第19話 来訪者/―傑女は笑う―
そして同時刻、東京アバディーンのロシア系住民区域の真っ只中、10階建ての堅牢なビルがある。その最上階がロシアンマフィア/ゼムリ・ブラトヤの首魁――ママノーラのオフィスである。毛皮のコートを脱ぎサックドレス姿で革張りソファーに腰掛けて細葉巻を燻らせている。けだるげにしていたがその静寂を破ったのは彼の従者の1人のウラジミールである。
オフィスの扉がノックされる。
「入りな」
ドアが開けられウラジミールが口上を述べた。
「失礼します。ママノーラ、ラフマニから報せが来ました」
その言葉を告げるとラフマニからの手紙を差し出す。それを受け取りながらママノーラは言う。
「そのまま待ちな」
「да」
そして手慣れた手付きでマニキュアの塗られた爪で封をあけ、中の手紙を取り出した。
「ん?」
その手紙を見てママノーラの表情は硬いものになる。
「有明? 何があったってんだい?」
そして手紙の文面をつぶさに長めながらある思いにたどり着いていた。
「そうかい、そう言うことか」
そう一人勝手に呟きながらウラジミールに告げる。
「ネットの報道チャンネルを点けな」
「да」
テーブルの片隅のリモコンを手に取りそれを操作する。すると大規模ネットチューブの報道チャンネル。それの1つが映し出された。
「どうぞ、ママノーラ」
「あぁ、ご苦労」
――そう答えつつもママノーラの視線はモニターの中のニュースを凝視していた。流されていたのは――
【 有明付近にて大規模停電発生。有明1000 】
【 mビルも停電により多数に人々が内部に閉じ 】
【 込められている、これに対して――
事実とは異なるニュース。報道管制と警察圧力による偽情報である。
「なるほどこれはデカいネタだね。うっかり見落とすところだった」
そう告げつつもママノーラはニヤリと笑っている。うって変わって強い口調でママノーラはある人物を呼び出した。
「ヴォロージャ、おいで!」
その呼び声と共に隣室から側近のウラジスノフが姿を現した。無言のままでママノーラを見つめている。
「有明で〝人形ども〟が動いている。派手に暴れて警察の方にもかなりの損害を出しているようだ。だが――」
そう告げながらママノーラはヴォロージャに手紙を投げて渡す。
「勝つにしろ負けるにしろ、あのバカでかいビルからディンキー側の誰かが逃げ出してくるだろう。ビル周辺に網を張って、その脱出の際の様子を抑えな。他の連中よりも早く〝ガラ〟を抑えられたほうがチェスを優位に進められる。わかったかい?」
「да」
「よし、お行き」
ママノーラのその指示を耳にしてウラジスノフはドアを閉める。そして次の瞬間、すでに足早に歩きだしていた。10秒もしない内に数人の部下を率いて出かけるはずである。そしてアジトから出ていくウラジスノフたちの気配を感じながらママノーラはこうつぶやいたのである。
「ふふ、案外、いい買い物だったね。ラフマニの小僧だけじゃなくて神の雷本人からも情報が飛んでくるなんてねぇ」
そして部屋に待機していた若い側近にこう命じるのだ。
「ブランデーのいいとこ持って来といで。一杯やるよ」
「да」
ママノーラの求めに応じてウラジミールはブランデーのボトルとグラスを用意しはじめる。何時になく上機嫌なママノーラであた。
@ @ @
そして今、有明1000mビルの第4階層の中の回廊の1つ。人の気配一つしない無人の空間である。
だがその中に佇む影が1つ。
それを人はピエロともいう、ジェスターともいう、アルルカンと呼ばれることもある。赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者。人は彼をこう呼ぶ、
――クラウンと――
「さてさて――、げに恐ろしきは人の欲望。文明を発達させる火種ともなれば、世界を焼き尽くす業火ともなりうる。今宵の宴の終幕に〝舞台〟にが誰が立っているのでしょーーか!? キャハハハハハ!」
そしてクラウンは右手で指折り数えながら唱える。
「日本警察?」
指を1つ、
「英国のCamelotの者たち?」
さらに1つ、
「愚かなるマリオネット?」
そしてもう一つ、
「かの勇猛なるアンドロイドの戦士たち?」
そして最後の小指を広げて言う。
「あるいはまだ未知なる誰か?」
そして右手をひらひらとさせながら、楽しげに声を発していた。
「これはこれは、素晴らしいゲーム! しかも完全部外秘なのでギャラリーは私だけ! キャハハハハハ! なんと贅沢! 何という刺激!」
そしてクラウンはその耳に、第4ブロック階層に鳴り響く銃声と爆音を耳にしながらこう言葉を漏らすのだ。
「せいぜい楽しませていただきますよ。我らの姫君をお迎えするそれまでの間はね。フフフフ――」
――コツ、コツ、コツ――
無人の空間にそう足音を響かせながらクラウンは何処かへと歩き去るのであった。