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第32話 終わる者始まる者/―メリッサ―

「黙秘するならそれでもかまいません。話を続けますが――、

 死者を蘇生させると言う当初の目的は失敗しました。ですが、その過程で人間の脳に蓄積された記憶情報をその人物が死んだ後でも採取・再生する技術が開発されました。これをリアルヒューマノイド技術に合わせる事で生前の記憶と情動をそなえた死者再生型のアンドロイド技術が生み出される事となった。すなわちそれがネクロイドテクノロジーです」

 

 ディアリオが一呼吸置く。だがメリッサの沈黙は続いたままだ。

 

「さて、ここからが本題です。

 そのネクロイドテクノロジーの基幹システムの開発研究を行っていたのが、ロシア科学アカデミーの重鎮である人体生理学者のユーリ・カザロフ博士です。そのカザロフ博士は今から3年ほど前に行方不明となっています。失踪した理由は不明、遺体が発見されていない事からロシアのFSBでは亡命した可能性を疑っています」

 

 静寂の中、メリッサとフィールはじっとディアリオの語る言葉に聞き入っていた。ディアリオは言葉を続けた。


「しかしここで新たな仮設が成り立ちます。

 失踪直前、カザロフ博士は80歳を超える高齢であり死期が近かったと言われています。それと同時に独身であったカザロフ博士の身の回りの世話を行うためのアンドロイドメイドが居た事が判明しています。しかし、このアンドロイドメイドもまた3年前を境にして失踪。消息がつかめなくなっています。

 ロシア連邦保安局のFSBではこのアンドロイドが亡命失踪の手引をしたと推測しているようですが、これまでに掴んだ情報から考えると別な可能性が考えられます。すなわち、死期を悟ったカザロフ博士が自らの知識と技術を残すために、ネクロイドテクノロジーを用いてアンドロイドメイドに自らの頭脳を移植した可能性です。そして、姿形を変えて失踪、国外逃亡を果たして地下社会でかつてのディンキー・アンカーソンに出会い合流したとも考えられるのです」

 

 ディアリオは一気に語りきった。フィールはそこで不意に湧いた疑問をディアリオにぶつける。

 

「え? ちょっとまって、そのカザロフ博士って自らの知識をアンドロイドメイドに託した事はわかるけど、博士本人は?」

「当然、死んでいるでしょう。年齢による寿命か、ネクロイド処置により命を落としたか。遺体が無いからといって生存しているとは限りません。亡命だったとして生存しているなら、何らかの形で足跡が世界の何処かで浮かび上がるはずです。しかし、現時点ではどこからも浮かび上がらない。表社会から分かる形で姿を消したのではないと考えるべきです。それにもし、ネクロイド処置が成功していた場合、そのアンドロイドメイドに博士の知識と遺志は受け継がれていると考えるべきでしょう」


 それがディアリオが導き出した答だった。ディアリオは改めてメリッサを見下ろしながら最後の質問を投げかけた。

 

「ちなみに、調査の結果判明しましたが、カザロフ博士と寝食を共にしていたアンドロイドメイドの名前は『メリッサ』と云います。偶然としては出来過ぎでしょう。私はカザロフ博士のメリッサとアナタの存在が同一だと考えました。そして、ネクロイドテクノロジーによりカザロフ博士の記憶と知識がアナタに受け継がれている可能性を考慮しました。そこでアナタに問いたい事があります」


 ディアリオはメリッサの目を覗きこむように見つめると、一呼吸置いて彼女に問いかけた。


「あなたは――、ユーリ・カザロフ博士本人ですね?」


 ディアリオが到達した確信。それを形にした言葉を耳にしてメリッサはその表情を変えた。明らかに驚きと諦めをその目元に浮かべると視線を外して溜息をつく。

 

「すごいわね。アンタ、ロシアの連邦保安にまでアクセスするなんて、頭どうかしてんじゃないの?」


 冷やかし混じりにメリッサが言えばディアリオはこともなげに言い切る。

 

「必要とあればどこへでも入り込みます。私は手段を選ぶつもりはありません」

「なによそれ。とても警察の言い草じゃないわね。――負けたわ」


 その言葉を口した瞬間、メリッサはその全身にみなぎらせていた抵抗する力を一気に喪失していた。そして、それはもう一つの事実への諦念でもあった。

 

「アンタの見立ての通りよ、あたしの頭のなかにあるのはアタシがかつて世話をしたカザロフ博士本人よ。それをカモフラージュするために本来のアタシであるアンドロイドメイドのメリッサとしてのあたしを残したのよ。偽装のためにね」

「ならば、いま会話しているのはカザロフ本人だとみなしていいのですね?」

「否定はしないわ。ただ、あたし自身も自分がメリッサなのかカザロフなのか、もはや区別はつかないけどね。時間とともに混ぜこぜに成っちまったせいで私の自我と博士の記憶と人格とかが融合してるのよ」

 

 半ば、吐き捨てるようにメリッサは告げた。その光景を目の当たりにしてフィールはつぶやいた。

 

「なんだか、あなたも被害者みたいね」


 フィールは知っている。犯罪に利用されるアンドロイドはたとえ本人がどんなに優れた自我を持っていたとしても、悪意を持った所有者の命令には逆らうことが出来ないと言う事実を――

 ましてや自我や思考のレベルにまで手を加えられては抵抗すら出来ない。今までにもメリッサのような境遇の犯罪アンドロイドをどれだけ見てきただろうか? それを思うと、フィールはメリッサを憎むことは出来なかった。


「同情なんて迷惑よ!」

「同情じゃないわ。あなたと言うヒトを知りたいだけよ」

 

 それはささやかな言い換えに過ぎないかもしれない。それでもフィールのその言葉はメリッサにはそれだけでも有りがたかった。同情ではなく理解――、それだけでも背負ってきた苦痛が和らぐようだった。

 

「とりあえず、ありがとうとだけは言っとくわ」


 メリッサはフィールに半ば捨て鉢気味に言葉を返していたが、フィールはその言葉の真意をしっかりと受け止めていた。メリッサはフィールに対して僅かながらも心を開き始めていた。その開かれた心の隙間から、こらえていた思いが堰を切ったように溢れだしていた。隠し通すつもりだった秘密を押し殺していた心の奥底から語り始めたのだ。


「あの連中は――、博士の技術を手に入れるために博士とあたしを拉致しやがった。ところが肝心の博士が連中の粗雑なあつかいのせいで瀕死になっちまってね。なんとかネクロイドテクノロジーは手に入れたいってんで瀕死の博士から技術の取っ掛かりを聞き出すと、無理矢理に博士の知識と意思をアタシに詰め込んだのよ。

 あの連中にとってアンドロイドなんて使い捨ての消耗品みたいなものだからね。とりあえず必要なデータが再生できて引き出せるだけ引き出せたらあたしはお払い箱になるはずだった。ところがそこにあの死にかけのテロリストのディンキーって糞爺いが保護されてきた。連中はなんとしてもディンキーの爺さんのアンドロイド技術が欲しかったみたいで、あたしはディンキーのネクロイド化をやらされた上で、その監視と誘導をする役割を押し付けられたの。テロリストのお守りをしろってね!」


 それはメリッサが心の奥から吐き出した怒りと恨みの心情が滲み出していた。だが、彼女のその言葉に引っかかる物があった。フィールはそれを指摘する。

 

「あの連中?」


 フィールがそう呟けば、メリッサは意味ありげに笑みを浮かべるだけだ。メリッサは叫び続けた。


「アタシはもう、自分が何者なのか、何をすべきなのか、わからないのよ! アタシはカザロフ博士のお世話をして、博士からの感謝の言葉に歓びを感じるだけで満足だった! 人間に奉仕するメイドとして生きていられれば十分だった! それがただのメイドだったのがテロリストの黒幕やらされることの苦しみ、あんたらに判る?! 何がケルトよ! なにが聖戦よ!

 それにあのイカレマリオネットども! 空っぽの抜け殻のハリボテをご主人様なんて有難がってなんなの? 挙句にアイツら自分から喜んで殺人まで手を染めて! そんな連中、受け入れられるわけないじゃない! 汚らしい!

 だから私はアイツらをこのビルの頂へと誘って閉じ込めたのよ! そうすれば逃げ場の無い場所でアイツらはこの国の警察や軍隊に血祭りにされる! そうすることでアタシは全てを終わらせられるのよ! それがアイツらへのささやかな復讐ってわけよ! あたしは真の目的を果たしたわ! いい気味よ!」

「ちょっと、おちついて! 冷静になって!」


 フィールが諭すように語りかければ、メリッサは止めどなく涙を流し始めた。

 

「ごめん、そうしたいけど――、あた――あた――あたし――も――何がなんだ――かかかか――」


 傷の入った壊れたレコードのようにメリッサの言葉は急速に途切れ途切れになりはじめる。よく観察すればメリッサの瞳の色が混濁して視線が定まらなくなっている。その原因をディアリオはすぐさま見ぬいた。

 

「まずい、頭脳に負荷がかかっている」

「え?」

「やはり彼女の頭脳には2体分の人格データがつめ込まれている」


 ディアリオは急いで特殊なハーネスケーブルを取り出した。それを自らの脇腹にあるアクセスターミナルにつなぐと、メリッサの頭部を探り始めた。

 

「何をするの?」

「彼女の頭脳にアクセスする。危険だがカザロフ博士の分のデータを私のデータバンクに退避させます。その上で彼女の頭脳をメンテナンスします」


 それは賭けだった。助けるにしてもメリッサの全てを救うのはもはや無理かもしれない。それでもディアリオは救いの手を止めようとはしない。メリッサの後頭部を探れば、標準的なアンドロイド用の中枢部アクセス端子口が見つかる。ディアリオは手早くそこにハーネスをつなぎアクセスを開始した。


「フィール、彼女に話しかけてください! 少しでも意識をそらして負担を軽くしてください!」


 ディアリオの言葉にフィールは頷くとメリッサに寄り添うように近づいた。

 

「メリッサ! もう大丈夫だよ。いま助かるからね」


 フィールは警察としてではなく、彼女と同じ女性形のアンドロイドとして、彼女を労るように優しく問いかけた。その言葉を耳にしてメリッサは弱々しく顔を振り向けるとその目に涙を浮かべながら言葉を紡ぎ始めた。


「私は――誰も殺したくなかった――、誰も殺されたくなかった――」


 それは人間の涙とは本来は機能は異なるものだったかもしれない。眼球カメラの洗浄液に過ぎないかもしれない。だが、フィールにはその涙の意味がよく分かっていた。

 

「うん、そうだよね。嫌だよね。でも――、大丈夫だよ。もうだれもあなたを苦しめないから」


 だがフィールのその問いかけに笑みを浮かべつつもメリッサの涙は止まらなかった。彼女の記憶の奥底から忌まわしい過去とそれにまつわる苦痛の情報が止めどなく呼び覚まされてしまう。


「でもね? アイツらがアタシに植えつけた悪意が私を望まない道ヘと引きずり込むの。ターゲットを消せと、目的を果たせと――」


 フィールはいつしか床に腰を下ろすとその膝の上にメリッサを抱き上げていた。メリッサは帰るべき場所を思い出したかのようにどことなく安堵を浮かべはじめていた。

 その隣ではディアリオが必死の表情でメリッサの中枢にアクセスしていた。幾重ものメンテナンスプログラムを走らせながらメリッサを救おうと出来る限りのスキルを駆使している。だがそれが芳しい状況ではないことはディアリオの苦しげな表情からも明らかだ。

 フィールはメリッサの髪をそっと撫でていた。その仕草を答えるかのようにメリッサがつぶやく。

 

「帰りたい――」

「どこへ?」

「クリンの街、そこであたしは博士のお世話をしていた――、モスクワから離れた静かな街。博士はそこが好きだった。気難しくて人前に出るのが嫌いだったけど、私には優しかった」

「好きだったの? 博士のことが?」

「うん、大好きだった。あたしは博士のお世話ができればそれで幸せだった。でも、博士はもう――」


 メリッサの声がかすれていく。それから先は言葉にならないつぶやきが漏れるだけだ。それを耳にしてフィールが言う。

 

「しっかり! あきらめないで!」


 フィールの叫ぶような声に、メリッサはゆっくりと視線を返してきた。もはや言葉は出せなくなっている。その視線にはもはや敵意も悪意もない、謝罪と感謝とが切ない光をたたえて浮かんでいる。


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