第6話 第4ブロック階層/緊急会議
今、異変が有明の1000mビルの各所で際限なく起きていた。
3系統のゴンドラエレベーター、
2×2系統の螺旋モノレール、
――その全てが音もなく停止している。
各ブロックの間の通路の大形シャッターが突如閉鎖される。防火・防災用の物はもちろん。あらゆる扉が締まって行く。中には何の予告もなく唐突に閉まり始めたシャッターに挟まれてしまう被害者も発生した。
異変はそれだけでは収らない。電気・水道・空調・通信。ビル内のあらゆる施設がその動きを止められたのである。
エレベーターも止まる。ビル内のあらゆる設備が停止する。閉じ込められるもの、思わぬ被害に遭う者――、
幾多の被害者を生みながら有明のビルはまたたく間に沈黙する。
それらの異変の数々は、近衛たちの控えている警備本部でも察知されていた。
「本部長!」
「何だ?」
警備本部に機動隊員の一人が飛び込んできた。近衛は白紙のレポート用紙を数枚並べて何かの文を列挙していた。
近衛は旧式な警察無線機の設置を指示していた。警備本部備え付けの情報通信端末はすでに彼の手で部屋の隅に追いやられている。ビル内の通信回線が全面停止している現在、使い物にはならないためだ。それに加えて、このビル全体が電磁波障害を防止するために電波を吸収する素材で作られているため、通信手段を確保することは容易では無かったのだ。
臨時の構内通信網を敷設中だが、1000m規模ビルと言う性格上、あまりに規模が大きすぎるために時間がかかるのは明白だった。
近衛が女性警官たちに命じて紙面上に記録させていたのは、これまでに報告のあった事実の数々である。それを確認している近衛の表情は限りなく暗かった。
「第3ブロックの警備の者から連絡が入りました」
「よし、話せ」
「第4ブロックのエレベーターシャフト附近で爆破の様な衝撃があったと事です」
「そうか。それで、連絡手段は?」
「ビルのメンテナンス用の螺旋階段を駆け降りてきたそうです」
「ご苦労。報告した者を救護所で休ませてやれ。210mを一気に駆け降りたのでは骨だったろうからな」
「はっ!」
機動隊員は駆け足でその場をあとにする。その後、その警備本部のその部屋には入れ替わり立ち替わりに様々な人間が状況報告に訪れた。
近衛は、その連絡の全てを冷静かつ克明に紙面に記している。なにしろ、ビル内の連絡はもとより、ビル外との通信もビルの総合交換施設が止まっている以上、復旧するまではどうにもならないのである。しかも電波障害を防ぐためのビル構造が仇となり無線通信も大規模障害を生じていた。
電波遮断の素材が多用されていて直接に外部と通信することはできないが、それを補うため、ビル独自の通信回線のシステムが、電話やネットのアクセスをビルの内部と外部を仲介する構造となっていた。それがビル機能が全面停止している以上、もはや旧時代の無線システムや人海戦術に頼る以外に方法はないのだ。
一方、その部屋の別な箇所に視線を向ければ、新谷の姿もあった。彼はただ黙して座しているのみである。ふと、その沈黙の場が賑やかになる。一人の女性が姿を現した。
鏡石だ。冷静そうに口許を水平に保ち、沈黙を守っている。だが、釣り上がった眉や、堅く噛み締められた唇がその本心の一端を会間見せている。じっと、かすかに眉間に皺を寄せ、リズミカルにヒールを鳴らして彼女は歩く。そして、その会議室の椅子の一つを取りだし、そこにおもむろに座り込む。
鏡石はその手を組むとじっと思索に耽けった。言葉は発しない。ただ、机の上の一点を凝視するだけだ。今の彼女は混乱の中に一つだけ紛れ込んだ沈黙である。だが、その沈黙が破れ、彼女は言葉を発した。
「近衛警視正、現状は?」
近衛が書類から目を離し、つっと鏡石の方へと視線を送る。近衛は感情を押し止め、理性的に鏡石を見つめている。彼は傍らの機動隊員に声をかける。やがて、その機動隊員が鏡石に資料の束を静かに差し出した。
「物理的状況を始め、詳しい事はそれに記してある。はっきりと言って直接的な打開策は何も見つからん。八方ふさがりと言っていい」
「情報系統はおろか、動力系統すらも死んでおりますしね」
鏡石はその顔に、己が責任から来る苦しみを滲ませて呟く。
「私の責任です」
鏡石はよく透る声できっぱりと告げた。潔さが近衛の耳には心地好かった。
「だがな――」
しかし近衛は鏡石の言葉を覆い隠す様に告げる。にわかに強固さを解いたその顔には、微かな優しさを秘めた柔和な笑みがある。その言葉に、鏡石は弾かれるようにその顔を振り上げる。
「至急に対処しなければならない問題が一つある」
鏡石はじっと黙って聞き入る。近衛の告げる言葉の中に、己れの行動と閉塞した気持ちの突破口を探している。
「第4ブロックにとじ込められた者たちの安全確保のためにも、大至急、第4ブロックとの連絡ルートを確保しなければならない。そのためには、どんな情報でも無駄には出来ん」
鏡石が情報と言う言葉に微かに反応した。虚を突かれた様に、にわかにその顔に色が差し込んでくる。そして、彼女の表情からは意図的な造られた強さが晴れていき、彼女本来のスピード感ある気高さが戻ってくる。
「失礼します」
彼女は自然な力を込めて呟くと、己れの目の前に置かれた書類に手を伸ばす。鏡石が書類をめくり目を通す。近衛がそれを横目で見つめる中、ややおいて鏡石は近衛にこう答えた。
「上部階層との連絡方法については、お任せいただけないでしょうか?」
鏡石が挑戦的に近衛を見つめ、同意を求めている。近衛にしてみればこれを否定する理由は何も無い。
「たのむ」
近衛の答えの確かさに、鏡石は立ち上がり軽く礼をした。
彼女は己が向かうべき場所を見つけた。そして、そこから立ち去った。
近衛は鏡石の背を見送ると彼女へと向けた笑みを消し、書類の束へと冷徹な目線を向けた。
やがて、時間をおいて十数人ほどの警官や機動隊員が姿を表わした。隊長格や主要セクションの責任者、あるいはその代行者である。
近衛は彼等を見て告げる。
「来たな。さっそく始めるぞ」
皆、警備本部のデスクに各々の場所に付く。時間が無い、省ける事は片端から省いている。近衛は率直に報告を始めた。
「それではさっそくだが、現状報告をする。まず、現在のビル内の通信・連絡系統だが、これは全面的に停止、ビルの外部との連絡もビルを離れないと行なえない状況になっている。無線通信も不可、このビル自体がゴースト電波を避けるために電波を完全に吸収遮断する構造になっているためだ。そのため同一のブロック内での通信を除き、現在は人海戦術で口ずてに連絡を行なっている状態だ」
近衛は努めて冷静さを維持しつつ言葉を続けた。
「それからビル内の移動は、エレベータやモノレールを始めあらゆるビル内施設が全面的に停止、移動はビルのメンテナンス用の一部の通路のみ。しかも、大量の人員の移動は不可能と見ていい。
そして、現在までの報告では、上層階――、特に第4ブロックにおいて、なんらかの凶悪な破壊活動が行なわれているとの情報が入っている。だが残念ながら、現在の我々の状況や装備・器材では有効な対策手段を取る事は不可能に近い」
あまりに過酷な状況が語られる。だがそれを漫然と受け入れるわけにはいかなかった。
「そこでだが――、現在、本庁に対して事実の連絡と大規模な応援を要請している。一方で我々が行なえるのは、ビル附近やビルの第1ブロック部分における一般民間人の避難誘導と、ヤジ馬やマスコミなどによる無用なトラブルを避ける事にある」
近衛が語る言葉を集まった隊員たちは冷静に耳を傾けていた。
「また、マスコミの取材要請に関しては全面的な箝口令を敷く事が、警察庁や外務省からも指示されている。現在、報道協定による秘密保持を全マスコミに呼びかけている。第4ブロックにサミットのVIPがとじ込められている事や、彼等の安否が全く判らない以上、不用意な報道は自体の悪化を招くだけだからだ。なによりかねてから伝達してあるとおり、あの国際テロリストの介入が予想される以上、被害状況情報の拡散は、テロリストの実績宣伝となりかねない。それだけは絶対に回避しなければならない」
そして近衛は一呼吸置くと、部下たちに問いかけた。
「現在、非常に苦しい状況にある。だが、何としても、ビル内の全ての部署と連絡を取り有効な対策を取りたい。何か提案のある者は遠慮なく上申してくれ。以上だ。何か他に質問はないか?」
そして、次々に近衛に対して、質問と提案がなされた。警備本部は紛糾した。議論が続く中、連絡役に指定された警官や機動隊員たちが目まぐるしく警備本部を出入りをしている。
その時である。連絡役の警官に混じって、一人の背広姿の若い男が警備本部に入ってくる。
「し、失礼いたします!」
その部屋の中の視線が一斉にその方を向く。それまで状況の観察に神経を注いでいた新谷も、その男の方を見た。そして、その顔を確認するとその表情がにわかに明るくなった。
「朝君! 遅いじゃないか、何をしてたんだね?」
「申し訳ありません!」
近衛は彼に向けて言い放つ。
「何者だ!」
「だ、第一方面涙路署捜査課所属、朝研一巡査部長であります」
「時間が無い、用件だけを手短に報告しろ!」
「はい。ほ、報告、こちらに連れて来る予定の特攻装警が1名――」
朝がそこで言葉を詰らせた、近衛は苛立たしそうに朝を睨み付ける。
「どうした?!」
「先程……は…ハグれました」
新谷が大きくその肩を落とした。そして近衛は、報告してきたその若い男を凝視する。近衛はさらに告げる。
「貴様が引率の責任者か?」
「は、はいっ」
「失踪した者の氏名は?」
「グラウザー、特攻装警第7号機グラウザーであります」
「貴様はその時、一体何をしていた?!」
「と、トイレに」
朝は申し訳なさそうな情けない笑みを浮かべながら答える。
だが、近衛は凝視した視線にさらに力を込めると大きく息を吸う。
「馬鹿者ぉっ!!!」
近衛のその怒号は、その部屋の窓ガラスを割るのでは? と思えるほどであった。
「申し訳ありませんっ!」
朝は思い切り頭を下げ謝罪の言葉を口にする。
その瞬間、警備本部の中に、二重の倦怠感と疲労感が駆け抜けたのである。
















