第31話 ビヨンド・ザ・ヒーロー/待ちわびた弟
グラウザーは今、半ば無意識に、アトラスと同じに空手の構えをとっている。左半身を前に左の手刀を突き出し、右の拳は引いた位置で腰の脇に構えている。両足のスタンスは広めに取り、重心を低めに落としている。
ディアリオがグラウザーにもたらした戦闘シュミレーションデータ――、それがグラウザーの身体を駆け巡ることで、アトラスの戦闘スキルがグラウザーに憑依したとしても不思議ではなかった。
そして、その光景を虚ろな意識の中で眺めている目があった。
【特攻装警第3号機センチュリー 】
【システム再起動シークエンス<実行完了> 】
【システムコンディション、トータルチェック 】
【左右前肢:全機能不全 】
【右下肢:神経系途絶 】
【左上肢:感覚受動系機能不全 】
【中枢頭脳部:運動系一部機能不全 】
【 】
【意識回復レベル:正常 】
【基本運動不可能、痛覚系遮断 】
体内システムが作動しセンチュリーを復活させようと必死になっている。意識はなんとか取り戻せたが、立ち上がることはどう考えても無理だった。
朧気な意識の中で思い出せば、ベルトコーネを拘束したアクセルケーブルを突如引っ張られた時、そのまま離せば良かったのだが〝逃がすことができない〟と言う絶対的な思い込みがケーブルのグリップを手放すことを拒否させた。簡単に外れないように手に巻きつけたのも失敗だった。
後悔しても遅いが死ななかっただけでも良しとするしか無い。
「くそっ……、体が……、動か……ねぇ……」
四肢の感覚がない。もぎれている――と言うより、四肢の神経系が完全に焼き切れている感じだ。こういう時は人間でなくてよかったと思う。アンドロイドだから痛覚が自動制御できる。不要な痛みをシャットアウトできる。とは言え、このまま寝転がっていて良いはずがない。
全身を必死に動かせば肩関節と胴体はなんとかなる。そこから這うことはどうにか出来そうだった。
残された部分を必死に動かしてセンチュリーは敵の姿を追う。
ベルトコーネ――、やつだけは諦めてはならない――
「どこだ!?」
残された力を振り絞ってセンチュリーは身体を起こし顔を振り上げる。そして、視線を向けた先には空手の構えをとる見慣れた姿がある。
「兄貴?」
一瞬、アトラスの後ろ姿に見えなくもない。その姿勢も構え方も、幾度も一緒に戦場で拳を並べたあのアトラスと瓜二つだ。だがその兄はセンチュリーのすぐ隣で自分と同じように倒れている。全身が焼け焦げていて再起動すらままならない状態だ。
ならばあれは誰なのだ?
そう、強い疑問を抱いて視線を向ければ、そこに立っているのはアイツだった。
「グラウザー?!」
アイツが戦っている。ベルトコーネとガチで向かい合っている。
そのグラウザーが右脚のミドルキックを繰り出しベルトコーネの胴体を打ち据えて倒そうとしているところだった。
「嘘だろう?」
何が起きているのだろう?
「あいつ、まだ正式配備前だろ?」
戦闘経験はおろか、実務経験すらまだのはずだ。しかし、それは幻覚ではない。グラウザーの蹴りは間違いなくベルトコーネにダメージを与えている。
アトラスを、
センチュリーを、
エリオットを、
フィールを――
あれだけ圧倒したバケモノが生まれて間もない『ルーキー』に成すすべなく翻弄されているのだ。
その姿を見るにつけ、センチュリーはあることに気づいた。
「間違いねぇ、アイツ、俺と同じ内骨格系のメカニズムだ! 動体制御重視の格闘タイプだ!」
そのセンチュリーの体を引き起こそうとする者が居る。5号のエリオットだ。
「いいえ、それだけではありません」
「エリオット?」
エリオットは肉体ダメージこそ少なかったが兄弟を打ち倒してしまった心理ダメージから漸く回復しつつあるところだった。それでも戦闘プログラムを再起動し戦闘行動を再開するには至っていない。そのエリオットがグラウザーを見つめながら言う。
「彼の肉体には私やアトラスと同程度の強度が見られます。外骨格系と同じ耐衝撃性能を有しています。ベルトコーネの打撃を受けても防御しきれている。これは明らかにパラドックスです」
運動性能重視の内骨格、防御性能重視の外骨格、その二律背反するものをグラウザーは持っているというのだ。明らかに矛盾する現実に戸惑う2人に、ネット越しにディアリオが答えをもたらそうとしていた。
〔いいえ、パラドックスではありません〕
〔ディアリオ、どういう事だ?〕
センチュリーの問いにディアリオは明確に答えた。
〔彼は完成形のハイブリッドタイプです〕
〔完成形?〕
〔はい――、アトラスから始まって、フィールに至るまで積み上げられてきた、特攻装警の開発テクノロジー、その1つの答えが彼なんです。人間的な外見、優れた運動性能、高い防御能力、高度なコミニュケーション能力、それら特攻装警に求められてきた全てを統合する事――、それが破錠すること無く盛り込まれている。彼は特攻装警という物の1つの答え。その彼に私がアトラスの戦闘シュミレーションデータを与えました。対ベルトコーネ戦用に組み上げられたものです〕
ディアリオの言葉にセンチュリーが絶句した。
〔兄貴のデータ?〕
エリオットが戸惑う。
〔信じられません。トレーニング期間を経ずにですか?!〕
通常ならばアンドロイドといえど一定の運動スキルを物にするためにはそれなりのトレーニングが必要となる。人間よりは遥かに短い期間だが、それをこの戦闘中に即座に行えたというその事実は、センチュリーたちを驚愕させるには十分すぎる事実だった。
ベルトコーネの身体が揺らいでいた。
グラウザーに蹴られた胴体を、くの字に折り曲げつつ倒れそうになる。だが、最後の瞬間で右脚を踏ん張るとベルトコーネは切れそうになっていたその意識を最後の力を振り絞って取り戻した。
――ズンッ!!!――
ベルトコーネが踏みしめた右脚が地響き立てて踏みしめられた。そして、体勢を瞬時に整えなおすと両足を踏みしめて、二つの拳を固め直す。
「認めん――」
ベルトコーネはその視界の中にあらためてグラウザーを捉え直した。
「認めんぞ」
右の腕を振り上げて、その拳を叩き込む相手を見据える。
「認められるかぁ!!! 貴様なぞ!!」
そして、左の足を勢いよく前方へと繰り出しつつ踏みしめる。その拳の向かう先はグラウザーだ。
「我が主の理想の世界は成就されねばならん! 仇なす者は遍く倒されねばならん!」
虚しい叫びだった。誰もそんなモノは望んでいないのだ。一個人のエゴを世界中にばらまいても誰も幸せにはならないのだ。そんな当たり前なことがベルトコーネには理解できないのだ。
グラウザーはその猛り狂い叫びを上げるベルトコーネの姿に底知れぬ哀れさを感じていた。
――僕達アンドロイドは人間たちに求められて生まれてきたはずだ。この世界を発展させ、人間を幸せにするために生まれてきたはずだ。生まれるその前から使命と願いを託されて望まれて生まれてくるはずだ。だが、その願いがほんの少し、間違っているだけで、生まれてくるアンドロイドはその存在自体からして間違ったモノになってしまう。なぜだろう?――
グラウザーは思う、拳を振り上げなおも戦おうとするベルトコーネを見つめながら。そして、その脳裏に想起されるのはアトラスがベルトコーネのために練り上げた技のシュミレーションの数々。
「兄さん、使わせていただきます」
心のなかでつぶやきながらグラウザーは意を決して進み出た。
恐るべき速度の剛拳が飛来する軌道、それを注視しつつグラウザーは左脚を前に出し震脚する。
震脚と同時に構えていた左の手刀をベルトコーネめがけて繰り出していく。
グラウザーの左手はベルトコーネの右拳の軌道にコンマ数ミリで接触する。
そして、絶妙なタイミングと力の制御でベルトコーネの剛拳を弾いて逸らした。
さらには、そのまま強く踏み込んでいき左腕の掌底をベルトコーネの胸板めがけて突き立てると、ベルトコーネの挙動を強引に静止した。
「ぐうぅっ!」
ベルトコーネの喉から苦悶の声が漏れた。グラウザーはそう大して強い力で掌底を繰り出したわけではない、むしろ、ベルトコーネは自ら勢いと力で、グラウザーの掌底に自爆したようなものだ。
そして、素早い速度でグラウザーの右脚が蹴り上がる。
ベルトコーネの頸部を右脚のハイキックで蹴りこみ、そのあとの返す動きでベルトコーネの頭部へと右足の踵を落としてダメージを与える。頭部への二連撃を食らい、意識の途切れそうなベルトコーネに対して、グラウザーはさらに両の拳による連撃を叩き込んだ。
「おぉおおおおおおおっ!!!!!!」
怒涛の叫びとともにグラウザーの拳は停まること無く繰り出され続ける。
左の拳を固めると右脚を下ろす動きと同時に、左の拳をベルトコーネの右頬へと叩きつける。
間を置かずして右の拳を固めると、正拳でベルトコーネの胸部へと打ち込んでいく。
右を戻せば再び左の拳で、相手の右胸を打つ。
4発目の拳を繰り出す頃には、ベルトコーネは一切の防御行動を行うことはもはやできなくなっていたのだ。
それから幾度目の拳が繰り出されたのだろう?
まるで鋼鉄の大口径の弾丸を連射したかのように、ベルトコーネのボディはグラウザーの強固なその拳によって穴だらけの様相を呈しつつあったのだ。
攻撃はもはやできない、防御も困難、それほどまでに無力化されつつあったベルトコーネだったが、それでもなお倒れて這いつくばることは無かった。
敵が倒れるまで、その拳を繰り出し続けるつもりであった。
だが、倒れる予兆すら無いベルトコーネにグラウザーは無心のままに拳を固め続けた。
それを目の当たりにしていた周囲の者は誰も何も声を発しなかった。
ディンキーはその光景を呆然として眺めていた。彼が理想と野望を成就させるために作り上げた人工の家臣たち。その最後の者がついに停まるその姿を目の当たりにしてディンキーはもはや何も語る言葉をなくしていた。
メリッサは無言のまま状況を見つめている。その視線と表情には一切の感慨は湧いていない。ただ、次の手を判断しているのみだ。
終末が近づいていた。
決着の時はついに訪れたのだ。
センチュリーたちは弟たるグラウザーの放つ猛攻を呆然として眺めていたが、逮捕対象であるはずのベルトコーネの惨状をようやく意識するに至った。それをしてエリオットが告げる。
「マズいですね」
センチュリーが同意する。
「あぁ、これ以上はやり過ぎだ」
エリオットに抱きかかえられたままのセンチュリーは、先輩として、兄として、伝えるべき言葉を叫びに変えた。
「やめろ! グラウザー!!」
その声は澄み渡るようにその空間に響き渡る。そして、我を忘れかかっていたグラウザーに自分自身を取り戻させる。ハッとするように両の拳を止めると暴走する心を止めてくれた兄の方へと視線を返した。
そこには満身創痍の兄が居る。そして、センチュリーは生まれて間もない弟に伝えるべき言葉をつげる。
「俺達は殺人者でもテロリストでもない。今やるべきことを間違えるな!」
その言葉の意味はすぐにグラウザーの心のなかに染み渡っていく。成すべきこと、果たすべき役目、それが己が脳裏の中で冷静に組み上がっていく。
攻撃の手を止め数歩後ろに下がる。そして、敵との間に間合いをとるとベルトコーネの動きを警戒しつつ冷静に見守り続けた。
そして、それはゆっくりと前方へと揺らいでいく。
その瞳に意志の力はない。
その拳に破壊の怒りはない。
その足に闘志の歩みはない。
――ガキィン!――
ベルトコーネの膝が折れる。金属製の床で打撃音が響く。
その総身には、もはや立ち上がるだけの気力もエネルギーも残されてはない。
虚ろな視線をたたえながら、その巨体はついに力尽きて前のめりに倒れこんだ。
――ガッシャァッ!――
何か大きな荷物でも投げ出されるかのような物音。
それは到底、命ある物にまつわるような音でははない。〝死〟と言うよりは〝機能停止〟と呼ぶに相応しい音――、
世界を、日本警察を、特攻装警を、散々に振り回し続けた存在にしては最後の瞬間はあまりにもあっけないものだった。
誰も何も語らなかった。
沈黙が支配する空間の中、グラウザーが吐く荒い息の呼吸音だけが微かにこだましている。ベルトコーネの剛拳と闘いぬき勝利を手にするため、その全身に巡らせた力を開放しつつある。その高まったエネルギーの余韻そのままにグラウザーは肩を上下させつつひたすらに深呼吸をつづけていた。
アンドロイドでありながらも、呼吸の息吹がある――
センチュリーはその事実を目の当たりにして思うことが有った。
――俺と同じだ――
内骨格にして呼吸と有機物消化を備えたアンドロイド、それはセンチュリーの事であるが、グラウザーに今起きている事実は彼がセンチュリーと同じ機能を備えていることの証でもあった。
自分と同じ存在であることに強い歓びが湧いてくる。だが、それと同時に疑問を感じるのも事実だ。
しかし、今はその事にこだわる時ではない。
語るべき言葉がある。
伝えるべき意味がある。
センチュリーは己が弟に今成すべきことを促した。
「グラウザー!」
兄の声にグラウザーははっとしつつ振り向く。センチュリーはグラウザーの目を見つめつつ伝える。
「確保だ! ディンキーを押さえろ!」
兄からの警察としての指示を耳にしてグラウザーは明確に頷く。
「はい!」
そして、無力化されたベルトコーネの脇を通り過ぎ駆け出すと、偽りの玉座の上へと駆けていく。
センチュリーはその姿を満足気に眺めている。
「弟か――」
「え?」
エリオットは兄であるセンチュリーのつぶやきを耳にして振り向く。
「なんでもねぇ。お前もベルトコーネの機体を確保してくれ。俺のことはかまわねえ」
エリオットは兄の言葉に無言で頷きながら、センチュリーの身体をそっと床に横たえた。
センチュリーの視界の中、エリオットが、グラウザーが、それぞれの任務のために駆けていく。それを満足気に眺めている。
【特攻装警第3号機センチュリー 】
【ダメージ蓄積警戒レベル突破 】
【緊急休眠モード移行 】
【オールシステム・スリープ 】
あとはアイツらがやってくれるはずだ。それを確信しながらセンチュリーの意識は眠りへと落ちていった。