Part20 悪魔と悪夢と/ケンブリッジより
イギリス――正しくはグレートブリテンと呼ばれる連合王国の日本における呼び名だ。
日本と同じく千年を遥かに超える古い歴史を有する由緒ある王政国家である。
騎士道と貴族精神を重んじ、長い年月において世界政治の旗手たるべく活躍してきた偉大なる国の一つだ。
そのイギリスの中心地の首都ロンドン、そこから北北東に80キロほど進んだ場所に存在するのが世界的にも有名な学術都市であるケンブリッジだ。創設以来800近い年月を刻んだ歴史的由緒のある勇壮なる学び舎の一つである。
その大学都市であるケンブリッジの西の外れ、大学関連施設からさらに西へと進み、ハイウェイM11号線の沿いにそびえるグリーンメタリックに輝く正方形を基調とした建物が並ぶ施設群がある。
イギリスを代表する世界的なアンドロイド用人工頭脳研究の世界的権威であるチャールズ・ガドニック博士が代表を務める多目的開発研究機関『エヴァーグリーン』の活動拠点となる研究施設である。
そしてそこに活動拠点を有するある学術集団が有る。
英国科学アカデミーの在籍会員の有志により結成された自主的研究交流グループ『円卓の会』である。
あの有明事件において世界的テロリスト、マリオネット・ディンキーに襲われ追い詰められながらも日本警察の尽力により奇跡の生還を果たしたあの彼らである。
グラウザーたちが東京の大都市の夜の帳の中で必死の戦いを強いられている中、このケンブリッジにある研究施設『エヴァーグリーンラボラトリーズ』ではその日もガドニック教授を始めとする様々な人々が集い、思い思いに活動していた。施設に常駐しているガドニック教授は当然として、ロボティックス工学博士のホプキンス、人体生理学博士のタイム、情報工学博士のトム・リー、彼らは直接的な共同研究者として、エヴァーグリーンラボラトリーズに頻繁に顔を出していた。そしてその日も以前から研究対象となっていた新型のマインドOSに関わる基礎研究のために集まっていたのだ。
時間は丁度昼時であり、研究の手を止めてガドニック教授専用のレストルームに集まっていた。そして施設専属のアシスタントたちに命じて昼食の準備が進められているところだった。
レストルームに集まっているのはガドニックと、タイムと、トム・リーで、雑談しながらカップを傾けていた。4人の中では一番の若輩であるトム・リーがふと思い出したようにがドニックに問いかけた。
「そう言えばガドニックさん」
「ん?」
ガドニックは電子ペーパー仕様の電子書籍で、学術論文に目を通しているところだった。自分の研究範囲ではない物だが、ガドニックは自分の専門に偏らず広く知識を仕入れる習慣があることで有名であった。
「日本で僕達を救ってくれたアンドロイド警察なんですけど一人、非常にリアルに造られた人間そっくりの人が居ましたよね」
「あぁ、グラウザーの事だね」
「えぇ、あれから彼、どうしてますか? 噂だと正式に警察職員として認められたって聞きましたけど」
「あぁ、その事か」
ガドニックは思い出したように記憶を振り返りながら電子書籍をテーブルの上に置くとトムの方へと視線を向けた。
「そうだね。彼は所轄での現場任務がメインなんだが、若い警察職員とペアになってポリスオフィサーの任務に正式配備になったそうだよ。有明事件での実績が認められたのも大きかったようだね。先日、開発担当のミスター大久保からも彼の活躍状況についてデータが送られてきたところだ。まぁ、まだ未完成なところが残っているそうだが、基本捜査活動に限るなら合格といえるところまで来ているよ。しかしそれがどうかしたかね?」
「いえ、実は――」
そこで一言区切りながらトムは言葉を続けた。
「その後の彼らの活躍について知りたくて日本の警察関連の資料やデータをネットで眺めていたんです。活躍しているところの映像だけでも見てみたくて。その――彼らは僕らの恩人ですし」
「そうだね」
「でも、日本の警察って内部データをなかなか開示しないんですよね。閉鎖的というか警戒心が強いというか――」
「あぁ、その事か」
トムの言葉にガドニックは苦笑しながら言葉を続ける。
「しかたないさ。日本の警察は優秀では有るが、お硬くて融通がきかないので有名だからね。世界の警察の標準から見ても不正や犯罪に走る不良警官が少ないのが特徴であり、逮捕率も今なお世界でもトップクラスだ。だがその分内部規律も厳しく組織の綱紀粛正については軍隊並みだと言う意見もあるくらいだ。しかし、言い換えればそれだけ彼らが真面目で誠実だという証拠でも有ると私は思っている。ただ君が言う通り、気軽に彼らとコンタクトを取るのは手続きが少々面倒ではあるのは確かだな。トム、もしかして君も彼らと再会してみたいのではないかね?」
「えぇ、ネット経由で特攻装警のナンバー4のディアリオさんとは時々ネットで会っているんですが、彼も結構頑固で簡単には会えないって仰るもので」
「それはもっと仕方ないさ。彼は特攻装警6体の中で一番厳格で真面目な性格だからな。内部情報扱いのデータは不用意には身内に対しても明かさないだろうさ。もし彼らとコンタクトが取りたいのなら私が連絡をとってやろう。あるいは次に日本に行く時に同行したらどうかね?」
ガドニックの思わぬ申し出にトムも思わず身を乗り出していた。
「本当ですか?」
「あぁ、もちろんスケジュールが合えばの話だがね」
「もちろんです。ぜひお願いします」
「あぁ、そう云うことなら――」
コーヒーカップを傾けつつここ数日の研究データのチェックをしていたタイムも言葉をかけてくる。
「私も同席させてもらえないかね?」
「君もか、タイム」
「あぁ、あの警察付属の研究機関で出会ったカラテマスターのプロフェッサーとまた会ってみたくてね。手紙やメールでやり取りはしているんだが、単にユニークと言うだけじゃなくて、人体生理学についても非常に優秀な御仁だと言う事がわかってね、何しろアジアに限らず世界中の格闘技やスポーツに関する人体構造力学については驚くほどの研究データを持っているんだ。それには彼自身がアジアンマーシャルアーツに広く通じていて、そのマスタークラスだと言う事もあると思う。今度彼に正式に共同研究を持ちかけようと思っているんだ」
マーシャルアーツとは日本語の『武芸』と言う言葉を直訳した単語で、非スポーツ的な格闘技全般を指す言葉だ。アジアンマーシャルアーツと言う言葉には東アジア全体に広く存在する東洋系格闘技と言う意味が込められている。中華系のクンフー、インドのパラリカヤット、日本の空手・柔術など多岐にわたる。
「ミスター大田原か。たしかにあの人もユニークだったな。彼は自分の研究施設を『道場』とう呼ばせているらしいが、彼とならまた違った研究ができるだろうね。良いだろう、協力するよ」
「そうか、それは助かるよ」
彼らがそんなやり取りをしていたときだった。レストルームに慌ただしく駆け込んでくる人影が有った。
「おい! みんな! チャーリー!」
4人の中では一番体格の大きくロボティックス工学が専門のホプキンスだ。レストルームでのくつろいだ雰囲気とは異なり走り方からして慌ただしく何かしらの緊急事態を伝えようとしているのがわかる。
端正なYシャツ姿のホプキンスだったが、レストルームの彼らからの声を待たずに一直線にガドニックたちの所へと駆けつけるなり叫んだ。
「東京が大変なことになっているぞ!」
















