Part38 死闘・拳と剣、新たに/センチュリー、師の嘆き
センチュリーは失われた右腕の代わりに、左の拳を正眼に構えていた。
拳を固く握り込み、右半身を後方に左半身を拳とともに前に構える。
それに相対する柳生はその刀身を鞘へと一旦納刀する。
柳生の腰には特殊なベルトとホルスターが装着されている。彼が扱う超高機能切断ツール『荒神』は正統派の日本刀の形状を有しているが、使用上においても極力正統派の剣術における使用感に近づけられるように工夫がなされている。
すなわち、侍が左腰に帯に手挟むように、ベルトの左腰側に鞘を斜めにホールド可能な専用ホルスターが備えられているのだ。荒神の鞘はそこへと取り付けられており、超高機能ブレードである荒神を納めれば、使用感は古からの居合抜刀剣術家としていささかの違和感も感じられるものではなかった。
納刀の後に腰を深く下げて構えを取る。上体はやや前傾――
その全身に溜め込んだ力は、解き放つ直前の縮められたバネのごとくであり、うち放たれる弾丸のごときである。その所作にも、体捌きにも一切のムダはなく精緻そのものであり、何を斬り、何を躱し、何を討ち倒すのか? そのすべてを知り尽くしてるのが気配からも伝わってくる。
柳生のその周辺から立ち上る気配を察しながら、センチュリーはある記憶を呼び起こそうとしていた。それは師である大田原が彼に対して吐露した誰にも言い表せぬ苦悶に満ちた本心であったのである。
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それは師・大田原の私設道場での夜稽古の後、
しごきにしごかれ、一通りの稽古を終えてひとごこちついた時の事であった。
終礼し後片付けを終え、一服の休憩をと師に声をかけられた。その日は特に急ぐ用事もなく、時間もさほど遅くは無かったので、センチュリーはそれに素直に応じた。
道場の隅にてあぐらをかき、師に進められるままに緑茶の入れられた湯呑みを手にくつろげば何気ない雑談から師である大田原がこれまでにとった弟子についての話題へと変わっていた。
センチュリーは大田原の門下の弟子としては一番新しい弟子である。その兄弟子がいかなる人物だったのかを大田原は冗談を交えながら時には真面目に、時には笑いながら語って聞かせてくれたのである。
だがその語らい合いが続く中で、師・大田原は何時になく沈んだ面持ちで語りだしたのだ。
「センチュリーよ――、お前に一つだけ伝えておきたいことが有るんだ」
陰にこもった微妙な語り口に、センチュリーは訝しげに問い返した。
「なんすか? いきなり?」
その語り口をセンチュリーは素直に疑問に思った。普段はこんな語り方はしないはずだからだ。何かある――そう感じつつ、師の言葉をセンチュリーはじっと待った。
「私は剣術の研究も習得もしていてな、そもそもが古流剣術の研究から、今の武術人生がはじまっているんだ。その気になればお前にも『剣』をおしえてやれる。むしろ、ただの徒手空拳で戦うよりも有益な状況が必ず起きるだろう。剣術三倍段と言ってな、ただの拳と極められた剣術では、攻撃の届く有効範囲すら大きく異る。戦局を圧倒的に優位に展開することも可能なはずなのだ。だがそれをワシは教えていない。お前に伝えるのはただ純粋に拳だけなのだ。なぜだか分かるか?」
それは苦悩を秘めた詫びにも近い語り口だった。その苦悩の理由を問い詰めるよりも、今は師の言葉をただ純粋に静かに耳を傾けるべきだと、センチュリーは感じずには居られなかった。
「いいえ」
ただそっとそれだけ答えると、大田原は湯呑みを床において、視線を落としながら静かに語り始めたのだ。
「お前の兄弟子の中に〝柳生〟と言う男が居てな――、まぁ出自は剣術の柳生流とは何の縁もないんだが、名前に違わず若い頃から剣術家としてならした今時珍しいくらいのストイックな男だった。正義感も強く、視野も広く、警察官になるにはうってつけの男だった。
高校では剣道部、大学で知り合い私の道場に門下生として入り、柔術、空手、そして剣術と――雨が降り注いだ真夏の大地の様に、与えられた知識と技を恐ろしいくらいの速度で吸収していった。2年も過ぎる頃には私の門下でやつに叶うやつはほとんど居なくなる。ジュラルミン製のただの模造刀で、直径4センチの鋼棒を居合抜刀で切断した時は、その才能と技の凄まじさにさすがの私も驚愕せざるをえなかった。そしてこう思ったんだ――」
大田原はそこで大きく息を吸う。己の過去を解き明かすかのように。
「ワシの跡を継げるのはこの男だ――とな。だがそれは儚い夢だったんだ」
「儚い夢?」
センチュリーが問い返せば大田原ははっきりと頷いた。
「アイツは大学卒業後、警視庁を目指した。階級を順調に上げていき、警視庁機動隊に配属され、その後、SAT、そして、盤古へとキャリアを重ねていった。そして押しも押されぬ強者として盤古の内外でその才能と将来を嘱望視されるようになっていた。無論、ワシもそれを心から喜んだんだ――、だがあの事件以降やつはすっかり変わってしまった」
「変わった?」
「あぁ――」
「なにが遭ったんですか?」
センチュリーがそう問えば大田原は視線を上げるとじっとセンチュリーの眼を見据えながらこう答えた。
「犯罪者に返り討ちに会い、顔面に大怪我をした。そして両目を潰された。手の施しようがなく完全にやつは失明してしまったんだ――、だが、目が見えなくとも武術は続けられる。盲目の剣士など決して珍しくない。それに医療用の人工眼球も今では性能の良いものがいくらでも手に入る。その気になればたとえ現場の最前線は無理でも、武術家として技の研鑽を続けることは十分に可能だ。ワシはヤツに何度もその話を言って聞かせた。だが――」
大田原はそこで嘆きともため息ともつかぬ吐息を吐く。
「――やつはワシの言葉をついに受け入れることはなかった。受け入れるどころか、闇への道を自ら歩き始めた」
「闇への道?」
「あぁ」
「それは一体?」
センチュリーが問えば、大田原は僅かな沈黙の後に覚悟を決めたように言葉を発したのだ。
「違法サイボーグ手術を受けたんだ。全身くまなくな」
「え?」
師匠の語る言葉にさすがのセンチュリーも驚かずには居られなかった。戸惑い尋ね返さずには居られなかったのだ。
「そんなバカな? 警察が? しかも盤古隊員でしょう? それが違法サイボーグ? ありえない!」
「だがコレは事実だ。そして、盤古という組織の裏側で行われている〝現実〟なんだ」
「現実――」
驚きに言葉を失いつつ、センチュリーはさらに言葉を吐かずには居られなかった。
「じゃあ盤古の中で戦闘用を意識したサイボーグ部隊が密かに組織されつつ有ると言うことですか?」
「その通りだセンチュリー。わしはその部隊について密かに調べた、その結果部隊名もなんとか掌握することもできた」
驚愕がセンチュリーを襲う。だが、その後に湧いてきたのは義憤だった。
「師匠、その部隊の名は?」
「――情報戦特化小隊――」
「その名、小耳に挟んだことが有る。だが内情については幾重にも隠蔽されてるとか――」
「あぁ、わしも部隊名を突き止めるだけで精一杯だった。得体の知れぬ〝闇〟にあいつは飲まれてしまったんだ。己自身を冷酷な戦闘マシーンと化してしまう闇の力にアイツは心身ともに染まりきってしまったんだよ」
大田原は両手の指を組むと両膝の上に置く。
「わしにもっと指導力があれば、あの不幸な出来事がなければ――そう何度悔やんだか数え切れないほどだ。だがもうあいつを光の当たる世界へと連れ戻すことは不可能だろう。今や連絡を取ることすら出来なくなってしまった。あいつは、永遠に〝闇に堕ちて〟しまったんだ――」
大きく息を吸い深いため息を吐く。涙こそ流さなかったが、それは何よりも深い嘆きに他ならない。そして、続けられた言葉はセンチュリーへの依頼であった。
「センチュリーよ――」
「はい、もし柳生に会うことがあったらあいつの剣を絶ち折ってくれ。あいつが二度と闇堕ちの剣技を振るうことのないように、あいつの刀を葬ってほしいのだ。お前のその〝拳〟でな」
その言葉を耳にして、センチュリーはなぜ、師匠が自分に剣を教えないのか? その理由を察した。剣は凶器である。敵を斬り、致命傷を負わせて敵を倒すことが大前提なのだ。だが拳は違う。必殺ではなく、敵を打ち倒し制する事が第一義なのだ。
大田原はセンチュリーに敵を殺すことを必然にしたくなかったのである。
「師匠。わかりました」
センチュリーの言葉に大田原が視線を向ける。その視線を真っ向から受けてさらに言葉はつづけられる。
「俺の拳でヤツを必ず止めて見せます」
そして右の拳をぐっと握りしめて眼前に突き出す。それを見つめながら大田原はこう返したのだ。
「頼むぞ――」
師匠が語るその願いを、センチュリーは心の奥底に深く刻み込んだのである。
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