Part19 第1方面涙路署捜査課/ペロとアリス
――一方、涙路署の休憩室。そこでは丸テーブルにノートパソコンを広げ、プラスティック製の椅子に腰掛けてネットを楽しんでいるかなえの姿があった。奇しくもその席は、新型リニア試乗会の話をネット越しに母親の槙子がかなえと会話をした時の席だった。席の後ろ側が壁になるので画面を盗み見られる心配が無いからである。
テーブルの上にはペットボトルの清涼飲料水。サイダー系がかなえの好みだった。
そして薄型のタブレットスタイルのノートパソコンを広げて、その上で両手でキータイプをしていた。普段から慣れているのかキータイプ速度は恐ろしく早い。時折通りかかる婦警たちが驚きの風でその様子を眺めている。
「あの子、だれ?」
「あぁ、捜査課の今井課長の娘さんよ。仕事が終わるまで待ってるんだって」
「へぇ、でもまだ小学生でしょ? すごくない?」
大人のプロ並みの速度でのキータイプが信じられないらしい。
「当然よ。だってかなえちゃんホビーロボットのいろんな大会で大人に混じって活躍しているそうよ」
「へえ、すごいわね。才女の資質って遺伝するのかしらね」
婦警がそんな事を会話しながら通り過ぎる。その言葉はかなえには聞こえていない風だった。そしてかなえがネットでアクセスしているのはあるサイトだった。
【 極秘会員制サイト 】
【 DocterUncle’s Lab. 】
それは母である槙子ですら知らないサイトだった。そしてかなえのホビーロボットエンジニアとしての才能を伸ばしてくれた秘密の学びの場だったのだ。
【 Entry 】
【 ――Eyelis ID:Check―― 】
ノート端末に備わっている小型カメラを接写モードにすると自分の目の虹彩を写し取る。そしてそこから得られたデータを元にIDチェックを行う。このサイトはかなえにしかアクセスする事ができないのだ。
【 Check OK 】
【 ――Please Come’in―― 】
入室が許されてかなえはサイトへと入っていく。するとその中は旧時代的なテキストベースのサイトではなく、3DVR空間を基本としたアバターサイトだった。かなえのアバターはふしぎの国のアリス。水色のエプロンドレスを身につけたおなじみのあのキャラクターだ。
アリスのキャラクターは中世ヨーロッパの町並みのようなところの噴水広場に居た。周囲に建物やバザーが立ち並ぶ場所だ。行き交う人々はアバターであり、建物や設備はこのサイトのサブページだ。当然、それらのアバターのすべてが人間とは限らない。ネットシステムやコンピュータプログラムによる自動キャラの場合もある。するとそこに近寄ってきたのは長靴をはいたネコである。
【アリス:おひさしー 】
【ペロ :やぁ、久しぶり 】
かなえが演じるアリスが声をかければ、長靴猫のペロも声をかけてくる。メッセージは音声オフで画面上に吹き出しで表示される。
【ペロ :しばらく来なかったね元気だった? 】
【アリス:元気は元気だよ。詰めの作業で忙しく】
【 てなかなか来れなくってさ。 】
【ペロ :今度の大会の準備? 】
【アリス:ノーコメ 】
このサイトではオープンスペースでは個人特定に関わる話題はタブーである。ペロのコメントに赤いチェックが付いた。
【ペロ :あ、やべっ! 】
【アリス:ほらー! 出てきた赤ランプ! 】
【 ドクターに怒られるよ! 】
【ペロ :^^; ゴメンゴメン 】
どうやらペロは少しうっかり者らしい。
【アリス:ここじゃなんだし個室移動する? 】
【ペロ :おK 】
【アリス:じゃ、いつものとこで 】
そしてかなえは直接移動コマンドを展開するとショートカットアイコンをタッチする。そしてテレポートするかのように別な場所へと移動した。
移動した先はファンタジーRPGの中に出てきそうな個室付きの旅籠だった。その中の個室の一室が2人の定番の場所らしい。アリスが先についてペロがあとから入ってくる。
【ペロ :おまたー 】
【アリス:はいな 】
【ペロ :それでどうなの次の大会の見通し 】
【アリス:機体は問題なし。故障もしなかったし】
【 ただ、プログラムが―― 】
【 どうも判断処理が速度向上しなくてさ】
【ペロ :あ、考えてるうちに敵に先越されるっ】
【 ってアレ? 】
【アリス:そそ 】
【ペロ :ソースちょっと見してみ 】
【アリス:はーい 】
そしてかなえは別窓でプログラムソースを画面展開する。するとそこには膨大な量のプログラム文章がリストアップされる。それはネットの向こうのペロの方にも表示されている。別窓展開は双方でリンクしており、ペロが操作したものがアリスの側でもシンクロして表示されるのだ。
表示されたプログラムをペロがチェックしている。そのスクロール速度は恐ろしく早く、一般人には目にとめることも困難だ。それはペロがプログラム関連のスキルを持っている人間であることを暗に示していた。
そして2分ほど経ってリストの動きが止まる。
【ペロ :ホラここ。見える? 】
画面にマウスアイコンが浮かんでリストのある場所を示している。
【ペロ :ここの分岐構文間違ってる。これだと】
【 どっちも条件分岐しないでループする】
【 よ? ここが無限ループしてて他のプ】
【 ログラムの割り込みでループアウトし】
【 てる。それで時間がかかるんだよ。 】
【アリス:あー、(@_@;) ほんとだー 】
【ペロ :これをこうすれば 】
ペロが即座に修正する。そしてサイトに備わった機能であるシュミレーターで仮想実行する。
【ペロ :ほら動いた。これだと判断早くなる 】
【アリス:ホントだー! ペロありがとう! 】
【ペロ :(⌒▽⌒) どういたしまして 】
【アリス:これわかんなくてさ。 】
【 ここ一ヶ月ずっとこん詰めてたんだよ】
【ペロ :あまり無理したらアカンよ? 】
【アリス:わかってる! 】
【 でも今度こそ優勝したくてさ 】
【ペロ :大丈夫だって。 】
【 アリスはソフトもハードも基本優秀だ】
【 から、ケアレスミス無くせばOKだよ】
【アリス:そう? 】
【ペロ :大丈夫だって。こないだの試合映像、】
【 NetTubeで見させてもらったし】
【アリス:え? なんでわかってるの? 】
【ペロ :(;^ω^)会話の内容で大体わかる】
【アリス:がーーん (+_+) 】
【ペロ :大丈夫、他のやつには話してない 】
【アリス:ほんと? 】
【ペロ :僕もこのサイト、強制退会になりたく】
【 ないし 】
【アリス:そういうのはドクターってすごいうる】
【 さいんだよね。(ーー;) 】
【 そうだお礼何が良い? 】
【ペロ :え? お礼? いいの? 】
【アリス:うん、バグ取り成功助かったし 】
【ペロ :そっか。じゃあ 】
【 今度RPGに付き合ってくれる? 】
RPG、3D仕様のネットRPGだ。
【アリス:いいよー 】
【ペロ :おK、じゃあとで連絡する 】
【アリス:わかったー、(^_^)/ 】
2人がそんな会話をこなしていると、ペロが一区切り置いて言葉を続ける。
【ペロ :そういえば、聞いた? 】
【アリス:え? なにを? 】
【ペロ :〝クラウン〟の噂 】
【アリス:クラウン? あーあれ? 正体不明の】
【 謎のアバター 】
【ペロ :そうそれ。見かけると不幸になるとか】
【 死ぬとか言われてるやつ。 】
【アリス:それって都市伝説だよね? ^^; 】
【ペロ :僕もそう思ってた。でもそうでもない】
【 らしいんだ。 】
【アリス:どう言う事? 】
【ペロ :こことは別の秘密サイトで現れて 】
【 データ根こそぎやられた上にアバター】
【 壊されたやつがたくさん居るんだって】
【 皆言ってるよ。〝死の道化師〟って 】
【 実言うと俺の友達もやられた。 】
【 PCまで侵食されてアウト 】
【アリス:うわマジ? 】
【ペロ :ホント。だからアリスも見かけたら 】
【 気をつけな。 】
【アリス:らじゃ、十分気をつける。 】
【ペロ :本当ならその事でドクターに相談した】
【 かったんだけど。ここんとこ来ないん】
【 だよね。ドクターが。 】
【アリス:そうだね。姿見かけないね。 】
【 忙しいのかな。 】
【ペロ :だろうね。本業とかあるだろうし。 】
【アリス:でもさ。ドクターってさ何やってる人】
【 なんだろね。 】
【ペロ :ちょっとアリスそれヤバ 】
【アリス:え? 】
サイト管理者であるドクター・アンクル。その素性を手繰ることは禁則事項である。アリスのアバターにも赤いチェックが付く。
【ペロ :ほら。赤ランプ。 】
【アリス:うわーん。(´Д⊂ヽ 】
どうやらこのサイトでは赤いチェックは赤ランプと呼ばれて蓄積するとペナルティ対象らしい。
【アリス:赤ランプ無しでやってたのにー 】
【ペロ :付いちゃった以上、しゃーないよ 】
【アリス:うん、気をつける。 】
【ペロ :お互いにね。それじゃ僕はそろそろ 】
【アリス:うん、じゃーね。(・ω・)ノシ 】
【ペロ :BYE^2 】
【ペロ <LOGOUT 】
そしてかなえも会話を終えてログアウトする。そして一人つぶやいていた。
「それにしてもほんと、ドクターって何してる人なんだろう?」
ドクター・アンクル――精密にして広大な領域を持つサイトを有し、完璧なセキュリティを展開する。そして選ばれた才能を持つものに人知れず支援の手を差し伸べてくれる人。だがその素性は全くの謎の中だ。だが詮索は一切許されず、知ろうとする者には重いペナルティが課される。
考えても詮無いことだ。かなえは再びネットへとつながると暇つぶしに別サイトへとアクセスし始めた。母が戻ってくるのはまだまだ掛かるはずだ。すると米倉から声がする。夕食を持ってきたらしい。
かけられてくる声にかなえが返事をした。
「はーい。今行きまーす」
長い夜が開けるのはまだまだ先である。
















