Part32 輝きの残渣/ファミリーの定義
ペガソの顔を見上げる視線は本気だった。一抹も迷いもない。本気だからこそ、迷いがないからこそ、ペガソは突き放さずには居られない。怒号と罵声をもってその女官を再び突き放したのだ。
「ふざけんな! ガキの遊びじゃねえんだぞ! ド素人のてめえがやってける世界じゃねえんだぞ! それになぁ――」
ペガソは半身をひねって、その女官を見つめると、憂いと苦しみを隠さずに心の中の苦悩を源とする言葉を発したのだ。
「俺は――、俺はよぉ――、自分で! 自分の身を守れねぇような生身の女は二度とゴメンなんだよ!」
そう叫んで思わずナイラを突き放す。力のこもらない両足で立ちながら両腕を振り精一杯に思いのたけを溢れさせた。
「あの死の道化師の野郎が引き起こした〝血の惨劇〟の日! 少しでも多くのヤツを助けたかった! 助けようとした! でも守りきれねえんだよ! ズブの生身の体じゃ! サイボーグにも、アンドロイドにも太刀打ちできねぇ! キチガイみたいな機械の群れが! ニワトリでもむしるかのように殺しまくる! 助けようとしてこの手で掴んだ俺の恋人は右腕だけ残してミンチになっちまった! 手間のかかる舎弟も! ダチも! 腹空かせて俺のことを毎日おっかけてくる街のガキ共も! 骨すらのこらねえ! アレじゃ墓すらたててやれねえ!! みんな! みんなこの手から離れていっちまった! 俺はあの時! 守りきれなかった!」
封じておきたい過去が、明かしたくない〝傷〟がとめどなく溢れてくる。そしてそれは血の涙となってほほをつたっていた。
「俺には王の爺さんみたいな伝統的な格闘スキルがあるわけじゃねえ! ウラジスノフみたいな軍隊経験もねえ! 伍のやつみてえに金にあかせて護衛を集められるわけじゃねえ! 天龍の旦那みたいな強力な組織があるわけじゃねえ! スラムの裏町で喧嘩して生きているのがせいぜいの俺達が、あんなキチガイじみた連中に立ち向かって生き残るにゃどんなに痛かろうが苦しかろうが! この体を切り刻んでサイボーグになるしか方法がねえんだ! 俺の身内になるって事はそういうことなんだぞ! 解ってんのか!」
ペガソはもう何も隠さなかった。なぜ女官の彼女を突き放したのか、そのわけを声にして叫んだ。
「そのキレイな体! 汚すんじゃねえ!」
それがペガソの世界だった。
持たざる者が、持てる者に立ち向かうにはそれしかなかったのだ。そしてペガソが失ったものを彼女がもっているからこそ――
『取り上げたくなかった』のだ。
だがそれでも彼女は――
「ならば――貴方様の決めた掟に従います。貴方様にこの身をお預けします!」
「な――、冗談言ってんじゃねえぞ」
「嘘偽りではありません。本気です」
偽らざる気持ちを口にして彼女は立ち上がると、ペガソの前で両膝をついていた。そして両袖をつなぐようにして通して精一杯の礼儀を示す。
なぜ? どうしてそんなにまで本気を貫くのだろう? 戸惑いと驚きを隠せぬペガソに声をかけたのは王麗沙であった。
「その子は半々です」
「あ?」
半々――、聞き慣れぬ言葉がペガソの耳に強く残っていた。
「メキシコ人と華僑の混血と、大陸系中国人との混血――、加えて父親は殺人犯で投獄の身。この社会のどこにも身の置き場はありません。優秀で真面目なので特に私が手元に置いておいたのです」
その言葉を耳にしてナイラが反応した。
「じゃあ、メキシカンのクォーター?」
ナイラがつぶやいた言葉にその小さな体の女官は頷いていた。
「――――」
少しばかり沈黙していたペガソだったが、そっと声をかける。
「お前、名前は?」
その問いかけに顔をあげて答える。
「雪花」
苦笑しつつもペガソは手招きする。
「来いよ。仲間にしてやるよ。あっちじゃハーフやクォーターなんてゴロゴロしてる。そんなの気にするバカは誰も居ねえ」
そして駆け寄ってきた雪花を迎え入れる。
「たった今からお前は俺の仲間だ」
「謝々」
再びナイラが右側から肩を貸し、雪花は左側からペガソを支えていた。
「でも、やるからには徹底的にやるぞ。覚悟しとけ」
「我知道」
「あ?」
ペガソは中国語が苦手らしい。視線でナイラに問えば――
「覚悟しているそうです」
「そうかい。だが、どうせならスペイン語も教えてやらねえとな」
そして、振り向かずにペガソは告げる。
「そう言うことだ。悪いがこいつもらってくぜ。王の旦那」
「好きにしろ。そいつは私の前でお前に対して礼儀を通した。その段階で私の身内ではなくなった。死のうが生きようが、我らとは無縁だ」
「あぁ、そうかい。じゃあ遠慮しねえぜ」
それは礼儀と縁を重んじる中華社会ならではの価値観だった。新たな礼儀が通され、縁が切れた以上、もうその者は余所者なのだ。
「それとミスターペガソ。加えて伝えるが」
「なんだ?」
「いずれまた連絡する。七審とは別に我らで繋がりを築いておきたい」
「わかった。腰を落ち着ける場所が決まったら教えてくれや。祝の花の一つでも送るからよ」
「あぁ、必ず連絡する。そのときにまた会おう」
王の声にペガソは片手を上げて挨拶する。そして、扉の向こうへと消えていったのである。
だが立ち去るペガソと雪花に視線を送っている人物が居る。王麗沙である。麗沙に王老師が問いかける。
「これで、良かったのか? お前の親友の妹だろう?」
「かまいません。どのみちあの子には中華社会には居場所はありません。ここを引き払う以上、大陸本土へと送り返すわけにも行きません。あの御仁でしたら、少なくとも無駄に死なせることもないでしょうから」
「そうか」
王はそれ以上はなにも問い詰めなかった。
そして王老師は、かつてファイブだった物体へと静かに歩み寄る。ファイブの残骸のそばに立つと腰をかがめてファイブの破片を一つ取り上げた。ファイブの銀色のマスクフェイスのミラー外殻の破片である。焼け焦げた銀色に輝くそれを手にして老師は力強く告げた。
「木人ごときが、〝十三妹〟相手に遊ぼうなどということ自体が、そもそもの間違いなのだ」
十三妹――、中国の古い大衆小説に登場するうら若い女武侠の事だ。優れた剣技を持ち、親の敵を追いながら、世のため人のために戦い続けた義侠心に熱い正義のヒロインである。老師はフィールに十三妹の姿を見ていたのである。老師に麗沙が言う。
「たしかにあの立ち振舞いは十三妹以外の何者でもありませんね。それが2人も現れたのでは勝とうと言うのがそもそも無理な話」
「我々以外にはな」
冷徹に強く断言する。
「行くぞ。撤収作業を完璧に遂行しろ」
「承知いたしました。では」
その言葉を境目に2人は別々の行動を開始した。
王麗沙は表の顔を、
王之神は裏の顔を、
それぞれに統率して組織を率いていくのだ。
年月を経た太龍は決して死なない。伏龍として眠りの時を経て再び天へと舞い上がるのだ。
彼らの名は『翁龍』
世界に爪をかける巨大な龍である。
■何処かの路上にて:エージェント、コクラの場合
「ん?」
コクラは歩みを止めた。その耳に聞こえていた音楽が途絶えたからだ。
「ワーグナーが消えた。途中で途切れたということは――、そうか、そういうことか」
コクラはさして気にも止めずに苦笑する。
「ワーグナーに関わるものは必ず破滅する。ルードヴィッヒ狂王しかり、ナチスしかり――」
コクラは気配を殺したまま歩き続ける。
「愚か者にはレクイエムがふさわしい」
そのつぶやきを聞くものは誰も居なかったのである。
















