1:午前7時:芝浦ふ頭倉庫街/犯人制圧
まだ朝日が昇るころ、大都会の街並みは薄暗い。
都心とお台場をつなぐレインボーブリッジのたもとの一角、芝浦ふ頭とよばれるベイフロントエリアに彼らは居た。
昔からのウォーターフロントビルが建ち並んでいるが、そこを吹き抜ける風はどこか澱んでいる。
2039年という、世界中が疲弊しきった時代そのものがそうさせて居るのだと人々は言う。
「こちら、グラウザー――あと30秒で所定位置に現着です」
〔了解、現着での配置完了後に再度報告しろ〕
「了解」
活気と行動する意欲に満ちた若い男の声がする。
その声に答えるように壮年男性の野太い声が無線越しに聞こえていた。
〔それとグラウザー〕
「はい?」
〔現場では自分の名前ではなく呼称番号を使え。お前の呼称番号は〝特攻装警7号〟もしくは〝特7号〟だ〕
「了解しました。次は注意します」
〔よし、任務続行しろ〕
壮年男性の声がグラウザーを注意する。職務上、基本となるセオリーについてだ。グラウザーはその注意に素直に返答した。
そこは芝浦エリアを走る2つの首都高速ハイウェイ、1号羽田線と11号台場線に挟まれた三角のエリアだ。
薄汚れた倉庫ビルやマンションや企業ビルが建ち並ぶ中、背広やジャケット姿の十数人ほどの男たちが2名一組となり気配を消しながら散っている。
そのいずれもがその右耳にワイヤレスの無線用イヤホンを装着しており、その足取りは速やかで無駄な動きは皆無だ。
グラウザーと名乗った彼は、パートナーであるもう一人の若い人物と連れ立ってとある場所へと辿り着こうとしていた。
グラウザーはバイカー風の厚手のジャケット、パートナーの彼は一般的な濃紺の背広姿だ。その背広姿の彼が報告をする。
「こちら朝、および特7号、待機A地点、現着です」
〔こちら飛島、指示あるまで待機〕
「朝、マルです」
「特7号、了解」
警察とおぼしき隠語を交えながらグラウザーと朝の二人は報告の声を送る。彼らの上司で名は飛島。所轄の捜査課の係長を担う男である。
〔よし、こっちでもお前らの配置位置を確認した〕
そして無線越しの飛島の声のトーンが変わる。努めて冷静であり強い指導を意図した声だ。飛島が命じる。
〔全員に告ぐ。これより準広域指定事件・中央区貴金属強盗殺害事件の被疑者身柄確保を開始前の最終確認を行う。
要身柄確保対象は以下の3名――
主犯格の台湾国籍中国人・金友成、
共犯の日系3世ブラジル人・ロレンゾ・オオシタ、
日本国籍のステルスヤクザ・松実 広見
いずれも違法サイボーグ手術を受けている事が確認されている。金は下半身全て、ロレンゾは両腕と神経系、松実は両腕全てと背部と脚部に外部装着フレームを移植している。
ロレンゾは銃器の違法所持及び不正使用、松実は傷害致死で指名手配されている。いずれも戦闘経験は豊富だと見ていい。だが主犯の金の情報察知能力が高く、大規模に機動隊や武装警官部隊を動かしては感づかれて逃げられてしまう。そこでだ――〕
飛島の声が一区切りされる。
〔――今回はかねてより現場研修中である特7号の〝グラウザー〟を先頭に立てて制圧戦闘を行わせる。特7号のバックアップと判断補助が朝、それ以外は事前指定した所定の位置で包囲・待機。確保対象はビル型マンションの7階西側の12号室に潜伏している。これをグラウザーを先頭に強行突入して、全員の身柄を確保する事を目的とする。なお、主犯格の金は逃走技術が高い事が確認されている。やつだけが先行して逃走することも考えられる。強行突入班、バックアップ班、地上側包囲班とに分かれ、逃走を完全に封殺する! これ以上、巻添えの犠牲者を増やすわけにはいかん。いいか! 絶対に逃がすな!〕
〔はい!〕
飛島の掛け声に全員の声が帰ってくる。そして、飛島は現場指揮のリーダーとして、力強く宣言したのである。
〔突入……10秒前――9、8、7,6、5、4、3――〕
グラウザーはマンションのスチール製のドアに右手をかけた。全身に力がこもる。
〔――2、1――〕
その瞬間、全員が息を潜める。朝もその手に官製支給拳銃のSIG226を手にしてグラウザーの後方に張り付いている。
〔突入!!〕
係長の飛島が号令をかける。グラウザーはその掛け声を合図に右腕でフルパワーを炸裂させて、スチール製ドアを一気に引きちぎったのである。
――バゴオォォォン!――
重く轟くような破壊音が鳴り響き、スチール製ドアのロック部分は微塵に弾け飛んだ。ドア内部のロックチェーンはたやすく引きちぎれてドアは安々と開けられたのである。
事前に望遠音響センサーと、望遠カメラ映像と、マンション内のフロアマップデータから、内部の人間の立ち位置を算出しておく。ドアを開けると短い廊下であり、入り口すぐが風呂とトイレ。その反対側に一部屋ある。その先に広い12畳ほどのリビング・ダイニングが存在している。いわゆる1LDKの構造だ。その中のリビングに3人とも集まっていた。制圧奇襲をかけるなら今しか無い。
「警察だ! 動くな!」
朝刑事の凛としたよく通る声が響く。レザージャケット姿のグラウザーが髪をなびかせながら駆け込んでいく。朝も両手でドイツ製のシグP226を構えて威嚇を開始する。銃を構える姿勢は両腕を均等に前へと伸ばしたアイソセレススタイルと言うものだ。弾丸の射線はグラウザーの肩越しでこれから起こりうるあらゆる自体に対応する事を前提としていた。
――対して。先頭を切って飛び込んだグラウザーは両拳をしっかりと固く握りしめていた。
相手が違法武装を備えたサイボーグである事はわかっている。またそれぞれに特性が異なることもレクチャーを受けていた。
リビングの中は3人がそれぞれにくつろいでいた。
生活臭のないゴミだらけの部屋の中、テーブルで惣菜パンを口に咥えていたのが日系3世ブラジル人のロレンゾ、長ソファに腰を下ろして右膝の外装強化フレームに注油していたのがステルスヤクザの松実、膝つきソファでハーフメットサイズの旧世代のVRゴーグルを装着してネットアクセスしていたのが、主犯格の中国人の金である。
すぐに気づいて反応を示したのが部屋の入口に最も近い位置に居たステルスヤクザの松実である。だぶだぶのジーンズにタンクトップシャツ、頭はスキンヘッドである。
「んだぁ!! んしゃらぁ!!」
奇声にしか聞こえない叫びをあげて松実は飛び起きるように立ち上がる。ヤクザに限らず組織犯罪の下っ端が威嚇行為を込めて奇妙な言葉を並べ立てるのはよくある事だ。
「んころっぞ! んだおらぁあ!」
松実はさらに奇声を上げる。それが殺意をにおわせて相手をひるませる事を意図しているのは、経験浅いグラウザーにもよくわかった。だがこれまで朝や飛島から受けたレクチャーから、こう言う事態にどう対応すれば良いのか、グラウザーは心得ていた。すなわち――
〔特7号より、緊急避難により制圧を開始します〕
【特攻装警第7号機 】
【個体名:グラウザー 】
【>緊急避難行為による戦闘行動発生 】
【>行動状況ログ、記録開始 】
〔飛島了解、制圧を許可する〕
――意に介さない事である。
ネット無線越しに飛島から、戦闘を承認する返答が来たが、それ以前にすでにグラウザーは戦闘を開始していた。
グラウザーの視界の中で、ボクシングスタイルで両拳を硬めた松実は右斜め前方からすばやく接近しつつあった。元ボクサーであった松実はボクシングスタイルの戦闘を得意とする戦闘請負人であり殺し屋でもあった。両腕を総金属製の義手に換装し、頑強さとパンチの威力を補強する外装骨格フレームを胴体背面と両脚部に装備していた。
松実は正確にステップを踏みながら近接してくる。だがそれと同時にすでにグラウザーは戦闘の手順を頭脳内で組み立てつつあった。無論それには――
〔グラウザー! フェイントだ! 相手にこちらの意図を誤認させろ!〕
――お目付け役の朝の補助があったのである。
これまでの犯罪データから松実がボクシングスタイルでの戦闘を得意としているのはわかっていた。だがシュートボクシングでもムエタイでも無いため蹴り技には疎いことも。
恣意的にボクシングスタイルで構えたグラウザーは、左半身を前にして右拳を振りかぶるモーションを垣間見せる。それはボクシングの熟達者から見て明らかにバレバレのテレフォンパンチだった。
そのグラウザーの動作を封じようと松実は先手を仕掛ける。
素早い踏み込みでステップインしつつ左右のジャブをけしかける。
グラウザーはそれを左右の腕でガードし耐えてみせ、左の拳を繰り出そうとして左のガードを下げる――
と、松実が口元にニヤリと笑みを浮かべた。
深く一気に踏み込むとその勢いを乗せて右拳のフック気味に撃ち込んでくる。拳は鋼鉄の合金製、当たればアンドロイドのグラウザーと言えどただでは済まない。だが――
――ブオッ!――
――鋭い風切り音が足元から吹き上がる。
グラウザーは上半身を後方へとスウェーさせつつ右膝と右のつま先を鋭く振り上げていた。その足の切っ先は鋼鉄製のムチのように振られると、松実の左側からその胴体へと撃ち込まれた。
意図的か偶然かはわからぬが、攻撃的に接近する松実の動きに、グラウザーは自らの蹴りを〝合わせた〟のだ。
松実もこれに気づいたがもう遅い。左の腕を縦に構えてとっさにガードしようとするが間に合わず、グラウザーの右膝の動きに牽制され押し返されてしまう。そしてグラウザーはその勢いを殺さぬまま、膝から下を繰り出し、敵である松実の脇腹めがけとてつもなく重い蹴りを撃ち込んだのである。
――ズドォオオン――
まるで鋼鉄のシャフトでも叩き込んだかのような打撃音と衝撃だった。どんなに腕部を機械化していても、それ以外は生身であるのなら防御にも反射速度にもパワーにも限界はある。ましてや相手の総身が機械であるのなら、その全身から繰り出される攻撃は生身の身体と比較しても段違いであるはずだ。それはまさに――
【――鋼鉄のハンマー―】
グラウザーの放った蹴りの一撃で松実の身体は木っ端のように吹き飛ばされた。
――ズダァン!――
グラウザーはその姿を視線で追う。自分の繰り出した攻撃で相手がどうなったのか心配はあるがそれを気にする余裕はない。なぜなら――
〔グラウザー! 次が来るぞ!〕
無線越しに朝刑事の声がする。残る二人のうちロレンゾが拳銃を抜き放っていたからだ。