プレストーリー 滅びの島のロンサムプリンセス/ならず者の楽園
中央防波堤内エリア――
かつては東京都から排出される廃棄物を処理するためだけに存在したエリアだった。
しかし、所定の埋め立てが完了したのちに自然公園が整備され、市街地として開発と発展が図られた。幾多もの理想と願望と欲望が交錯した後に、今では不法滞在在留者の集積地帯と化していた。
そこに渡るルートは3つ。橋1つに地下トンネル2つだ。いずもが良識ある一般人の渡河を拒んでいた。
その島に付けられた名は『東京アバディーン』
巨大経済開発計画『東京アトランティスプロジェクト』により生み出された繁栄の影である。
今、その地に渡ろうとする2つの影があった。
ラフマニとローラである。
青海の倉庫街を抜けると小さな海底トンネルへと繋がる。片側一車線の舗装路――、かつてはここを様々な貨物車両が雑多な廃棄物を積載して通行していた。しかし、自動車専用のその道路を今は人間が徒歩で歩く事があった。
ラフマニが先を行き、ローラがその後を追う。その二人の走りは速く、乗用車並の速度で1キロ足らずのトンネルを一気に駆け抜けていく。歩道のない車道だけの道路を走り抜ければ、そこはたとえどんなお尋ね者でも『決まり』さえ守れば、居場所を確保することができると言われている。
ローラは今まさに東京アバディーンの入り口に立っていたのである。
北西と南東とに分かれた人工島の上、二人が佇んでいたのは水路に挟まれた北西のエリアだった。
北西は自然公園が大半を締めていて、残りは廃棄物の処理施設やリサイクル工場が集積されている。さらにはコンテナヤードや倉庫設備が存在するのだが、この時代では地下潜伏したステルスヤクザや外国人マフィアが巧妙に絡んでいることもあり、それらを所有しているのが誰であるのか、背後にどんな組織関係が絡んでいるかなどは確認することすら容易ではなかった。
ローラが立っていたのは海底トンネルを出てすぐの場所であり、彼女の左側には様々な廃棄物処理施設群が、右手には廃棄物を洋上から受け入れるためのコンテナヤードや貨物施設が並んでいる。かつては東京税関のコンテナターミナルもあったが、今では治安悪化にともなって無人化可能な施設だけを残して別の地に移転してしまっている。
ローラは周囲を見回しながらつぶやく。
「ここ――どこ?」
彼女の問いかけにラフマニは自分のコートに纏わりついた雪を払いながら答える。
「東京アバディーン、ならず者の楽園さ。聞いたことあるだろ?」
だが、ラフマニの言葉にローラは顔を左右に振った。
「知らない。あたし日本に来たの最近だし」
「最近? 密入国?」
「うん」
「何しに? 出稼ぎ? 盗み?」
ラフマニは右手をローラに差し出しながらあっさりと問いかけてきた。相手が犯罪がらみの存在であることは端から承知のうえであるかのようだ。ローラは迷った、どう答えるべきかを。ただ、偽りを口にしても何の利点もないことも分かっている。いずれバレるからだ。ローラは目線を伏せつつ言いにくそうにつぶやいた。
「殺し」
事実である。それもこの世に生まれた理由ははじめからそのためなのだ。ローラはラフマニに答えながらも己の生まれの邪悪さに罪悪感と嫌悪感を感じずにはいられなかった。その思いはラフマニの手を握り返すか否かを迷う仕草となって現れていた。だが、ラフマニの手は迷わなかった。
「へぇ、殺しってテロ? わざわざ海を超えてくるなんてすげえな」
その声はローラに賞賛と関心の視線を向けながら力強くローラの手を握りかえしていた。島を2つに分ける水路に架かる橋を渡りながら、驚いた表情のローラになおも問いかけてくる。
「仲間はどうした? はぐれた?」
そこに敵意も嫌悪もなかった。ただ、ローラの素性について、同じ空気を吸うかのように何の疑問も抵抗もなく、ただただ当たり前に受け入れているのだ。まるで自分自身もそうであるかのように。
子供が同じ遊びの趣味を持つ子を他に見つけたかのように、好奇心に目を輝かせながらなおもローラに問いかけてくる。ローラは答えに窮した。すべてを打ち明けていいのか、不安であると同時に、敵意を向けられる可能性への恐怖を覚えずにはいられなかった。
ラフマニと会い、遠ざかったはずの孤独感と喪失感が再び沸き起こってくる。
「それは――居たけど――」
地面に視線を落とした目元にうっすらと涙のしずくが滲んできてしまう。僅かばかりの沈黙の後にラフマニは残る左手でローラの目元を拭ってやる。その後に彼の口から語られたのは謝罪の言葉だった。
「ごめん、やなこと思い出させたみたいだな」
ラフマニはローラに詫びながら水路の向こう側へと歩き出す。
「でも、悪気があったんじゃないんだ。ゴメンな」
「ううん。気にしないで、もう過ぎた事だから。時間を昔に巻き戻せないし」
過去は帰らない。それは絶対普遍の現実だ。受け入れがたいが、生きていくには受け入れるしか無い現実だった。ローラがそう答えた時、二人はちょうど橋の真ん中まで歩いてきていた。ローラがラフマニに問いかけた。
「ねぇ、この島のこともっと教えて」
ラフマニはローラの言葉にふと立ち止まる。そして周囲を見渡し、もと来た方向を指差した。
「ここは2つに分かれてるんだ――、俺達がさっき来た北西の方が『穢れの杜』とか『ダストフォレスト』とか呼ばれてる場所で、工場とか倉庫とかわけわかんない建物が並んでて、浮浪者やホームレスとかがねぐらにしてるエリア。昔はハイテクのリサイクル施設とか廃棄物処理のプラントとかあったらしいけど、今は名前だけで中でなにやってんのかさっぱりだ。まぁ、まともな神経のヤツは夜は絶対近づかない場所さ」
そして、向きを変えるとこれから歩いて行く方を指差した。
「それからあっちが『絶望の町』とか『デッドエンドタウン』とか『屍街』言われてる場所。盗みやバラシはしょっちゅうだし、気をつけないと身ぐるみ剥がされるなんてよくある。まともな神経の日本人なら絶対に近づかない街だよ」
水路の向こう側は商業街区を基本とした繁華街だ。高層ビルを基本として多数の雑居ビルが並び、使用目的を偽装した不法滞在用の隠しマンションすらある。怪しげな商業行為と風俗施設が並び、雑居ビルの中の店子は一体何の目的で入居しているのか皆目検討がつかない様な連中がひしめいている。
大抵が日本語の看板表記と一緒に中国語やハングル、キリル文字にアラビア語と言った外国の文字が併記されている。それらのビルを煌々と照らす毒々しいネオンサインが、その街の異様をあらためて浮かび上がらせているのだ。
ローラはラフマニに指し示された方に見えた町並みに少なからず恐れを抱いた。
「あそこに行くの?」
「あぁ、俺もあそこで寝起きしてるんだ。捨てられた雑居ビルに勝手に潜りこんでるだけなんだけどな」
ラフマニが屈託なく笑っている。だが、ローラの不安は消えることはなかった。
「大丈夫なの?」
「大丈夫って、なにが?」
「その――」
ローラは言いにくそうに言葉を詰まらせた。彼女自身、何故こんなに不安と恐怖を感じるのかその理由を自分自身でもわかりかねている。おそらくそれは情報としてだけ知識の片隅にあったものが、今、自分の置かれた状況から自分の身に起こりうる危険として実感できるがためだ。
その身を震わせているローラを眺めつつも、ラフマニは彼女の不安の理由すらも簡単に見抜いていた。
「なんだ、襲われるの怖いのか?」
襲われる――、レイプのような性的被害が脳裏をよぎっていたことをローラはあらためて自覚した。かつての姉たちと比べて子供のように貧弱な体だったがそう言う暴力的な行為への不安を感じずにはいられなかった。無言で頷き返すローラにラフマニは告げた。
「まぁ、こう言う場所だと珍しく無いからな。腕っ節があっても不意を突かれて物陰に引きずり込まれてなんてのもよくある話だし」
ラフマニはローラの手を引きながら再び橋を渡りだした。そして、歩きながら語り続ける。
「この島には何人かの実力者が居るんだ。人種、職業、経歴、出身――、それぞれに特徴があって、仲間になるのに向き不向きがある。自分に見合った連中と知り合いになって庇護下に入らないとこの島でやっていけない」
実力者――、いかなる場所でも支配関係の力学は存在している。争わずに行きていける場所など、この地上には何処にも存在しないのだ。
「判る。どこに行ってもその土地土地で睨みを効かせられるヤツが必ず居るから」
ローラの脳裏にディンキーと共に流れ歩いた時の記憶が蘇っていた。今まではどこに行っても主人たるディンキーの庇護下と仲間の存在とに守られていた。それが故にこれまで、よそ者であるがための苦労はさほど味わったことはない。だが、今は違う。
「でも、そう言うのって一度関わり持つと面倒なんだよね」
「あ、判る?」
「うん。信用してもらえるまで手間食うし、このなりだから仲間というより、慰みものにしようとする奴ばかりだし」
「権力者ってそんなもんさ。何処に行ったって弱い奴は食い物にされる。親が居なかったり、仲間とはぐれたりしたらなおさらさ。俺も昔はそうだった」
そう語るラフマニの顔を窺い見れば、昔を思い出したかのように物憂げだった。ラフマニの過去――それがどんなものなのか興味が無いわけではないが今はそれを問う時ではない。ラフマニも深く触れられたくないのか話題を変えるかのように言葉の先を急いだ。
「でも、そうじゃない方法もある。俺達みたいに非力なガキどもを無償で守ってくれる。そう言うヤツがこの街には居るんだ」
にわかには信じられない。そんな酔狂な奴がこの街にいるとは到底思えなかった。
「それって―― 日本の警察?」
「まさか! 俺みたいな無戸籍の浮浪児あがりが警察の厄介になんてなれるかよ。見つかり次第、とっつかまってイミグレーションに丸投げされるがオチさ」
警察のような公的な存在で無いというのなら一体誰だというのだろう? 払拭しきれない疑問を耳にしながらもただ戸惑うばかりだった。
「えっ? でも――それじゃどんな人なの?」
戸惑いつつ問いかければ、ラフマニはその表情に憧憬のようなものをにじませながら告げる。
「この街の守護神みたいな人。俺達みたいな法の網目からこぼれ落ちた様な奴でも必ずすくい上げてくれる。俺達みたいな親無しの浮浪児にとっちゃヒーローみたいな人さ!」
「ヒーロー……」
誇らしげに自慢気にその人物のことを語るラフマニの姿にローラは戸惑いと期待との入り混じったような感覚を覚えた。
「まぁ、会えば解るって。でもなぁ――」
ラフマニは街の中へと歩き出しながら頭を掻く。そして、ボヤくようにつぶやいたのだ。
「――兄貴、いっつもどこに居るのかわかんねーんだよなぁ」
ラフマニにしっかりと手を握られながらローラはその後をついて行く。そして、二人の姿は極彩色のネオンで彩られた退廃の街へと飲み込まれていく。その二人の姿を見守る視線は一つや二つではなかったのである。
















