プレストーリー 滅びの島のロンサムプリンセス/――死神――
それは4階建ての雑居ビルと、それとほぼ同じ高さの3階層の倉庫ビルが並んだ建物だ。そのビルの中で子どもたちの悲鳴が聞こえてくる。死んだ者こそ居ないが、多くが酷い刃物傷を負っている。若い男たちは不要な存在だと言わんばかりに、情け容赦無い暴力を受け立ち上がることすらできなくなっている。それに加えて女の子は幼い子から妙齢のティーンエイジャーまで手や首筋を掴まれて物陰やビルの外へと連れだされようとしていた。
下賤な暴力主義のクズたちが、力無い女性たちを目の前にした時、行うことは一つしか無い。
「いやぁっ!!」
年の頃、9才くらいだろうか、ベトナム系の風貌の女の子が押し倒されようとしている。
別の場所では14才くらいの北欧系ハーフのアルビノの少女が首筋を掴まれて無理矢理に引きずられていた。
幼いのであれば男の子にも容赦はなかった。まるで野山のウサギでも狩るかのように手首を掴んで拘束して抵抗の意思をはぎ取るべく拳の制裁を振るおうとしている。
十数人程度の中華系の男たちがビルを取り囲み、続々とビルの中へと足を踏み入れていく。目的は無論、略奪と暴力である。
そこはもはや地獄絵図。一方的な惨劇の場でしか無い。
そのビルの周囲を6羽の羽根妖精が、光を抑えながら飛び交っている。クラウンが指示を伝えていたゼータである。彼らは視覚情報と音声情報、そして、様々な物理的な情報をキャッチすると速やかにクラウンへと伝達する。
隣接する倉庫ビルの屋上。クラウンたち3人が佇んでいる。それまでピエロ風の笑顔が浮かんでいたクラウンだったが、今や彼の仮面はどす黒い怒りの表情に歪んでいる。
「酷い」
イオタが嫌悪感を隠さずに吐き捨てる。その隣で化けガエルのイプシロンがクラウンを見つめている。クラウンは今まさに怒りの極みに達しようとしていたのだ。
「クラウンたま、どします?」
「愚問ですよ。イプシロン」
その言葉にイオタも視線を向ける。
「イプシロン、イオタ、あなた達はビルの中へとお行きなさい。そして子どもたちを救うのです。無粋な輩の方はひとり残らず始末なさい。一人たりとも逃してはなりません。いいですね」
「わかりました」
「あい! クラウンたま」
答えるが早いか即座に二人は飛び出していく。イプシロンは化けガエルらしく跳躍してビルの窓から飛び込んでゆき、イオタは屋上伝いにビルの屋上へとたどり着くと、正攻法で屋上ドアを開けて中へと入っていく。
そして、あとに残されたクラウンはその右手を何もない虚空の中で一旋させる。いつ取り出したのかその手には2mほどの長さの柄のようなものが握られている。その柄の先にはシックルと呼ばれる大鎌が刃峰を広げている。それは月光の下で不気味なまでに光り輝いていた。
「さて、私はビルの周りを掃除するとしましょうか」
そして、ビルの屋上から飛び降りるとそのまま地上へと静々と舞い降りて行く。
ビルの入口の玄関ドアの辺りには数人の台湾幇の構成員の若者がたむろしている。手にはナイフや棍棒といった得物を持っている。拳銃は使用を控えているのか使っている気配はない。クラウンは彼らに向けて足音もさせずに歩み寄っていく。
ただ、台湾幇の連中にその気配は着実に伝わっていた。ただならぬ気配を察して男たちが振り向く。その視線を受けてクラウンは滔々と語り始める。
「ごきげんよう。台湾黒幇の若手の皆さん。日本でのナワバリ拡大でも命じられましたか?」
雪で白化粧したアスファルトの上を道化師の姿をした存在が歩み寄ってくる。その手に握られている巨大な刃物を目にして、それが敵であることを襲撃者たちは即座に警戒する。
「是誰?!」
一人が中国語で大声で叫ぶ。それと同時に彼らの敵意が一斉にクラウンに対して集中する。俄然、彼らの視線はクラウンが手にしていた死神の鎌――シックルに集中する。その非常識なまでの存在感を放つ凶器に、ただならぬ警戒心を抱いたとしても不思議ではなかった。
「請殺!」
「沈下在海!」
月下の雪化粧の路上で、剣呑な空気の男たちは威嚇を込めて叫びながら、その懐から黒光りする鉄塊を取り出す。かつての中華人民軍でも使った黒星拳銃だ。抜き放つと同時に9ミリトカレフ弾を乱射する。フルメタルジャケットの鉛弾を前にしてクラウンは怒りに猛り狂った赤黒いマスクのまま佇んでいる。
「下賤の輩は所詮下賤ですか」
その言葉を無視するように台湾幇の若者たちは黒星拳銃の引き金を引き続けた。ほぼ全弾がクラウンに命中していたのは普段からの鍛錬の賜物だろう。だが――
「下賤の輩は頭のなかも糞が詰まっているらしい」
――地獄から響くような低い声でクラウンは告げた。その言葉と同時にその場にある怪異が起こったのだ。
「――Mur de controle inertiel――」
クラウンが流麗な仏語でそう唱えた時、台湾幇の男たちが放った弾丸は全弾が空中にて力を失い静止してしまう。そして、一斉に地球の引力に引かれて地面に落ちてしまうのだ。
「什麼事情發生?」
「我不明白!」
何が起きたのか、どんな状況なのか、理解できている者は居なかった。ただ、呆然とするだけだ。だがその間にもクラウンは次の行動をはじめていた。
「無駄ですよ」
足早に走り出しながら、クラウンは月の光を浴びて光り輝く大鎌を振り回す。
「あなた達は私に勝てない」
そして、男たちの群れの中に飛び込みまずは3人ほどをまとめて上下に両断する。男たちの体に大鎌の刃が食い込んだ瞬間、ガラス細工のように男たちの肉体が硬化したかと思うと、砕かれたガラスのように一気に崩壊したのだ。
破片は微細な欠片になるまで亀裂を生じて粉砕される。吹き抜けた風がその残渣を一気に吹き飛ばした。
「死神!」
「收割者!」
流血はおろか、そこには遺体すら残らない。存在自体を瞬く間に無に帰する所業に、男たちは瞬時に恐怖に囚われて恐慌をきたした。悲鳴を上げ逃げ惑う。それまでの自分たちが起こしていた悪事すら忘れて無様に逃走を図る。だが、それを許す様な甘さはクラウンには無かった。
「逃しません」
左手を広げ地面へと触れるとクラウンは再び仏語で唱えた。
「――Effet de la gravite terrestre――」
瞬間、大地が僅かに震えたかと思うと逃走を図った3人の男たちの様子に異変が生じていた。
両足に満身の力を込めて踏ん張っている。何か目に見えない重荷でも背負わされているかのようだ。あるいは自分自身の重さに必死にこらえているように見える。立ち上がるのが精一杯の彼らに逃げる余裕などあるはずがない。
「いかがです? 大地の生み出す偉大なる力は? あなた達は立つ事すらできない」
クラウンは悠々と歩み寄ると、一人、また一人と、大鎌を振るってまたもガラス細工のように男たちの体を粉微塵に粉砕した。その時、最後に残されていたのは、男たちの中で最も年長の人物だ。
クラウンは彼に立ちはだかると手にした大鎌の刃先を突きつけながら告げる。
「この白き聖夜を血と欲望で穢した罪は何よりも重い」
恐怖にその表情を歪ませる男をクラウンは悠然と見下ろしていた。中国語でなにやら喚いているが、それに耳を貸す様なクラウンではなかった。一切を無視しつつ大鎌を振り上げる。そして、裁きの言葉を吐き捨てながら大鎌を一旋させた。
「愚物め、その罪、死を持て償え」
大鎌の鋭利な刃がその男の頭部を首から切り落とした。瞬間、鮮血が吹き上がるが、それもすぐに全身ごと瞬間硬化する。そして、脆いガラス細工のようにひび割れ砕け散ったのである。
一仕事終えるとクラウンは周囲を確かめる。すでに辺りに台湾幇くずれの男たちの姿はなく、残るはこのビルの中だけであった。
今、イオタとイプシロンの手で襲撃者への死の制裁が行われていた。クラウンは2人からの報告をただ静かに待つのみである。
ビル内部へと入っていったのは9人。その9人を狩る為に最上階からはイオタが、途中階の窓から入りこんだのはあの化けガエルのイプシロンだ。
入りこんだのは倉庫部の2階フロア。打ち捨てられた小型コンテナが並ぶ中、3人の少女が台湾幇の5人ほどの男たちに襲われていた。
「死心!」
「乖乖請打開脚!」
「隨著藥物在性工作」
「只有未使用的最早上市品」
照明の壊れた廃倉庫のフロアで中国ヤクザのクズたちが幼い少女たちを襲おうと欲望をむき出しにしていた。全員で抑えこみ押し倒し、平手打ちや鉄拳制裁で反抗心を奪うと、喜々として欲望を叩きつけようとしている。その有り様をイプシロンはまさに闇夜の中で目の当たりにしていたのだ。
化けガエルがその目を不気味に光らせながらヒタヒタと歩いて行く。そして、眼前の男たちに問いただし始めた。
「お前たち、クリスマスの夜だと言うのに幼気な子どもたちに何をしている?」
闇夜の薄明かり中でイプシロンの丸みを帯びたボディは不気味な輝きを放っている。彼がそこにいるだけで男たちも異変を感じていた。なおも化けガエルがコンクリートフロアの上を足びれをピタピタと動かしながら近づいてくるのだ。
「もう一度聞く。お前たち、なにしてた?」
台湾幇のヤクザくずれが少女たちを襲う手を止める。突如現れたただならぬ存在に警戒心と敵意をむき出しにする。
「開槍!」
着衣の懐から黒星拳銃を取り出す。そして、少女たちから離れながら弾丸をイプシロン目掛けて乱射した。話し合いも何もない、ただ欲望と敵意のままに暴力を振るうのみだ。手負いの人喰いトラですらもっと理性的な行動をとるだろう。だが――
「決まった」
――弾丸は一切無意味だ。丸みを帯びたイプシロンのボディは鉛球を一切受け付けずに傷一つ付けずに弾いてしまう。それはまるでゴムマリにBB弾でも撃ち込んだかの様だ。それは男たちには何かの冗談の様に見えただろう。だがその弾丸がイプシロンの断罪を決定させる。
「お前らわるもの。オレ決めた。今決めた」
ケタケタと笑いながら語るイプシロンは笑い声を停止させ、よく響く機械的な音声で男たちに告げる。
「死ね」
そう宣告したと同時に、イプシロンの大きな口から飛び出したのは鮮血のように赤く光る“舌”である。長く伸びるカエルの舌。それは触手の様に素早く動き出すと、一瞬にして5人の男たちの胸を貫いてしまう。
そして、イプシロンはその舌で軽々と男たちの体を持ち上げ子どもたちから引き離す。心の臓を貫通されて即死する者、まだ僅かながら意識があり何かを口にしている者、色々と居るがいずれもが、もはや助かる見込みは無い。
「請……請原諒」
言葉のニュアンスから許しを請うていることは判る。だが世の中はそれほど甘くない。
「お前、子どもたち助けたか?」
イプシロンの眼は男たちを見ていた。青白い冷たい光を放ちながら、問い詰めるように睨みつけている。
「命乞いする子どもたちを許して見逃してやったか? なにもせずにここから立ち去ろうとしたか? 分別をわきまえて恵まない子供らを救おうとしたか? それができていないならお前らを許す理由がない!」
そう冷酷に告げると、大きく開いた口の奥から炎を吹き上げる。それは骨も残さずに瞬く間に男たちの体を消去してしまう。不思議にも、その炎は悪しき男たちだけを焼き払い、それ以外には何も傷つけてない。
イプシロンは自らの舌をしまい込むと傷つけられた少女たちにやさしい口調で告げるのだ。
「オレ、子供にやさしい。お前らは傷つけない。でも、お前らは傷ついているからオレ助ける」
イプシロンは子どもたちに近づくと、その大きな口を再び開いた。そして、その喉の奥から緑色に光り輝く不思議な煙の様なものを子どもたちに噴きかけたのだ。
「この緑の煙、お前らの体を治す。全部すっかり治す。そして――」
緑色の煙を噴霧し終えると。別のフロアへ向かうべく元来た方へと帰って行く。
「――お前たち。今日のことすっかり忘れてる。何もかもおぼえてない」
そして、少女たちは魔法にでもかかったかのように意識を失い眠りに着いたのである。
















