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3:午後4時:東京湾中央防波堤外域/東京アバディーン

 それは東京の都心部の海へとはみ出したエリアだ。

 かつて首都圏で排出される廃棄物の集積場であり、埋め立てが完了してからは世界的なスポーツの祭典の競技会場として、その後は自然公園であり、あるいは新たな市街区として開発が進められていた。

 正式名称、東京湾中央防波堤外域、江東区に所属し、その開発目的や参入企業が目まぐるしく変転し、紆余曲折の末に現在では首都圏に身の置き場の無い不法滞在外国人の寄り集まった巨大スラムとして成立しつつあった。

『ならず者の楽園』

『絶望の町』

『デッドエンドタウン』

『屍街』


――様々な呼び名が存在しているが、最もよく呼ばれる俗称がある。


『東京アバディーン』


 その言葉自体には意味はない。ただ誰が言うともなく呼びはじめた名であった。

 今や東アジア最悪のスラムとまで言われており、国際色豊かな多種多様な人種のソサエティが寄り集まっていた。

 そこは悪徳の天国。

 そこに存在するルールはただ一つ。強い者が生き残る。ただそれだけである。

 

 そしてどんな街にも弱者は存在する。

 異なる異人種が混沌とした状況下で隣接して暮らしていれば、当然、純血で他の民族の血が混じっていない者だけが安住の地を得ることができる。だが少しでも混ざっており、混血と言うレッテルを貼られるのであれば、出自を隠して息を潜めて生きていくしか無い。それが親無しで戸籍もないとなれば生きるすべはもはや存在しないと言っていい。

 だが――

 それでも人は生きる。死にものぐるいで這い上がり、同じ様な境遇に者たち同士で肩を寄せ合いながらしぶとく生き残ろうとするだろう。なぜなら〝生きる〟と言うことは人として最も根源的な欲望だからである。

 その街の片隅にて暮らしているとある子供たちが居た。ほぼ全員が混血であり、親も居ない。さらには無戸籍であり国籍すら無い。社会的には居ないも同然の子どもたちであった。誰が言うともなく『ハイヘイズ』と言う名で呼ばれていた。かつて中国で存在した戸籍のない非合法児に大して付けられる『黒排子』から取られた呼び名である。


 誰からも見捨てられ、すがるべき同胞すら居なかったとしても彼らは必死に生きていた。

 その彼らを率いているのは僅か15歳の少年であった。彼の名はラフマニ――親の居ないアラブ系の混血児である。

 

 その日、ラフマニはとある人物をともなって、東京アバディーン南部の荒れ地の多いエリアへと赴いていた。別なとある有力者と会うためである。10月初頭とは言え東京湾の海風が吹きすさぶ荒れ地はかなり肌寒い。ラフマニはその寒風を避けるかのように、擦り切れた薄汚れた上下つなぎに作業帽、そして年代物の革ジャケットを身に着けて居る。そして待ち人が来るのをじっと待っている。

 彼の傍らに人影はなく、道端に放置されたワンボックスの廃車が転がるだけである。

 そしてアスファルトの路上の彼方から待ち人が来るのをじっと待っていたのだ。

 

「そろそろ午後4時――約束の時間だよな」


 ラフマニは時計は持っていない。当然、そんな余裕などない。だから待ち時間が指定されている時は指定時間より早く約束の場に到着して、相手が訪れるのを待つことにしていた。その日も約束の1時間前から待っていたのが、それは彼にとって日常茶飯事である。

 10月に入った埋め立て地は冷えた海風が吹きすさんで肌に斬りつける。だがラフマニはじっと待ち人が来るのを待っていた。道の彼方を眺めていれば彼が待ち望んでいた物は、ついに姿を現した。

 

 黒塗りのベンツの最新型、それも最新鋭の防弾装備が施された特注車である。無論、ガラスは全面スモークで中を伺うことは困難だ。それでもラフマニにはそれが誰なのかは既に解っていた。


「来たか」


 ラフマニは静かにぼそりと呟くとその黒塗りの車両の動きをじっと見ている。黒いベンツはラフマニから20メートルほどの距離を置いて停車する。そしてエンジンを止めぬまま助手席の扉が開き中から姿を現したのはラフマニと年齢的には大差ないロシア系の青年である。彼はラフマニの方に軽く視線を向けると警戒と緊張を解くことなく助手席の真後ろの座席の扉を開けた。


―ガチャ―


 重い開閉音が響く。防弾ガラスであり強化フレームが仕組まれているためだ。普段からどれだけの警戒手段が施されているかわかろうというものだ。

 そして開けられた扉の向こうからとある人物が姿を表した。


「ご苦労さん」


 妙齢の中年女性の声がする。言語はロシア語。ややガラガラ声なのは葉巻と酒が理由であった。

 幾分、恰幅の良い体に派手目な花がらのサックドレスを纏い、その上にミンクの毛皮コートを羽織っている。指にはプラチナやダイヤをいくつもあしらった豪奢な指輪を何本も嵌めている。場所が荒れ地である事を考慮したのだろう、スエード地のショートブーツを履いている。その足取りはしっかりしていてこういう土地でも場馴れしているのがよくわかる。

 その女性の見た目は歳のころ40は過ぎだろう中年のロシア人女性だ。見事なまでの恰幅の巨体であり歳こそ召しては居るが、若い頃の美女の片鱗が垣間見える。ショートヘアに切りそろえたブロンドの髪の下で青い瞳が鋭い視線を放っていた。

 この威圧感に満ちたロシア人女性の名はノーラ ボグダノワ。とある組織を束ねる首魁である。


 埋立地の最果ての未使用エリア、その荒れ地の上に佇むのは黒塗りの防弾仕様のベンツと打ち捨てられたワゴンの廃車、そしてそれらを背後にしながら二人の人物が向かい合っていた。

 混血孤児の集団『ハイヘイズ』の青年、ラフマニ――

 威圧感に満ちたロシア人女性、ノーラ・ボグダノワ――

 それは余りにも相反するシルエットの二人である。普段なら相容れるはずがなく、同じ空間に居ることすらありえないだろう。だがそんな二人の間で先に声を発したのはラフマニの方である。

 ラフマニはアラブ系の混血、父方がアラブ系なのは解っているが母方の血筋はわからない。ただ純血でないことは知られていて、それが彼の生きる上での足かせとなっていた。その色の濃い素肌や黒い髪を伴いながら、ラフマニはノーラ・ボグダノワに問いかけた。


「呼びかけに応えてくれてありがとう。まずは礼を言うよ。ママノーラ」


――ママノーラ――


 それはノーラ・ボグダノワに対して周囲が呼びかける尊称だった。ノーラはマフィアの首魁であったが、それと同時に自らが女性である事に矜持を抱いている、そう言う人間である。ノーラはラフマニの問いかけに口元に笑みを浮かべながら答え返した。


「へぇ、身なりと出自の割には礼儀をわきまえてるじゃないか。名前は?」

「ラフマニ、名字は知らねえ」


 名字を知らない――、それは嘘だ。ラフマニ自身は知っているが名乗りたくないのだ。その理由をノーラは風聞で知っていたがあえて問い詰めなかった。

 

「それじゃ、坊や、要件と行こうじゃないか。あたしも忙しい身なんでね」

「あぁ、わかってる」


 ラフマニがそう答えたときだ。それまで静かに笑みを浮かべていたノーラだったが、不意にその視線が鋭くなる。彼女の出自と生業があからさまになった瞬間である。


「それで取引ってのは? くだらない内容だったら殺すよ」


 殺す――、ノーラはそうはっきりと告げた。

 

「なにしろあたしらロシアン・マフィア〝ゼムリ・ブラトヤ〟を動かしたんだからね。それ相応の意味と中身のある取引でなければそれは〝侮辱〟でしかない。こっちにもメンツってもんがあるからね。ガキのくだらない呼び出しに付き合ったなんて知られたら軽く見るやつが出てくる。いいかい? 坊や、あんたはそれだけ『重い相手』を動かしたんだ。それ相応の取引を用意できてるんだろうね?」


 ノーラはロシアン・マフィアである。

 ゼムリ・ブラトヤ、『大地の兄弟』の意味を持ち、極東ロシアを拠点とする歴史の古い正統派のロシアン・マフィアである。ノーラはその首魁としてこの日本へと進出をかけてきたのだ。無論、プライドもある。組織として敵対勢力や競争相手に張り合えるだけの畏怖と威厳が求められる。それがノーラと言う女傑の双肩にどっしりとのしかかっているのだ。その彼女を動かした――、それは生半なことではないのである。

 そしてノーラは問う。ラフマにの真意を。

  

「それで何が欲しいんだい?」


 シンプルな問いかけだった。取引とは欲しいものが有るからこそ持ちかけるのである。そしてそれに見合う代価を用意できるからこそ取引は成立するのだ。これは合法・非合法を問わず、世界のあらゆる土地で成立する話である。

 じっとノーラがラフマニの返事を待てば、少しの沈黙を置いて真摯な視線のままでラフマニは口を開いた。

 

「何もいらないよ、ママノーラ。ただ――、あなたが俺みたいな街のゴミみたいな混じり物の孤児に対等に話を聞いてくれた。呼び出しに応じてくれた。その『事実』が俺には、いや――俺たちには必要だったんっだ。俺たち親の居ないハイヘイズのガキたちにはね」

「何も要らない? 正気かい? あんた! 物乞いでもすりゃ、小銭の少しでも毟り取れるかもよ?」

「いらねえよ。そんなの。俺は下を向いて這いつくばって生きるつもりはない! たとえ虚勢でも胸を張って前を向いて風を切って生きる。そう決めたんだ。あんたたちへの呼びかけだってその1つだ。行きていくためにどうしても必要だったんっだ」


 ノーラはあえて嘲りを仕掛けた。相手の度量の深さを探ったのだ。だがラフマニは自ら誰かの足元にひざまづくような物乞い少年では無かったのだ。ノーラはラフマニに問うた。

 

мальчик(少年)、何を考えてるんだい?」


 当然だ。取引を仕掛けているのに欲しいものはないという。コレほど不可解なものはない。だがそれに対する答えをラフマニはすでに用意していたのだ。

 

「俺たちハイヘイズは後ろ盾がない。すがるべき民族も集団もない。だからこの街じゃ一番弱い。殴られようが、殺されようが、誰もなんとも思わないゴミみたいなもんさ。でも、この世に生まれたからには相手に噛み付いてでも自分が生きる場所を掴み取るしかない。それにだ、俺の後ろには下は1歳から上は14まで沢山のガキたちが腹を空かせて待ってる。どんなに無様でみっともないことをしてもその日の食うものを見つけてやらないといけない。でも今はそれよりももっと厄介な問題が起こってるんだ」

「厄介な問題?」

「あぁ」

「聞かせな」


 ノーラはラフマニの言葉を遮らなかった。そして彼らが抱えている重要な問題に耳を傾け始めたのだ。

 

「〝誘拐〟だよ。連れ去って金に変えるのさ。奴隷、ペット、臓器移植の苗床、人体実験の材料――なにしろ人間の子供は金のなる木だからな。何をしてでも連れていきたい連中はいくらでも居るさ。今年はすでに4人やられた。3人は取り返したけど、1人は質の悪い闇医者につれてかれた後だった。何をされたかは分かるだろ?」

「あぁ、生きのいい子供の中身を欲しがる豚野郎はどこにでも居るからね」


 移植用臓器は世界中のどこでも不足している。闇市場で金銭で売り買いされているケースも後を絶たない。それが子供用となればなおさら数は足らない。だから闇マーケットでは移植用臓器は高額取引の対象となる。ビジネスになるなら商品の仕入れは必須だ。ノーラは目の前の混血の少年が置かれた世界に苛立ちと義憤を感じずには居られなかったのだ。

 

「でもなんとかして子供らを守ってやらないといけない。そのためにはどうしたら良いのか? それだけを必死に考えた。そして見つけたのがこの方法だったんだ。つまりこう言うことさ――

 たとえ、俺達みたいなハイヘイズのガキでも、実力のある〝誰か〟が俺たちと対等に話をしてくれたら。たとえその取引の中身がどんなものだったとしても周りはこう考えるだろうって考えたんだ。『このガキどもは一体どんな繋がりを背後に持っているんだろう?』って勘ぐるだろうってね。

 たちの悪い連中だって馬鹿じゃない。相手の奥底が見えてこない場合、どんなリスクが隠れているかわかったもんじゃない。うかつに手を出して損失を被るくらいなら別の儲け手段を探したほうがいいって考えるだろう。そしてそういう状況に俺たちの立場を持っていく必要があった。そこで迷惑をかけるとは思ったけど、その交渉相手に選ばせてもらったのが――」

「アタシらって事かい?」


 ノーラが問い返せばラフマニははっきりと頷いた。ラフマニが仕掛けたトリックと企みを耳にしてノーラもため息を吐かずには居られない。


「なんてやつだ――、そこまで考えてるなんて。たしかにアタシらが対等にこうやって話し合いを持てばあんたらの素性や背後関係についてアレコレと勘ぐらずには居られないだろうね。それにアタシらには直接には大きな影響はない。なるほど、だからあんたアタシをこんな荒れ地に呼び寄せたんだね? 交渉と話し合いをあくまでも自分の領域で進めたという〝事実〟のためにね。とんでもないタマだね、あんた」


 ノーラは大きくため息をついた。眼の前の15〜16の少年がそれだけの仕掛けを思いついたのだ。だがそれに呑まれる彼女ではない。


「でもね、アタシらだって暇じゃァない。何もする必要が無かったとしても手ぶらで帰るわけには行かなくてね」


 ため息を吐きながらラフマニに驚いていたノーラだったが、それもすぐに普段の剣呑な気配をまとった彼女になる。そして鋭くラフマニを見据える。返答次第によっては最悪の事態となるだろう。だがラフマニにはそれすらも打開策を用意済みだったのである。


「それについちゃあ、ちゃんと取引のネタは用意してあるよ。ある人を紹介する」


 ラフマニはそこまで話すと背後を振り返る。


「兄貴!」


 ラフマニが一声かけるとその背後から何者かのシルエットが姿を現す。


「―――」


 ノーラは身じろぎもせず、相手の姿を見つめている。そしてそれは彼女にとっても記憶に新しいものだったのである。


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