Part9 覚悟/絶望を乗り越える者
「そうよ。そのとおりよ。だからアイツは誰にも倒せない。もう最後の手段しか無いわ」
ローラが悲痛な表情で語れば、それとタイミングを同じくして、ベルトコーネは単分子ワイヤーの戒めの束を、加速度的に断ち切ろうとしていた。身動き一つ出来ていなかったのが、今や身を捩るだけでなく両腕もほとんど自由になりはじめている。全てを引きちぎってしまうまで、残り幾ばくも無いだろう。
「ローラ! やめろぉぉぉ!!」
ラフマニの壮絶な叫びがあたりにこだましていた。それを振り切るようにローラは走り出していた。
「ごめん! みんな! もうこれしかないの! さようなら!」
涙声を残しながらローラは走り出す。そして、ベルトコーネの方へと肉薄していく。彼女の体内では今、最後の仕掛けが動き出そうとしていたのである。
【 最重要プログラム封印解除 】
【 ――光子器官・暴走制御シークエンス―― 】
【 自爆モード:作動開始 】
【 60秒後、自己対消滅起動 】
彼女の体内に僅かに残されていた光の力。それを用いて、自らの周囲数mの物質を純然たる光とエネルギーとに物質変換してしまう。そうする事で自分自身を含めて、一定範囲を完全消滅させる。それがローラに残された最後の最後の手段であった。いかなる攻撃も通用しないのであれば、もはやこの世からその存在自体を完全に消し去るしか無い。
ローラは自分だけに許されたその力を利用して、ベルトコーネもろとも消え去ることを選んだのだ。
そして、ローラはかろうじて拘束されているベルトコーネに肉薄すると背後も振り返らずに、別れの言葉を口にしていた。
「みんな、本当にありがとう。人を殺めて、世界を壊すことしか知らなかったこんなアタシにたくさんの幸せをくれて――」
そして、ベルトコーネの身体にしがみつくと。最後の覚悟を決めたのである。
「カチュア、ごめんね」
そしてローラは目をつむると最後の時を迎えた――――――
――はずであった。
だが、運命の歯車は最後の瞬間に至るまで、人の思いと運命を弄び続けるのである。
【 自爆モード 】
【 自己対消滅プロセスシークエンス作動不良 】
【 同プロセス制御プログラム不作動 】
【 自己対消滅、実行不可能 】
【 《同プロセス、実行キャンセル》 】
そのインフェメーションメッセージを目の当たりにして、ローラは蒼白になっていた。
「え?」
もはやパニックであった。なにが起こったのか理解できない、うろたえて叫び声をあげる事しかできないでいる。
「そんな?! なんで?!」
それは皮肉なまでのめぐり合わせであった。まさに運命が仕掛けたいたずらである。
「まさか、今までの無理で?」
ローラ自身が気づいたとおりの事が起きていた。ローラママとして暮らした日々の中で、身を粉にして、命を削るようにして、無理に無理を重ねながら、献身の日々を送ったことで、皮肉にもローラの中の身体プログラムのいつくかが作動不良を起こすようになっていたのだ。
そのローラの姿をラフマニたちが戸惑いながら眺めていた。オジーが疑問の声をあげる。
「おい? なにが起きたんだよ? なんかパニックになってるぜ?」
「何かトラブルが起きたみたい」
ジーナのつぶやきを耳にしてラフマニもつぶやいていた。
「どうやら、自爆しそこねたみたいだな」
「えっ? 自爆?!」
「あぁ、もしやと思ったんだが、うまくいかなかったらしい。あいつが――、ローラが死ななかったのは幸運だったが、でもこれで本当に打つ手はなにも無くなっちまった。やつを止めることは俺達にはもうできない」
そう言ってラフマニは覚悟を決めたように、オジーに指示を告げた。
「オジー、ガキどもを連れて逃げろ、ここから少しでも遠くへ逃げるんだ! ジーナ、カチュアを連れてお前も行くんだ」
「ちょっと待てよ! お前はどうすんだよ!」
「オレは残る。拒絶反応発作で走るのもままならねえ」
「そんな真似――」
「いいからさっさと行け! もう時間がねえんだ!」
ラフマニの叫びが響いていた。もはや打つ手なしの状況で、選択できることは逃げることしか無い。それが分からぬオジーではない。悲壮な思いを飲み込んで果たすべき役割を受け入れていく。
「分かった」
「すまねぇ、ガキどもを頼んだぞ」
「あぁ」
立つのが精一杯のラフマニにオジーは声を震わせながら答えていた。そして、ジーナを補助しながらその場から離れていった。向かう先はいつもの廃ビル、大急ぎで子どもたちをつれださねばならないのだ。
かたやラフマニはローラの姿を見つめていた。茫然自失で地面にへたり込む彼女を今はただ見守るしか出来ないでいた。ここに残ればベルトコーネに一撃のもとに葬られるだろう。だが、それはローラも同じはずだ。逝くなら一緒だ。彼はもはやその思いを抱いていたのだ。
「ローラ……」
かすかな声で呟けば、地面へたり込んだローラは単分子ワイヤーで戒められていたベルトコーネをただ漫然と見上げるしか無かった。彼を縛るワイヤーはもはや殆ど残されては居ない。自らの意志でワイヤーを引きちぎりベルトコーネは身の自由を取り戻していた。
しっかりと両足で地面に立ち両拳を握りしめながら、ベルトコーネは眼下のかつて仲間を冷たく見据えていた。ベルトコーネは理解している。この場でなにが起きたのかを。かつての仲間が彼になにをしようとしていたのを理解していた。彼はローラに語り始めた。
「どうやら、最後の手段に失敗したようだな」
茫然自失のローラはなにも答えられないでいる。
「お前は全マリオネットの中で、唯一自己対消滅による自爆能力を有している。おおかた、それを用いようとしてすでに機能不全に落ちいっていて、自爆に失敗したと言うところだろうな」
ベルトコーネが冷たく見据える下で、ローラはもはや言葉を発する気力すら失いつつ在った。出せる力を出し尽くし、考えられる手段は全て試みた。それでもなお満足できる結果は得られないのだ。あまりのショックにローラの耳にはベルトコーネの言葉は一切届いていなかった。その両目に涙を溢れさせながら抗議の声をあげたのだ。
「どうして? なんで止まってくれないの?」
彼女にベルトコーネの声は聞こえてはいない。そんな余裕すらも無いのだ。
「こんなに拒否しているのに! こんなに拒絶しているのに! こんなに皆が生きようとしているのに! だれもあなたの事を受け入れては居ないのに! なぜあなたは全てを消し去ろうとするのよ! なぜあなたはすべての命を奪おうとするのよ! そんなことでは誰も幸せにはできないのに! 何の意味もないのに! 不幸と悲劇しか残さないのに! あたしはただあの子たちと暮らしたいだけなの! ただそれだけなの! だからねえ――」
ローラは思わず地面に転がっていた小石を握りしめていた。
「消えてよ!」
その小石をベルトコーネへと投げつける。
「消えて!」
再び小石を掴むと投げつけた。
「消えろ! 消えろ! 消えろ!!」
だが、どんなに石を投げつけてもベルトコーネは立ち去らなかった。ついに彼女の願いと思いは、ベルトコーネには伝わらなかった。絶望が彼女を覆う。ローラは嗚咽を漏らしながら泣き叫び始める。
「うっ……、うわぁあああああああああああっ!!!」
天を仰ぎ、溢れる涙も拭かずにローラは泣き続けた。地の果てのような街に流れ着いたその先に、漸くに見つけた安住の地のはずだった。それももはや幻のように消え去ろうとしている。ローラのその激しい嘆きの意味を、ベルトコーネは理解するだけの感性を持ち合わせてはいない。ただあるのは今はもこの世に存在していないかつての主人の残した理念と命令を実行に移すこと、ただそれだけである。
ベルトコーネは拳を固めた。
そして、今は亡き主人の理念に逆らった裏切り者を眼下に見据えていた。そして彼は冷酷に言い放った。
「消え失せろ。もはや貴様に用は無い」
冷たく響く言葉を残してベルトコーネは拳を振り上げた。
ローラは、その拳を視界に捉えて消え入るような声でこうつぶやいたのだった。
「――誰か、助けて」
@ @ @
例え話をしよう――
もしもこの世において、
全身全霊、全ての死力を振り絞り、
あらゆる手段をつくして抗って抗って抗いぬいて、
戦って、戦って、戦って、戦い抜いて、
それでも救われること無く、絶望の底に叩き落された人々が居たとして、
あらゆる艱難辛苦を乗り越え、
あらゆる距離を踏破し、
あらゆる傷害をことごとく排除して、
全身全霊、すべての力を振り絞って、
救いの手を差し伸べる者が居たとするのなら、
それは人々にこう呼び称されるはずである。
――『正義の味方』と――
@ @ @
ベルトコーネが振り上げた拳――、殺戮と破壊の魔拳――
それはローラに届くことは無かった。
恐ろしく激しい衝撃がベルトコーネの頭部を襲った。
背後から回り込むように顔面の真正面の中心に、凄まじいインパクトが貫いていた。
そして、その衝撃はベルトコーネの身体を後方へと一気に弾き飛ばしていた。
それは人間業ではない。
それはある種の破壊兵器と言えた。
だが、それは破滅のための破壊ではない。
理不尽な暴力に、
理不尽な悪意に、
踏みにじられ、嘆きの声を上げて苦しみ続ける人々を救い出すために用いられる〝正義の力〟である。
〝彼〟はベルトコーネの背後から右脇へと回り込みつつ、その顔面へと鋭い右回し蹴りを叩き込んでいた。
彼の蹴りは生身の人間のそれとは比較にもならないほどに強力なものである。
そして彼の攻撃は、狂える拳魔のベルトコーネを、一度は葬り去った正義の一撃である。
ベルトコーネの顔面を蹴り込み、その体ごと弾き飛ばすと、グラウザーは地面に降り立ちベルトコーネへと立ちはだかった。そして、その背中にローラをかばうと、ベルトコーネに対してこう叫んだのだ。
「なにをしている、ベルトコーネ!!」
その声は怒りに震えていた。ベルトコーネが行った行為は、彼にとって到底赦しうる物ではなかったからだ。
「彼女は貴様の仲間じゃないぞ! 彼女はテロリストじゃない!! 寒さに震えてぬくもりを求める子どもたちを温め癒やして、全身全霊を尽くして助けようとする『母親』だぞ!! 貴様の血に汚れた拳で軽々しく触れていい存在じゃない!!!」
その顔には怒りが満ち溢れていた。義憤である。断罪の意思である。そして、彼自身の信念にかけてベルトコーネの行った行為を完全否定するための行為である。
「立て! 貴様のその腐りきった有害無益な拳を、僕が叩き潰す!!! 貴様だけは絶対に赦さん!!!」
その怒りの雄叫びは闇夜にこだましていた。
彼の名は特攻装警グラウザー
犯罪と暴力から命と尊厳を救うために生み出された『正義の味方』である。