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第12話 群像・地上で抗う人々/朝研一の場合

■第1ブロック・エントランスにて / 朝研一の場合■


 有明1000mビル内の分署のビルは1000mビルの敷地の中の南側にある。分署の前には舗装道路がある。1000mビル周辺の施設や建物とアクセスするための裏口とも言うべき道路だ。


 2車線道路は薄暗く、晩秋の日差しが辛うじて明るさと呼べるものをそこに提供している。その晩秋の間接光の中、静けさの支配する歩道に人影が佇んでいる。その人影はと言えば、十歩ほど歩いたと思えば、反転して来た方へと戻って行く。そんなこんなで、同じ方向を行ったり来たりを繰り返している。

 その影はしばらくして立ち止まった。そして、思い切り右足を持ち上げると、力の限り地面を踏みつける。握りしめた拳を開き頭を抱えるとやみくもに掻きむしった。


「あんのやろぉぉぉぉぉっ!」


 朝 研一は苛立っている。この上ないくらい苛立っている。それは居なくなってしまったグラウザーに対してでもあったが、それ以上に自分自身に対して苛立っていた。些細と言えば些細である。だが本人にしてみればとても重みのある問題と言える。

 その問題解決のためにも、彼はなんらかの行動を起こしたかった。実際、こうやって意味の無い思索に耽けるのは彼の本来の姿では無かった。ただ、行動を起こすためには、あまりにも当てが無さすぎるのだ。途方にくれたその末に、それまでなんとか充満していた気合いのエネルギーが、音も無く抜けて行くのを感じずにはいられない。


「ここに居て待ってろ、って言ったじゃねぇかよぉ。はぁ――」


 それが最後の怒鳴り声だった。それも尻窄みに消えて行く。朝は、その声と同じ様に力なくへたり込んで行く。ビルの壁に寄りかかり頭上を仰ぐ。その上には1000mビルの第1ブロック部の天井がある。朝はその天井へと視線を走らせた。視線が色々な物を見つけて行く。


「なんだ。まだほとんど電気が通ってないんだ」


 頭上には灯りがなかった。全ては漆黒の中で、間接的な自然光だけがビルの中の唯一の灯りであった。


「あれ? このビル。止まってるのか?」


 朝はふと気付いた。あるいはすでに感付いていたのだが、自分のその目であらためて確認したのかもしれない。そのまま思案を巡らす。


「あれ? じゃグラウザーのやつどこへ行ったんだ?」


 その事に気付いた時、朝は深い思索に入ってしまった。そして、そのまま様々な可能性を考えて、この後取るべき行動について考えている。


「そう言やあ……あいつ」


 朝はふと、つい先程までの事を思い出す。この有明の地へグラウザーを連れてくるまでの事を……



>------------------<



 その時、朝はグラウザーを連れ、覆面パトカーを一路有明方面へと走らせていた。首都高の湾岸線を走らずに、一度、都心の首都高へと入り首都高9号線を経由して迂回する。その車の中でグラウザーは朝にしきりに話し掛けてきた。


「朝さん」

「ん?」

「今日はどこまで行くんですか?」

「さっきも言ったろ? 有明のサミット会場だよ」

「サミット……サミットに出るんですか?」

「馬鹿、違うよ!」

「え? ちがうんですか?」


 朝は、毎度毎度の漫才のような会話に思わず気分が萎えていた。


「なぁ、グラウザー」

「はい」

「お前って、ほんと、なんにも常識知らんのな」

「そうですか?」

「気が付いてないならいいけどさ別に。それよりな」


 朝は腹をくくった。こうなったら、聞かれた事に逐一答えて行くしかない。


「今日の任務で向かうのは有明の1000mビルだよ。そこで、お前も知ってる第2科警研の新谷さんが待ってるから、合流して他の特攻装警たちの勤務状況を見学するんだ」

「見学ですか?」

「あぁ、あっちには特攻装警のアトラスにフィールそしてディアリオなんかが来てるってよ」

「へぇ……みなさんたち、何をしてるんです?」

「さぁ? 俺も詳しい事は知らない」

「ふーん」

「ただ、くれぐれも勝手な行動はとるなよ。俺やお前自身だけでなく、お前の兄さんたちにも迷惑がかかるからな」

「はい」


 グラウザーの返事はやけに素直だった。朝もその返事をすんなり聞き入れる。思えば、やけにあっさりしすぎていたように朝は思う。


「ねぇ、朝さん」

「ん?」

「今、向かってる1000mビルって、どんな物なんですか?」

「そうだな。これみろよ」


 朝は手元のパンフレットを取り出す。1000mビルの第1期工事分の共用開始を知らせる一般向けのものだ。そこに1000mビルの外見が大写しで乗っている。


「これが、今向かっている1000mビルだよ、どうだ大きいだろ?」

「わぁっ」


 グラウザーの目が好奇心に輝いている。子供が遊園地にでも連れて行かれる様な、そんな期待に満ちた目だ。その目の事を朝は思い出した。考えるならば、その時のグラウザーの頭の中は、そのビルに対する興味だけで、それ以外の言い付けや約束がトコロテン式に抜け落ちた様な感じがある。


「1000mって言ってるけど、そこに書いてある通りまだ建築途中でね、実際には280mしかないんだよ。でも、建築物全体の規模としては日本一クラスらしいぜ」

「日本一?」

「あぁ」

「登ってみたいな」

「だめだぞ、それより先にやる事が有るだろ?」

「はい」


 グラウザーの声が急にしおらしくなる。気になって、朝はグラウザーの方を伺う。見れば前方の方に見えてきた1000mビルをグラウザーは好奇心いっぱいに身を乗り出し、いかにも面白そうに見つめている。

 朝はその姿に何も言わなかった。返事がやけに素直だったのでそれを信じたのだ。だが、それでも朝はこう思わずにはいられなかった。


「こいつ、本当に大丈夫かな?」



>------------------<


 

「やっぱり、あの時、念入りに忠告するべきだったな」


 朝はがっくりと首をうな垂れつぶやく。そして、再び空を仰ぐと、あらぬ方向を向いて放心する。それでも眉を水平に結んだその顔は何かをその脳裏で考え込んでいた。


「どうしたね? ずいぶん真剣に考えているようだね」

「あっ、新谷所長」


 新谷は、警察の分署の建物の中からその手に2本の缶コーヒーを手に駆け寄ってきた。朝は立ち上がると差し出されたコーヒーを手に取り礼を言う。


「いただきます」


 新谷は、缶の蓋を開ける朝に問いかける。

 

「それで、今井課長にはなんと言われたね?」


 核心を突く言葉だった。困惑を交えた笑みを浮かべつつ朝は自虐的に言い放つ。

 

「がっつり言われました。『なにやってるの?!』って――、あの人、怒鳴ったり長説教はしないんですけど、その分、一言一言が重いんで結構怖いんですよね」

「だろうな。今井君とはグラウザーを預けていらいたびたび話しているが、とても頭の回る方だからね、相手にとって必要な言葉をピンポイントで言ってくるからね」

「でも、その分、オレたちにしてみれば問題解決に集中できるから動きやすいんです。怒鳴ってプレッシャーを与えられてもストレスが増えるだけですから」

「まぁ、彼女ならそう言う事は了解済みだろうね」


 そう語る朝に新谷はさらに言葉を続ける。

 

「しかし、災難だったね」

「グラウザーの事でしょうか?」


 新谷は頷く。彼に先程までの苛立ちは残って無かった。


「もちろんだ。だがしかし、今回の様な事を招いた責任の一端は私にもある」

「そんな事はありません」


 朝は笑みの無い引き締まった目で新谷に答える。


「私の監督不行き届きです」

「あまり、自分自身を必要以上に責めてはいかんよ」

「――」

「起こってしまった事に対しては悔やむよりも、自分が出来る事を探す事……そうは思わんかね?」


 新谷は朝の隣に腰を降ろす。新谷のその言葉に朝は無言で首を縦に振る。


「私も、まさかグラウザーがここまで幼児性が強かったとは見抜けなかったよ。もう少し社会的な規律が解っていると思ったんだが、その点においては、明らかに私の判断ミスだ。もっと、基礎学習を終えてから表に出すべきだったのかもな」

「でも、新谷さん」

「ん?」

「それが新谷さんのところだけでは手に負えなかったからこそ、俺たちのところにグラウザーを預けたんじゃないんですか?」

「おっと、そうだったな」


 新谷は苦笑いする。


「それはさておき」


 新谷のその言葉に不意に朝は新谷の方を見る。


「これからどうするかね?」

「そうですね」


 朝は安堵の表情を浮かべ頷く。一つの決意を胸に秘めて新谷に告げる。


「グラウザーを探しに行きます」

「グラウザーをかね?」

「はい」

「当てはあるのかね?」

「あります」


 朝は頬を緩ませ笑って答える。


「上の方へと登って行った可能性があるんです。あいつ、登ってみたいなんてこぼしてましたから」

「そうか……でも、どうやって上に行くね? 今、このビルはほぼ全面的に停止している。エレベーターも、モノレール軌道も、電源が落ちてしまっていて行来できんぞ?」

「えぇ、それは分かっています。ですから、歩いて行こうと思います」

「歩いて? このビルをかね?」

「はい」


 朝ははっきり言い切った。明朗に、快活に、力強く。

 その姿を見て新谷は思う。


(なるほど、だからグラウザーの教育係に――)


 新谷は念を押すため尋ねる。


「でも、具体的にはどうするかね?」

「それなんですが、機動隊の方たちは階段で上の方と連絡をとってたそうですよね? それと同じで上の方に行ってみます」

「階段を登る? 歩いてかね?」

「はい」


 あっさりと答える朝に、新谷は感心するしかなかった。


「止めはしないが、それならば近衛君の許可が居るんじゃないのかね?」

「そうですね」


 あらたな行動目的を見つけ、朝は元気を取り戻した。その発想と考えに多少の無理と荒さがあったが、新谷は敢えてその点をつつこうとはしない。できるなら新谷もグラウザー探しに同行したかった。本音から言えば新谷もこの場でじっとしているのはいやなのである。だがそれも階段と言うキーワードが出た時点で考え込んでしまう。


「階段以外の方法が出るまで待ちたいが……」


 新谷はそう思いつつも敢えて口にはしなかった。口にすれば、せっかく気分的に立ち直った朝の精神的な出鼻を挫いてしまう事となる。どうしたものかな、と新谷は考えながらも朝に告げる。


「朝くん、近衛君に掛け合うのなら、わたしも尽き合うがどうだろう」

「助かります。ぜひお願いします」


 その時、分署の建物の中から一人の人影が現れた。その男は近衛であった。


「おっ、近衛君! いま、そちらに行こうと思ったんだ」


 近衛はニコリともせずに、2人のところへと歩いてくる。彼はその手にレポートの束を握っていた。グラウザーに関する先程のレポートだ。朝の顔を近衛が見つめている。その目が、いつに無くキツい物に朝には感じられる。

 だが朝は、息を飲み込み心の中の小さな恐怖をも飲み込むと、数歩進み出た。そして近衛の目を注視しながら覚悟を決めて問い掛ける。


「警備本部長殿、具申したい事が有ります」


 自分の目の前に進み出て相対している若い刑事を、近衛はただじっと見つめている。


「なんだ?」

「グラウザーの捜索に向かいたいと思います。つきましてはこのビルの上層へと向かう許可を頂きたいのです。よろしいでしょうか」


 近衛は意識的に目の前の新米刑事を睨み返している。無言で自分を睨んでいる近衛に対して、朝は恐怖を感じていない訳ではなかった。だが、その事は問題ではない。朝はただ、行動を起こしたい一心であるのだ。そして、近衛の口元が緩んだ。

 近衛はその手にしていたレポートを差し出す。朝はそれを受け取りながら言う。


「これは?」

「北部シャフトの物資搬入用リフトが一時的に使用可能になった。そこを使え。人間用ではなくあくまでも物資運搬用だから使用には最新の注意をはらいたまえ」


 朝は頭を下げ最大限の礼節を尽くす。


「ご配慮、ありがとうございます」

「それと、第2ブロックから第3ブロックへと不審人物が上がっていったのが目撃されているそうだ。その人物に関するデータもそのレポートに載っている。上層階では何が起きるか判らん。くれぐれも注意したまえ」

「はい!」

 

 近衛はその言葉を耳にしてその場から離れるように歩き出す。そしてもう一度立ち止まり振り返ると新谷へ声をかける。


「新谷所長、あとはよろしく頼みます」


 新谷も近衛の言葉に大きく頷いた。近衛はふたたび分署の建物内へと戻って行く。


「それでは、行ってまいります!」


 そして、その背に朝の声を聞いた。近衛にしてみれば、何かをしようと躍起になる若者の姿ほど、心地好いものは無い。


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