第28話 正しきモノ/―失望―
その銃口には敵意があった。
武装警官部隊としての任務を超えて、何より強い敵意と憎悪が込められていた。ベルトコーネを取り囲む盤古隊員たちが構えたM240E6の銃口は不気味に黒光りして威嚇効果を発揮していた。それでも無思慮に引き金が引かれなかったのは彼らの任務に対する矜持に他ならなかった。
テロリストの如く無差別に弾丸をばらまくなら誰にでもできる。だが、これはテロリズムではない。警察としての誇りとプライドが彼らの怒りと敵意の暴走を辛うじて食い止めていた。
アトラスが周囲の盤古隊員に問う。
「拘束具は?」
「単分子ワイヤーが」
「頼む」
「はっ」
取り囲む盤古隊員のうちの2人が銃を下ろし、拘束用の単分子ワイヤーを取り出す。ワイヤーのキャリッジケースに記されたワイヤー強度は最強レベル。単分子ワイヤーは強度が上がれば上がるほど高コストになるが、現状では最強レベルを費やしても惜しくはない。万全を喫してやり過ぎるということはない。完全に身動きできぬほどに絡めとるつもりだ。
最大限の警戒の中、ベルトコーネの拘束が始まろうとしていた――
アトラスはベルトコーネの後頭部にショットガンの銃口を突き付けていた。万が一のための警告である。そのアトラスに聞き慣れた声の入感がある。
〔アトラス兄さん!〕
〔ディアリオか?〕
声の主はディアリオだった。その焦ったような口調にアトラスの脳裏に不安がよぎる。
〔何か起きたのか?〕
〔いえ、トラブルではありません。地上側からの緊急情報です〕
〔緊急情報?〕
〔はい、ディンキー・アンカーソンに関して極秘情報です〕
ディアリオが語るその言葉にアトラスは疑問を抱いた。
〔ディンキーはこの上に居るはずだ。今更なんの追加情報あると言うんだ?〕
〔それに関してですが――〕
アトラスの問いかけにディアリオが一呼吸置いた。
〔――ディンキーは死亡しているそうです。遺体は発見されてはいないそうですが情報推測からほぼ断定して間違いないそうです〕
〔なんだと?〕
にわかには信じがたい。しかし、地上からの情報なら鏡石や近衛たちが噛んでいるはずだ。情報の精度は高いと見ていいだろう。
〔確認は取れたのか?〕
〔非合法ですが、アメリカの諜報機関やNATOの戦略データーベースにアクセスして調べました〕
とんでもないことをさらりと言ってのけるのがディアリオの特徴だった。非合法アクセス――ハッキングが露見すればそれこそ国際問題では済まないが下手を撃つ様な弟では無いことは承知している。
〔それで?〕
〔諜報機関の非合法情報ですが、やはりディンキー・アンカーソンは死亡として推定されています。〝表〟の治安組織では物的証拠の裏付けが無いために正式な証拠として出ていないだけです〕
〔それで、判断の決め手は?〕
〔移動手段です。以前は偽造パスや密航などを駆使していたのが、ある時から貨物コンテナへの侵入を主体として〝物資の運搬〟に変わっていったそうです〕
〔生きているなら使えない移動方法――と言うわけか。この事はまだ誰にも知らせていないな?〕
〔はい、兄さんだけです〕
〔それと、コイツ以外のマリオネットの戦闘記録は撮れてるか?〕
〔私や他の特攻装警の視聴覚のデータなら日本警察のデータベースにアップロード済みです〕
〔分かった〕
今、得られた情報をどう取り扱うか――
それを考えた時、眼下に捉えたベルトコーネに意識が向いた。情報の真偽を問いただすのにふさわしい人物が眼下に居る。
今、ベルトコーネに問いただし尋問する選択肢がある。だが――
――不用意に刺激する可能性もある――
主人の死亡という事実をあえて問いたださずに、このまま粛々と残りの残党をあぶり出すと言う選択肢もある。コイツがディンキーについての事実を知らぬまま命令に伏していた場合、ディンキー死亡の事実をつきつけることで混乱させ逆上させる事も十分に考えられる。しかし、あるいは完全に反抗の意思を挫く事も出来るかもしれない。
その2つの選択肢を前にして、思案に揺れているような時間は殆ど残されては無かった。周囲が警戒を怠らぬ中、アトラスはその手に握っていたショットガンに力を込める。そして、ベルトコーネに背後から低い声で問いただした。
「おい――」
アトラスの人差し指はトリガーに掛けられている。ほんの僅か指を動かせば弾丸はいつでも飛び出す。ベルトコーネは、かすかな動きを後頭部に感じながら頭を動かさずに返答する。彼の身体は単分子ワイヤーで拘束されつつあったが、アトラスからの攻撃のダメージによりその体を動かすことは今なお困難なままだ。
「なんだ?」
ほんの僅かな時間の中で、アトラスは質問のキーワードとして最適な物はなんなのか、熟慮をかさねる。選び出した単語一つで状況は大きく変わる。判断に判断を重ねた末にアトラスは詰問のキーワードを決定する。
「ディンキー・アンカーソンはどうやってこのビルに侵入した?」
「なんの事だ?」
「聞いた通りの質問だ。歩いてきたか、運ばれてきたか、いきなりどこかから取り出されたわけではあるまい? 〝生きているなら〟荷物めいた運び方をするわけにはいくまい?」
アトラスはカマをかけた。ベルトコーネがこの問いかけにどう反応するか? その反応次第で事実がどうなのか判断できる。だが――
「―――」
「黙秘か」
「答える義務はない」
強い意志に裏打ちされたシンプルな言葉だ。だが、アトラスはそれすらも意に介さない。
「答えないならそれでいい。ただ一つだけ言っておくことがある」
アトラスのその言葉にベルトコーネは僅かに反応する。それを逃さずアトラスは畳み掛けた。
「そもそもだ。
人間はオレたちアンドロイドと違い、飲み食いはするし呼吸もする。なにより〝睡眠〟をとらずに生活することは不可能だ。ヤクザマフィアが敵対者を拷問する手段の中に〝眠らせない〟と言うのがあるくらいだからな。睡眠を奪われるだけで大抵の人間は生命に変調をきたす。それが老人であるならなおさらだ」
「それが、どうした!」
ベルトコーネが声を荒げる。今こそとどめを刺す時だ。
「お前らは自分たちの主人の身の安全も考えなかったのか?」
「お前たちには関係ない!」
盤古隊員たちに巧妙に拘束され身体の自由を奪われたベルトコーネ。彼はアトラスの言葉に声を荒げて叫んだ。だが、それは否定の意味での言葉ではない。多分にして不意に湧いてきた不安を疑念を拒絶するための叫びだった。
だが、アトラスとて素人ではない。幾十、幾百もの犯罪者を相手に口を割らせてきた猛者だ。ベルトコーネが垣間見せたほころびを決して逃さなかった。同時にベルトコーネへの尋問と並行しつつ、ネット回線を通じて他のマリオネットとの交戦記録に目を通した。その中にベルトコーネへの尋問に使えるネタが見つかる。
アトラスはそれを意識の片隅にとどめつつ、ベルトコーネに最大級のカウンターとなる詰問を叩きつけた。
「貨物コンテナに放り込む――そんな方法でまともに生きていられる老人がどこにいる?!」
裂帛の気合を載せてアトラスが叫んだ。それを受けてもベルトコーネは反応を示さない。無言は彼自身が己の中に湧いてきた巨大な疑念を拒否しきれなくなった証拠である。
沈黙を守ったままベルトコーネの反応を待てば、数分ほどして彼の口からつぶやきが漏れ出した。
「あるじは――俺の、俺の王は――」
ベルトコーネの視線が彷徨っていた。その彷徨う視線の向こうには何が見えているのだろうか?
混乱のさなかにある敵に対して、アトラスはショットガンの銃口を突きつける場所を変える。ベルトコーネのこめかみにショットガンを突き付けなおすと、トリガーに指をかけつつ吐き捨てた。
「お前に話しかけながら、お前のお仲間のガルディノとうちの弟の戦闘記録を見させてもらった。それなりに理想論で武装しているみたいだが俺に言わせりゃお笑い種だ。何がケルトの王だ、何が古の民だ! ボケた老人の妄想に付き合わされただけだろうが! しかもそのご主人様がとっくに死んでるのにそれすらも誰も気づかなかったのか?! だとするならお前らはただの戦闘バカと人殺しの寄せ集めにすぎん!
宗教キチガイの極右武装テロリストでももっとまともに物を考えている! お前らみたいなイカレ野郎の集まりが今までどれだけの人間の命を奪ってきた?! お前らの行動にどんな意味があった? それすらも考えたことがなかったのか! それとも、ボケた老人との主従ごっこに酔っ払ってただけか!?」
ベルトコーネに語りかけつつアトラスは己の胸の奥からとてつもない怒りが湧いてくるのを押さえられなかった。そして、ベルトコーネに対して唯一抱いていた畏敬の念が過ちだったことに気づくとそれを言葉にして叩きつける。
「お前の〝拳〟を信じた俺がバカだったよ!」
アトラスの叫びがこだましつつ静寂が訪れる。
もはやこの階層において行われている戦闘はもはやない。
ディンキーアンカーソン配下のマリオネットの生き残りはおらず。戦闘を継続する理由すら無いはずだ。ただ、ベルトコーネはアトラスから叩きつけられた言葉に放心するだけである。このまま対アンドロイド用のフレシェット弾をコイツのこめかみに叩き込んでも良かったが、唯一の生き残りとして、ディンキーについての重要情報を吐かさねばならない。なにより、これまでディンキーが襲撃してきた世界の各国からも情報提供と捜査協力を求められることになるだろう。
アトラスはベルトコーネの拘束が完全であることを確かめると、ショットガンの銃口を外す。そして、歩き出しながら盤古隊員たちに指示を出す。
「連れて行け、警戒は怠らず、さらに強力な拘束を再度施せ。必要なら手足を破壊・切断しても構わん」
「はっ!」