第11話 護衛任務/フィール
地上から約250m。有明1000mビルの第4ブロックの最上階層には、ビルの内周を一周する展望回廊がある。
そこからは、世界に冠たる巨大都市東京の姿が一望できる。
6角形状の回廊には、唯一の人影がある。すでに人の無い閑散としたその回廊において対峙する二つの影であった。
彼らは互いを見つめあっている。一方は怒りに満ちた攻撃の目で。もう一方は獲物を追う猛禽鳥の持つ狩人の目である。二人の間には、50mほどの距離とその間で床に倒れて苦悶する女の姿がある。
倒れているその女には片腕が無い。右肩の先から電磁火花を散らし床に倒れ伏している。しかし、彼女はその身を転がす様に動かしてその場から離れようとしていた。
その女にほど近い側に、大きい体躯の女が立っている。漆黒の男装衣装に身を包みプラチナブロンドの短髪にロシア系にも似た容貌を有した女がいる。ジュリアである。
その目はまさしく猛禽のそれであり、明らかに人のそれではない。その彼女の周囲には多数の死骸が散逸している。人ならざる者の力によってその死骸は無残にも砕け散っていた。さらにその周囲には濃朱の色の血瘢が飛散している。
そこかしこに惨劇の証拠が刻み込まれていが、その惨劇は終幕を迎えてはいない。
そう――
むしろ、これからが本番なのだ。
ジュリアは緩慢に歩みを進める。止まる気配は無い。
その女の対極には、一人の男性型のアンドロイドが立ちはだかっている。フルメタルのボディに特殊樹脂性のハーフスリーブのジャケットをはおった警察アンドロイド。特攻装警第4号機・ディアリオである。
その手には357口径オートマチック銃が握られ鈍い光を放っている。クーナン357マグナム オートマチック――、リボルバー用のマグナム弾を用いるコルトガバメントベースのカスタム銃だ。マニアックな選択だがディアリオは気に入っていた。
残る反対の手には、全長1mに及ぼうかと思われるような特殊電磁警棒が握られていた。遠距離と近距離を想定した武装選択である。それらを手にしたまま、ディアリオは相手を凝視している。冷静さの中に怒りを垣間見せていた。そして、ディアリオが引き金を引いたとき、相対するジュリアは雷迅の様にその身を弾き出した。
先に動き出したのはジュリアであった。
それを真っ向から受け止めるのはディアリオである。敵と高速で間合いを取りながら威嚇攻撃の弾丸を打ち放つ。357口径の弾丸は射速と貫通力に重点を置いた高速徹甲弾だ。
一発目――、頭部をかすめてかわされる。
二発目――、わずかに体をサイドスウェーさせて見切られる。
三発目は、狙いをつけることすらできない有様であった。
ディアリオが、敵の尋常ではない反応速度に自らの電脳能力で反射速度を底上げして追いすがるが、それを上回る事実があった。
「くっ! 読まれている!」
ディアリオの攻撃パターンのその先をことごとく読まれているのだ。
それにジュリアの動きには〝限界〟が全く感じられない。幾重にも弾丸を放ったが、眼前のジュリアは一切当たらない。完全に敵の身体能力の方が上であるのだ。それは格闘の素人が武術の達者に挑む様に似ている。
ディアリオは己の機能の向き不向きを、痛感せずには居られない。
「完全白兵特化型か!」
対するディアリオは電脳機能特化型である。絶望的なその事実を目の当たりにしてなお、ディアリオはまだ余裕をは失っていない。
その展望回廊の空間の中で、ディアリオは自らも動き出した。固定砲台のように攻めるのを止めたのだ。走り出しつつ、敵の動きを牽制しながら近接接触を図る。互いに次の出方を読み合いながらも勝負は一瞬にして決しようとしていた。
間合いを図るのをやめディアリオは一気に接近を図った。急角度で走行の軌道を変え接触しようとした時だ。
周囲一体に重く激しい激突音が静寂の闇の中に鳴り響いた。
電磁警棒を順手から逆手へと上下を逆に握りなおす。そして、全身を一気にきりもみさせ全身を回転を与える。逆手に握られた電磁警棒はディアリオの腕力と回転力を加算させてジュリアの首筋を背後から襲う。ディアリオは自らの持つ高速演算能力により、敵の身体動作を先読みして敵の急所を一撃できるアクションを導き出して攻撃を図ったのだ。
その成功を半ば確信していたのだが――
「なに?!」
驚愕したのはディアリオである。ジュリアはこれを難無く回避する。
彼女の身に染み付いている戦闘経験はどれほどの奥行きを持っているのだろうか?
ジュリアは上体を床面に叩きつける勢いで強く下げて、両手をフロアへと突く。そして、全体の勢いを殺さず上下をそのまま反転させて下半身を持ち上げる。突然の逆立ち姿勢にディアリオの電磁警棒はあっさりと宙を切る。
同時にジュリアの攻撃がディアリオを襲う。
開脚しての廻し蹴りだ。まるでどこかの格闘ビデオゲームであるかのようにだ。
吹っ飛ばされたディアリオは5mほど弾かれて床に這いつくばった。声もなく横たわり、その手に握っていたはずの電磁警棒も遥か彼方に転がっていく。
かたや勝者たるジュリアは黒いタイツに包まれていた脚を閉じると、つま先を揃えてバレーダンサーよろしく優美にその上体を起こす。そして敗者たるディアリオを一蔑して明朗かつシンプルに告げた。
「弱い」
ジュリアはそれっきりディアリオを見なかった。見限ったのだ。そしてすぐさま、ジュリアの目は次の目標へと向かう。
「ま、まさか――」
次なる標的とはすなわち、片腕をもがれたフィールである。
そのころフィールは正気を取り戻していた。片腕をもがれたショックで意識が飛び、一時的に恐慌状態に陥っていたのが収ったのだ。彼女は失った片腕を探しており、その肩口からは電磁火花がしきりに飛び散っていた。フィールは気付いていた。現在の自分の状態では何の対策を建てる手立てもない事を。そして、このままでは自分自身があぶない事も――
フィールは現状からの退避を急いだ。この事実を他の者に知らせる必要がある。咄嗟の判断で自らの片腕を見捨てると、この場から駆け出そうとする。だがジュリアには駆け出したフィールの姿がしっかりと見えている。
その視線に気づいて振り向けば、ジュリアとフィール、その互いの視線は真っ向から向かい合っていた。
ジュリアの視界の死角でフィールの後頭部の外殻シェルが静かに開いた。そこから一振りのファインセラミック製のスローイングナイフが現れる。それは逃避から反撃へとフィールの意思が反転した事の現れに他ならなかった。
ジュリアは無言のまま、フィールに迫った。
フィールが腰を屈めれば。ジュリアは無表情のままフィールを見降ろしている。その時のジュリアの視界でフィールが力強く微笑んでいた。ジュリアはフィールのその笑みを解しかねている。
その時、ナイフはフィールの背後を滑り降りていく。そして残る左手を僅かに背後に廻しナイフを受け取るる。降りてきたナイフは三振り、片手の中に収めるにはちょうどよい数である。
フィールの左手が振り回される鞭の様に下手投げに動いた。ナイフは不意打ちにジュリアの顔面を襲い、そのナイフを追うようにフィールも動く。フィールは屈めていた両脚に満身の力を込め飛び上がる。再び、フィールの後頭部が開き新たなナイフが降りてくる。
フィールが次のナイフを確保する一方で、ジュリアはとっさに後方にその身を反らす。
ディアリオの攻撃をかわしたあの時と正反対の動作である。ジュリアの身体が大きくのけ反る。ナイフは何なく宙を切る。
飛んだフィールが空中で次弾のナイフを受け取ろうとしたその時だ。のけぞったジュリアはそのまま大きく身体を海老反りに丸め両手をフロアに突く。ジュリアの右のつま先が跳ね上がる。
空気を切る軽い擦過音が鳴り、黒いヒールの切っ先が弾き出された。その先には空中に留まっているフィールが居る。
ジュリアの特異な動作を理解できぬまま、フィールはその左手に次なるナイフを握ろうとする。だが、一手順早かったのは老獪なるジュリアである。
ジュリアの足先は頑強なフレイルである。鉛の詰った鞭である。ジュリアの右の足のつま先は鋭利な凶器となってフィールの下腹部に襲いかかった。その衝撃がフィールの体内を貫いて誤動作を引き起こしフィールの動きを一瞬停止させたのだ。そしてさらに、ジュリアの足先は止まること無くフィールを襲った。
ジュリアは両足を開脚させT字のシルエットを描くと、床に突いたままの両腕に力を込めて自らの身体に回転力を与えた。そして、その体躯をさらに旋回させ勢いを増す。その両足先は凶悪なウィップとなり、そのつま先の射程距離にフィールの頭部を確実に捕らえていたのだ。
一時的にしろ一切の回避行動を封じられたのは致命的である。人型アーキテクチャにとって最大の急所たる首とその喉元を無防備に晒したフィールは、ジュリアにとって格好の処刑の対象と化していた。
振りぬかれる左足のつま先を、フィールの喉元めがけて打ち込んでいく。その足先は威力と速度を増し、無慈悲に凶悪なまでにフィールのそのしなやかな首筋を襲う。打撃は一回ではない。旋回する両足のつま先はフィールの頸部や頭部を数度に渡り撃ちぬくのだ。
今、まさにフィールのあまりにも軽い身体は木端の様に虚空を飛んだ。長い放物線を描いてフロアの上を転げまわり、糸の切れた球体人形のように力なく横たわったのである。