Part10 セイギノミカタ/間に合う者
ベルトコーネの顔面を猛烈な衝撃が襲った。
後方から回り込むような動きで急速に接近すると、ベルトコーネの右側で体を捻るように反転させると、大きく力を貯めていた右足を振り抜き、その足をベルトコーネの顔面へと炸裂させたのだ。しかもそれは単なる蹴りではない。
それは断罪のハンマーである。
悪しきを断つ断罪の刃である。
その回し蹴りの衝撃はベルトコーネの頭部全体を壮絶なまでに激しく貫いていた。
視界が飛び、一瞬何もかもが見えなくなる。
聴覚が吹っ飛ぶ。一切の音が遮断される。
平衡感覚は正しさを失い、上下左右がどこなのか、判断することすらできなくなる。
頭脳は正常な判断力を低下させる。脳内のリレーションが瞬間作動不良を起こし、膨大なエラーを瞬時にして吐き出した。
その攻撃の衝撃は頭部にダメージを与えたのみならず、ベルトコーネの身体を後方へと弾き飛ばす力をもたらした。蹴り飛ばされた頭部に引きずられるように、ベルトコーネのその全身は後方へと大きき吹き飛ばされた。
数十mを飛び、さらに二十mほどを横転する。アスファルトの上で、ローラたちの方とは逆方向に横臥させられる。すべての行動が困難となる状況で僅かに回復したベルトコーネの聴覚に聞こえてくる言葉があった。
『彼女は貴様の仲間じゃないぞ! 彼女はテロリストじゃない!! 寒さに震えてぬくもりを求める子どもたちを温め癒やして、全身全霊を尽くして助けようとする『母親』だぞ!! 貴様の血に汚れた拳で軽々しく触れていい存在じゃない!!!』
それは若々しい声だった。未来があった、力があった、何よりも温もりに満ちた怒りがあった。そうだ、この声は聞いたことがある。
『立て! 貴様のその腐りきった有害無益な拳を、僕が叩き潰す!!! 貴様だけは絶対に赦さん!!!』
そうだ、これはアイツの声だ。
有明のあの場所――
我らが主の終焉の地、仲間たちが打ち倒され二人だけとなった場所。
あの場所で俺に戦い挑み、一矢報いるどころか、あらゆる攻撃を掻い潜り、すべての行動が不能になる程のダメージをもたらしたアイツ――
日本警察が生み出したアンドロイド警官、
その名は【特攻装警】
その7号機にして6体目、そうだ奴の名は――
やつの名だけは忘れることができない。
当たり前だ。やつこそが我らが主人を打ち倒したのだから。
@ @ @
ベルトコーネの視界は作動エラーを起こしていた。だがそれが右側だけ回復する。聴覚も右耳のみ復帰した。動体制御のバランスコントロールシークエンスは今なおエラーを生じているが立ち上がることは可能だ。
両腕をついて身体を起こす。そして速やかに上体を引き起こして、ふらつきながらも立ち上がる。その視界に片隅にて、ローラをかばうようにして現れたのは日本人の青年の風貌を持つアンドロイドだ。
ベルトコーネは彼の名を呼んだ。苛立ちを隠さずに睨みつけながら叫んだ。
「貴様、グラウザー!?」
だが、それに対して紳士的に振る舞うグラウザーではない。
「気安く名前を呼ぶな。テロリスト崩れの戦闘狂!」
右腕を横にかざしてローラをその影へと庇う。その背中で彼女を守りつつもグラウザーの敵意と攻撃心は無慈悲な暴走をするベルトコーネへと真っ向から向いていた。グラウザーの怒りの叫びはなおも続いていた。それはグラウザーが初めて表す〝激怒〟の意思表示である。
「愚かしいヤツだとは思っていたが、まさかここまで愚劣なヤツだったとはな。無力な子供を血祭りにあげてご満足か!! お前のかつての主人が唱えていた理想とはこの程度の物だったのか! 答えろ! ベルトコーネ!」
それは清廉な怒りである。自分自身のエゴイズムから沸き起こったものではなく、他者への純粋で純朴な善意があるからこその、他人を守りたいという〝正義〟から沸き起こる怒りである。
だがベルトコーネは答えない。彼自身も別種の怒りを抱いて真っ向から睨みつけるのみだ。
二人が対峙する中、グラウザーに庇われる形となったローラは驚き、そして戸惑っていた。突如として現れた救いの手、ベルトコーネを一撃で吹き飛ばす程の戦闘能力。それを目の当たりにして驚き恐れぬはずがなかった。
グラウザーに声もかけられず戸惑うばかりのローラであったが、その彼女に声をかけてきたのはグラウザーからである。
「何をしているんだ!」
「えっ?」
グラウザーからの叱るような問いかけにローラが戸惑いとの声を漏らしたとき、落ち着いた優しい声でグラウザーはローラを諭した。
「僕は警察だ。君たちを助けに来た。ここは僕が〝戦う〟」
そして振り向いた横顔には、怒りの中に力強い優しさが垣間見えていた。戦いの矢面に立ち敵意と暴力と悪意に真っ向から立ち向かいながらも、護るべき存在へは掛け値なしの優しさを彼は持ち合わせていた。そしてグラウザーはローラにこう力強く告げたのだ。
「君は戻って子どもたちを護るんだ。さぁ、早く!!」
その言葉にローラは気づいた。
判断を誤ってはならない。役目を忘れてはならない。戻るべき場所は今なお確かにあるのだ。
そして、ローラは自らの胸を右手で強く押さえると、安堵と喜びと、そして自分が新たに犯そうとしていた過ちに気づいて不安におののいていた。涙を流し、その体を震えさせながらローラはグラウザーの言葉に答えたのだ。
「はい――」
声を震わせながら頷き身を翻す。そして、グラウザーの背中にローラは声をかける。
「ありがとうございます」
その言葉にグラウザーは、静かに微笑みながら頷いていた。
安堵とともに涙が溢れてくる。一度は選んだ自爆という破滅の選択。だが、それは最悪の状況下で失敗に終わった。これで誰もが助からないと一度は覚悟を決めたのだが、それは失敗ではなかった。むしろそれは不幸中の幸いだったのだ。
「ラフマニ!」
ラフマニの元へと駆け寄るローラ。ラフマニは今なお急性拒絶反応発作で身の自由が不完全な状況にある。それでも立ち上がれるくらいには回復しつつある。ふらつきながらも何とか体を起こして両足で立とうとしている所だった。
ようやく二本の足で立ったかと思ったがやはりふらついて倒れそうになる。それに駆け寄り受け止めたのがローラである。
「大丈夫!?」
「あ? あぁ――、なんとかな」
ローラによりかかりながらもラフマニは何とか立っていた。そして、無事生還してきたローラをその両腕で抱きしめていく。抱きしめる力は何よりも強かった。
「痛い、痛いよ。ラフマニ」
「痛いくらいがなんだ!」
怒るような口調。なじるような言葉。だが、その言葉の意味をローラはすぐに知ることになる。
「勝手な真似しやがって! お前が居なくなったらガキどもはどうするんだよ!?」
ラフマニからの叱責の言葉。それを耳にしてローラはハッとした表情となった。
「お前が犠牲になってあいつらが生き残れても、お前が居なくなったって現実に打ちひしがれながら生きなきゃならねーんだぞ! お前が消えればあいつらが笑わなくなるって事くらい分かんねーのかよ! 二度もあいつらから〝母親〟奪う気か!」
ラフマニから叩きつけられたその言葉に、ローラは己の愚かしさを思い知らされた。そして消え入るような声でこう詫びたのだ。
「――ごめん」
ラフマニの肩に顔を埋めて涙声で詫びていた。
「あやまるんなら俺じゃなくあいつらに謝れ! 何があっても生き残ってあいつらと一緒に居てやってくれよ!」
「うん――」
ローラの謝る声を聞くと同時に、ラフマニは安堵の表情を浮かべながらも膝を折るようにして崩れ落ちていく。
「くそっ……、力が入らねぇえ」
「大丈夫?! しっかりして!」
思ったよりも症状が重いのかラフマニの容態は決して思わしくなかった。そんなラフマニを両手で抱き起こすと、肩を貸すようなスタイルで彼を支えてベルトコーネの方から離れていく。
「すまねぇ、身体が――どうにもならねぇんだ」
「拒絶反応でしょ?」
「あぁ、無理すると発作みたいに起こるんだ。今まででも一番ひでぇ。くそっ! 俺もお前のこと言えた義理じゃねえな」
ラフマニは苦笑いしながら自嘲する。だが、ローラが彼を労るように言う。
「そんな事無いよ」
ローラはラフマニに微笑みかけた。
「ラフマニが戦ってくれたから〝間に合った〟んだよ」
そして背後を振り返りつつこう告げたのだ。
「あの人が間に合ったんだよ」
そう語る言葉に導かれてラフマニも背後に視線を向ける。そこにはベルトコーネと真っ向から向かい合うグラウザーの姿があった。この地に、救いの手を差し伸べるために駆けつけてくれたのだ。
「誰だかわかんねぇけど――」
グラウザーのその背中がラフマニの目には何よりも眩しく頼もしかった。
「あとはまかせたぜ」
その言葉が戦いの矢面に立つグラウザーの耳に聞こえたかは定かではない。とりあえず今は、あのハイヘイズの子どもたちのところへと二人で支え合いながら戻っていったのである。