2:午前8時30分:警視庁警備部警備一課
東京都千代田区霞が関――
眼の前に皇居を望む場所にそびえる建物がある。
警視庁本庁、日本警察の総本山にして首都東京を護る法治国家の砦である。
その建物の中、警備部と呼ばれるセクションがある。機動隊やSAT、要人警護のSP、災害対策や特化車両隊を有し、犯罪行為や災害発生時に身をもって市民を護る盾となる部署であると言える。
そして、警備部の警備1課は、警備部門の中枢部であり総指揮が取られる重要セクションである。その警備1課の課長にして、陣頭指揮を撮っている人物がいる。近衛仁一警視正、日本の首都の護り手を一手に掌握する人物である。
近衛は課長室の自らのデスクにて部下から送られてきた資料に目を通していた。この時代、紙による書類もまだまだ現役だったが、即時性が求められる情報は警察や政府機関専用のイントラネット内において暗号化文章にてやり取りされる事が非常に多くなっていた。
近衛が自らのデスクにて視線を走らせているのはB4サイズの大型のスマートパッドであり屋外持ち出しをしても損傷などをすることの無いように特別に強化された防塵防水対ショック仕様の特製品である。その液晶ディスプレイ上に映し出される文書に目を通しながら近衛は思案していた。
この数日、突然慌ただしくなってきた港湾エリアでの不法入国関連である。
本来ならば別なセクションにて担当すべき案件なのだが、機動隊やSATを預かる彼にとっては決して無視できない要件が含まれていたからである。彼はデスク脇にあるインターフォン端末を操作すると、別室に待機する管理官を呼び出す。端末の向こうから音声と映像で返答してきたのはまだ30過ぎの若い男性であった。
〔お呼びでしょうか?〕
「来てくれ。話がある。それとエリオットを同行させろ」
〔承知しました〕
近衛からの指示にその男性はシンプルに答えて通信を切る。そして3分と置かないうちに、近衛のいる執務室へとやってきたのである。だがその傍らには奇妙な人物が同行していた。
「日野江管理官、只今参りました」
「特攻装警第5号機エリオット、同じく参りました」
日野江と名乗った管理官の男性の隣には2m近い体躯の異様なシルエットの人物が控えている。
首から下はメカニカルなボディであり、人間の肉体をメカニックに置き換えたようなシルエットをしていた。それは重装甲を施されたボディであるらしく、190センチを超える巨躯とあいまって見る者を圧倒する迫力があった。そのダークアーミーグリーンのボディの上に厚手のダウンジャケットの様なハーフコートを身に着けており、頭部は生身の人間とほぼ同じであるが、頬のあたりに接合線のようなラインが浮かんでいる。やや日本人離れした堀の深い容貌からは彼が普通の生身の人間とは異なる存在である事が感じ取れる。
そして彼が名乗った〝特攻装警〟と言う名称が彼の正体の一端を示しているのだ。
近衛は二人に視線を走らせると告げる。
「ご苦労。そのまま聞いてくれ。すぐに動いてもらいたい案件ができた」
その問いかけに日野江とエリオットは頷いていた。
「現在、特攻装警1号アトラスが暴対セクションにて都内最大手のステルスヤクザ・緋色会の動向を追っているのは知っていると思う。その過程である情報が得られて警視庁内で共有情報にあげられている。それがこれだ」
そこまで話したところで近衛はデスクの上で操作していた大型スマートパッドを二人の方へと向ける。そこには都内の地図とともに複数の人物たちの映像が断片的に何枚も映し出されている。それをみてエリオットがつぶやく。
「これは――サイボーグカルト組織の武装暴走族?」
「そうだ。都内でも最大派閥で東京から横浜にかけての湾岸エリアを拠点として活動してる〝スネイルドラゴン〟と呼ばれるチームだ」
近衛のその言葉に日野江が告げる。
「首都圏下のサイボーグカルト組織の中では最も武装度が高く危険性も高いと聞いています」
「そうだ。私の経験から言っておそらくステルスヤクザの緋色会の直下にあると見ていい。それに加えてまた別な情報も届いている。公安の外事部とインターポール経由でスコットランドヤードから、国際指名手配のかかったテロリストが日本に向けて動いているとの情報だ。その手口から『マリオネット・ディンキー』と言う俗称で呼ばれているそうだ」
「マリオネット? 人形ですか?」
「そうだ、エリオット。日野江、お前はテロリストと人形と聞いて何を連想する?」
上司である近衛から問われて日野江は即座に回答する。
「ロボット、ないしは違法アンドロイドでしょうか?」
「そうだ。主犯はこのマリオネット・ディンキーただ1人で、あとは全て違法アンドロイドを駆使してのテロ行為を欧州を中心に続けている。特に英国人に対して目標を絞っていると言われており、英国国籍の著名人は一様に苦慮していると言われている。そして――」
話をまとめようとしているのか、近衛は言葉を一旦区切った。
「ここまで集まった情報を元の推測だが、私は今夜、横浜港の何処かにて違法アンドロイドや違法サイボーグのからんだ小競り合いが起きると見ている。スネイル傘下の2次組織、3次組織が横浜エリアで活発に動いているそうだ。10月2日の深夜、その日付が繰り返し浮き上がってきている。そこでは私は横浜において何かが起きる。マリオネット・ディンキーとスネイルドラゴンに絡む事件が発生する――そう推測した。そこでだ――」
近衛はそう告げながらエリオットと日野江の顔を交互に眺めると、エリオットへと指示を出す。
「エリオット、即時出動可能な第1種レベル待機で東京ヘリポートへ向え」
「第1種ですか? 出動の根拠となる物証は?」
「現時点ではそれは存在しない」
エリオットからの問いに近衛が返した答えは意表を突いたものだ。警察は全ての行動において物的証拠が全てであり、証拠をもとに令状が発行され、令状を根拠として犯罪制圧行動が認められるという現実がある。エリオットや日野江が疑問を持つのは当然である。
「しかしだ――絶対に何かが起こる。そう見て間違い無い! これは私の勘による判断だが物証が寄せられてからでは遅いのだ。即時出動可能な状態で臨戦待機だ。いいな?」
「武装は?」
「おそらく非合法サイボーグを相手とした小競り合いとなる。一対多数の戦闘を考慮した装備選択を行え」
「了解です。では高速移動用ダッシュローラーと可搬式ガトリングガンを併用します。それと夜間戦闘と対サイボーグ戦を想定した装備選択とします」
「よし、それでいい」
「はっ!」
エリオットは近衛の語る説明に頷いて明確に同意し指示を受諾した。それに満足して頷いた近衛は日野江にも指示を出す。
「日野江、お前は神奈川県警に〝仁義〟を入れておけ。向こうの縄張りに足を踏み入れることになる。先方の警備部課長以上に内密にな」
「かしこまりました。直ちに連絡を取ります」
「頼むぞ」
「はっ」
警察というのは想像以上に縄張り意識の強い組織である。たとえ隣接する東京と神奈川であっても県境を越えて勝手に踏み込むことは絶対に許されない。担当区域はその区域を管轄する警察署が捜査して掌握する権利を有するのである。そこに横車を押して敢えて他の都道府県の管轄と踏み込むのならば、その地域を管理監督する警察本部へと連絡し承諾を得るのが警察としての基本セオリーだ。それを俗に〝仁義〟を通すと呼ぶのである。
「そして、エリオット。具体的な出場については追って連絡する」
「了解しました。特攻装警5号エリオット、直ちに東京ヘリポートに向かい、第1種レベルで待機します」
「よし、行け!」
具体的な指示内容を出すと、二人は敬礼で返礼してきた。
「はっ!」
そして二人は踵を返すと再び歩きだす。それぞれが指示を受けた場所へと向けて。
ドアの向こうに二人が姿を消すのを目線で見送る近衛だったが、先のことを案じるかのように不意にこうつぶやいたのだった。
「さて――、人形使いと、のたうつ龍、どちらが生き残るのか」
そのつぶやきに答えられる者は誰も居ない。