ちが、少年をターミナルルームの入口の鉄扉の方へと走らせた。
「あ! 君!」
グラウザーの本能が少年を追わせた。理解は出来ないが判断は出来る。少年を助けなければいけないのだと〝感じる”のだ。
グラウザーは後を追いその少年の肩口に手を伸ばす。だが少年はグラウザーの手が自分の肩に触れるのに気付いた。嫌なものを振り切るように、少年は思い切り肩を振り回す。言葉ではなくその行動が少年のグラウザーに対する咄嗟の気持ちを現している。このまま無理に近寄っても無駄だろう。
走る速さをわずかに上げて、グラウザーは両の手をその少年の脇の下へと伸ばす。タイミング良く少年の身体を捕らえると、思い切り頭上へと掲げ上げた。
「わっ」
少年は思わず驚きの声を上げる。突然、自分の身体が宙に持上がれば、誰だっておどろくだろう。グラウザーはそのままその少年を自分の肩車すると、そして両腕でその少年の身体をしっかりと押さえる。少年が自分の身体にのったのを見計らってグラウザーは、声をかける。
「いっしょにさがそう」
その素直な言葉に少年はグラウザーに対する気持ちをすぐに変えた。
「ホント!?」
甲高くも力強い質問に、グラウザーはにんまりと笑って頷いた。
「やくそくだよ!」
「わかった、やくそく!」
少年が何かを思いたったかの様に自分の小指をグラウザーへと差し出す。グラウザーもその小指に習い指し出した手を自分の小指に替えて少年に答える。少年がようやく笑みを浮かべながらグラウザーの小指に自分の小指をからめている。それが何を意味するのか知らないグラウザーだが、それでも少年と交わした会話の内容を思い出し、その小指の意味を直感的に悟った。
「やくそくっ!」
「うん!」
少年が小指を振り回す。それに合わせてグラウザーの小指を振り回す。少年が意識せずともごく自然微笑んだ。そして、その少年の笑い声がグラウザーの心の底からナチュラルな笑いを引き出す。
言葉無く疲れ果てて横になっている者たちが居並ぶ中をグラウザーは歩き、その中に居るかもしれない少年の父親を見つけようとする。視線をゆっくりと振りながら歩いて行けば、彼のその肩の上で少年が父親を探して助け出された人間たちを熱心に見つめている。父親を探す事に夢中で、なんの返事も返さなくなった少年にグラウザーは話し掛ける。
「ねぇ?」
「なぁに?」
ふと、グラウザーの方に視線を向けると、また、あたりの人たちへと視線を戻す。
「君のそのお父さんて、どんな人かな?」
「うーん」
少年は少し考えた風になる。相応しい言葉が見つからないのか口をつぐんだままだ。
「それが解らないと、探せないよ」
少し困ったような口振りに急かされて、少年はとりあえず見つけた言葉をグラウザーに返した。
「おっきい人!」
「おっきいひと?」
少年は満足げに頷く。かたやグラウザーは少年の少しピントのずれた返事に眉間に皺を寄せ当惑していている。しかしそれを言葉に表さずに少年との会話を続けることにした。
「うん、お父さん背がとても高いんだ」
「へぇ」
「お父さん、野球が巧くてさ、よくキャッチボールするんだ」
「キャッチボール?」
「うん、でもボクはあまりうまくないんだ」
「そうか、うまくないんだ。なんでだろうね?」
「わかんない。毎日練習はしてるんだけど」
「ふうん。でも、お父さんが教えてくれるんでしょ?」
やさしくも柔和で澄んだ視線が少年を仰ぎ見ている。その視線に少年は答える。
「うん」
「だったら、きっと君もうまくなるよ」
「ほんと?」
「うん、ほんとだよ」
グラウザーの言葉は、不思議とその少年の心の中に染み入る様に入り込んで行く。先程まで、くしゃくしゃに泣いていた時の面影は、今のその少年には何も残っていない。グラウザーのその明るさが少年の心を輝かせていると言ったら言い過ぎだろうか。
「お兄ちゃん、野球する?」
「野球ってなに?」
グラウザーの返事に少年は素直に驚く。
「お兄ちゃん、野球やった事ないの?」
少年は、少し言葉を止めて考えたふうになる。
「よーし じゃ、こんどぼくとやろうよ!」
「キミと?」
「うん! ぼく教えてあげる!」
少年なりの精一杯の好意がおくられる。
「ホント! でも大丈夫かな」
「大丈夫だよ、お兄ちゃんにもできるよ!」
「わかった、きっとやろう!」
「やくそくだよ!」
「うん、やくそく!」
グラウザーが答えれば少年の方から手を差し出してくる。そして指きりをし、2人は笑い合った。
そんな中で、2人はターミナルルームを練り歩く。
だが、喜べるような出来事は残念ながら見つからなかった。
一人一人を確認しながら進む2人だったが、ついにラストの一人になった。
「この人?」
グラウザーの尋ねに、少年は弱々しく首を振る。よく見れば、少年の顔はまた再び泣き顔に戻りつつある。その泣き顔は、さすがにグラウザーの心に小さな傷みをもよおした。泣かせたくないと、グラウザーが思ったとしても不思議ではない。少年を泣かさないようにと彼なりに思案する。
「ねぇ、キミ」
「なに? お兄ちゃん」
返事にさすがに元気は無い。
「キミのお父さん、ここに居ないのかもしれない」
グラウザーは何かに気付いた。気付いたからこそ、低く冷静な声で告げたのだ。
だが皮肉にも、グラウザーの告げた言葉が、少年の胸に一抹の不安を呼び起こした。
「どこにいるの?」
少年のその問いにグラウザーは少し沈黙する。沈黙ののちに、少年を自分の肩から降ろすと近くの壁ぎわに彼を連れていく。そして、グラウザーは答える。
「今、さがしてくるよ。キミはここで待って――」
グラウザーの告げる言葉をさえぎり少年は叫ぶ。
「いやだ!」
少年の目がグラウザーを射抜いていた。真摯でひたむきな瞳がグラウザーに語りかけてくる。その瞳はグラウザーに、彼はなまじの言葉では納得しないだろうと、感じさせる。グラウザーは少年の両肩を掴むと、力を込めた声で語りかける。
「だめだよ、ここで待つんだ」
グラウザーのその頭脳で想定される状況を速やかにシュミレーションしていた。そして、想起される嫌な予感からも、その少年をいっしょに連れて行く訳には行かないと判断していた。とても危険な状態が起きているように感じられてならないのだ。
先ほどの火災は食い止めたが、それ以外の災害が起きている可能性は十分にある。有毒ガス、二次爆発、漏電、落下――考えれば数え切れないほどだ。それを思えばこの少年には、なんとしてもここで待っていてもらわねばならない。
そんなグラウザーの思いとは別に、少年にも切なる必死の思いはある。そんな思いが、グラウザーの言葉を受け入れなくさせている。
「お兄ちゃん、お父さんをいっしょに探してくれるって言ったじゃないか! 約束したじゃないか」
涙目で叫ぶ少年、その姿が少年の必死の叫びとともにグラウザーの視界に飛び込んでくる。グラウザーは言葉を無くす。
思案にくれてるグラウザーだが、ふと、その手に何かの感触を覚えた。濡れている、数敵の涙がグラウザーの手を濡らしている。真剣になってグラウザーは思案した。何よりも、その少年の思いが今のグラウザーの心の中を占めている。
その瞬間、グラウザーの脳裏の中、判断は決まった。
「名前は?」
そっとグラウザーは尋ねる。
「ひろきだよ」
「ひろき。いっしょにきてもいいけどそのかわり約束して欲しい」
「そのかわり?」
グラウザーが少年をじっと見つめていた。
「泣いちゃだめだ」
「――うん」
少年はそっと頷く。グラウザーの言葉を胸の中に納める。そして、自分の手で浮かべた涙をぬぐう。
「じゃ、お父さんを、助けに行こう」
グラウザーの言葉に少年は頷いた。グラウザーはそっとその手を差し出し、2人はしっかりと握り合う。そして、少年はグラウザーに手を引かれながら、その先へと進んだ。
















