プロローグ ケルトの降臨/メイドとハッカー
そこは建築の道半ばだった。
未来世界のシンボルとしてやがては天を衝くような高さへと至るはずの摩天楼だった。今はまだその半分にすら至っていないが、それでも東京と言う都市で最大の高さを誇っていた。
――有明1000mビル――
今はまだ、全体の四分の一程度――、その第1工期が完成したにすぎない。そして、さらなる高みを目指して人の手が加えられ続けている場所がある。
1000mビルの頂きのさらに先――、〝第2工区作業現場〟である。
主要な構造材はすでに組み終わり、高さ60m程の空間がそこには広がっている。だが基本構造が出来上がったばかりであり壁も床もあらゆる場所が基礎構造がむき出しであった。かろうじて床面の基礎コンクリートが打ち終わったばかりであった。
殺風景極まりないその未完の空間には人影は無い。天に太陽はなく、月明かりが灯るような時間であるからだ。
その未成の巨大建築物には、建築作業を担うはずの作業員の姿はない。そう――、二人の姿を除いては――
闇夜に落ちているはずのその建築物の内部空間の中に一人の女性の声が響く。
「へぇ、見事ね。有り合わせの鋼材でコレだけのものを作り上げるなんて」
その声には若さと穏やかさがあった。落ち着き払っていて、常にその心のなかに誰かを慈しみ守ろうとする優しさと力強さがある声だった。その声の主の姿が僅かに浮かび上がる。保安灯一つない暗闇の空間の中、どこかからか漏れてきた月明かりの欠片がその声の主を浮かび上がらせようとしていた。
英国貴族風の濃紺のメイド衣装をまとい、肩にはショールをかけている。肌は抜けるように白く、髪はプラチナブロンド。両手にシルクのグローブを嵌めており物腰は静かだ。彼女は静かにかすかな微笑みを湛えたまま静かに周囲に視線を走らせている。まるで闇夜の空間を中でも視界が得られるかのようだった。
かたやその声に応じうるもう一つの声がある。若い男性、少年と言っても差し支えなかった。自信ありげで挑発的で、どこか目上の者を軽視する傲慢さが垣間見える。そんな声がメイド風の女性へと返された。
「だろう? コレでも結構手間かけたんだぜ? 建築現場の無人化作業ロボットをハッキングして、建築現場の監視システムにはダミーデータを流して、順調に作業が進んでいると誤認させる。セキュリティシステムのリアルタイムログも自動改ざんして誰にも疑問を抱かせない。物資搬入に見せかけて他の連中を招き入れつつ、俺達の拠点を構築する。まさかよもや、未来都市のシンボルたる天空都市が、僕らの主様の謁見と玉座の間へと様変わりしているとは誰も気付きゃしないだろうさ。見てろ、今、明かりをつけるよ」
「大丈夫なの? 外部に気づかれない?」
「なんだメリッサ、俺のスキルをまだ信用してないのか? この程度のビルなんか遊びにすらならねえよ。この――ガルディノ様の才能を信じてねえな? まぁ見てろって」
闇の中にもう一人浮かび上がるのは背丈はティーンエイジ世代の小柄な白人風の少年だった。ひざ下ほどの短ズボン。Tシャツにゆったりとした半そでジャケット。頭にはニットの帽子をかぶっている。目元には卵のような楕円レンズのメガネを掛けている。背丈も小さく、どこと無く幼さを感じさせる。
彼が右手を振るえば、周囲の空間上にホログラム映像の巨大ディスプレイが浮かび上がり、それをタッチパネルに見立てる形でガルディノの両手が踊るようにプログラムとデータを操作している。
そのブロック階層へと動力を供給している管理システムが操作され一部限定で電力が供給される。しかる後に2人が佇んでいた漆黒の空間に速やかに灯りが灯っていく。
外部へと光がもれぬように計算された状態で、十数基ほどのスポット照明が作動する。スポット照明から直進する光たちが交差し乱反射し、未来都市の片隅とは思えぬほどの幻想的な空間を浮かび上がらせていたのだ。
差し渡し300m程の円形の空間。古代ローマのコロッセオを想起させるような凹形状の空間、周囲を巨大ビルの外壁と外周ビルとに遮られている。まだ施工工事途中であるがゆえに、むき出しの基礎部分は殺風景で鋼材と金属パネルとコンクリートが露出している。そしてそこには人の息吹がどこにもない――はずであった。
数条のスポット照明の光に照らし出されたのは、祭壇の頂に存在する玉座。そしてそこへと至る階段と、階段へと通ずる通路である。すこしばかり赤錆の浮いた金属パネルを切り貼りし、巧みに並べ組み上げて、古代ローマの神殿か、中世の古城の王の謁見の間を思わせる幻想の舞台を作り上げていた。
そこに用いられているのは、高層ビルの建築現場ならば当り前に集積されている鋼材や金属パネルや、石膏ボード、あるいはエンジニアリングプラスチックパネルと言った素材であり、特別なものではなかった。
だが今が現代であるという事を忘れさせるほどの美的センスと迫力がそこにはあった。そして〝メリッサ〟と名を呼ばれたメイド風情の女性は感嘆の声をもらしつつ、ガルディノの成した仕事の結果を賞賛するのだ。
「凄いわね。これならあのお方をお招きするには十分よ」
「だろ? なまじ完全無人化が図られている大都市は僕にとっては〝鴨〟さ。誰にも気づかせずにこの巨大ビルに〝仕掛け〟をしこんでおけたしね」
「あぁ、例の〝おもてなし〟のためのやつね?」
メリッサが問えば、対するガルディノは自信アリげに笑みを浮かべ右手を腰に当てながら答えた。
「バッチリだよ。最高の〝狩り〟を我らが王に楽しんでもらえる筈さ」
「そう――、ソレは楽しみね」
メリッサはそうつぶやきつつガルディノへと歩み寄り、ガルディノをその懐へと両手で抱きしめながら告げる。
「流石だわ。ガルディノ――、あなたが居てこそあの方の理想は達成できるわ」
その声を聞きつつガルディノはメリッサへと問い返す。
「あのお方の? メリッサの理想じゃないのかい?」
少し皮肉を効かせながらの言葉に、メリッサはガルディノから体を離すと口元に歪んだ笑みを浮かべながらこう答え返したのだ。
「ガルディノ、ダメよ? そんな事を他の人の前で言ったりしちゃ」
「あぁ、分かってるよ。全て分かってる。全てね――」
「それでいいわ。最後の時が来るまで事態を見守り、私達の王を――ディンキー様をお招きするとしましょう」
「OK、良いだろう。それじゃ僕はここでシステムの完成をより完璧なものへと進化させておくよ」
2人はそう問い掛けあいながら、それぞれ別な方へと歩きだしていた。
その2人の向かう先に漆黒の闇が広がっている。メリッサは祭壇の頂きから姿を消し、ガルディノはメリッサとは正反対の方へと音もなく姿を消している。
それとシンクロしたかのように、ガルディノが操作し点灯させたスポット照明の光がガルディノのシルエットを追うかのように一つまた一つと消えていった。
あとに残るのは巨大な闇だけである。今、まさに何かが動き出そうとしていた。