Part15 オペレーション/シェンレイと言う男
時同じくして――
シェン・レイは駆けていた。向かう先は李大夫の占いの店で天満菜館から100mほど離れた場所にある建物だ。表向きは派手な台湾風占い屋の看板で飾られているが、その3階建てのペンシルビルの中がどうなっているかを知ってるのは地元でも限られた者たちしかいない。
確かに1階は李大夫の占い館だが、2階と3階はその地域の顔役が集まる秘密の集会場となっている。そのような場所が李大夫の店にあるという事自体が、李大夫のこの界隈での立場を如実に示していた。
その店の奥から辿れる隠し通路から地下に下がれば、極秘の地下室がある。地下室の所有者はシェン・レイ。法的名義こそ異なるが、その建物を作る資金を提供したのは誰であろうシェン・レイその人である。
グラウザーたちとの共闘を終えると朝たちの足跡を追う。東京アバディーンのメインストリート外側。帯状外縁エリアの中国人街、さらにその中の台湾人の多いエリアへとシェン・レイは裏路地を抜けて一気にたどり着く。喧騒がやまぬ不夜城のような繁華街の中をくぐれば周囲の人々から声がかけられた。
「シェンさん! 何があったんだい!」
「すまんな先を急いでるんだ。知りたければいつもの所に来てくれ」
若い男が声をかけてきたが、シェンからの返事にそれ以上は問うことはできないで、肩をすくめるしか無い。いつもの所――、それが天満菜館か李大夫の占い屋なのは誰もが知っているところだ。
そもそもこの街の事はシェンが一番知り尽くしている。メインストリートの向こう側に巣食う悪漢たちがこの街を牛耳る当初から、この街に根を下ろして住んでいる無垢なる市民たちを守ろうと、孤独な戦いを続けてきたのは彼なのだから。
人混みの中をすり抜ける様にして駆け抜ければ、目の前に天満菜館が見える。店先で足を止め店の中に視線を向ける。すると、天満菜館の従業員である若い女性が顔を出す。細身で長い黒髪が目立つ子で明媚と言う。
ミンメイもシェンの姿が見えたことで少しホッとしたのだろう。緊張が解けた面持ちでシェンに問いかけていた。
「シェンさん!」
「ミンメイか、楊さんは?」
「もうすでに李さんのお店に行ったわ。先に準備しておくって」
「謝々、忙しい所すまないが店番頼むぞ」
「請留下。こっちはみんなで何とかするから平気よ。それよりも――」
ミンメイは不意に背後を振り返ると、店の中に集まっているこの界隈の人々に視線を合わせながらシェンへと改めて声をかけた。
「怪我をした子、必ず助けてあげて」
その言葉には幾ばくかの罪悪感が滲んでいた。今まで見て見ぬふりをしてきたハイヘイズと言う名の孤児たち。悲惨な境遇にある彼等の存在を知りつつも向き合わずに居た。それは紛れもない事実であり、無視してきた事が今回の悲劇の遠因ともなっているのだ。テロアンドロイドの存在はきっかけでしか無い。マフィアや凶悪犯によっていつかは引き起こされたであろう悲劇なのだ。
そんな思いを誰もが抱いていることは店の中から、シェンに対して向けられている多数の視線からも痛いほど伝わってくる。シェンはその一つ一つに向き合うと、はっきりと頷いてこう告げたのだ。
「不要擔心」
それは『心配無用』と言う意味の中国語だ。シェンは駆け出しながらミンメイにこう告げて立ち去る。
「この街の命は私が必ず救う」
それは決意だ。この街に住む同胞を、そして、力なき無垢なる人々を守ると誓った日からいだいている決意だ。たとえ全世界を敵に回しても彼は真っ向から悪意に立ち向かうだろう。そしてそれが神の雷――シェン・レイと言う男なのである。
@ @ @
天満菜館から離れ、李大夫の店にたどり着く、店の入口付近にはすでに人垣ができていてちょっとした喧騒となっている。その人混みをかき分けるようにしてシェンが店に入っていく。
強引な割り込みに罵声が上がるが、その人物がシェンである事を知ると、人垣は自然に左右に割れる。シェンは謝意を口にしながら店の中へと入っていった。そして李大夫の店の店内では、カチュアを運んできたあの若者たちが待機していた。
「シェンさん!」
「お待ちしていました」
「お前たちか、カチュアはどこだ?」
シェンはマントコートを脱ぎながら彼等に話しかける。
「すでに下のシェンさんの病院へと運びました。李さんや楊さんが準備を始めているはずです」
脱いだマントコートを手早く折りたたみ小脇に抱えながらさらに訊ねる。
「それと一緒に同行していたチャオは?」
チャオ――朝と言う漢字を中国語読みするとそう言う発音になる。朝刑事が日本人であり日本の警察官であることを彼等は知っていたが、シェンがなぜあえて中国語読みで彼の名を呼んだのか、その意図を彼等もすぐに察していた。
「チャオさんも一緒です。カチュアに付き添っているはずです」
「分かった。君たちもご苦労だったな」
彼等の労を労うようにシェンもは声をかける。そして彼等もまたミンメイと同じように求めてくるのだ。
「シェンさん」
彼等の言葉に足を止める。振り向いたシェンに若者たちは言った。
「カチュアを助けてあげてください」
「無論だ」
彼等の言葉にシェンははっきりと頷いた。
「そのためにこそ、私の〝技〟は在るのだ」
その言葉を残しシェンが地下フロアへと続く階段へと降りていった。
その時、その店の前に集まっていた誰もが、天満菜館でシェンたちの帰りを待っている誰もが、この東京アバディーンと言う街に住む無垢なる人々の誰もが、小さな命が救われることを心から願っていた。
事件の詳細は噂となり街を駆け巡る。あるいは電子の波に乗り、瞬く間に世界を駆け巡った。
無垢な少女が狂拳で殺されかけている。
誰かが少女を救おうとしている。
それは困難な手術だ。
だが救われるべき命であるのだ。
そして、誰かが言った。
同じことを、また別の誰かが口にした。
「少女のために祈ろう」
その言葉はさざ波となり、この荒れ果てた街のいたるところへと広がりを見せたのだ。
私設の小さな協会で、
簡素なモスクで、
街角で、
東屋で、
路上で、
海辺で、
人々の祈りと願いは広がり続ける。
少女の名はカチュア、彼女の命が救われることを誰もが願っていたのである。
















