第15話 電脳室の攻防/―誇り―
男は静かに微笑むとこう答えた。
「ヨコハマのハイウェイでは世話になったね。さすがに市街地一区画を丸ごと停電させるとは予想しなかったけどね。君ぶっ飛び過ぎだよ! ほんとに警察? アハハハ!」
「やはり――」
ディアリオは彼に対して銃口を向けた。
「あのときのトレーラーを操作していたのは貴方ですか」
ディアリオに問われても微笑むばかりで何も答えない。苛立ちを感じつつもそれを顔に表さずにさらに問いただす。
「名前は?」
その問いに男はシンプルに答える。
「ガルディノ」
「ディンキー・アンカーソンの配下ですか?」
「答える義務は無いな」
ガルディノ――、そう名乗った彼はディアリオから銃口を向けられつつも一向に意に介していない。ディアリオは猛る気持ちを抑えつつ質問を続けた。
「一つ聞きたい事があります」
「なんだい?」
「この画像の群れについてですが一枚目から順番に――飽食、強欲、怠惰、傲慢、色情、嫉妬、をそれぞれに表していますね?」
ガルディノはなおも微笑んだまま答えない。ディアリオは言葉を続ける。
「しかし、7枚目が憤怒だとして画像とは噛み合わないのでは?」
その言葉を耳にしてガルディノの顔から笑みが消えた。
「そうか、君にはそう写るのか」
「無論です」
ガルディノは両腕を組むと冷たい視線でディアリオを見つめたままほんの僅かに沈黙した。そして、静かに溜息をつくとこう言い放つ。
「君とは価値観を共有できると思ったんだけどね」
ガルディノの言葉に沈黙したのはディアリオだった。
「今の地球を見てごらん。紛争と闘争が絶えている地域はどこにもない。ネットワークに意識を飛ばしてみても、平和で幸せな事実より、いかに人間たちが互いに対立しているかを示す情報しか出てこない。そこからかいま見えるのは互いが互いを〝怒っている〟と言う現実だ」
黙したままガルディノの言葉を聞いていたディアリオだったが静かに口を開いた。
「浅い考えですね。怒りや衝突に身を委ねている人間だけとはかぎりません」
「例えば?」
「平和を願う人間は絶えることがありません。対立だらけの世界の中でも混乱を収束させ、安寧のために自らを犠牲にしてでも立ち向かう人々はたくさん居ます」
「偽善だ」
「えぇ、偽善です。ですが破壊と恩讐に身を委ねるよりは遥かに良い」
「でもその偽善は、本当に人の心の善意から生まれたと思っているのかい?」
「えぇ。無論です」
ディアリオは言い切った。だが、それをガルディノは鼻で笑い飛ばした。
「滑稽だね――、あまねくすべての人間たちを見ていてなぜそんな言葉が出せるのか笑えてくるよ。例えばだ――」
ガルディノは腕を組んだまま右手の人差し指を立てた。
「地球のオゾン層を破壊するからフロンガスを廃止しよう回収しようと人々は呼びかけて無害な新しいフロンガスに変えさせる事に成功させた。確かに性能の悪い古い物を駆逐して環境保護のお題目を守ることにはある程度成功したかも知れない。しかし、知っているかい?」
ガルディノは組んだ腕を解いて、ディアリオを見つめたまま静かに歩き出した。
「フロンガスを廃止させることに積極的だったのはアメリカだったんだが、当時、世界のフロンガス生産は日本がほとんどのシェアを占めていた。だが、フロンガス全廃をきっかけに、アメリカの企業がフロンガス生産の分野に進出してきた。アメリカがフロンガス廃止に力を入れたのは国際競争を自国に利益を誘導するための経済戦略だったってオチだよ」
ガルディのが歩いた先には一つの小型のスマートパッドが置いてあった。それを片手で器用に操作し始めた。
「マグロの動物保護活動にしてもそう! クジラの保護がある程度完成したことで動物保護団体は活動目的を失ってしまった。しかし、組織を存続させるためには活動し続けなければならない! だから今度は保護対象をクジラからマグロにシフトした。マグロが保護できたら、次はエビだって言われてる。エビの次はイワシかな? 組織というものを運営するのにはコストがかかる。そして、そのコストを維持するためには利益を生まねばならない。動物保護活動だって一皮むけば、所詮はビジネスさ!!」
ガルディノが語る事実と対応するように、ディスプレイには動物保護の裏側を示し出したような現実の光景が次々に映し出されていた。それらを背後にしてガルディノは更に告げた。
「欧米が生み出した自由主義社会なんて、所詮は利益第一の経済社会だ。そこには競争と嫉妬と利益と、互いを追い落とそうとする敵意と怒りがあるだけだ。この世界に本当の平和なんて無いんだ」
一気に語り切ったガルディノの言葉を、じっと聞いていたディアリオだったが返す刀で問い返した。
「だから、地球イコール〝憤怒〟と言う訳ですか?」
「そうだ。今の地球世界には〝怒り〟しか存在しない」
「歪んでいますね。私には理解できない論理だ」
「そうか」
ガルディノは両手を顔の前辺りまで上げて顔を左右に振る。
「やれやれ、君とは価値観を共有できると心から思っていたんだが――とんだ見込み違いだったみたいだね」
その言葉にディアリオはクーナンの銃口をあらためてガルディノに向け強い視線を叩きつける。
「私は警察――、あなたは犯罪者――、共有できる価値観などありません。これ以上の議論は無意味です。すみやかに投降しなさい」
だがガルディノはディアリオのその警告を一考だにしなかった。自らの背後にさりげなく両手を回すと、そこから二振りの得物を取り出してくる。
〝カタール〟――インド地方で用いられていた近接格闘スタイルの刀剣で、両刃のブレードが前腕の延長となるように片腕に一振り固定装着される特殊な形式の武器だ。
「交渉決裂と言うわけだね。いいだろう、それが君の意思なのなら」
ガルディノは微笑みつつも冷ややかな視線でディアリオを見つめた。
「でも、それでももう一度だけ言うよ。ディアリオ、君と僕とは似た者同士だ。一つの組織の中でトップクラスの対ネットワーク能力を有している。君があのヨコハマのハイウェイで僕たちの闘争阻止と言う目的のために、あれだけの事を仕掛けてきたことに僕は感動すら覚えたんだ。目的のために手段を選ばないえげつなさ。あれは僕にとって称賛に値する。君の力を僕は高く評価しているんだ」
「それはどうも」
ガルディノの言葉に謝意を表しつつもありがたみはゼロだった。だが、ガルディノのその執拗さに奇妙な違和感を感じていた。
「いいかい? 僕たちはそれぞれの組織の中でトップクラスのネットワーク能力を身に着けている。そして、その能力は有効に使いこなされているとはいえない。しかし、この地球のネットワーク世界を僕たちは自由自在に操る事ができる。その気になれば核戦争の引き金すらも、いつでも引くことすらできるんだ。どのみち人間たちは勝手に滅びるよ。その前に僕たちの能力でこの世界を掌握しようじゃないか!」
そう言うことか。ディアリオはガルディノの持つ真意の一端を垣間見てため息をつかざるを得なかった。あぁ、そうだこの男は――
「技術に溺れて、自らの持つ技術こそが己のアイデンティティであると錯誤する。ネットワーク犯罪者によくある悪い兆候です。ネットワーク世界における自らのスキルを、現実社会での自分の崇高さと履き違えてしまう。しかし、所詮ネットワーク世界は〝道具〟にすぎない。学校の教室の〝黒板〟となんらかわりません。それが理解できないようなあなたとは手を携えることは不可能」
ディアリオは言い切った、ガルディノからの誘惑を完全に拒絶して。
「それに私は〝警察〟です」
「そうだ、君は警察だ。だが警察の単なる〝備品〟にすぎない! 君をその道具と言う立場から開放してやろうと言うんだ。悪く無いと思うけどねぇ?」
ディアリオは右腰のやや後ろの辺りから棒状の物を取り出した。伸縮式の警棒――金属製の大型の電磁警棒だ。
「断る。それに私は――」
ディアリオはそれを左手に持ち、一振りして遠心力で伸張させる。電磁警棒が引き伸ばされた瞬間、電磁火花が撒き散らされた。
「――自らが警察の道具であることに〝誇り〟を持っている!」