第29話 正しき者/―妄執は語り、若者は知る―
そして、そのグラウザーの前で、ガドニックは強い信念で壇上のディンキーへと戦いを始める。
「ディンキー。貴様の言っていることが偽りだとは言わんよ」
「ほう?」
「確かに我々英国人は頑迷でプライド高い。我々の先祖たちが母国を離れて海外へと赴いたとして、行く先々において現地の人々を酷使してきた。我が英国はその悲惨な歴史の上に成り立っている」
「認めるか、ライミー」
ディンキーは吐き捨てるように言い放つ。ライミーは英国人に対する蔑称だ。
「結論が早過ぎるぞディンキー。私は貴様に謝るべきだとは思っていない」
「なんだと?」
「考えてもみたまえ。文明も人権意識も未発達な、中世近世の時代の戦争や政争の具をこの近代に呼び起こしたとして、それが我々になんの関与がある言うのだ? むしろ大切なのは今だ! この現代における世界平和を希求し、異なる民族同士で互いに協力しあう事こそ大切なはずだ!」
ガドニックは数歩歩み出て猛るように叫んだ。その視線をディンキーは睨み返すと一言つぶやく。
「異なる民族同士でだと?」
「そうだ、今日、このビルで行われるはずだったサミット会議は、世界中の民間の学術者が思想と意見を持ち寄り、この世界にいまだはびこる悲惨な争いを少しでもなくすための物だった。ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、アラブ、スラブ諸国! 世界中の知性がつどいあい手を結ぶ、そう言う場となるはずだったのだ!」
「それをワシが潰したとでも言いたいようだな?」
「違うとは言わせんぞ! テロリスト!」
裂帛の気合が玉座の間にこだまする。ディンキーはガドニックからの射抜くような視線を物ともせず玉座から見下ろしたままだった。ディンキーはそんなガドニックに言い放つ。
「だがな――、そもそも貴様の言うその理想の世界に〝ケルト〟の民は存在したのか?」
「なに?」
「聞き返すなライミー、お前たち英国人――はては欧州に住むあまねく全てのローマとゲルマンの民の末裔たちによって消されてしまった孤高の民――、我らがケルト、この欧州世界の正統なる支配者。それが貴様の言う理想世界を求めるそのサミットに古のケルトの名は残っているのかと聞いているのだ」
「貴様が常々口にしている言葉だ。随分と古風な思想にすがりついているようだな」
ケルト――、それはディンキーが執着し続ける思想の根幹だった。
「ガドニックよ。わしはな、かつてアイルランドで闘争の日々をつづけているなかで、アイルランドと言う小さな国の括りでは、お前たち強大な大英帝国の存在に太刀打ち出来ないと思ったのだ。貴様らイングランドは、かつては世界の20%を手中に収めていたという。そんな巨大な貴様らに北アイルランドと言う小さなくくりで向かい合ったとしても、せいぜいが和平を結んで適当な自治権を与えられて懐柔されるだけだ。だからこそワシは求めた、イングランドはおろか欧州全土を超える存在をな」
「それが貴様の語る〝ケルト〟だと言うのか?」
「そうだ」
「愚かな思想だ。すでに存在しなくなった民族の思想など!」
ガドニックは焦っていた。ディンキーを論破し精神的柱を打ち負かすつもりだった。
「そうだ、すでに途絶えた民族だ。武勇を尊び誇り高きケルト、しかしそれらは欧州にのさばるアングロ・サクソンの民により駆逐されてしまった。文化も思想も継承されてない。だが、ケルトの血脈は途絶えようともその思想を蘇らせ、武勇を持って世界を駆逐する! それこそがワシの理想よ! 世界平和? 民族の協力? そんなものが何になる! ケルトの血脈を弾圧し、踏みにじろうとするイングランド! それが貴様らだ! 貴様らは今こそ駆逐されねばならんのだ!」
それは狂人の論理だった。実現できるか、現実的か、と言った事は一切関係なかった。ただ、理想するに足る論理がその脳裏で妄執と結びつきさえすればいいのだ。それがテロリストと言うものなのだ。
それはガドニックのミスだった。ガドニックは科学者だ。科学者として理論の構築と整合性で、相手を論破できる――そう思っていたのだ。だが、それは間違いだった。論理を通せない相手を前にしてガドニックは沈黙せざるを得なかった。そして、ガドニックの沈黙を持ってしてディンキーは狂気の笑みを浮かべる。ひと時の勝利を確信して。
かたやガドニックは奥歯を噛みしめる。敗北した――そう感じた瞬間だ。だが、そう納得してしまうにはまだ早かった。
「ケルトの民――、古代ヨーロッパ大陸に住んでいた古代民族だね」
ガドニックの背後から声がする。声の主はグラウザーだった。
「おじいちゃん。1つ間違ってるよ」
「なんだと?」
「ケルトは滅んでいないよ」
凛とした澄んだ声だった。
「お前に何が判る」
苛立ちと狼狽を入り混じらせながらディンキーは吐き捨てた。
「わかるよ。教授が〝戦っている〟あいだにネットワークにアクセスしていろいろと調べたんだ」
「ネットワークだと?」
困惑するのは今度はディンキーの番だった。驚きと困惑の表情をディンキーが浮かべたのに気づいたのか、グラウザーは笑みを浮かべて一言こう告げる。
「僕、判るんだ。自分の頭で直接ネットワークに繋がることができるから」
「なに?」
驚きつつ訝しがるディンキーにグラウザーは更に告げた。
「古の民、ケルト。確かに国や文字と言ったものを持たなかった彼らは、ローマやゲルマン民族と言った人々の作った国に飲み込まれていった。でも、滅びたわけじゃないんだ。ましてや、民族や文化が掻き消えてしまったわけじゃないよ」
「黙れ! 消えてしまったからこそ、ケルトの民族としての誇りを今こそ取り戻さねばならんのだ!」
大声でディンキーは叫ぶ。だが、その程度で屈するグラウザーではなかった。
「それこそ間違いだよ、おじいちゃん」
「間違ってはおらん!」
「いや、間違っているのはおじいちゃんだよ。いいかい? 民族も文化も思想も、消えてなくなることなんて無いんだ」
グラウザーは強い視線でディンキーを見つめていた。それは折れない心を持つものだけが得られる強い意志に裏打ちされた視線だった。その視線にディンキーが気圧されているのを、ガドニックは傍らで気づいていた。
グラウザーはなおもディンキーをみつめていた。そして、強い意志で語り続ける。
「僕は教授とおじいちゃんの話を聞きながら、ずっと考えていた。そして、疑問が消えないから世界中の色々な場所にアクセスして調べていたんだ。『民族』ってなんだろう――って」
グラウザーの背後からガドニックが尋ねる。
「なにか、分かったんだね?」
振り向き、ガドニックに視線を投げつつグラウザーは語る。
「僕は大切なことが1つ分かったんだ。つまり、人間は〝交じり合う〟ものだって」
グラウザーは語りながら歩き出す。
「民族も人間のあり方の1つだよ。交じり合い、助けあい、支えあいながら、新しい時代に向けて、日々変わっていく。
たとえば、僕を作ってくれたこの国の人々――日本人だって、多くの人びとが長い歴史の中で交じり合い支えあって生まれたものなんだ。北のシベリアの大地から南下してきた人たち、朝鮮半島を渡って中国から渡来した人たち、南の島々を渡って海を超えてきた人たち、さらには大陸のはるか遠くから旅してきた人達も居る。
ヨーロッパの人々だってそうだ。ケルト以外にも様々な場所からいろいろな民族がやってきて新しい時代と世界を作っていく。ローマがヨーロッパを制覇した後、北の方からゲルマンがやってきて、南からはイスラム帝国がやってきた。東の向こうからモンゴルがやってきてヨーロッパの半分を支配したこともある。時には反発し合い、時には協力し合い、そうやって世界中、あらゆる場所で過去から未来へと色々なものが伝えられていく。だから、おじいちゃんの言うケルトは滅んでも途絶えてもいないよ」
グラウザーはガドニックを指差す。
「教授のようなイギリスの人にも、海を超えたアメリカの人にも、そして、アイルランドの人にも、ヨーロッパ世界の全てのみんなに、ケルトも、ゲルマンも、ローマも、ユダヤも、みんなみんな交わり合いながら支えあって生きている。人間はそうやって歴史を積み上げてきた」
グラウザーは強い視線で見上げた。玉座の上のガドニックを教え諭すようにグラウザーは滔々と語り続ける。
「これからも人間は混じりあいながら生きていくはずだよ。完全に消え去るなんて事は絶対にないよ」
「戯言だ、目に見えぬ形で生き残るなどと、誰が認められるか! 見えぬのなら存在しないのも同然だ!」
興奮気味にディンキーは叫び返す。
「こやつらイングランドの悪魔どもが、これまで世界中でどれだけの悪逆を働いたと思う! 蹂躙し、搾取し、支配し、足元とに踏みつけにしてどれだけの民族と世界を食い荒らしたと思う! ワシは世界を作り替える! 世界からイングランドの悪魔どもを消し去る! そして、永遠に消えぬ理想の世界を作り上げる! ケルトの名のもとに! 古の伝説の名のもとに!」
ディンキーは必死だった。妄執というよりも熱病と形容すべきだろう。そして、ついにディンキーは玉座から立ち上がった。陶酔し、狂喜し、内側から込み上げる狂奔のそのままにディンキーは雄叫びを上げた。
「この世界のすべてを否定するために!」
















