表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/470

第19話 来訪者/―狼の経歴書―

「やっと行ったか」


 剣呑過ぎる時間がやっと過ぎていった。時間にしてほんの3~4分程度だが、1時間にも2時間にも感じられる。両肩から力が抜けると、その全身にどっと疲れが襲う。思わず傍らの壁に右手をついてよりかかりそうになる。

 

「センチュリーめ、とんでもないヤツを引きずり出しおって」


 そして、右手で拳を作るとその壁を思い切り叩いた。藪をつついて蛇を出す。センチュリーにこの言葉を300回くらいは教えてやりたいくらいだ。そんな苛立ちを近衛は腹の底へと押し込めて、意識のスイッチを意図的に切り替えようと頭を振る。そんな近衛の背中にかけられた声があった。

 

「あの――、近衛さん?」


 振り向けばそこには恐る恐る様子をうかがうように廊下の物陰から顔を出している鏡石が居る。そういえば鏡石には成り行きとはいえ、キツい対応をしてしまっていた。流石に近衛もバツが悪い。

 だが、鏡石は近衛が普段の理知的でどっしりとした指揮官の彼へと戻っていることを確信したのか、その事を気にもせずに足早に近衛の元へとかけてくる。

 

「あの、先ほどの方はもう帰られたのですか?」

「あぁ、センチュリーあてに情報提供をしにきただけだったようだ」

「そうですか――それで、ひとつお聞きしたいことがあるんですがよろしいですか?」

 

 鏡石は控えめな口調で近衛に問いかけてくる。何を問われるのかわからないが拒む理由がない。近衛は質問を受けることにした。

 

「なんだね?」

「はい――」


 近衛の言葉に鏡石は一呼吸置く。

 

「あの、〝狼〟ってどう言う意味ですか?」


 鏡石は首をすくめながら上目遣いに近衛に問いかけてくる。近衛もまた、彼女の言葉に驚きを隠せない。


「聞いていたのか?」

「はい、悪いとは思いましたが、この部屋、安普請なのか隣室に声が漏れてくるんです。隣の部屋でこっそり。その――、情報収集の誘惑に勝てなくて」


 そこまで言って鏡石は思わず頭を下げていた。こうなると近衛も怒る気も失せてしまう。右の拳で彼女の頭を軽く小突く。

 

「悪い癖だぞ――」

「申し訳ありません」


 あまり人に話していい事ではなかったが、鏡石なら口も硬い。昔話をしてもいいだろうと近衛は思う。鏡石に内緒の話だと念を押したうえでこう告げる。

 

「昔、そう言うアダ名を付けられたんだ」


 顔を上げた鏡石に近衛は話を続けた。

 

「警らから始まって機動隊~機動捜査隊~捜査一課と渡り歩いてな、組織犯罪対策の四課に暴対として引っ張りこまれた。そして四課にいた時に、東京都内のマフィア化ヤクザの追跡掃討作戦で大暴れしてな、警視庁にスゴいヤツが居るってんで、いつの間にか狼の近衛って呼ばれるようになった。闇夜に潜む狼のように、いつの間にか背後に忍び寄って食らいつかれる――ってね。あの頃は背広姿で歌舞伎町を歩いていると、よく本職ヤクザに間違われたよ」

「ほんとですか? まるで映画みたいですね」

「仕方ないんだ。暴対でヤクザや外国人マフィアの相手をしていると、そう言う連中に舐められないように、それなりに威厳と迫力を身につけないとやっていけないんだ。相手に飲まれたら足をすくわれるどころかヘタすると命を落としかねないからな」


 頭を掻きながらそう語る近衛の口調には、警察が立ち向かっているもう一つの戦場の様子が垣間見えていた。鏡石は自分の主戦場である情報犯罪畑とは異なる別世界の剣呑さに思わず息を呑まずにはいられなかった。

 

「だが、警備部に移ってからは、狼の名を知るものも少なくなった。その名を口にする者は、もう二度と現れないだろうと思っていたんだが――、とんでもない所から現れてきおった」


 近衛は一度は遠ざかったはずの危険な世界の足音が再び近づいてきたような気がしてため息をつかずには居られなかった。


「それが先ほどの方ですか?」

「そうだ。氷室と名乗っていたが、偽名――と言うより戸籍を購入したのだろう。本当の名前は〝明石〟と言ったはずだ。〝カミソリ明石〟と言ってな、関西あがりの頭脳派ヤクザ――、人を陥れるのが好きで、カミソリで喉笛を切るように敵の命を喜々として奪う。嫌われるよりも恐れられるタイプだ。奴に顔を覚えられて良いことは何一つ無い。私も何度かハメられかけた事がある」


 戸籍を買う――、犯罪社会では実際によくある話だ。身寄りのないホームレスなどを探して、それなりの金額で戸籍一通りを買い取って、別人に法的に成りきってしまう行為だ。そればかりか、非合法な犯罪社会に身をおく者たちの危険性を近衛の言葉の端々に感じずには居られなかった。 

 鏡石は近衛の話を聞いていて合点がいった。だからこそ近衛はあの時、恐ろしいまでに怒鳴ったのだ。

 

「ヤツはたしか、緋色会の筆頭若頭の天龍から4分6分の盃を貰った一番舎弟のはずだ。緋色会がステルスヤクザ化する際に、フロント企業を牛耳るために別人となったのだろう。まったく、とんでもないのが出てきた」

 

 溜息をつく近衛に鏡石は頷かざるをえない。情報犯罪は専門だが、闇社会や暴力団といった反社会勢力との接触は鏡石にはまだまだ苦手な分野だ、


「そうですね、あまり接触したくないですよね」

「そういうことだから、ネットでも情報収集は控えるんだぞ。検索の痕跡を掴まれて、何をされるかわからんからな」

 

 図星だった。今回の事件のカタが付いたら調べようとしていたのを釘を差された。その時の鏡石の表情を近衛もしっかり見ていたのだろう。

 

「私もできるなら二度と接触したくない相手なんだ。いいか? 絶対に調査するなよ? 闇夜で拉致られてバラされるからな! くそっ! センチュリーの馬鹿め、無謀にも程がある!」

 

 近衛が珍しく悪態をついていた。それだけに近衛からはその危険人物の剣呑さがはっきりと伝わってくる。同時に、あとでセンチュリーは間違いなく近衛からこってりと絞られるだろうと鏡石は感じていた。しかし、近衛に聞きたいことはそれだけではなかった。


「それで――その情報ってどんなですか?」


 近衛は鏡石の声に振り向く。そして、今、優先すべき問題の方へと立ち直る。

 

「ディンキー・アンカーソンの生死情報だ」

「生死情報?」

「そうだ。今から3年前に死亡しているそうだ」

「え?」


 鏡石は、近衛が何を言っているのかわからなかった。ディンキー・アンカーソンは活動している。だからこそ、今回このビルでこのような大事件が起きているのだ。

 

「で、でも、上で暴れていますよね?」

「あぁ、暴れているとも。ディンキーが残したマリオネットたちがな」


 鏡石はそこまで聞いて伝えられている情報の意味を初めて理解した。そして、端的に回答となる言葉を探して口にする。

 

「つまり、あれは――、ディンキー・アンカーソンの〝残党〟?」


 鏡石のその答えに近衛は頷く。

 

「たとえ、彼らの中にディンキー・アンカーソンの姿があったとしても、おそらくそれは偽物にすぎん」

「近衛課長、今の情報、なんとしても上の方に伝えなければなりませんね」

「無論だ。敵の動揺を誘い、勢いを挫くためにもな」

「失礼します!」


 近衛のその言葉を耳にすると同時に、鏡石は再び情報管理センターへと駆け出していく。鏡石のような若い警察職員も、近衛にとっては導く対象であった。

 そして、鏡石が立ち去ったあとで近衛の耳に聞こえる音がある。それは高速ヘリが飛翔していくローター音だ。

 

「行ったか――」

 

 エリオットも今、第4ブロック階層へと突入しようとしている。これで近衛の側で取れる手段はやり尽くしたと行っていい。

 神仏に祈るのは主義ではない。現実だけが近衛の信ずるものだ。

 だが、今回だけは、正義を司る神に祈りを捧げたいと思う。

 

「いや、まだやれることはある」


 自分の手の届かない第4ブロック階層の事は彼らに任せよう。だが、第3ブロックから下への対応は、まだまだやる事が山積していた。


「本部長殿! エリオット、上空にて突入準備完了です!」

「今行く!」


 近衛を呼ぶ声がする。彼は対策本部へと足早に戻っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ