第29話 正しき者/―玉座―
ガドニックは幾重にも折り重なった人工の迷宮を上へ上へと導かれていく。
上昇する極秘のゴンドラに誘われて、1000mビル第4ブロックからさらに上へと運ばれていく。
それは魔窟へと飲み込まれる得物のようである。しかし、そのような状況にありながらもガドニックには一縷の動揺すらも見られなかった。
ゴンドラが停まる。そして、招き入れるように扉が開く。外へと出れば薄暗い通路へと出て行く。
その通路に灯りは非常灯のみ。そんな心ぼそい灯りを頼りにしてガドニックは先へと進んでいく。
やがて通路は螺旋を描くように登り始めていく。方向感覚を失いそうになりながらも、上へ上へと進んでいく。
そして最上階へと上り詰めたとき、通路は唐突に光の中へとガドニックを招き入れた。
正6角のビルのフロアの中、道はビルの最上階の中央部に開かれていた。
眩い光に包まれた光のなかで、ガドニックはありえない光景を目の当たりにしていた。
ガドニックは眉をしかめ左手をかざして見つめる。
「外へ出たのか」
しかし、目がその強烈な光に慣れてくるにつれ、己れの導かれた場所が見えてくる。
光の正体は希望の太陽ではない。それは、出口なき天空の魔宮を照らし出す灯火である。
やがて、強力な光にその目が慣れてきた。そして己れが到達した場所の光景を少しづつ目にする。
「ここは?」
ガドニックは目の当たりにした光景に驚きの声を上げずにはいられなかった。
そこは本来ならば、1000mビルの現時点での最頂上であるはずだ。未完成の場であり、建築途中の光景が広がっているはずだった。
だが――
今、そこにあるのは、中世欧州の様々な王宮にあった謁見の間そのままの情景である。
しかし、周囲をよく見回せば、それは有り合わせの鋼材を巧みに組み合わせて作り上げた見かけだけの代物であった。
その謁見の間の周囲は、赤黒く錆びついたスレート鋼板を壁面に並べ合わせて作られている。
足下は、ビルの配管が剥き出しであり、その上に赤いエンジニアリングプラスティック製の通路が、堂々と中央を貫いて引かれてある。
ガドニックを照らし出しているのは、周囲の鋼板の壁の隙間に取り付けられたスポットライトだ。
そして真紅の通路のその向こうには、多様なサイズの鋼管やケーブル収納用のキャブパイプでもって祭壇風の仕掛けが組まれている。
その左右には、曲線と直線とが規則正しく折り重なる古代の紋様が、工業用の塗料で色彩豊かに描かれていた。そして、その高台にある祭壇の中ほどには、一つの玉座があった。
建築用鋼板を曲げて打ち出して作られたその玉座には、シルバーブロンドの老人が座している。
――まさか、彼がそうなのか?!――
ガドニックは、そこに驚きを見た。
その老人の存在は、ガドニック自身は無論の事、英国の上流階級や知識人の間では知らぬ者は無かった。
古代ケルトをその理想に描き数多の精霊を自在に操ったケルトのドルイド僧の様にマリオネットなるアンドロイドを駆使する。その頭脳は異様なまでに鋭敏で、情報ネットワークはおろかハイテク社会の特殊技術の多くをマスターした特Aクラスのテロリスト。
長い顎髭を蓄えた、その顔には、それまでに彼が歩んできた苦難の年月が、深い皺となって幾重にも刻み込まれている。そしてその老体は偽りの玉座の上でガドニックを待っていた。
――この人物のために、我が国はどれほどに荒されたことか――
微かな怒りと、大きな哀しみとが思い起こされてくる。その彼の凶行の数々は、記憶から消去しようにも英国に生を受けた者ならば、忘れる事は絶体にできないだろう。
「マリオネット・ディンキー!」
ガドニックは眼前の玉座の上の人物に、激しい緊張を感じずには居られない。
仮初の玉座の上に座していながらも、その気配だけでも敵対する者を威圧する勢いがある。ディンキーはまるで眠っているかの様に沈黙を守ったままだが、安易には語りかけられぬ剣呑さはさすがにテロリストとして世界に名を馳せているだけはある。だが、このまま沈黙したまま対峙する訳にはいかない。
「君が私をここへと招いた招待主か?」
ガドニックが落ち着いて語りかけるが、ディンキーは黙して語らぬままだ。ガドニックは再度語りかける。
「ディンキー・アンカーソン。君自ら招いていながら、沈黙したままとはどう言うつもりかね?」
ガドニックが問いかけるがディンキーから反応らしきものは何も帰ってこなかった。さすがに疑念を抱かずには居られなかったが、戸惑うガドニックを前にして、ディンキーの玉座の背後から何者かが姿を現した。
――誰だ?――
それは一人の女性だった。
英国貴族風の濃紺のメイド衣装をまとい、肩にはショールをかけている。肌は抜けるように白く、髪はプラチナブロンド。両手にシルクのグローブを嵌めており、物腰は静かだ。
長いプラチナブロンドの髪を揺らしながらディンキーの脇へと回りこみ、やがて、ガドニックへと静かに語り始めたのだ。
「ようこそ。ディンキー様の玉座の間へ。英国を代表するアンドロイドの魁となるお方、ガドニック教授。貴方様をこころより歓迎いたしますわ」
玉座からガドニックを見下ろしながらその女性は話しはじめる。そして、ガドニックにひと通り語り終えると、彼女はディンキーの顔を覗き込むようにすると、諭すように翔りかけたのだ。
「さ――、ディンキー様、ご来賓がいらっしゃいました。お目覚め下さいまし」
その女の囁きが呼び水となり眠りの中にあったディンキーは少しづつ瞳を開いていった。
それは冷たい瞳だった。
それは瞳の中に一切の情愛も写しだしては居なかった。
それはただ単に獲物を狙い定め捕食するためだけの視線だった。
ディンキーは眠りから覚めたかのように瞳を開くと周囲に視線を走らせる。そして、眼下に見下ろした人物を認めると静かに語り始める。
「久しいな、我が宿敵よ。息災だったか?」
言葉は穏やかだったがその奥に秘めた敵意は隠しきれるものではない。淡々とした物言いには一切の情感はこもっては居なかった。ディンキーの言葉にガドニックは冷淡に問い返す。
「お為ごかしはやめていただこう。私は君と親しくする謂れはない。要件があるなら速やかにしてもらいたいものだな」
「相変わらず冷淡なものだな。それとも英国の生まれゆえのプライドか?」
「答える義理はない。無意味なやり取りに終始するなら私は帰らせてもらうぞ」
「帰るか――、どうやって帰る。道など無いぞ? ワシが許さぬ限りはな」
「それこそ余計な気遣いというものだ。私にはじきに迎えが来る」
「迎え? 来るはずはない。ここはワシとワシの配下たちが作り上げた天空の楼閣だ。誰であろうと逃れることは出来ない。お前も、お前の連れの科学者どもも、私の掌中に服するより他は無いのだ」
そして、ディンキーはゆっくりと体を乗り出してくる。なおも視線は見下ろすように、そして、見下すようにして低く広がりのある声でガドニックに対して宣告したのだ。
「さぁ、われに従え」
宣告の言葉が残響を残してかりそめの謁見の間へと広がっていく。
その言葉を聴くものはディンキーとメイドらしき女と、そして、狩られる側であるはずのガドニック教授――、その3人だけである。
「わが理想の下、我を王として敬え! そして、貴様の持つ力を差し出すのだ!」
歌うように、叫ぶように、酔いしれるように、ディンキーは語り続ける。だが、ガドニックは険しい表情を崩さずに沈黙したままじっと見上げるだけだ。
「貴様たちが持つ英知を、わがケルト世界の復活のために役立てるのだ! さすればその命だけは助けてやろう」
語り切るとディンキーの視線は一抹の凶器を帯びて、その身を乗り出すようにしてガドニックへと威圧をかけた。その威圧の後に、一抹の沈黙の時間が流れ去る。だが、ガドニックは答えなかった。
「どうした。さぁ答えよ! 応か否か?!」
詰問するように、断罪するように、ディンキーはガドニックを問い詰めた。そして、それが死か――服従かをその選択を突きつける。片や、敵意を持ってディンキーを見つめていたガドニックだったがその表情は不意に困惑へと変わる。沈黙は長い時間続き、ガドニックが自ら答えることはついぞ無かった。
しびれを切らしたメリッサが苛立ちを隠さぬままガドニックへと詰問する。
「どうしました? ディンキー様がお尋ねです」
その斬りつけるような言葉をもってしても、ガドニックは沈黙を守ったままだ。
否――、その何よりも強く冷徹な科学者としての視線と視点でガドニックは眼前の粗暴な犯罪者へと戦いを挑み始めたのだ。
「答えなさい!」
しびれを切らしたメリッサは勢い良く叫び声を上げた。そんな彼女すらも無視するかのように、ガドニックは一抹の憐憫を漂わせながら、漸くにディンキーへと声をかける。それはシンプルにして深く強い疑問である。
「お前は誰だ?」
そのありあわせの鋼材で組み上げられた偽りの玉座に向けて、ガドニックが放った言葉だ。
「お前は私の知っているディンキー・アンカーソンではない」
そう宣告してガドニックは両腕を組む。そしてさらに言葉を続ける。
「ディンキー・アンカーソンと言う男は、例えどんなに困窮しようとも、追い詰められようとも、一度、自分が敵として、そして、得物として狙った存在を、懐柔して自分の配下にしようなどとはしない男だ。ましてや――、彼が我々英国人に抱いた敵意は、海よりも深く、闇夜よりも暗い。けっしてそれは晴れることのない悪夢だ。晴れることが無い故に、例え世界で一人だけになろうとも、殺戮の旅路を終えることを良しとしない。もし、恩讐と復讐の旅を放棄する事で命を永らえることが出来たとしても、今一瞬の死を誇りを持って選ぶだろう。ヤツはそういう男だ」
ガドニックがそう語りきった時、メリッサはガドニックに声をかける。
「ディンキー様をよくご存知ですのね?」
メリッサの声に彼女の顔に視線を投げかけながらガドニックは答える。
「無論だ。同じアンドロイドを追求することを選んだものとして、彼と私は絶対に相容れることのない終生の敵同士だ。繰り返し断言するが、彼が私を懐柔しようなどということは絶対に有り得ないのだよ」