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第16話 ケルト王の目覚め/―門と扉―

「聞こえていらっしゃいますか? イングランドを代表する知性派の皆様方」


 退避ルームのスピーカーから鳴りわたる、その丁寧で温和な語り口にルーム内の全員が反応を返さずにはいられなかった。

 アカデミーの彼らがその声に弾かれる。その女性の声を英国のVIPの者なら今や知らない者は居なかった。マリオネット・ディンキーの現れる所、代弁者として必ず聞こえてくる声だった。


「聞こえてらっしゃいますか? かりそめと偽りの心と精神を造り、それを己れが手中に納めて私利を貪る堕ちた貴族の末裔の皆様方? ご機嫌麗しゅうございます、皆様方に恋い焦がれる我らが主人からのメッセージをいまこそお伝えいたします」


 そのメッセージを受けて一人の男が勢いよく立ち上がる。ガドニック教授である。そうだ、このメッセージは明らかにガドニック1人をターゲットにしたものだ。


「きょ、教授――」


 ガドニック教授に隣からリーが不安げに声をかける。だが、ガドニックはそれに答えない。


「我は造り上げられし魂とともに生き、遥かなる太古の精霊の息吹きを知るものなり――」


 それはディンキーの決まり口上だった。ディンキーが恣意的にテロ活動を行う時、そして、行った時、それは文章で、そして、音声であらゆる形で送られてくる。間違いない、彼らはそのメッセージの主の正体を嫌というほど知っている。

 

「ディンキー・アンカーソンとその従者だな? 何の用かな?」


 ガドニックはメリッサの送ってきたメッセージに、つとめて冷静な口調で問い返した。その取り乱すことのない冷静な立ち振舞に、メリッサは内心毒づきながらも、それまでと変わらぬ口調でさらなるメッセージを伝えた。

 

「われらが主人が、貴方様と心おきなくゆっくりと対話をなさりたいそうです。我らが主人の申し出に答えていただけるのであれば、残るアカデミーの方々の命の安全は保証致しましょう。さ、応か、否か――」

 

 メリッサからのメッセージが鳴り響く。そのメッセージを耳に、アカデミーの面々はそれぞれに不安と忿懣の表情を浮かべる。そして沈黙が訪れ、その中で、一人ガドニックは思案もそこそこに答えを返した。

 

「解った。あなたの申し出に応じよう。ただし、約定は確実に守っていただきたい」


 拒否はできない。拒否をすればどうなるか全くわからない。何しろ日本の武装警察すらも手玉に取り英国アカデミーの面々を孤立させるのだ。その気になれば一瞬で全員を殺すことすらできるような、そんな絶望感すら感じられるのだ。

 事ここに至れば、ガドニックはディンキー側の求めに応じるしか無いのだ。

 メリッサは教授のその言葉を聞き、退避ルームの一角を遠隔操作する。

 そこには隠し扉があった。あきらかに極秘のうちに設けられたもので正規の構造物では無い。


「ここから来いというのだな?」


 ガドニック教授はスピーカーからの声の主に訊ねるが返事はなかった。

 一瞬、彼は目を伏せると何かを心の中で唱えた。


「主よ、この狂気のさなかにある全ての者たちを、守りたまえ」


 ガドニックは胸の前で小さく十字を切る。そして、一時の祈りをすませ、彼は歩き出す。


「チャーリーッ!」


 彼の背後からかけられたその言葉はウォルターの叫びだ。


「やめるんだ! 生きて帰れるとは限らないぞ!」


 その言葉にガドニック教授が振り返れば、皆が教授を不安の視線で見つめている。教授はじっと皆の視線を見つめ返し、ふっと小さな堅い笑みを浮かべ一言告げた。


「大丈夫だ!」


 その言葉を最後に教授は退避ルームから出て行った。出て行く先の廊下には僅かな非常灯の灯りだけが灯っている。

 だがカレルは、一人ガドニック教授の後を追う。両の眉は釣り上がり唇は強くかみしめられている。カレルはその手を教授の肩に伸ばす、取り押えようと言うのだろうが、その手が教授の肩に触れようとした時、再び鳴り響いたのは、メリッサの声である。


「下がりなさい。下郎――」


 その声と共に弾き出てきたスライド扉が退避ルームの内と外を隔て、ガドニック教授と他の人間たちとを隔絶する。そして、カレルの指先がその扉に弾かれた。

 

「余計な試みはなさらないことです。ガドニック教授の命が惜しいのならば」

 

 その指をドアに弾かれ、カレルは指先に微かな傷みを感じた。そして、扉をその拳で力一杯に叩き付ける。

 長い沈黙の後、隔てられた退避ルームのその中に訪れたのは巨大な無力感である。

 それからしばらくして、その退避ルーム本来の扉が開いた。メリッサは約定を確かに守ったのだ。

 妻木が先頭を切って退避ルームに飛び込んでくる。その退避ルームの中に何が起こったのかすぐには理解できてない風だったが、VIPの頭数と彼らの重い表情に、己れのミスとそこに起こった異変を悟る。

 

「ばかな?! ここは密室構造のはずだ!」


 雪崩れ込んできた4人の盤古隊員たちは狂ったように室内を探しまわる。だが、その部屋の中にはどこにも新たな出入り口の存在は見つけられなかった。妻木は速やかに周囲の部下に指示を出す。


「ビルの構造はどうなっている?!」

「ありえません! 建築施工会社から入手した最新データには、この部屋にアクセスできる扉は一つだけのはずです?!」


 そして、提示されたビル構造のデータを実際のビルと照らし合わせるが、扉はどこにも見つけられない。ただ一つだけ気付いたことがあった。

 

「これは――?」


 妻木はビル構造データを見ていて気付いた。建築工学が専門のエリザベスも、ともにそのデータを見て妻木と同じ点に気付いていた。

 

「この部屋の壁の向こう側に一箇所、柱状の予備構造があるわ」


 直径2mほどの角形の空間、ガドニックが姿を消したのはまさにその柱状の構造の内部だ。その気になれば簡易エレベーターの1つでも仕込めそうな構造だ。

 

「やられた! 敵はこのビルに事前に潜入しておいて、何らかの手段で極秘の侵入口をいくつも作っておいたんだ! ここはそう言った場所の1つだったんだ!」


 完全に裏をかかれたと言う事実は、妻木の戦闘のエキスパートとしてのプライドを完全に踏みつけにする。それはまさに絶対にあってはならない事態だったのだ。悔しさのあまり、妻木はたまらず右手で壁を叩いた。一方で残る3人の隊員は閉じられた扉を抉じ開けるべく必死の作業をつづけていた。だがその隠し扉はあまりに巧妙で、作業の取っ掛かりすら見け出せないでいた。

 英国アカデミーの人々に視線を向ければ、余りにも語りかけにくい状況に有る。

 

 ここからの退避――、それが最善の策なのは当然だとしても、敵に奪われた仲間を放置してアカデミーの彼らがここから移動するとは考えられなかった。だがその時、彼らに掛ける言葉を必死に探そうとする妻木に歩み寄る者が居る。

 

「妻木隊長」


 かけられた声に振り向けば、そこには毅然としたカレルの姿があった。

 

「ここから退避しよう。敵がこのような非正規の移動ルートを自ら作り出していたとなれば、一箇所にとどまるのは危険だ」

「しかし、ガドニック教授が――」

 

 戸惑いを口にする妻木にカレルは強い口調で言い始めた。

 

「ディンキー一派は今まで、対象の抹殺を行動の第一原則にしている。その彼らが1人だけを招き入れ、残る者の退避を約束する事などこれまで考えられなかった。私の予想だが、ディンキーサイドがガドニックとの対話が必要な状況におかれているのだろう。即時に殺害される可能性は限りなく低い。それより今は、我々の方の身の安全だ。ガドニックを手中に収めた今、残る我々は用済みとなる。新たな追手が放たれるおそれがある。一刻も早くここから退避しよう。ガドニックの救助はあらためて要請するしか無い」

 

 理路整然とした論理と、このような最悪の事態下の中でも全くブレないメンタル。カレルのその姿に妻木は驚嘆する他無かった。聞きたいことがたくさんあったが、今はそのような時ではない。

 

「わかりました。すぐに退避ルートを探しましょう。アカデミーの皆さんも――」


 妻木が声をかけると同時にアカデミーメンバーは一斉に行動を開始する。そこには妻木の失態を責めるような素振りは微塵もない。ただ、事態の解決と生存を目指して最善の策を求めようとする科学者然とした行動原則があるのみだ。

 

「林と吾妻は殿だ。遠藤は私と先頭に立つ」


 それだけ告げるとハンドサインで行動を開始する。さらなるサバイバルの再開である。



 @     @     @

 

 

 ガドニックは扉の向こうの狭い空間の中、上昇するような感覚を味わっていた。

 その事実に教授は自分が後戻り出来ぬ事を理解する。

 この行く先にあの人物が居る。終生相容れえぬ宿敵。

 世界の平和と安寧を犯す破壊者。

 そして――、

 英国という存在を憎悪するだけのモンスター。

 その名は、ディンキー・アンカーソン

 すなわち、マリオネット・ディンキー

 しかし、だからこそ――

 

「〝彼ら〟を信じよう」


 ガドニックの脳裏には、自らが関わっている特攻装警たちの姿が描かれていた。


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