幕間 知る人々/新華幇
■横浜中華人街近傍、高層マンションにて――
そこは横浜の東口側と言われるエリアであった。
横浜駅から南下するとみなとみらいの高層物があり、さらにその南側には山下公園へとつながっている。さらにはマリンタワーや有名な係留船・氷川丸があり、その近傍には長い歴史を誇る横浜中華人街が広がっている。
その山下公園と中華人街の間に位置する辺り、最近になって新たに建てられた高層マンションがある。地上30階建てでかなりの高さであり港町が一望できるとの評判があった。上から見ると八角形をした建物が2棟、北タワーと南タワーに別れ、その25階から27階にかけては南北がつながっているのが特徴的であった。
ただしそのマンションは一般向けには販売されておらず、特別にマンションオーナーに繋がりの取れる人間でなければ入居できないとの噂のある代物だったのだ。
マンションの名は『バイシーズーパレスマンション』
中国語で〝白獅子〟を意味する。所有者が日本人でないことは一目瞭然である。
そしてそのマンションは『セブンシーズロジスティクス』と言う貿易会社の所有であり、セブンシーズのオーナーはある日系華僑の若者であった。
その者の名は伍 志承、日本人名は大伍 承志
シンガポール国籍を持ち、日本通用名を持つ男である。
バイシーズーパレスは彼の居城であり彼の私的組織の活動拠点だったのである。
そして、バイシーズーパレスの27階フロア、南北のタワーをつなぐブリッジエリアは伍の私的領域だった。27階のブリッジブロックは中華人街と横浜の港町を一望できたのである。
その伍の私的空間の中、30畳をはるかにこえる広いフロアの中にてテーブルセットで茶を嗜んでいる白人の少女が居る。
純白のロングスカートドレスを身にまとい、その肩にはハーフマントをかけている。普段ならマリアベールのようなヘッドドレスを被っているのだが、流石に室内では脱いでいるようで見事なブロンドヘアが彼女の肩に広がっていた。
ひとり静かに落ち着いていた彼女だったが、その名を呼ぶ声がする。
「ウノ、ここに居たのか」
ウノ――それが彼女の名である。その名を呼ぶのは濃紺のマオカラーシャツを着こなすアジア人の青年である。ショートヘアの黒髪をポマードでなでつけており、その線の細さとは裏腹に毅然とした凛々しさが溢れていた。ウノはその声を呼ばれて茶の注がれていた茶器をテーブルに戻しつつ振り返る。
「伍様」
名を呼ばれて振り返るときの仕草には、彼女がその男性に対して満更でもない事が伺える。微かに頬を染めている辺り、案外異性とのふれあいには慣れていないのかもしれなかった。そんなウノの所作を見て、伍は優しくはにかみながら答える。
「志承で良い」
「でも――」
「私がいいと言っているんだ。君のようなミューズの様な女性を匿えるのならば億の単位の投資にも優る利益がある。私は君を無償で支援する事にしたんだ。気兼ねする必要はない。いいね?」
その言葉を拒絶できるような強さはウノには無かった。戸惑いながらも頷いてこう答えた。
「はい――志承」
その答えに満足気に頷きつつ毅然としてウノの下へと近づいてくる。
「それより昨夜はご苦労だったね。徹夜仕事、骨が折れたろう」
「いえ、私は大したことはしておりません。座礁した無人ロボット船を誘導しただけです。それよりご配下の方々の方が骨が折れたと思います。その、お怪我された方も居られたと聞きましたが――」
「あぁ、その事か」
ウノの言葉には他者を心から労る優しさがあった。ウノに問われて伍は事もなげに答えた。
「それは君が案ずることではない」
そうウノを労りながらも彼女の隣へと腰を下ろす。
「フィリピン経由の無人ロボット船舶の運行――、それが日本近海の公海にて立ち往生。しかも時化が始まっていた。通常なら回収に莫大な費用と時間が費やされた。そればかりか船舶の回収を任された者に多数の死者が出ただろう。海が荒れているときの作業ほどの危険なものはないからね。それにだ。もし万が一転覆したら金銭的な損害は甚大なものになる。そうなれば多くの者が露頭に迷うだろう。だが君が居てくれた――」
伍がウノを横目で見つめつつさらに告げる。
「君がその力で立ち往生していた無人船を再起動しただけで無く制御の効かなくなっていた船のコントロールを行い、予定通り日本の横浜港まで誘導してくれた。おかげで私は多大な損失を金銭面、人材面。その両面で防ぐことが出来た。人は利益によって生きる。そして人は命あってこそ利益を享受できる。君がしたことはそれだけの価値がある。回収作業を指揮していた部下も言っていたよ。『彼女が居てくれなかったらどれほどの人間が死んでいたか解らない』とね」
「そうですか」
伍の語る言葉にウノは安堵したかのようだ。
「命が失われなかったのであれば何よりです」
彼女が返したのはたったそれだけ。利益も賞賛も求めない。彼女の人間性が現れていた。二人で並んで座れるソファーの上、伍は傍らのウノを左手で抱き寄せるとその頭をそっと優しく撫でたのである。
「これからも私の所に居てくれるね? ウノ」
「はい、志承」
「ありがとう――、そのかわり君が、君たちがやろうとしていることを陰ながら支援していこう。それがこの世界の行く末を正すことにつながるのなら」
「はい、お心遣い、ありがとう御座います」
伍の腕の中で戸惑っていたウノだったが、伍の心の内を知ってか、安堵しつつその腕に身を委ねたのである。
だがその時、無粋にもスマートホンがなる。スラックスのポケットから取り出したのはスティックのようなアイテムで、表示は一切が空間投影で行われる。起動させれば発信元が描き出されている。
【 発信者:第1秘書 江 夢 】
その表示に一瞬、伍の表情が曇るがそれをたしなめたのはかたわらのウノである。
「ご配下の方を無下になされてはいけませんわ」
そうたしなめられては伍も流石に反論できない。困った風に笑みを浮かべつつ受話操作を行う。スティックタイプのスマートホンを左右に振ると通話の先方とつながり双方向でテレビ電話として通話が始まった。向こう側に映ったのは黒髪を短くまとめたメガネ姿のアジア人女性である。
「私だ。どうした?」
〔事件が発生いたしました。有明にて行動中の組織員からの報告です〕
「話せ」
〔有明の1000mビルにて文化人・知識人による学術交流サミットが開催されるのはご存知ですね?〕
「我知道」
〔その1000mビルにてテロが発生しました」
「それで詳細は?」
〔わかりません。日本警察の箝口令と情報封鎖が厳しく手も足も出ません〕
「まて、確か。1000mビルにはうちの関連企業が参加していたな?」
〔はい、3社ほどビジネス区画に〕
「連絡はできるか?」
〔試みておりますが、つながりません。通信封鎖ではなくビルシステムがジャックされている可能性があります〕
「完全につながらないのか?」
〔はい、現在、こちらから連絡を取ろうにも日本政府が通信制限を行いつつあります。事件解決までは外部からのアプローチは不可能かと思われます〕
「そうか。謝謝」
伍は必要要件だけを会話し終えると通話を切る。その思案気な顔に隣のウノが問いかけてくる。
「志承なにか事件でも?」
事件――伍の隣で通話を一緒に聞いていたので仔細は既に理解している。だがそれでも伍に尋ねたのは彼の顔を立てたのだ。その彼女の意図を察して伍も言葉を選びながら言葉を返す。
「有明の1000mビルは知っているね?」
「はい、今日、彼の地にて催し物があると」
「それだ。今日、有明1000mビルの最上階層第4ブロックにて〝世界未来世界構想サミット〟が行われる予定だった」
「はい、存じております。海外からも来賓が訪れていると」
そこまで説明して伍は一息置くと、ウノにこう告げた。
「それがテロに襲われたらしい」
「らしい?」
「1000mビルそのものがジャックされていて内部と一切連絡が取れないそうだ。あそこには私の直轄企業もある。社員たちに命に別状がなければいいのだが――」
そこまで伍が話したときだった。音もなく静かにウノは立ち上がった。
「ウノ?」
伍が問いかければウノはためらわずに告げる。
「私が参ります」
「なに?」
「私の仲間のダウなら遠くからでも見通せるでしょう。あの子はそう言う任務には最適ですから」
毅然として告げるウノに伍は戸惑いながらも問いかけた。
「だが、なぜ君まで行く?」
その言葉にはウノの身を案じるニュアンスが含まれていた。
「私は指揮官です。仲間たちを率いて統率する義務があります。そして彼女たちは私の指示あって初めてその力を有効に発揮できます。第二次大戦のフランス軍の指揮官のように、ワインのグラスを傾けながら電話で指揮をする趣味はありませんので」
伍に対するウノの答え、それには己の立場を理解しつつ決して折れぬ彼女の強い覚悟が見えていたのである。さすがの伍もそれを曲げさせる訳にはいかないだろう。
「そうだな、君はそう言う人だったな。だからこそ昨夜も荒れる海へと赴いてくれたのだったな」
ウノの言葉に伍は頷いて納得しつつもその顔は不安げで寂しそうであった。
「待ち給え、向こうまでの〝足〟ぐらいは用意しよう」
そして先程のスティックタイプのスマートフォンを取り出すと音声で操作する。
「猛 光志を呼べ」
そう音声を入力すると電子音が鳴り即座に相手をコールし始めた。先方が出たのもすぐである。
〔私です〕
「猛か、今どこだ」
〔バイシーズーの南屋上です。ダウ殿と一緒に敵対勢力者の調査をしておりました。今戻ってきたところです〕
屋上ならば移動手段はヘリだろう。
「ならばそのまま待て、今、こちらからウノが行く。そしてダウとウノを連れて有明にむかえ」
〔1000mビルですね?〕
「そうだ。今、トラブルが起きている。ウノとダウが調査してくれる。君はサポートしてくれ」
〔我明白〕
「頼んだぞ」
そしてスティックスマートフォンを振って通話を切るとその視線をウノへと向ける。
「準備はできた。南屋上で猛とダウ殿が待っている」
「はい、ご配慮ありがとうございます」
そしてその手にヘッドドレスを手にすると自らの頭に被りながら立ち上がる。そして、その凛とした視線を伍へと向けながらこう告げたのだ。
「それでは行ってまいります」
「気をつけるのだぞ」
「はい。夕餉までには戻りますので」
そう告げながら歩き出すウノだったが、それを追うように歩み寄った伍は思わぬ行動をとった。ウノの傍らに並ぶと右手でその顔に手を伸ばして己の方を向かせる。そしてウノの顔に自らの顔を寄せて重ねたのだ。
真剣な表情の伍に対して、ウノは驚くばかりである。
そして口元を離すと穏やかに告げた。
「待っているぞ。仲間たちとともに無事に帰ってきなさい」
「はい、志承」
そう答えるウノの頬はどこか赤らんでいた。そして再び風をきるように歩きだして、その部屋から立ち去っていったのである。
半ば憮然としてウノを見送る伍であったが彼の背中にそっと声をかけてくる者が居る。
「伍様」
ウノとは異なり弾むような口調――振り返ればピンク色の肩出しワンピース姿のトリーが佇んでいた。
「ウノが無事に戻るまで。お茶でもいかがですか? 私これでも紅茶を入れるのは得意なんです」
不思議と彼女のその言葉は、緊張に襲われていた伍の心を解きほぐしながら染み入ってくる。彼女が伍の事を思い図っているのが解るかのようだ。彼女もまたウノと同じ様に不思議な少女であった。
「貰おうか」
「はい、ではすぐにご用意いたしますね」
そう転がるような声でトリーは答えると早速に紅茶の用意を始めた。
伍はソファーに腰掛けながら、事件の続報を待つばかりである。
















