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第18話 天空の支配者/ー楽園を征く者ー

 今、一人の老紳士が降りてくる。

 極めて緩やかでとても長い道のりの螺旋階段を降りてくる。

 彼は車椅子の上に乗っていた。鈍い銀色のスチール製の趣に欠けるようなものではなく、恐らくはマホガニーかチーク、それらを静かな光を放つ青銅製のフレームで繋ぎ止めて造り上げた温もりに溢れた優しいものだ。

 その老紳士は完全にその車椅子にその身を預け切っている。僅かばかりのまどろみに誘われているその彼の名は「ディンキー=アンカーソン」と言う。

 ディンキーの目は深い碧色で、その髪は輝きを微かに残したシルバーブロンドだ。

 その頭の頂きには、濃紺の羅紗布製の小さな帽子がのっている。

 時折その帽子が揺れる。本当に眠ってしまったり、半分目を覚ましかけたりする。どうやら車椅子の軽快な振動に心地好さを覚えてしまったらしい。

 ディンキーの背後では、1人の女性がその車椅子をそっと支えている。

 彼女の名はメリッサ、漆黒のメイドドレスに身を固めた献身の淑女――


 螺旋階段はドーム状空間のその外周をゆっくりと降りる様に進んで行く。そして、彼らの進むその先のドームは当たり一面を緑色の植物で色濃く覆われていた。

 植えられているのは大きな丸い葉の広葉樹、四季色とりどりの花々たち、ドーム内の各々の箇所に応じて四季や原産地毎に異なる植物が植えられている。

 そこに季節は無い。いや、四季のすべてが皆揃っていると言ってもいいだろう。それは、そこに訪れるものに正確な季節感と言うものを失わせてしまう。

 今まさに、ディンキーとメリッサは少し赤見の混じった紅葉の葉のアーチの下をくぐりぬけていた。その足下の片隅には、春咲きのダンデライオンが己れの咲かんとする場所を確保してその存在を主張している。

 彼らの視界の先には、丈の低い針葉樹……アカシアの木が小さな群を為している。

 そこは異世界、まったくのワンダーランド、現世に現出した小さな楽園である。


「マスター」


 メリッサの囁きにディンキーがその目を覚ます。視界の中にはそのアカシアが捉らえられている。それを見てディンキーは微笑んだ。


「おぉ」


 ディンキーはぽつりと告げる。

 

「ずいぶんお気持よく、お休みになられてましたね」


 メリッサはそう話しかけながら車椅子の歩みを遅くする。周囲を見渡しやすくなったディンキーは、その視線を空へと彷徨わせた。何かを探しているのだ。

 甲高い鳴き声が響いた。小さな動物が放つ甲高くも弱さの混じった鳴き声だ。やがて、その鳴き声の主が、彼らの視界の中に現れる。

 灰色と茶の混じった小さな渡り鳥……今はすでに滅びたはずのリョコウバトだ。

 まさか、どこか人知れぬ土地に生き残っていたのだろうか?

 今、二人の頭上を茶色く染め上げるそれは1羽や2羽ではない。ましてや、見間違いでも無い。大きな群となり空を乱舞しているのだ。もっとも自然の営みから比較すれば小さな物だろう。だが、それでもこのドームと言う建築物の中にあっては、それなりに大きな群である。群をなすだけの数が絶滅を逃れる可能性は少なく、あきらかに新たに蘇った種族らしい。


 ディンキーたち二人がさらにその先を進めば、彼らの前を一つの獣の影が横切った。

 背丈はそれほど高くないが、その身のこなしと歩の速さは驚くほどだ。それは軽やかに歩み出ると、微かに脇を向き、ディンキーたちのその姿を伺い見る。

 その視線には、微かな警戒と親和の意思が含まれている。だが決してその首は下げない。それは守るべき群を持つ指導者の姿だ。

 その指導者の名は「北極狼」。アラスカとシベリアの人外の大自然の中にのみしか住まう事の出来ないはずの極冠の帝王である。彼らは、同抱を守ろうとするならば全身全霊をかける。そして、むやみやたらに牙を向く様な愚かな真似は絶対しない。絶滅寸前の種である彼ら――北極狼の片足には腕輪に似た識別タグが付いていた。


 ディンキーが彼の事をじっと見つめた。そして、そっとその右手を差し伸べる。警戒していた北極狼だったが、ややおいて、しずしずと歩み寄ってくる。やがて彼は、差し出されたディンキーの手の元で、彼だけの王に謁見するかの様に小さくうな垂れる。


「元気か?」


 ディンキーがそっとつぶやく。老王が長年の家臣にねぎらいの言葉をかけるかの様だ。北極狼は不意にその首を上げ、宙を貫くように空を見上げると突然甲高く遠吠えをする。王を讃え高らかに鳴り響くホルンの様に。

 その遠吠えに弾かれたのか、彼らの頭上で五色に輝くシルエットが羽ばたいた。極楽鳥、あるいはフェニックスと呼ばれた事もあるだろう、幻想と伝説の中にしか在らぬはずの幻の鳥だ。

 そして、遠吠えがさらに別の影を呼ぶ。彼が歩んできた道の後ろの方から小さな影が幾つか現れる。まだ生まれていくらも経ってはいない狼の子供たち。そして、その母親である。いまディンキーの前にいる彼はその群の父親であった。

 リーダーであり父親ある彼はディンキーのその顔に意味ありげに視線をおくり、不意にその先をゆっくりとかけだした。


 メリッサは、己が主人の求めを理解して車椅子をゆっくりと進ませる。見れば彼らの周囲を、7色の光を放つ妖精とおぼしきシルエットが、5体ほど追いかけている。始めは、先の狼の家族を守護し見守るかの様にその周囲を舞っていた。

 それは幻覚などではなく、れっきとした現実の映像だ。2対の薄い羽根を持つ小女、古典的な妖精のイメージそのままに彼女らは空を舞う。今また、別な妖精たちの一団が空を舞いディンキーたちの元へと現れた。彼女たちの足下には幾匹もの小さな小動物の影が在る。そしてその向こうにも、妖精たちの一団が――

 どうやら妖精たちは、各々の動物の群を守護するように存在しているらしい。


 さらに二人は進み、やがて周囲の樹木が開けてくる。当たり一面に咲いているのは、ローレル――月桂樹の木だ。それらが低い木株となって周囲をおおい、そこをある種の中庭の様に仕立て上げている。

 辺りには、丈の低い1年草が小さな淡い花を咲かせている。だが、車椅子の車輪は決してその草花たちを押し潰さない。メリッサはその外観に合わぬ力強さで微かに車椅子を持ち上げ、木製の渡り廊下の上へとそっと置いた。

 細い木の板を貼り合わせて作られた渡り廊下は、車椅子が進むたびに軋んだ音をたてた。

 その音がふと途絶える。花畑の中ほどで車椅子を止める。訪れたのは沈黙。そして、安堵と期待の表情だ。

 一方でディンキーたちの気配は、小さな来訪者の訪れを促した。

 月桂樹の木の枝から、草花の葉の下から、アカシアの木陰から小さな愛くるしい目線が現れる。そこには今ではすっかり希少なヤマネも居る。目撃譚すら皆無に等しいニホンカワウソもそこに小さく様子をうかがっていた。

 ディンキーは、皆の視線を受け止めつつもその先へと進んだ。ふと、背後を振り向けば少しづつディンキーの周囲には、動物たちの影が輪を成して群れていた。

 そこには怯えも服従も無い。あるのはただ、限りなく純粋な好意と興味だけだ。メリッサは、ゆっくりとその車椅子の歩みを静める。渡り廊下の途絶えた草むらの中にその居場所を求める。

 そこは楽園であった。その場所はディンキーにはなによりも居心地が良かった。


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