Part22 過去の記憶/女傑の胸騒ぎ
一人の人物がヒールの音を鳴らしながら入ってくる。
「ちょいと待たせてもらうよ」
葉巻をくゆらせながら現れたのはママノーラだった。ベンツに乗り込む時についていた2人の若い護衛もついている。一人がドアを開け、一人が先にママノーラの席を準備する。歳の頃は十代半ばでまだまだ若さを感じさせる。だがよほど教育とトレーニングが行き届いているのか、ウラジスノフに勝るとも劣らない身のこなしである。
ママノーラは自分の席に付きながら労う。
「ごくろう」
普段は恰幅の良さとともにどんと構えた威圧感が彼女の持ち味だったが、今はどこか不安げだった。苛立ちすら浮かんでいる。そして女官たちに告げる。
「悪いがなにかおくれよ」
「紅茶はいかがでしょうか?」
「あぁ、それでいい」
ママノーラがめずらしく、王の配下の女官たちに飲食を求めていた。いつもウラジスノフ経由でしか物を求めないのに関わらずだ。その異変を察してファイブが問いかける。
「ママノーラ、お帰りになられたはずでは? なにかありましたか?」
ファイブの言葉にママノーラが答える。
「ん? なに、ヤサに帰ったんだが妙に胸騒ぎがしてね。ここならアンタも居るし情報が入るのは一番早いだろ?」
「なるほど」
ファイブは、あの神電がやっていたように空間にホログラフディスプレイを浮かべると情報について調べていた。そして何かに気づいたらしい。
「あぁ、なるほど。そう言うことですか」
納得げに呟くファイブの言葉にママノーラは頷いた。
「あぁ、今、内のヴォロージャを動かしてるんだ。ベルトコーネをとっ捕まえるためさ」
ベルトコーネと言う言葉に反応したのは天龍だ。
「それで?」
言葉はシンプルだったがドスが効いていた。
「日本のポリスとやりあってたんだが、あのシェン・レイが無力化したそうだ。今から日本のアンドロイドポリスを追い払って身柄を押さえるってさ。後詰めにはモンスターにも控えてもらってる。予想外だったがどうやら根こそぎベルトコーネの特殊能力を神の雷の奴が削いじまったらしい。今やマリオネットそのもので単分子ワイヤーで釣られてるってさ」
「あぁ、なるほど確かに。おっしゃる通りですね」
ファイブが操るネット画像には街頭カメラやステルスドローンなどの映像で、ベルトコーネの断末魔の光景が映し出されている。
「あの狂える拳魔も神の雷にはかなわないらしい。それに――」
ファイブはさらにデータを調査していて何か気づいたようだ。
「――なるほど。神の雷があのローラを手元に置いたのはこのためでしたか」
その言葉に皆の視線が集中する。
「ローラとベルトコーネは同じ製作技術によるもの、当然、システム内部のプロトコルも同一の可能性が高い。奴はそれを狙ったんだ。うまく考えましたね。それを孤児たちの乳母役とする事で周囲を欺いたわけだ」
実態としては子供たちの世話役が必要だったのは事実であり、そちらの方が重要だったのだが、そう考えないのがファイブと言う男である。
「それで、ママノーラ。不安とは?」
ファイブの問いかけにママノーラが答える。
「前に極東ロシアンマフィアが、ロシア警察の大規模なカチコミを食らったんだが、その時と同じ予感がするんだよ。なにか重要な事を見落としてる。あるいは自分たちの手に無い重要なカードがまだ残されている。そんな感じだ。一人で考えても答えが出ない。手持ちの情報を洗ってもピンとこない。でも何か残ってるんだ」
マフィアの首魁を務めていると言っても、女性である事に変わりはない。身近な人間の身を案じているのは明らかだ。それに対して言葉をかけたのは天龍だ。
「ママノーラ。あのウラジスノフって爺さんの事が気にかかるのかい?」
意外にも語り口は穏やかである。その口調にほだされるようにママノーラが答えた。
「もちろんだよ。サムライの同士。アレはアタシの死んだオヤジの古い友人なんだ。元はスペツナズにも居た正統派のロシア軍人でマフィアじゃなかった。でもマフィアだったうちの親父とは職業の違いを超えて友情を結んで何時でもそれを大切にしていた。義理堅くてねぇ。一度結んだ約束は絶対に反故にしない。だからアタシはアイツをいつでも連れ歩いてるのさ」
昔を懐かしむ様に語る。そこにペガソが問いかける。
「でもなんであのおっさんあんなに喋られねえんだ? 無口ったってほどがあるだろ」
「あぁ、それかい? わけがあるのさ」
葉巻の灰を灰皿で落とすと言葉を続ける。
「アイツの息子もロシア軍の将校でね。極東のウラジオストック駐留部隊に居たんだ。でも、ある事件で駐留部隊が数千人規模で壊滅した際に死んじまったのさ。事件の実態はロシア諜報部のFSBが全面封鎖して今でも謎のまま。遺体すら帰ってこなかったそうだ。だがヴォロージャは自らの元スペツナズとしての勘と技術を活かして、機密保持の包囲網を突破して単身事件現場に乗り込んでいった。そしてそこで息子の死の理由を知っちまったのさ。だがアイツは事件現場から生還してきてもそこで何を見たのか一切口にしない。酒が入れば冗談くらいは言ってたのが酒も飲まなくなった。まるで何かを待っているかのようにね――」
ママノーラが過去を慈しみながら語れば、そこから得られた情報を元に調査を始めたのがファイブだった。そして空間上のホログラフディスプレイを多数展開しながらこう告げた。
「ママノーラ、もしかしたらそれがなんなのか解るかもしれません」
ファイブの言葉にママノーラが驚くように振り返る。
「なんだって?」
「今、FSBと英国との間でデータのやり取りが行われたようです。暗号化データのパケットを取得しました。内容を調べるにはデータの復号化が必要なので少し時間がかかりますが、日本でベルトコーネが暴れている事と何か関係があるかもしれません。何しろ――」
そしてファイブがデータを操作して複数の画像を表示させる。アトラス、センチュリー、ディアリオ、エリオット、そしてグラウザー。それは現時点で東京アバディーンに関与している日本の特攻装警の姿を写した物であった。
「――今、ベルトコーネと戦っているのは彼らなのですから。英国はマリオネット・ディンキーからVIPを守ってもらった恩義が有る。その点でなんらかの取引があったとしても不思議ではない。ディンキー本人が不在の今、ベルトコーネに関するなんらかの情報をロシア当局から引き出したと見るべきでしょう。ママノーラ、今少し待っててください。FSBが明かしたソレがなんなのかお調べします」
「あぁ、頼んだよ。銀の同士」
ファイブの言葉に信頼を込めるようにママノーラは答えていた。そしてそれはこれから訪れる悲劇の足音の序章だったのである。
















