第10話 3号センチュリー
センチュリーのその頭上、コナンの鋭利なサムライブレードが振り下ろされようとしていた。
その凶刃は、はたしてこれまでに幾人の人間たちの生き血を吸ってきたのだろう? 妖しげな血煙を漂わせながら次なる獲物を求めていた。
だが、それに安々と斬られるセンチュリーではない。己の両踵に備わったダッシュ用ホイールを逆回転させる。そして、ほんの僅か、絶妙な距離を後退すると、コンマ数ミリの距離でコナンの放った斬撃を見事回避する。
間髪置かず、右足のホイールのみ正回転させ右の半身を前方へと繰り出す。左足を震脚し、全身を敵の方へと飛び出させると、右の拳を下から上へと突き上げる様に繰り出した。
だが、それをコナンは絶妙な剣技で反撃する。
両手で携えた刀剣の握りを瞬時に上下反転させて刃峰を上方へと向ける。狙うはセンチュリーが繰り出した右拳である。
それを察知し右足で踏みとどまるセンチュリー、刀剣の刃をわずかにかすらせながらも、右拳を引くことに成功していた。
剣を振り上げたコナンは、再び剣を正眼に構える。
そのコナンに対して、センチュリーは間合いを取ると、両拳を胸の前程の高さで、左拳をやや前にして正面から向かい合った。左足を前に、右足は後ろに、一気に踏み込めるようにしたその構えは拳法のそれより、ボクシングのスタンスに近かった。
コナンは気付いたのだろう、センチュリーの構えの質が変わったことに。
「お主――、ボクシングも使うのか?」
「一応な。だがメインで使うのは〝師匠〟から教わった拳法だ」
センチュリーには師匠が居る。彼を作った技術陣の中に、センチュリーの内骨格アーキテクチャーをつくり上げるうえで、人間が使う格闘技の再現を最終目標にした人物が居た。センチュリーが完成した後も彼と関わり続け、センチュリーの実戦スタイルの確立に影響を及ぼした人が居たのだ。
師匠――その言葉を耳にした時。コナンの表情が変わる。
「アンドロイドの分際で師匠だと?」
師匠という言葉に妙に反応するコナンは、刀を正眼の構えから下ろすと納刀する。そして、センチュリーに対して宣言する。
「ならば見せてもらおうか。お前がその師匠より身につけた〝技〟とやらを」
センチュリーに言葉を吐きつつ、両足を開き、腰を深く下ろしていく。右足を前に左足を後方に――、その構えを目の当たりにして、センチュリーはコナンの顔を強く見つめ返した。
「居合抜刀――、付け焼き刃じゃなさそうだな」
コナンの見せるその構えに、センチュリーは彼の実戦経験の深さを察知した。コナンのその冷酷極まりない視線の奥に、技の追求に全霊を傾ける求道者の姿があるのに気づく。
「もったいねぇ――、なんだってテロリストなんてやってんだよコイツ」
その才能と資質がテロリズムという悪しき行為に使われていることに一抹の苛立ちを感じずにはいられない。
ならば――、
センチュリーはおのれの保つ技と機能を最大限に駆使することを決めた。それが眼前の敵に対する礼儀というものだ。コナンの動きを警戒しつつボクシングスタイルの構えから左半身を敵に向け、足はわずかに開いて腰を落とす。
左の拳を胸の前から右肩に向けて構え、右の拳は右腰の脇に引き絞る。呼吸を整えつつ、おのれの体内で力を貯め爆発する時を待つ。
一瞬の沈黙が二人の間に吹き抜ける。その沈黙はほんの数秒であったのだが、対峙する2人にとっては何よりも長い時であったに違いない。
深夜の夜空、月明かりに照らされていた埠頭の一角が、小さな浮雲に遮られて、一瞬の暗がりへと変わる。センチュリーとコナン、両者の呼吸が一際深くなったその刹那。雲の切れ間から月明かりが2人をスポットライトの様に照らした。
先に仕掛けたのはセンチュリーだった。
右足を引き次の瞬間、強力に震脚する。と、同時に両足のかかとに備わったダッシュホイールをフル回転させる。人間の体捌きではありえぬ素早さで、まるで巨大な弾丸のように、センチュリーの身体が飛び出していく。
それを迎え撃つためコナンの大刀がセンチュリーへと抜き放たれた――。
センチュリーとコナンの気勢は瞬時にぶつかり合う。
その豪胆なる拳打と、神妙なる抜剣は、直線と湾曲とをそれぞれに描きながら、空間の一点で交差した。
センチュリーは判っていた。敵アンドロイド・コナンの剣が精妙かつ神がかり的に素早いとなれば、それをかいくぐっておのれの拳を到達させるには、それを上回る拳速意外にありえないと言うことを。おのれの八極拳の基本動作にアンドロイドならではの肉体機能をプラスさせ、自分自身で出来うる最大限の速度を生み出そうとしていた。
そもそも、中国拳法の中で北派武術の1つである八極は拳打1つをとっても、下半身の動きと体幹制御の動きと上半身の動き、そして拳撃の動き、それらが精密にリンクしていて、全身を駆使して拳打を放つこととなる。それがボクシング系の拳打をはるかに凌ぐ威力を生み出すのだが、攻撃全体の速度を上げるにはさらなる修練と鍛錬とで八極としての拳打の動きを磨き上げるしか方法はない。
センチュリーは普段からおのれの兄であるアトラスが、肉体機能のハンデを乗り越えるため、壮絶な努力を重ねている姿をずっと見続けてきていた。
〝機能〟と〝昨日〟を乗り越えるためには努力以外にありえない。その単純な事実を知っているからこそ、センチュリーもまた、ひと目のつかぬ所で並の人間以上に修練と鍛錬を怠らなかった。アンドロイドと言えど〝学習機能〟の存在を土台として全ての能力と機能が存在している以上、安易には優れた力と技を得ることはできないのだ。今この場で、眼前の敵の剣におのれの拳が届かなかったとすれば、日々の修練と鍛錬とが足らなかったというだけのことだ。
コナンの懐に飛び込む動きと同時に右肩上方に振り上げた左腕の肘先と左前腕を振り下ろす動きで敵を制しつつ、右拳を抜き放ち下から斜め上へと抜き上げる動きで拳打を放つ――
今、センチュリーの拳が届くのならば、コナンの居合抜刀の動きは完成すること無く、敵の体は後方へと弾き飛ばされる――はずであった。
だが――
センチュリーはそこにおのれ以上の精妙な技巧の境地を目の当たりにすることとなった。
彼の拳打の動きをあざ笑うかのように、コナンの身体はまるで幽鬼かかげろうのごとく後方へと離れていく。それは地面にしっかりと立脚して足場を確保しての動きではなく、まるで物理的な法則をことごとく無視しているかのようでもある。
しかしそれは幻ではない。
コナンの抜刀する剣先は確かに存在している。抜刀から振り上げるその先にはセンチュリーの拳打があった。微かな風切音だけを残すと一気に振りぬく。そして、右腕と拳を伸ばしたままのセンチュリーをあとにして、コナンは背を向けつつ納刀する。
――チンッ――
コナンの手にしていた大刀が鞘に収まる時、微かな鍔鳴りが響いた。
「て、てめ――」
驚愕と焦燥がセンチュリーの心を支配する。それでいて敵が何をしたのかすぐに見抜いたのはセンチュリーの警察としての、あるいは武道家としての最後のプライドだった。
「〝隠し球〟持ってやがったなぁっ?!」
無足――、居合剣術の体運びの基本の1つ。滑らせるかのように足運びを精妙に行うことで、敵との間合いを一気に詰めたり、あるいは距離をとったりする高等技法の事だ。センチュリーの言葉を背に、コナンは振り返ること無く歩き出す。次の瞬間、センチュリーの右手首が斜めに切断され地面へと落下した。同時に、センチュリーのその右手首の断面から赤色の体内循環液が吹き出したのだ。
「がぁああああああっ!!!」
センチュリーの絶叫がこだまする。それは苦痛ではない、彼の魂とプライドが斬られたがための雄叫びだったのだ。
【特攻装警身体機能統括管理システム 】
【 緊急プログラム作動】
【>右前肢手首離断発生 】
【>体内循環系、大量出血確認、 】
【 組織緊急閉鎖開始】
【>痛覚信号遮断、運動ボディバランス補正 】
【>体内循環系、循環バランス補正、 】
【 末梢循環系、臨時循環系統作動開始】
センチュリーの視界の中、彼の体内システムを制御するシステムプログラム群が一斉に作動を開始する。
センチュリーはアトラスなどと異なり、内骨格構造を持ち、極めて人間に近い代謝系構造を持つ高精度ヒューマノイドアンドロイドだ。特殊な動力機関だけでなく、人間の様に飲食物によるエネルギー補給も可能であり、その全身には人間の血液と同等の機能を持つ体液が循環している。そして、万が一の負傷の際には、緊急修復や組織閉鎖が行われて最悪の事態から自力で回復できるようになっている。
切断された右腕の出液が停止し、最悪の事態が回避される。そして、右手首切断による諸々の不都合を自動的に補正するフェイルセーフ機能が作動を完了する。
――ギリッ!――
センチュリーは奥歯を強く噛み締めた。痛覚としての痛みは感じないが、心理的精神的な痛みのイメージは消しきれるものではない。それを堪えるために噛み締めた奥歯だったが、心の奥底に飲み込んだのは、苦痛だけではなく、とてつもなく重い屈辱だった。
地面に落ちたおのれの手首と敵であるコナンの姿をセンチュリーは交互に眺める。そのセンチュリーの姿を何の感慨もなさ気にコナンは眺めていた。
「弱い」
そう短く、そして明確に吐き捨てるとコナンは背中を向けたまま歩き出す。
――見限られた――
センチュリーはその事実を認めざるを得なかった。それでも吐ける言葉を探さずには居られない。コナンの背中に向けてなけなしのプライドをかき集め、それを形にして投げつけるのだ。
「今のうちだけだぞ」
それでもコナンの歩みは止まらない。静かにそして明確な足取りでその場を去っていく。その気高くも冷淡なシルエットにとてつもなく遠い距離を感じずには居られない。だが――
「お前の刀を絶対にへし折る。それまで待ってろぉ!!」
それでも絞り出された叫びはセンチュリーの警察としての最後の矜持だった。コナンはその言葉を聞いてか聞かずしてか、一気に駆け出し大きく跳躍してその姿を消した。センチュリーは身を焦がす屈辱感を噛み締めながらガックリと膝を地面についた。
立ち去るコナンにセンチュリーの声が聞こえたかどうかは定かではない。