第10話 侵入者/鉛の兵隊
同じ頃、別の場所にマリーが居た。
マリーは屋内ビルの上を飛び石で渡り移動していた。
その漆黒の闇を纏ったようなシルエットは細い。そして、その存在は常に不確かである。
幽鬼のように揺れながら、漂うように移動す彼女――、袖の長い黒のロングドレスをまとい足下には黒のローヒールを履く。
彼女の頭部が周辺を向くたびに、そのシルエットに繋がれた青黒い長い髪がゆったりとそよぐ。その赤い爪はまさに、それまでに吸い続けた流血の色である。
彼女の前に一つの獲物が居る。狙撃要員の盤古がビルの上で警戒に当たっている。
その目で目の当たりにしている光景に合点がいかないのか、視覚だけでなく聴覚を行使して僅かな機械ノイズや人間の呼吸音、さらには心臓の鼓動までも聞き取ろうとする。そして、彼女が導き出した結論は1つしかない。
「こいつ、一人だけ――」
そこに僅かな疑問が生じないでもない。狙撃要員であるならば、カムフラージュは必須だ。だが、彼女の眼前の狙撃者は、その身体に周囲の構造物と類似した色を返す専用の液晶シートを被っているだけである。確かに、はるか彼方の路面上のターゲットからはその存在を見つける事は難しいだろう。だが、狙撃者本人が狙われることを考えたら、彼女の目から見たらまるっきりの無防備である。全てがアナログの旧時代の戦場のスナイパーとはわけが違うのである。
「日本の対テロ部隊も大した事ないのね」
マリーは侮蔑と見限りのセリフを吐くと、音もなく動き出した。漂うように速やかに、そして全ての気配を殺して1つのゴーストの様に狙撃手へと魔の手を伸ばす。
攻撃の際に彼女が行使するのは、もちろんその真紅に光る爪である。速度を落とさす両手の指に力を込める。その刹那、薄鈍い輝きだった赤い爪は輝きを強め〝狩り〟の時が到来したことを告げていた。
彼女の視界の中で目標となる狙撃手には変化は無い。無言のまま狙撃の体勢を取り続ける盤古隊員が居るだけである。
「ふふ、楽な仕事――」
笑いを噛み殺しながら殺戮の瞬間を実行しようとする。だがそれは『罠』である。
それは姿は全く見えていなかった。だが確かに何かマリーを襲う。重く鈍い唸り音が響き、それに混じって打撃の様な発射音が無数に響いた。その音と同時に幽鬼のようなその黒く細いシルエットは、後方へと弾き飛ばされいたずらに宙を彷徨うのだ。
「今、たしか、姿が無かった――」
マリーは驚きの中でつぶやく。
屋内ビルの屋上フェンスの外――他の屋内ビルとの間の空中――そこから姿を現したのは標準武装タイプの盤古隊員である。
10ミリ口径マイクロガトリングカノンを装備し、狙撃要員の護衛と狙撃の補助の為にビルとビルの空間という予想外の場所へ、強靭な無数の単分子ワイヤーで足場を構成し、さらには3次元ホログラム迷彩を駆使して、その姿を完璧に隠しきっていたのだ。
まさに思わぬ伏兵である。
「襲撃犯捕捉、攻撃成功。経過を観察する」
状況を確認するように告げると、その隊員はハンドガトリングカノンのトリガースイッチに指をかけスタンバイする。
敵が――
ディンキーのマリオネットが再び動き出す可能性を警戒していたのである。
@ @ @
アンジェは頭上を振り仰いだ。降り立った路上の上で、周囲の空気を見ている。
屋内ビルの影、路上の上でアンジェは不穏な空気を嗅いでいた。感じるのではない。聞こえるのでもない。何も受け取るものがアンジェには伝わってこないのだ。無さ過ぎた。ローラとマリーの感触が何も無い。
「まさかね」
アンジェは笑いながら呟く。そんな発想など間抜けだと言わんばかりに。
緩いカーブを描くプラチナブロンドを揺らし、アンジェはその場で足踏みする。
「ありえないわ、こんな鉛の兵隊なんかに」
そう思いつつ瞳を冷たく光らせながらアンジェは駆け出した。緑地帯の中の広い舗装路上を疾走る姿は先のローラに似ている。ローラと同じ正面突破にも思えるが、コンベンションホールの裏手から奇襲攻撃を図るつもりらしい。
アンジェが姿を表したのは、コンベンションの真裏に当たり、ゲートは一切なく巨大なガラス壁面があった。ステンドグラスと巨大液晶ディスプレイパネルを兼ねた高さ数m程の巨大なガラス壁面だ。中央ゲートの正反対。そこへと接近を試みるつもりなのだ。
しかし、目的の場所に接近するに連れて周囲への警戒を強めるのだが、周辺警護する警官部隊がアンジェの元に姿を現す気配は未だに無かった。
「あら?」
アンジェは何か拍子抜けしていた。何も無い壁だけの部分を狙うよりは、ゲート附近の方が侵入しやすいであろう言うことは誰でもわかる。だが、その一方で、それの反対の発想を侵入者が持つかもしれないと言うことは、それもまた考えられる事実である。
だからこそ、アンジェはそこにも誰かしらが警戒に当たっているだろうと予想していた。
だが、そこには人影はほとんど感じられない。警戒監視に二~三人が歩哨として立っているのみである。アンジェの眉がくもる。それは明らかに不満の意思表示である。
彼女の脚はガラス壁面へと加速した。警戒がないのは建築物の防御能力によほどの自信があるためだろう。ならばそれを試してみたくなるのは、テロや破壊活動を行う者として本能である。
警戒監視の隊員たちはアンジェのその存在を視認すると保有する自動小銃を即座に構えた。アンジェはその身を低くして、さらに前のめりに低く飛ぶ。高く飛べば狙い撃ちにされる。低ければ急な軌道修正もできる。アンジェの銀髪が彼女の動きに逆らうように持ち上がる。こころなしか輝きを僅かに帯びている。
「たった3機か」
これまでのテロ活動の経験から、この程度の数なら『殺してくれ』と言っているような物だ。呆れと侮蔑と、もう何度も味わってきた殺戮への歓喜とを感じながら急速に接近していく。
切り裂こうか? 叩き潰そうか? 焼こうか? その手段について思案していたその時である。
駆け抜けようとするアンジェを見えない力が突如を襲った。何も無いのに彼女の速さが遅くなる。遅くなるばかりでなく苛烈な力が彼女を地面へと叩きつけようとする。アンジェはその身に感じる。それが明らかに人為的なトラップであることは確かだ。
さらにはアンジェは奇妙な気配を肌で感じていた。姿は見えない、声もしない、ぬくもりなど微塵もない。だが、確かに誰かが居る。それは度重なるテロ活動の末に身につけた本能であった。その本能のままに周囲を見渡せば、現れたのは鈍く光る自動小銃の銃口だった。
「ホログラム迷彩!」
アンジェはその時、感じていた得も言われぬ気配の正体を知ることとなった。
周辺の街路樹の影、コンクリート壁の側、金属柱の傍ら――、ありとあらゆる場所から次々とその姿を現してくる。ホログラム迷彩――、古典的ではあるが完璧に機能を使いこなせば、襲撃者を出し抜くにはこれほど最適な装備はなかった。隠身の為に3次元立体映像を身に纏う技術であり世界的にも広範囲に普及しているものだ。
アンジェとて今までにも幾度も見てきているはずだ。対策も見分け方も体得していてもおかしくない。だが、開発ベースとなっているハイテク技術の高度さと精密さによって、その完成精度には雲泥の差が出てくる。当然、映像の精度技術によって見つかりにくさは格段に向上する。
「ジャパニーズのテクノロジーの繊細さは伊達じゃないってことね」
関心したかのような言葉を吐いたが、しかめられた柳眉が内心のいらだちと怒りを現していた。先程からその身を襲う見えない力の正体も判然としない、これもまたこの日本と言う国の保有する技術の成果だというのだろうか?
3次元ホログラム迷彩を次々と解除して、瞬く間に20人ほどの武装警察部隊の標準武装体がアンジェの周囲を完璧に取り囲んでいた。
立ち往生するアンジェを、盤古隊員たちが注視している。銃のトリガーに彼らの指がすでにかかっている。
向けられた銃口を確認してアンジェは叫んだ。
「そう――、そうでなくてはつまらないわよね!」
その叫びと同時に周囲から何かが無数に投げこまれる。手榴弾の様に閃光と衝撃と強烈な電磁波がアンジェの周囲を飲み込んで行く。その攻撃を受けた瞬間、彼女は攻撃の正体を即座に感じ取った。アンジェが微笑んだ。純銀のプラチナブロンドの下で、彼ら盤古隊員に微笑みかけている。凍った冷たい笑みで。そして、アンジェに向けて、全ての盤古隊員が引き金を引いた。
















