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第18話 天空の支配者/ー賢者と冒険者ー

 かつて、ドルイド僧なる人々がいた。キリスト教とはまったく異なる自然宗教のもとで、学問と神秘の全てをその手にしていたと言う。だが、ヨーロッパに存在した伝承と神秘の全てを、キリスト教とその布教活動は何もかも飲み込んでしまった。そのため彼らの姿は歴史から永遠に失われ、彼らが存在したという事実も断片的にしか知る事はできない。しかし彼らが、人と自然の関わりを一手にしていたと言う事は確かである。



 @     @     @



 周りの動物たちがディンキーのもとへと歩み寄り、ディンキーの挙動に視線と関心をむける。

 急ぎ駆けつけて、鳴いてディンキーに問いかける者――

 先回りディンキーの前へと正面から現れて己の姿を誇示する者――

 あるいは遠巻きにして、しきりに鳴き声や身の動きでディンキーに気づいてもらおうとしている者もいた。

 彼のもとへ数多の小さな命たちがひと目会おうと群集まるその姿は、自然の中に立つドルイド僧の姿そのものだ。

 ディンキーが右手を差し出す。その掌の中には砕いた果実がある。それを目当てによじ登ってきたのは一匹のリスである。

 リスはディンキーを全く恐れていなかった。むしろ安心しきっていて、ディンキーの掌に一切の恐れを抱かずに安住の場所と決めているようでもある。そのリスの後を追うように数羽の小鳥が舞い降りてくる。そして、その掌の上で餌をついばむのだ。

 

 そこには人々が恐れ忌み嫌うテロリストの首魁のシルエットはどこにもない。このあらゆる時代から隔絶された特異な楽園空間にて安寧そのものを享受する老境の人物が居るだけである。

 ディンキーの掌の中の餌は瞬く間に動物たちによって食いつくされた。それでもなお、さらなる食物を求める彼らに、ディンキーは困惑しつつも優しく語りかける。

 

「もう終わりだ。さぁ、お行き」


 その言葉を介したのか、リスも小鳥も、静かにディンキーの下から立ち去っていく。場所を移動しようとメリッサに求めたが、車いすは進まない。視線を下ろせば2匹のキタキツネが車椅子の足下で、丸まって軽い寝息をたてている。

 車椅子を動かして先に進みたいディンキーではあるが、それをあきらめた。彼らの至福の時間を邪魔するのは不粋である。

 ディンキーは動物たちを愛でて優しい視線をうかべる。唐突にメリッサの声で幸福な時間から引き離されるまでは――


「マスター」


 それは冷静で抑揚のない言葉だったが、ディンキーはその言葉の意味を瞬時に理解する。

 ディンキーにもわかる。何者かがこのドームへと近付いている。

 ディンキーの顔から笑みが消えた。そして、その者の詳細をメリッサにそっと問うた。

 

「何者だ?」

「詳細はわかりませんが、若い男で、サミット招待者にも日本警察にも該当しません」

「なんだと?」

 

 ありえない答だった。ディンキーには解しかねる不思議な答えである。この1000mビルの第4ブロックの閉鎖された状況はディンキーの意思で作られた。そして、それが成功している事も解している。ディンキーの中で疑問は消えずに残る。

 突然それまで、ディンキーの車椅子の足下に丸まっていた一匹のキタキツネがその顔を大きくもたげた。そして、その視界の中に何かを見つけ警戒して走り去っていく。


 ディンキーたちが来たのとはまったくの正反対、月桂樹の中庭のもう一方の入り口にその視線の目標があった。


 若者だ。若い人間の風貌の男性だ。

 北極狼が強く台地を掴んで走り出す。リズムよく足音を慣らし、その若者めがけ向かっている。警戒もある。だが、それよりも、大きな興味で彼は動かされていた。

 一方の若者は、しきりに周囲を見回し見るもの全てに驚きの仕草を示している。

 若者の手が傍らの月桂樹の枝に延びる。そして、多量に茂る緑色の葉に興味を示す。

 彼は見た事が無いのだろう。月桂樹もアカシアも、目にする植物はおおよそ全て。


 彼の名は「グラウザー」 

 この世に生まれ落ちたばかりの純粋なる者。


 キタキツネと北極狼は彼のもとへと駆けつける。警戒の素振りもなくグラウザーの目の前でキタキツネはそっと腰を降ろした。そして、グラウザーの顔を見つめ、その好意のほどを示し明かす。

 グラウザーはキタキツネにそっと手を差し伸べるとその顎をなでさする。キタキツネもまたグラウザーのその手にその身を擦りつける。グラウザーは両手を差し伸べて彼を抱こうとする。普通なら抵抗するはずが、キタキツネはそのまま素直にグラウザーの胸の中へとおさまっていった。


 かたや、北極狼はしっかりと4本の足で地面を踏みしめると、その強い視線でグラウザーを見つめてくる。その視線を受けグラウザーは優しく微笑みかえした。キタキツネを左手で抱えると、右手をそっと狼の口元へと伸ばす。狼はそれを見つめ親愛の情のかわりに軽くひと舐めする。そして、グラウザーになにかを語りかける様に一声吠えた。まるでついてこい、と言いたげに。グラウザーもまた狼に誘われるままにその後を追う。二人の足取りはディンキーの方へと向かっていた。


 メリッサは唐突な来訪者を訝しげに見つめていた。表情には笑みを浮かべたままだったが、内心の警戒は解かれることは無かった。ただし、彼女の主であるディンキーは、少年とも青年とも区別のつかない目の前の一風変わった雰囲気の彼にただならぬ興味を覚えていた。ディンキーにとって目の前の彼は、明らかに未知の不審人物のはずだ。だが、敵意も邪気も、あるいはまとわりつく様な黒い感情もグラウザーからは何も感じられなかった。


 幾羽もの小鳥たちが、歓喜と歓迎の唄を唄いながらグラウザーの周囲を乱舞している。あるいは、この庭園の中の動物たちも彼に対し、警戒や敵意をもっている者がいない。その動物たちの情動にメリッサは警戒を超える驚きを抱かずにはいられなかった。


「面白い子ね」


 風が揺らぎ、心地好い風が吹いている。

 周囲の草花の群にさざ波が吹き、それが今、3人のもとを駆け抜けて行く。

 グラウザーは、抱いていたキタキツネをそっと地面に降ろし数歩前に進み出る。


「あの――」


 少し戸惑い、それでいて穏やかな語り口。優しい眼差しのままグラウザーはディンキーたちに問いかけてきた。


「ここは、どこなのでしょう?」


 グラウザーの言葉を選ばぬ素朴で物言いが、ディンキーには嬉しかった。

 思わず心のそこから微笑みが込み上げてくる。ディンキーは訊ねた。

 

「どこへ向かうのかね?」

「もっと、高いところへ行きたいんです」


 グラウザーの物言いは、作意的に造られたものではない。本心から素直に解き放った言葉だ。それでいて放つ言葉の意味はどことなくミステリアスである。ディンキーはそんな彼に興味を覚え、さらに問うた。


「もっと高いところだと? それは無理だよ?」


 グラウザーは、すこし小首を傾げる。


「どうして?」

「ここから先へは、行けない。ここでおしまいだ」


 その答えに、グラウザーの両の眉が下がり彼の顔に微かな暗さがさした。つまらなそうな、それでいて哀しそうな、幼い子供が期待していた遊びや褒美を裏切られた時のあの表情だ。そんなグラウザーに、ディンキーはさらに訊ねる。


「なぜ、高いところへ行きたいのかね?」

「それは――」


 ディンキーの言葉に、グラウザーはそこまで深く考えた事が無かった事に気付いた。それでも自分の胸の中にあるはずの動機を探しては、それを言葉に紡ぎ上げる。


「何かいいものが見つかるかもしれないから」


 白い歯がそっと覗いてグラウザーは無邪気に答える。だがディンキーは聞かされた答えにおもわず苦笑してしまった。

 素晴らしいものでも、面白いものでもない、いいもの――

 ディンキーは優しく微笑むと、努めて穏やかな口振りで答える。


「そうか、そうか! いいものか。しかしな、それは高いところでなくてもみつかるぞ、きっとな」


 小首を傾げ、グラウザーは疑問に思う


「ホントに?」

「うそではない。〝いいもの〟はどこにでもある」


 皺の刻まれた歳老いた顔の中で、碧い目が意味ありげにグラウザーを見つめていた。その視線がグラウザーに冷静さと決断する力を与えてくれる。


「うん、わかっよた」

「さあ引き返しなさい。引く事もまた、道の続きだ」


 そして、グラウザーが来た方向へと指を指す。その方向になら出口があるのだ。

 グラウザーはそれに気づき大きく頷く。そして身を翻し右手を大きく振る。


「おじいちゃん、ありがとう――」


 それは意図的に作られた上辺だけの感謝ではない。心の底から湧き上がってくる素直な気持ちの発露だ。グラウザーの視界の中には、それに答えてそっと手を振ってくれるディンキーがいる。

 動物たちが別れを惜しんでいる。唐突に現れた来訪者には、以外なまでの好意がよせられていた。数匹の動物たちがグラウザーの後を追う。その中には、グラウザーの胸に抱かれたあのキタキツネもいた。

 グラウザーは振り返りながらも次に進む道を目指し進む。そして、彼の姿が、月桂樹の茂みの中へ消えるまで、さほどの時間はかからなかった。


 ディンキーはグラウザーの姿が消えるのを見届けている。その背後ではメリッサがグラウザーの姿を凝視していた。その視線には強い力が込められている。それは明らかに不審と警戒の意思の表われである。不意に、ディンキーが呟いた。


「だれだろうね? あの者は」

「わかりません。ただ不審者としてカテゴライズするにはあまりにも純粋です。まるで生まれたばかりの子供のようです」

「子供か――」


 ディンキーはなるほどと言った風に、意味ありげにうなずく。


「少なくとも心と精神に異常をきたした痴れ者では無いでしょう。ただ――」


 メリッサは思案と洞察を繰り返した末の言葉を主人たるディンキーに対して告げる。

 

「――無意識にこの場に迷い込んだのだとすれば、生身の人間だとは考えにくいです」


 それはシンパシーだ。ディンキー・アンカーソンと言う怪人物の従者たる者だけが感じうる悲しき共感力だ。メリッサのその答えが、沈黙と静寂を生む。そして、その静寂だけが奇跡的な楽園の中を庭園を支配する。柔らかい風が二人のもとを通り過ぎた。


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