第31話 ビヨンド・ザ・ヒーロー/決意の道
「そんな――」
振り向いたグラウザーはその眼前の光景に愕然とした。
「あら、形勢逆転ね」
メリッサはこともなげに言い切る。笑顔も浮かべず淡々としている。そして、彼女の言葉は傍らの老人へもかけられた。
「ディンキー様。あなたの忠臣が、あなたのためにやってくださいましたよ」
メリッサから声をかけられたディンキーの顔には歪んだ笑みが浮かんでいた。沈黙していたその唇が開き眼前の忠実なる家臣へと労いの言葉がかけられたのだ。
「見事だ――我が最高傑作よ」
ディンキーは言った。最高傑作と。
「我が作り上げた最初のマリオネットにして最強のマリオネット――、お前こそはワシの意思を継ぐものぞ!」
その叫びにも似た歓喜の言葉の先にディンキーは高笑いの声をあげていた。仮初の偽りのこの玉座の間の頂きで降って湧いたかのようなこの勝利の時を目の当たりにして、ディンキーは確かに喜びの声をあげていたのだ。
それがどれだけ正常な意思に基づく歓びなのかはわからない。ただ一つ明確なことがある。
――ベルトコーネが勝利した――
ただそれだけの事実である。
@ @ @
エリオットは茫然自失の状況にあった。心と意志が凍りつき理性が働かない。
――言葉を失う――
そんな状況に陥ったのはこれがうまれて初めてであった。
愕然として眼前を見つめたままエリオットは膝を折った。彼の前方には死屍累々と屍のごとく身体を打ち捨てられたように横たえるアトラスとセンチュリーの姿があった。
狙いは正確だった。
アトラスが組み立てた戦術にも間違いはなかった。
エリオットの主装備であるメタルブラスターの威力も、敵ベルトコーネを打ち倒すには必要十分な威力を宿していた。それを命中させるためにアトラスとセンチュリーがとった行動も決して間違いではない。
戦術は間違ってはいない。読みも正しかった。
ただひとつ事実を誤認していただけだった。
「残念だったな」
ベルトコーネの声がする。それはエリオットの傍らからかけられていた。
「暴走時の俺が理性を完全に喪失していると思い込んでいたようだな。これでも最低限の奸計は思いつけるだけの知恵は残せるのでね」
なんの感慨もなくただ憐憫だけをにじませながらベルトコーネは眼下で膝まづくエリオットを見下ろしつつ慰めの言葉を語りかけていた。
「戦闘時はたったひとつの事実を読み間違えただけで全てが変わる。誰も責めることは出来ん。責めるなら己自身を責めることだな」
エリオットの顔が動く。振り向いた先にベルトコーネの姿がある。だがベルトコーネはエリオットが振り向き終える前に、己の右腕を思い切り振りかぶった。
「戦場に敗者の席はない」
その拳は雷神トールのハンマーの如き勢いと衝撃でエリオットの頭部を打ち据えた。そして、その衝撃はエリオットの全身を木っ端のように弾き飛ばした。エリオットが飛んでいった先にあるのは高熱のプラズマ噴流で大破したアトラスとセンチュリーが折り重なるようにうち倒れた場所だった。
かつてアトラスはベルトコーネの腕力をこう形容した。拳の一撃で10式戦車をふっ飛ばしかねない――と。その推測を実証するかのような衝撃だった。
エリオットは動かなかった。アトラスやセンチュリーと重なり合うようにうち倒れると、それっきり沈黙する。完全な意識のフラットアウトである。
グラウザーは呆然とその光景を目の当たりにしていた。
アトラスとセンチュリーがケーブルとワイヤーでベルトコーネを拘束する。そして身の自由を奪い、エリオットがベルトコーネに最強の攻撃を加える。そして、ベルトコーネ攻略は完成するはずだった――
だが、グラウザーが見た光景は想像すらできないものだ。
拘束されたはずのベルトコーネがアトラスたちのケーブルとワイヤーの戒めを一瞬にして引きちぎる。そして、両手でアトラスたちのケーブルを握り締めるとアトラスとセンチュリーの身体を瞬時に引き寄せる。絶妙のタイミングを逆利用して、エリオットからの攻撃発射タイミングに合わせ、ベルトコーネはアトラスたちの身体を盾にしてみせたのだ。
回避の余裕は全く無かった。
温度1000度を超える重金属プラズマの噴流をまともに全身に浴びたアトラスとセンチュリー――、その体は溶解こそしなかったが、再起不能すら考えられるほどのダメージをその体にまともに受けたのだ。
アトラスはその熱傷害から完全にシステムダウンし再起動すらできなくなっていた。耐熱性に優れた128Γチタンを溶かすことは出来なかったが、その体内へと浸潤してきた高熱は間違いなくアトラスのシステムを阻害していた。電子部品・電脳部品の破損もあるだろう。全ての作動を停止してアトラスは完全に沈黙していた。
センチュリーは辛うじて意識の喪失と完全機能停止は免れていた。兄たるアトラスが盾になったのが大きかった。全身にまともに超高温プラズマを浴びることだけは避けれたが、手足の各部や頭部の一部にプラズマ流を浴びることは避けられなかった。
高温の熱噴流を各部に浴びたことで四肢の各部が破損、歩行すらままならない状態にあった。特に、その頭部をかすったことで中枢頭脳が熱傷害で一時ダウン、再起動プロセスを行っているが動くことはほぼ不可能な状態にあった。
エリオットは肉体面では損傷は無かった。だが、心理面へのダメージは推し量ることすら出来ぬほどダメージを負っていた。それは自らの手で兄弟の息の根を停めてしまったことがエリオットの心を完全にへし折っていたのである。エリオットの戦闘システム制御プログラムは彼の心理構造に直結している。戦闘に対する意思が正常に働かなければ、もはやレーザー一発撃つことすら出来ないだろう。
特攻装警は強力な存在である。だが、それと同時に極めて精密で高等なテクノロジーの集積体でもある。細密なパズルのように構成要素が密接に影響し合いながら成立している存在であるだけに、重要なパーツが1つ壊れることで、全体がまともに機能しないことは決して珍しくはなかった。
今、アトラスたちの戦いは重要なパーツを奪われた。もはや立ち上がることは無い。
「兄さん――」
グラウザーはつぶやいた。だが、その言葉は届かない。
「兄さん!!」
なおも叫び声を上げる。だが、アトラスたちは指一本動かない。ディンキーへと続く玉座への階段の途中で立ち止まると兄たちの方を振り向いては為す術なく立ちすくむしか無かった。
そして、その眼下に見えるのは彼方から歩いてくる一人の男の姿だった。
「あれが、ベルトコーネ――」
グラウザーは彼の名を唱えた。グラウザーのつぶやきに玉座のディンキーが告げる。
「そうだ、あれこそがベルトコーネ。我が率いる配下の中で最強の男だ」
歪んだ笑みを浮かべるディンキーにグラウザーは視線を向ける。だが、ディンキーはグラウザーからの強い視線を受けても怯むことも恐れることもなかった。ディンキーが未だ識らぬ若い戦士を前にしてあざ笑うようにただ侮蔑の言葉を投げるだけである。
「お前如きに留められる物ではないぞ、若造! 奴こそは、たとえ千人の特殊部隊兵が束になっても死体の山を築き上げる最強の革命闘士だ! 我が復讐の遂行者だ! たとえ他の者が倒れても、奴さえ居れば我が復讐は続けられる! さぁ、ベルトコーネ! 我もとへ帰参せよ! そして我が前に立ちはだかる邪魔者共を消し去るのだ! 誰も、誰も許しはしないぞ! この世の全てを焦土と変えるまで!」
その雄叫びにも似た言葉には恩讐と敵意と尽きぬ事のない破壊への衝動が滲み出していた。そには一切の温情も優しさもなかった。そうまさに――、対話への可能性は微塵も残されてはいなかったのだ。
グラウザーは振り向くとディンキーの顔を見上げた。そして、そこに見えたのは敵意という感情の残骸だけだった。そこにはあの人工の楽園でディンキーと出会った時に見た優しさはどこにも残っていなかった。小動物のアニマトロニクスたちに優しく餌を与えていたあのしぐさはどこにも見られなかった。
納得はできない、だが、理解するより他はなかった。
「これが〝犯罪者〟なのか」
そして、これこそがこれから自分が向かい合って行かねばならない存在なのだと心の奥底に刻みつける。ならばどうすればいいのだろう? どんな選択をすればいいのだろう? 逡巡する時間はない。グラウザーは、すでに示唆されていた言葉の群れの中から最善の一言を見つけ出す。
「そんなことはさせないよ」
静かなつぶやきだったが、そのはっきりとした口調はディンキーの耳にしっかりと届いている。自らのつぶやきに反応を示したディンキーにグラウザーは告げた。
「ベルトコーネは僕が止める。そして、あなたを捕らえる」
両の拳を握り締めながらグラウザーは宣言する。静かな言い方だったが、それはこの閉ざされた空間を超えて空高くへと届きそうなまでに澄み渡っていた。だが、その決意の言葉をディンキーは高らかにあざ笑った。
「出来るものか! 自らの歩きゆく道程すら見つけられぬ未熟者が何が出来る!」
確かに、ディンキーの言う通り自分自身では明日へと続く道すら見つけられないだろう。だが、グラウザーには確信があった。今なら判る事が一つだけあるのだ。
「道なら――」
グラウザーは両の拳を硬く握りしめた。そして、右手を眼前に構えてベルトコーネを睨みつけた。
「道ならみんなが教えてくれた!!」
そして、グラウザーは駈け出した。走りゆく先には3人の兄を奸計で葬り去ったベルトコーネが立ちはだかっている。勝てるとは限らない。だがもう一つ明確に分かっていること――、
それはベルトコーネを倒さずして先はないということなのだ。
@ @ @
ベルトコーネが見ていた物――
それは彼自身を生み出した創造主にしてしたがうべき主人たる存在、
そしてもう一人、その主人を根底から作り変えてしまった者――
事実を問いたださねばならなかった。何が真実で何を信じれば良かったのか、それを彼の2人に問いたださねばならなかった。そうでなければ散っていったアイツらの魂は浮かばれないだろう。
コナン、ジュリア、アンジェ、マリー――、彼らはもう帰っては来ない。ともにディンキーを主人として付き従った日々はもはや過去のものだ。
ガルディノ――、我らが主の理想からかけ離れてしまったができの悪い弟の様な存在だった。
そして、アイツはどうしたろう? ローラは存命だろうか?
幾つもの思いがベルトコーネの中を駆け巡っている。そして、その幾多もの思いは1つの疑問へと結びつく。
――これからどう生きればいいのだ?――
アンドロイドは創造主より目的を持って生み出される存在だ。その目的を持たずして自らの存在意義は成り立たない。ならば、主人たるディンキーの目的とはなんだったのだろう? ましてや主人の命がすでに無いと言うのならばディンキーが抱いていた目的と理想には何の価値があろうと言うのだろうか?
真実が知りたかった。そして今この胸中を支配している不安と疑念とを振り払い、再び、主人の命に服して戦いに自ら挑む日々へと戻りたかった。そのためにはやはり問いたださねばならない。
あの女に――
我らが主人の側に張り付くように付き従っているあのメイド風情に――
ヤツが、奴こそが事実を知っているのだ。
「メリッサァァァァ!!」
暴走する意識の中で奇妙なまでにクリアに働いている理性が彼女の名を求めた。だが、玉座の傍らから見下ろす視線はあくまで冷ややかで、そこに一切の信頼関係は存在していなかった。そう、それはまるで使い捨ての道具を見限り見下したような気配だ。
その気配と視線がベルトコーネにさらなる怒りを呼び起こす。汲めども付きぬ怒りを携えて歩いて行くベルトコーネだったが、その視界の中に新たなる存在が見えてくるのに気づいた。
「誰だ?」
それは若者だった。人間と見まごう生気と闘志に満ちた一人の若者だった。両の拳をしっかりと握りしめ、確かな足取りでベルトコーネの方へと迷うことなく歩みを進めてくる。そして、それは明らかに彼、ベルトコーネに敵対するべく立ち向かってくる者であった。
「小賢しい」
ベルトコーネはなんの感慨もなく吐き捨てる。大切な主と、その主を捉えて離さない奸臣の元へとたどり着こうとしているのにもかかわらず、またも、それを邪魔しようとするのか? ならば、ベルトコーネが下す答えはひとつしか無い。
ベルトコーネも両の拳を固める。相手が拳を固めて敵対するというのなら、自分も拳で答えるまでだ。そして、絶対的な力を持ってして排除する。
今まではそうしてきた。これからもそうするだろう。
なぜなら、それ以外の手段と方策をベルトコーネは彼の主人から教えられては居ないのだから。